月ロケットも、仕上げに若干勘違いした感じの神道の術式を施して、無事完成した。

 完成する前から、レミリアの奴がお披露目パーティーの日程を決めやがったもんだから、最後の方は軽く修羅場ったけど、まあなんとかなった。
 後は、お披露目と壮行会と完成おめでとうの打ち上げを兼ねたパーティーを経て、月へ出発だ。

 ……僕の心配事は大学の単位のことだったのだが、なんだかんだで一年留年している。なんとかなってしまった。ならなかったらいい言い訳が出来たのに。

 はあ、と吐くため息が白い。もう冬だ。
 この分だと、明日のパーティーは雪が降るかもしれない。雪見酒か……また酒が進むなあ。

 しかし、さて、

「どうしたもんか」

 竹林の中に聳える、場違いなほど立派な門の前に立ったまま、僕はさっきから五分くらいうろうろとしていた。
 この永遠亭の住人は、月に縁のある人間が多い。僕が月に行くんだから、向こうの知り合いに手紙でも……と、思ったはいいが、月と永遠亭の関係はどうにも複雑だ。簡単に立ち入っていいのかどうか、かなり迷っている。

 こういう時こそ、普段から空気読まない奴と思われているのが役に立つのだが、しかし僕の空気読めなさをもってしても躊躇しちゃうんだよなあ。月からすれば犯罪者だとか言ってたしなあ。

「うじうじ」
「……なにをさっきから愉快なことしているのよ」

 悩んで地面に適当な落書きをしていると、キィ、と門が少し開いて赤い瞳が覗いてきた。

「あれ? 鈴仙?」
「うろちょろされると迷惑なんだけど。用があるならあると言って。二日酔いの薬?」
「い、いや、今日は別件……だけどいつから気付いていたんだ? つーか、もしかしてずっと見てた?」
「玄関の前から動かない不審者がいれば、そりゃ見張るでしょ」

 う……反論できない。
 しかし、不審者はないだろう。それなりに顔見知りだというのに。

「あー、っとな?」
「……だから、なに?」

 いよいよ持って、鈴仙の目が不機嫌になってくる。普段から好かれてはいないというか若干嫌われ気味なのに、この態度だとそりゃあこの対応となる。

「ウドンゲ。上がってもらって頂戴」
「あ、師匠」
「永琳さん」

 いつの間に現れたのか、永琳さんが鈴仙の後ろに立って、門を広く開け放った。

「えっと、こんにちは」
「はい。こんにちは」
「えーっと、ですね。その、今日来たのは薬とかじゃなくてですね」

 言っていいものかどうか、この期に及んで僕は悩んでいる。しかし永琳さんは苦笑すると、

「大体用件はわかるわ。意外だけど、割と気がつくのね貴方」
「はあ……」

 褒められ……たのか?

「師匠? こいつの用事ってなんなんですか」
「本人に聞けば?」

 うが、わかっているんだったら、永琳さんから説明して欲しかった。

 で、でも、用件がバレている上で永琳さんはなにも言わないし……

「その、だな。今度僕、月に行くんだけど」
「ああ、あのおんぼろロケットで。あんなので月に行けるなんて、私には思えないんだけど」
「僕にも思えない。でもパチュリーは大丈夫だって……って、なんで見てきたかのように? 大々的にお披露目するからって、まだ紅魔館の連中と僕と、あと霊夢以外見たことないはずなんだけど?」

 魔理沙でさえ、ここ最近はシャットアウトしていたのに。普段は図書館のことに関わらないレミリアと咲夜さんの主従コンビによって。

「えっと、それは……」
「ウドンゲ。後でお仕置きね」
「ひえええ!?」

 なんだなんだ? 永琳さんの笑顔が怖い。

「ん、まあいいや。とにかく、うまくすれば月に行けるわけで……もし、向こうの知り合いとかいるんだったら、手紙くらいなら承るぞ、って話なんだけど」
「え? て、手紙?」
「そう。……あー、まあ別に、気まずいなら別にいいけど」

 月の兎である鈴仙がどうして地上にいるか。断片的な話は聞いているが、詳しいことはよく知らない。だけど、あまり軽はずみに聞いていいことじゃないんだろうなあ、って思っているので、この提案が喜んでもらえるか自信がない。

「い、いや、気まずいっていうか……普通に、向こうの兎とはたまに連絡しているんだけど」
「へ?」
「なんていうか、月の兎同士って、離れてても話ができるのよ。色々混線して、雑談……というか誰が誰だかもわからず噂話をし合っているだけだけど」

 ……うそーん、そんな便利能力が?
 っていうか、もしかしてそれはアレか。兎は寂しいと死ぬという、あの迷信があるからいつでも寂しくないように……って違うか。

「で、でもいいのか? 確か鈴仙は、月の戦から逃げてきたとか言ってなかったっけ?」
「正確には、戦いが起こりそうな気配を感じたから逃げた、っていうのが正しいわ」

 永琳さんが補足を入れる。

 っていうか、それって……

「お、臆病風に吹かれたわけじゃないわよ。結局、戦は起こらなかったみたいだし」
「えーと……そうなの」

 なにやら思わせぶりな言動が多かったから、余程悲しいことでもあったのかと思いきや。そうかそうか。

「な、なによ」
「……ぶっ、ははは! い、いやいや、別に、そーゆーことならいいんだ」
「って、笑うな!」

 クックッ……いやいや、ごめんごめん。と心の中で謝る。なんだ、要するに、変に深刻になってた僕が間抜けだったってだけの話か。それならそれで、何よりな話である。

「んじゃあ、月の都に人類が攻めてるとかいう話は?」

 確か、そんな話を聞いた。月を侵略とかしてるんだ、やるな人類、って思ったから覚えているぞ。

「月における月の都とは、幻想郷と外の世界の関係に似ているわ。だから、あまり表の月を荒らされるのは愉快じゃないわね……って話。
 まあ、最近の地上の民の科学の進歩は著しいから、後数百年位で都の存在に気付くくらいはするかもしれないわよ?」

 まあ、私は地上の民だから関係ないけど、と永琳さんが締めくくった。

「変に気を回し過ぎたか……」
「いえいえ。私も輝夜……っと、姫様も、月では犯罪者だということは本当」
「そうなんですか?」

 あー、さっぱりわからん。

「……んじゃ、永琳さんは誰かに手紙とかは?」
「私はいいわ。この前送ったもの。それよりウドンゲ? 折角こう言ってくれているんだし、あの子たちに文を送るくらいしてもいいんじゃない?」

 あの子? と聞き返そうとすると、鈴仙が見るからに慌てる。

「え、でも、しかしですね」
「世話になってたんでしょ?」
「そりゃ、まあ……。でも、私のことなんて忘れていますよ」
「そんなことないと思うけどね」

 うむむ?

「えっと、鈴仙と永琳さんの共通の知り合い?」
「知り合い、というか、月にいた頃は色々教えていた生徒みたいな子よ」
「私は、月にいた頃はその方たちのペットだったの」

 なん……だと……?

「ペット?」

 永琳さんの女教師もちょっと反応しかけたが、鈴仙の台詞のインパクトには到底敵わなかった。

「そうだけど。なに?」

 ペット。ペットねえ? 首輪とか付けて? 鈴仙を? いやいや、そんな羨ま……もといケシカランことを。
 いや、待て待て。まさか、この潔癖症気味なところもある鈴仙がペット? うん、間違いなく無理矢理な主従関係だ。借金のカタとか弱みを握られてとか。

 そうか、なるほど。月から出てきたのは、きっとその人から逃げてきたんだな。さっきの戦が云々、ってのはきっとカモフラージュだ。

「……く、つらかったな」
「意味が分からないんだけど」

 鈴仙の辛い過去を想像すると、身体のごく一部が元気に……いやいや、違う。今のなし。そう、鈴仙がとても可哀想になる。
 今までなんで僕のことこんなに嫌うんだ、とちょっと不満だったけど、そういう事なら仕方ない。

「良也……あの子達は、女の子よ?」

 と、そこで呆れたように永琳さんが口を挟み……って!? な、なにィ!?

「百合!?」
「なに言ってんのよあんたは!?」

 思わず口走った僕に、鈴仙の弾幕が襲いかかった。

「ぐっは!?」

 そして、僕は予定調和のように吹っ飛ばされるのだった。
 ……うう、痛い。

































「なんだ、本気で普通のペットってことですか」
「そうよ。まあ、どういうことを考えたのかはわかるけど……自重なさいな」

 どうせすぐ治るし、そもそも大した傷じゃなかったんだけど、折角だから、と永琳さんに診察室に引っ張りこまれた。
 鈴仙は、結局永琳さんの説得を受け、手紙を書くことにしたらしく、自室に向かった。

 消毒液をかけられ、擦り傷が染みる。

「そういう意味でウドンゲをペットにしたいなら気合入れてね」
「……僕には無理です」

 脳内シミュレート一秒で却下した。と、そこで輝夜がひょいと診察室に顔を見せた。

「なら、私が飼ってあげましょうか? 人間の従者が一人くらい欲しかったところなのよ」

 話を聞いていたらしく、とんでもねえ提案をしてくる。阿呆か、と一蹴した。

「よう、輝夜」
「ええ、こんにちは。月に行くんですって?」
「ああ。まあ、観光……なのかねえ? よくわかんないんだけど」

 そういえば、こいつも月の人間なんだよなあ。永琳さんといい鈴仙といい、月には美人が多いんだろうか。

「ふうん。ねえ、永琳。良也が月に行って大丈夫かしら?」
「大丈夫じゃない? そもそも、最初から穢れてるし」
「そっか」
「まあ、絶対に大丈夫、とは言い切れないかも知れないけど。それは自己責任ということで」

 しれ、っと話しているが、なんか聞き捨てならない台詞が含まれていたぞ。

「……永琳さん。僕が月に行くと、なんかマズいんですか?」
「私たちが罪人とされているのは、月の使者を殺したのもあるけど、元々は蓬莱の薬を飲んだせいだからね」
「えっと」

 さらりと殺したとか言われても、その、困る。

「月人には元々殆ど穢れはないんだけど、蓬莱の薬を飲むことで穢れが出来てしまうから罪とされている。その意味だと、元々地上の人間である貴方は最初から穢れを持っているから大丈夫……かもねってこと」
「最後の言葉がなければ安心出来たんですけど」

 というか、その理屈だと蓬莱の薬を飲んでいようが飲んでいまいが、向こうにとっちゃ犯罪者みたいなものなのか?

「まあ、そもそも月に行くだけで危険なんだから、少々不安要素が増えたところでたいしたことないんじゃない?」
「輝夜……お前、人事だと思って」
「人事だもの。悪い? 今の私はしがない地上の民……月のことなんて知らないわ」
「心配する素振りくらいは見せてもいいだろ」
「死なない人間に言ってもねえ」

 お前のせいだろが。

「ああ、そうだ、良也。私から送るものは別にないけど、月に行くんだったら適当に物買ってきてよ。次の月都万象展で使うから」
「お前な」
「じゃあ、私はイルメナイトを一握りでも」
「永琳さんも!」
「そうそう、月には桃が沢山生ってるから、久し振りに食べてみたいわね」

 桃!? 月に桃なんか生えてるの!?

 なんかやっぱり色々不安になってきた。

「まあ、ちょっと真面目な話をするとね」
「……この空気で?」

 シリアス空気は、最初僕が纏っていたけど粉微塵に吹っ飛んだんですけど。
 しかし、永琳さんはキリッ、としている。うわー、切り替え早い。輝夜は……あ、我関せずを決め込んでやがる。

 ええい、頭切り替え切り替え。

 と、僕が聞く体勢になったところで、永琳さんが威厳たっぷりに話を始めた。

「境界の妖怪がなにか妙なことを企んでいるわ。具体的になにをしたいのかは分からないけど……精々、利用されないようにね。個人的には、貴方とはいい関係でいたいから」
「既に僕は計画に組み込まれているような……」
「そうなんだけど。でも、一応ね」

 うーむ、多分僕はその場に流されることしか出来ないだろうが、心には留めておこう。

「あの、お待たせしました。師匠」

 ってところで、鈴仙が診察室にやって来た。大切そうに封筒を手に持っている。

「私じゃないでしょ。良也に渡しなさい」
「そう、ですけど」

 なんか、鈴仙は不満そうだ。
 少し躊躇して、僕に手紙を差し出してくる。

「当たり前だけど、中身は見ないでよね」
「じゃあ、私が量子印を押印してあげましょう」

 永琳さんは横から封筒をつまみ上げ、指先を綴じる所に押し付ける。……指先が離れると、幾何学的な模様で封がされていた。

「これで、この手紙を開けたらすぐにわかるようになったわ」
「ありがとうございます、師匠」
「……いや、だから開けないって」

 実は信用されていない?
 人の手紙を勝手に読むほど無作法じゃないぞ僕は……

「ふん。どうだか……。まあ、その」

 ぽりぽりと、鈴仙は頬を掻いて、照れくさげに頭を下げた。……へ?

「よろしくお願いします」
「あ、ああ。確かに承った。……って、誰に渡せばいいんだ」

 肝心の宛先がわからん。裏には……なんか知らない字で名前らしきものが書いてあるが、読めん。月の文字か?

「綿月豊姫様か、綿月依姫様。二人共月の使者の責任者で、依姫様は外敵からの警護を担当しているから、多分会うはずよ」
「……それって、警備の人と侵入者ってことか」

 そうだよなー。パスポートなんてのもないし、向こうに許可とってるわけじゃないし。しかもスキマが裏で戦争しかけようとしているフシがあるし。警備の人が出張るのも道理である。

 ……大丈夫かね?

 一抹の不安を覚える。

「頑張りなさいね。あの子は強いわよ」
「……永琳さん。戦いになると決まったわけじゃあ」
「決まっていないとでも? 吸血鬼と、巫女が行くんでしょう?」

 ……うーわー。今からますます不安になってきやがった。
 しっかりと懐に手紙を納めつつ、僕は一つ溜息をつくのだった。



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