セントルイス郊外の森に隠れるように存在する深い洞窟。その奥を改造した檻に閉じ込められているクリスらは、看守たる魔族がいないのをいいことに、頭をつき合わせて脱出の算段を立てていた。
「無理」
「……クリス。お前、逃げたくねぇのか? 話し合い始めたばっかで無理ってオイ」
アランが困ったように言う。確かに、身も蓋もない発言だったが、クリスとて言い分はある。
「ここの魔力封じの結界は、僕ら三人がどう頑張っても破れない出力だよ? しかも天然の岩に囲まれて鉄格子もガッチリ。アリスちゃんみたく腕力だけで鉄格子を捻じ切れるならともかく……」
「そこはそれ。お前の妙な鍵開けスキルで」
「ないよ、んなもん」
無茶なこと言うアランを、クリスは一蹴する。エイミはうーん、と腕組みをして考え込んでいる。
「力ずくも鍵開けも、あたしはすでに試してみたけどさぁ。いくら殴っても穴もあきゃしないし、鍵はそもそも鍵穴がねぇ」
「へ……うわ、ほんとだ!?」
「気付いてなかったのか……」
魔法錠(マジカルロック)だろう。一般的な南京錠のように見える鍵だが、鍵穴は存在しない。結界はあくまで魔力を外に出さないためのものなので檻の中は魔法の行使が可能とは言え、当然檻そのものに対しての防御はバッチリだ。予め結界の影響を受けないよう登録されたものでないと、この魔法錠に干渉することすらできない。
「だから、知恵絞れってんだよ。おら、クリスも諦めのいいこと言ってないで、なにか妙案を出せ」
「みょ、妙案と言われても……」
一同、首をひねるしかないのだった。
第96話「へっぽこブラザーズ、逃走」
「ふむむ……」
「どうしたの、シルフィ。唸って?」
クリスとアランまでもが行方不明になって、ライルたちはヴァルハラ学園もサボって、アレンの家で厳戒態勢に入っていた。
……まぁ、武器を手元に置いて、いつでも殺れる体制になっているだけだが。
そんな中、クリスが集めた行方不明者の資料を睨んで、シルフィは腕を組んで考え事をしていた。
「二回も出し抜かれて、大人しくしてるシルフィ様じゃないわ。精霊王の名に懸けて絶対犯人をブチ殺してやる! ……って、思って、ちょっと調べてたんだけど」
「だけど?」
「なんてゆーのかなー。犯人の目的? みたいなのが掴めなくて。精霊魔法が得意な奴が多く攫われている……だから? 魔族にとって精霊って、むしろ敵対している存在なんだから、それの使い手集めたってなにができるってんの」
「さぁ?」
ことこういった方面で、シルフィにわからないものがライルにわかるはずがない。マスターとして微妙に情けないものを感じながらも、ライルは曖昧な返事をするに留める。
そこで、傍観していたルナが口を挟んできた。
「んなのはどうでもいいからさぁ。その魔族とやらがどこにいるかが問題でしょうが。目的なんざ、倒してから聞き出せばいいのよ」
「……まぁ、そうなんだけどねえ」
納得いかない様子のシルフィ。
ぽりぽりと頭をかきつつ、ライルのほうに目を向けた。
「ま、冥界に問い合わせても、クリスたちは死んでないらしいし、時間はまだあるんじゃない?」
「……そんなもんにそんなこと聞いてたのか」
「ってことで、マスター、お菓子頂戴、お菓子。糖分は頭の回転に必要なのよー」
どういうことだよ、とブチブチ文句を言いつつも、ライルは作り置きのドーナツを用意する。
人形形態のシルフィの半分もの大きさのドーナツだが、シルフィは一個目を易々と平らげて二個目に移った。
「なぁ、シルフィ。前々から疑問に思ってたんだけど、その状態の時のお前の胃袋ってどうなってんの?」
ライルの疑問に、シルフィは体当たりで答えた。顎の辺りに頭から突っ込んだシルフィの一撃は、ライルの脳を揺さぶりまくる。
「マスター! 女の子にそんなこと聞くなんて、デリカシーがないわよ!」
「お、女の子って年齢じゃないだろぐあ!?」
いらんことを言ったライルに、シルフィはトドメを刺した。
そんな三流コメディ状態のライルらとは違って、クリスたちはかなり切迫した状況だった。
どこへやら消えていた魔族が帰ってきた。すぐに作戦発動。
「ぐっ……ぁああ!」
クリスが地面を転がりまわって、苦しそうに呻く。
「……なんだ、どうした?」
かすかに声色に焦りのようなものを見せ、魔族が尋ねる。
それに、訴えるような視線でエイミが答えた。
「コイツ、持病あんだよ。薬がねぇと……このままだと死んじまうぞ!」
「おい、クリスしっかりしろ!」
演技過剰気味に、アランがクリスの肩を揺さぶる。『ちょ、アランやめれっ!』というクリスの小さな声も聞こえていない。
「なんだと?」
「だからさ。コイツだけでも、街に送り返してやってくれないか? なぁ、頼むよ」
クリス・ザ・仮病大作戦。
こんな頭の悪いネーミングの頭の悪い作戦は、クリス発案によるものだ。ちなみに命名者はアラン。名前をつける必要性などこれっぽっちもないのだが、やはりないとしっくりこないと強硬に主張した。
ごくり、と誰かが唾を飲み込む音が響く。
これは半ば以上賭けだ。まず、この魔族が仮病を見抜かないかどうかがまず一番の問題。こればっかりは完全に運任せ。
もう一つ、見抜いたとして、街に帰すことを了解するかどうか。
これについてはエイミはそれなりに勝算があった。殺すなら、とっくに殺している。つまり、まだ生きていてもらわなければ困るという事だ。予備……らしいエイミ自身ならともかく、この魔族にとってなんらかの重要な役割を担っているらしいクリスの命の危機となれば、帰すという選択もないわけではない……はずだと思っていた。
まぁ、全てが楽観すぎる気がするが、もしうまくいかなくとも今より状況が悪くなることはあんまりないだろう。
魔族は、クリスの様子を見て、熟考している。それを察して、クリスは『ぐわぁ!? く、苦しい〜』とのた打ち回る。……案外、演技の才能はないようだ。
それを心配する風を装っているアランも『くっ、このままじゃ命が危ない。衛生兵、衛生兵ぃーー!!』などと、演技下手という言葉では括れない、むしろ作戦の失敗を願っているような声を上げる。
もしなにもかもが解決したら、その後でこいつ絶対殴る、と心で決めて、エイミは弟を心底心配する姉の演技を続けた。
やがて、魔族が大きくため息をついた。
「わかった。いいだろう。今そいつに死なれても、私にいいことは一つもない。……ただ、ここのことを第三者に知らせたりした場合、姉の命はないものと思ってもらう」
しっかりと釘を刺された。まあ、そのくらいはクリスも予想していた。……だから、勝負は本当に短い間でしかない。
ガチャリ、と鍵が開けられた瞬間、エイミが魔族に体当たりをかます。
不意をつかれ、よろめく魔族の横を、クリスとアランが全速力で駆けていった。
「待……」
止めようとする魔族の前に、エイミが立ちふさがる。
檻の外には結界の効力は及んでいない。
今までの鬱憤を晴らすかのように、魔法をブチかますエイミ。得意の氷結系ではなく、爆裂系の魔法。爆音と爆煙が、逃げるクリスたちの姿を隠す。
「お前は……あたしと遊んでな!」
クリスとアランでは、二人がかりでも魔族の相手はできない。数分と持たずやられるのはすでに実証されていた。
対して、エイミは、その豊富な実戦経験(どこで積んだかはさておいて)と、数々の戦闘向けの魔法によって、一人でもなんとか時間稼ぎ程度はできる。
選択の余地はなかった。
二人はエイミを置いて、助けを呼ぶべく洞窟のあった森の中を突っ切る。
「『エア・ウォーク!』」
クリスの風の精霊魔法が発動。ライルには到底及ばないが、風とは相性がいいほうだ。クリスとアランの四肢に風の精霊が纏わりつき、機動性が飛躍的に向上する。
飛行すら可能にするこの魔法の効果により、二人のスピードは視認も難しい領域に入っていく。
高機動になれていないアランは、木の枝に体を傷つけられるが、気にしている暇などない。
「てか、ここどこだ!?」
「多分、セントルイスから二十キロくらい離れた森! 前、キャンプに来たことある!」
風圧で聞こえにくい声を張り上げる。
その間も、二人の足は止まらない。木々の間を縫って、一蹴りで十メートル近くの距離を踏破する。
「ちょ、アラン、ストップ!」
ずざっ、と立ち止まる。クリス。
なにか、おかしい。
「どうした? はやくしねぇとエイミさんが……」
「いや、この森、こんなに広くなかったんだよ。このスピードで走れば、もうとっくに抜け出てるはずなんだけど……」
不審げにあたりを見渡す。
そういえば、この木の配置。さっきも通らなかったか?
それをアランも察したのか、声を張り上げる。
「これって、帰らずの森と一緒じゃねぇか!?」
ライルとルナがユグドラシル学園に留学した時に遭遇した最期の騒動。帰らずの森、と呼ばれる森に入ってしまい、遭難した記憶がアランの脳裏によぎる。
「アラン、前にもこんな経験が?」
「ああ。なんかの結界で無限ループしてんだ。あん時は、シルフィとか言う精霊が助けに来たけど……」
「ループ……空間に干渉する魔法?」
クリスはその話を聞いて、周り中に感覚を広げる。言われてみれば、巧妙に隠蔽された結界が森に張り巡らされている。初めて感じるタイプの術式だったので詳しい効果はわからないが、既に失伝した亜空間魔法の一種だろうとあたりをつける。
解除は……ほぼ無理だろう。
「くっそ!」
悪態をつくクリス。脱出不可能とわかると、後ろに残してきたエイミが気になって、クリスは転進しようと後ろを向く。
「ほう。自分から戻ってくれるのか? それは私としても、ありがたいのだが……」
そこには、何事もなかったのように件の魔族が立っていた。
「!?」
「む?」
「あら」
ライル、シルフィ、ルナが三者三様の反応を見せる。
彼等にとって、慣れた魔力の波動……クリスの魔力が、遠くで感じられた。
それは救難信号のように、遠くにまで届くように波長が強化されていた。……いや、事実救難信号なのだろう。
「あン? どーしたんだ、三人とも」
そんなもん感じられる筈もないアレンは、呑気に朝昼食を摂っている。ついさっきまで熟睡していたので、朝食と言うには少々中途半端な時間になってしまったのだ。
そんな呑気なアレンを、とりあえずルナは殴りつけて、
「さっさと剣とって来いこの馬鹿!」
と、叫んだ。