それは油断だった。

エイミが行方不明になってから二週間。何事もなく過ぎて、気が緩んでしまったのだろうか。

クリスとアランは、掃除当番でライルたちより帰るのが遅れてしまった。先週なら、それが終わるのを待って全員で帰るようにしたのに、他のものはさっさと帰った。

さらに、早く帰ろうと、普段は通らない路地裏を通ったのが運の尽き。

いつの間にやら、それまでほとんどなかった人通りはゼロになり、クリスとアランの前には一つの黒い影が出現していた。その影は黒い体表と蝙蝠を思わせる翼を持つ、所謂魔族。

「クリス……あれってもしかして?」

「言わないで。今、自分の馬鹿さ加減を百万回反省してるとこだから」

 

第95話「へっぽこブラザーズ生誕」

 

(!?)

ライルが夕飯の準備をしていたら、さっきまで虎視眈々とつまみ食いを狙っていたシルフィの驚く雰囲気が突然伝わってきた。

(なんだ、どうした?)

料理の手を休めることなく、ライルは口に出さず問う。包丁を使っているときテレパシーで会話など、言語道断なのだが、慣れのおかげかその動作に淀みはない。親の敵を切り裂くように、人参を鮮やかに刻んでいく。

(ッのんびりしてる場合じゃない! ちゃっちゃと動け!)

(は、はぁ?)

後頭部に蹴りを入れられ、危うく指を切りそうになる。怪訝そうに問い返すライルに、シルフィは苛立ったように一つのイメージを送ってきた。

テレパシーはこういうとき便利だ。複雑な言い回しをしなくとも、ライルは今この瞬間、この町に魔族の気配が出現した事を察した。

「うわっ、どうしよ。え? まずは騎士団に連絡を……」

(んな役立たず呼んでる暇があるなら自分で動けーー!!)

「あ、うん。ルナ、アレン――!」

とりあえず、戦闘要員の二人を呼ぶ。

フィレアやアリス、ミリルは強いことは強いのだが、か弱い女の子ということで、荒事になったら参加させないという方向で話はついている。その時、ルナが爆発寸前まで言ったが「ほ、ほら。ルナは後衛だから……ねっ!?」というライルの必死の説得によって不精不精納得したというエピソードが……

閑話休題。

ライルの切羽詰った声に、何事かとやって来たアレンとルナに事情を話す。

「っへ。じゃ、さっさと行かなきゃな」

「うん。じゃ、僕が先導するから」

シルフィから伝えられた場所を、頭の中の地図と照らし合わせながら玄関に向かおうとする。

「ライル」

「なに、ルナ。早く行かないと……」

「それはいいけど、その包丁で魔族も調理する気? んなの持って走り回ってたら、逆に通報受けるわよ」

「うわっ」

慌てて台所に包丁を置いてくる。

なんでだろう。腰にはもっと凶悪な長剣を携えているのに、往来では包丁の方が凶悪に見えるのは……。抜き身だからか?

そんな益体のない事を考える暇もなく、ライルたちはクロウシード家を飛び出した。

ほぼ全力疾走のライルとアレンに道行く人たちの注目を浴びるが、それに構っている暇はない。この二人の全力疾走についていけるはずもないので、ライルがお姫様抱っこしているルナがそれに拍車をかけているが、それも気にしていられない。

いや、初めは荷物のように小脇に抱えたり、背負ったりする案もあったのだが、ルナ嬢からの苦情があったのでこの格好と相成ったのだ。なんでも、みっともないらしい。……この状態がみっともなくないかは議論の余地があると思うのだがどうだろう。

その役は体力のあるアレンが担うべきなのだが、彼の婚約者殿の機嫌を損ねるとまた出発が遅くなるので、仕方なくライルの役に。

そんなドタバタな出発だったが、ライルとアレンの健脚はそれを補って余りある。

結局、シルフィの報告から五分と経たず、現場に到着していた。

「あ……あれ?」

だけれども、そこにはなにもない。

いや、争った後らしく、路地の地面や両隣の建物に焦げ跡――恐らくはアランの火精霊魔法の後が残ってはいるが、それだけだ。

「え〜と……シルフィ?」

どうすることも出来ず、シルフィのいるほうに目を向けるライル。

当のシルフィは辺りに人の目がいないことを確認して、姿を現し、この周囲を調べる。

「……ん、人払いの結界と、あと気配を遮断するような結界張ってたのね。おかげで私も気付くの遅れたんだけど……」

シルフィは忌々しげに歯噛みする。

「にしても、気づくまでに五分かかってないはず。……計十分も経ってないってのに、あのへっぽこブラザーズが!」

いつの間にか、一纏めにされているクリスとアランだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……で、夜。

抵抗はしたものの、軽くあしらわれたクリスとアランは、そろってエイミと同じ牢屋にブチ込まれていた。

「……へっぽこどもめ。二人がかりで負けるかぁ? 普通」

ぼそっ、と。今まで無言で二人を睨みつけていたエイミが一刀両断。

「へ、へっぽこって!? アランと同じ扱いはいくらエイミ姉さんでも許せないよ!」

「こら、待て! 俺へっぽこ決定!? てか、俺はお前より活躍したわあほぉ!」

活躍といっても、戦闘シーンをはしょられる程度であることは言うまでもない。

「僕は基本的にサポート要員なんだよ! RPGで言うなら僧侶とか、そんな感じ!」

「つっても、お前。なにもしてなかったじゃねぇか!?」

「結界とか張ってたのに気付かなかったのか! てか、張っても一撃でノされてたっけそういえば!」

やいのやいの。

口汚く罵り合う二人に、エイミは頭が痛くなった。洞窟内でエコーがかかり、うるさいことこの上ない。

「だいたい……」

ガシッ、とエイミはピーチクパーチクうるさい二人組みの頭を鷲掴みにする。

ゆらぁり、と瘴気さえ立ち上るほどの怒りを込めて、思い切り睨みつけた。

「なぁ?」

「「はい!」」

やけに息が合っているクリスとアランは、一気に背筋を伸ばした。よく訓練された兵士のように微動だにしない見事なまでの直立不動だったが、エイミさまのお怒りはその程度では収まらなかったらしい。

「あたし、これでもそれなりに不安だったんだぜ? いつ気まぐれで殺されるかわからんからなぁ。早く助けに来てくれって、ずっと願ってたんだ」

「……いや、あなた。不安がるとかそんなタマじゃね……アダダダダダ!!?」

ぐりっ、とコメカミに指がねじ込まれたような感触がして、アランが身悶えする。エイミのアイアンクローの威力に、クリスはぶるりと震えた。

「それが、捕まっただけならまだしも、てめぇらはお気楽に口喧嘩ですか? あー、トサカに来たぞ、これは。……オイ」

「な、なんでしょうか、お姉さま」

言葉の震えを自覚しつつ、クリスが尋ね返す。すぐ横では、そろそろビクンビクンと痙攣しているアランの姿。これで恐怖を覚えるなというのは、まだまだ若輩者であるクリスには無理な注文だ。

「あたし以上の恐怖と痛みを味わえコラァ!?」

「ぎゃがががががっ%$“$##!!?」

瞬間、頭に走る痛み。冗談抜きに頭蓋が壊れるかと思うほどの圧力がかかり、クリスの小柄な体躯は宙に持ち上げられる。

隣ではさらなる握力で握りつぶされようとしているアランが、耳とか口から出てはいけないものを噴出していたりした。

だが、彼はまだ幸せだ。肉体的に貧弱なせいで、すぐさま意識を飛ばすことが出来たのだから。細身な割に、それなりに鍛えられているクリスの体は、そう簡単に失神することも出来ず、地獄の苦しみを味わう羽目になる。

薄れゆく意識の中、クリスは思った。

(……こ、こんなことしている場合なのかな?)

もちろん、そんな場合ではないことは言うまでもない。

 

 

「……なにをしているのだ?」

飢え死にされては困るので、木の実などを収穫してきた魔族は……その、なんていうのか困っていた。

 

 

 

 

 

 

 

で、ライルたち。

ぶっちゃけ、途方に暮れていた。

前回と同じく、手がかりはゼロ。魔力の残滓すら残さない見事な手際。むしろ、犯人を褒めたい気分だった。

「こりゃ、相当上級魔族ねぇ。知能もかなり高そう」

百戦錬磨のシルフィをして、この程度しか言えないほどだ。

まっ、とシルフィは一つため息をつき、

「腹が減っては戦は出来ないって言うしね。とりあえず、マスター、ご飯」

あの後、現場を色々検証して帰ったのはもう日が変わるかという時刻。晩御飯をお預けされたアレンは言うまでもなく、ルナとシルフィもその小さな体のどこに入るのかというくらいがっついた。

当然、夕飯の残りなどでは足りるはずもなく、現在ライルが超特急で追加を作っている最中である。

チンチンと皿を叩く音が実にうっとおしい。

「あー! ちょっと待ってくれよ。すぐ仕上げるからさぁ!?」

面倒なので、残り物の野菜と肉を塩コショウで適当に味付けしただけのやっつけ野菜炒めで量を誤魔化すことにしたライル。ぽいぽいと野菜を空中に投げると、アレンが一瞬の早業で剣を走らせ全ての野菜を微塵切りにし、ルナの火炎魔法の必要以上の火力で熱せられたフライパンで炒めまくる。

「……アレン。ちっと確認したいんだけど、その剣、新品よね?」

それを見てて不安になったシルフィが尋ねる。

「あ? そういやコレでアルヴィニア王国の兵士斬ったりしたっけ?」

よぉく見ると、うっすら血のりがついているようなついていないような。

「ぎにゃああああ?! なんてもんで食べ物斬ってんのよあんたは!?」

よく磨いてあるとは言え、さすがにそれは生理的にアレだろう。

シルフィは思わず叫び、うっとルナも気色悪げに顔を曇らせる。……が、調理人のライルは落ち着いたものだ。

「いいよ。そのほうが早いし。……アレン」

「ん」

ライルが再び投げた野菜を、アレンが切る。見事裁断されたレタスやらトマトやらがボウルに行儀よく着地した。これでドレッシングをかければ、立派なサラダの完成である。

「ま、あまり手の込んだのは作れなかったけど、こんなもんかな。とりあえず、コレで我慢して」

「ちょ、ライル。スルーしていいわけ?」

なにか恐ろしいものでも見るような目でルナがライルを睨む。

いくら傍若無人なルナでも、人を斬った剣で料理をするのはさすがに勘弁らしい。しかし、ライルは平然と、

「大丈夫。ちゃんと加熱殺菌してあるから」

サラダはしてないだろうサラダは。

ライル、時々すごい男であった。

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