「こ、こうなったらやるしかねぇか」

脱走したはいいが、すぐさま追いつかれてしまったアランは、そう腹を決めた。が、それをクリスはそっと止める。

「無理だよ。僕らじゃ敵わないって、前戦ったときわかっただろ」

「つってもさぁ……」

脳裏に、攫われた時のことが思い出される。まさしく一蹴。アランの渾身の魔法の一撃にあっさり耐え、クリスとアランそれぞれに一撃を加えた魔族の強さは、今思い出しても震えが来る。

いや、単なる実力だけなら、二人はこの魔族に匹敵とは言わないが十分戦えるだけの力量を持っている。ただ、二人とも肉体的にへっぽこすぎて、前衛がいないとお話にならないだけなのだ。せめて、エイミのように豊富な実戦経験があれば、魔法だけで渡り合うことも可能だろうが……ないものねだりをしても仕方がない。

「で、どうするのだ? 大人しくあの牢に戻るなら私としてもありがたいし、そちらも怪我をしないですむのだが」

いっそ優しげとも取れる声で、魔族は言った。今までの態度もそうだったが、見た目の恐ろしさとは裏腹に、けっこう紳士的な魔族なのかもしれない。

だが、自分たちを捕らえていたのも事実なのだ。そうそう言うことを聞くつもりはクリスにはなかった。

勝算がないわけではない。エイミが魔族を抑えている間に、ライルたちが気付くように魔力を発しておいた。この森の結界は魔力の信号を止められるようなものではない。届いたはずだ。

つまり、時間さえあれば、救援が望める。だが、自分たちが捕まっては人質扱いされるかもしれない。エイミの方は……まだ無事だろう、多分。魔族が来たのが早すぎる。

そこまで考えて、クリスは回れ右。

「つーわけで、逃げるよアラン!」

「どういうわけだよ!?」

 

第97話「へっぽこブラザーズ、惨敗」

 

洞窟から出た時に使ったエア・ウォークの効果はまだ持続している。クリスとアランは、人外めいたスピードで、森を駆けた。

「おいっ、クリス! 森の空間ループしてるけど大丈夫なのか!? いきなり前にあの魔族がいたり……」

風を切っているため、大きな声でアランが叫んだ。

「大丈夫! 結界には触れてない」

クリスも大声で返す。

この森の結界の効果は、あくまで『触れた物体を逆のところへ飛ばす』だ。つまり、結界の張ってある境界に触れれば、百八十度反対の結界の境界に出ることになるが、触れなければ問題はない。

未知の結界を、クリスはここまででそれだけ分析していた。付け加えるなら、この結界は大体直径三キロの球状といったところだろう。大規模な結界としては普通の大きさだが、さりとて鬼ごっこするには少々広すぎる。

十分逃げれる……

そんなクリスの甘い目論見など、その魔族には通用しなかった。

「……そんな亀のようなスピードで逃げられると思ったのか?」

ギクリ、とクリスの背筋が凍った。いつの間に追いつかれたのか、すぐ隣に魔族が併走している。あっ、と声を上げる暇もなく、魔族の腕が振り上げられ、

その魔族が吹っ飛んだ。

「ぐが――!?」

予想外の方向からの攻撃に、魔族は悲鳴を上げる。急速にその影が遠くなっていくのを横目で見ながら、クリスはぐんぐん近付いてくる姉の姿を見つける。どうやら、さっきの攻撃はエイミの魔法らしい。

「あたしを無視ってんじゃねぇよ、馬鹿が!」

罵声が聞こえる。

クリスはこんな時でも変わらないエイミに苦笑しながら、その隣に立った。いきなり止まったクリスに、勢いを止めきれないアランは木に激突する。

「ぎゃっ!?」

そんなお間抜けアランはキッパリと無視して、クリスは小声で言った。

「……エイミ姉さん、しばらく時間稼いだら、ライルたちが助けに来てくれると思うから、なんとか持たせて」

「おっし、わかった」

「アランも、くれぐれも無茶なことしないように」

「お……う。けど、その…前、にかいふ……くを」

やれやれ、とクリスは肩をすくめ、アランの傍によって癒しを施してやる。

「……なんだ? まだ逃げてなかったのか」

起き上がった魔族は、訝しげにこちらを見てくる。

「冗談。すぐ追いつかれるのがわかってて逃げを打つほど、僕は意気地なしじゃないよ。アランはともかく」

「待てコラ。俺が度胸ないって遠まわしに言ってねぇかお前!?」

「……あたしには、遠まわしも何も、直球ズバリ度胸がねぇって言ってるように聞こえるが」

お気楽な三人の様子に、魔族はふぅ、とため息をつく。いい加減、呆れているようだ。まぁ、当然と言えば、当然だろう。

「お前らは、本当に緊張感のないやつらだな。まあ、だからこそ強いのかもしれんが……」

いや、それは過大評価ですから。

 

 

 

 

 

一方、ライルたちは、前回クリスたちが攫われた時と同じく、現場に急行していた。

ライルによる『エア・ウォーク』も発動。そのスピードは、クリスらも問題にならない次元に突入している。ライルに抱えられているルナは絶叫マシン顔負けの恐怖に晒されおり、後が怖いなぁとルナの悲鳴を聞きながらライルは思った。

「っっっっぎゃああああああ!? ちょっとライル! スピード落とせ! 落とせ、落とせええええ!?」

もう少し女の子らしい悲鳴は上げられないのかなぁ、と本人に聞かれたら黒焦げにされることうけあいの事を考えながら、ライルは冷静に答える。

「怖いのはわかるけど、早くクリスたちを助けに行かないといけないから」

わかるとは言ったが、ライルは自分の足でこれだけの速度が出せるので、あまり速度による恐怖というものがわからない。他の人に任せたら、このスピードでも怖くなるのかなぁ、と益体もない事を考えながら、さらに足に力を込める。

「ライル! 見えたぞ!」

先行して小さな丘を越えたアレンが叫ぶ。二十キロの道のりも、この二人の足にかかってはあっという間だった。

ライルは徐々にスピードを下げ始める。ルナを抱えてこのままの速さで突っ込んでしまったら、森の木に激突する。そんな間抜けな真似はするつもりはなかった。

(ね、マスター)

(ん?)

ライルの髪の毛に掴まっているシルフィが、そっと話しかけてきた。

(なんだ?)

(さっきまで、魔族の目的わからなかったんだけど……この森)

(森がどうかしたのか?)

(もしかしたら、マスターたちの手に余る事態かもしれない。とにかく、気をつけて)

(? あ、ああ)

思わせぶりな事を言うシルフィを不思議に思いながらも、ライルは森に突入した。

 

 

 

 

 

 

「おらぁ!」

気合一閃。エイミの冷気を纏った拳が魔族の顔面を捉える。たたらを踏む魔族に、畳み掛けるようにアランの放った炎の精霊魔法が命中した。

体勢を整え、エイミに反撃しようとする魔族だが、すでにエイミは魔族の間合いの外に逃げていた。

「ッかぁ〜! ゴキゲンだなぁ、こりゃ。お前ら、こんなイイのかけてて、負けたのかよ」

クリスがありったけの補助魔法でエイミを強化している。身体能力の強化、反応速度の上昇、防御力の増強その他諸々。おかげで、肉弾戦はそれほど得意でないエイミでも、この魔族とガチンコで渡り合えるようになっていた。

アウトレンジからの攻撃で敵に近付かせないようにするのが、基本的な魔法使いの戦い方だが、それでは間合いを詰められたら一瞬で終わる。クリスたちはいっそ戦い慣れているエイミに前衛を務めさせることを選んだ。

無論、彼女とて接近戦のエキスパートではない。アランの攻撃魔法による威嚇も含めたヒット&アウェイで、時間を稼ぐ戦法だ。今のところ魔族を怯ませてはいるが、ダメージはたいして与えられていない。

「ええい、あの人は好きに戦えて楽しいかもしれんが、俺はエイミさん巻き込まないように気ぃ使うし、すっげ神経削るぞ、コレ」

「ていうか、エイミ姉さんキャラ変わってるね。普段から男勝りだけど、タガが外れてる感じ」

エイミに補助魔法をかけ続けながら、クリスは戦況を分析していく。

今のところ、うまくいっているようには見える。だが、いつかはエイミも捕まえられるだろう。防御も強化してはあるが、もともとの身体能力が高くないのだ。一撃、二撃まともにぶつけられればそこで終わるだろう。

あまり長くは続かない。そうクリスは判断した。場合によっては、自分も前に出た方がいいかもしれない。エイミほどではないが、アランよりは接近戦はできるつもりだ。補助魔法をかけつづけながらではかなりきついが、やってやれないことは……

「おいっ、クリス! ぼーっとすん――」

「あ……?」

警告の声に、しまったと思うが間に合わない。魔族が苦し紛れに放った火球が目の前にまで迫っている。

普段なら、なんてことなく避けられたであろう攻撃だ。

ただ、多重の補助魔法による魔力の消費や、短い間とは言え監禁されていたことによる精神的消耗、分の悪い戦いをもたせるための戦術の模索、そんな諸々が重なってクリスから集中力を奪っていた。

慌てて直撃を避けようと真横に身を投げ出すが、体全てを射線から逃すことはできない。足が炎に包まれ、熱いより痛いという感覚が脳を支配する。

クリスとて、それなりに高い耐魔力を備えているので、せいぜい軽度の火傷というところだが……痛みで一瞬集中力が完全に途切れる。

これでエイミにかけていた補助魔法は全部切れた。

「クリス……ちぃっ!」

好機と見て魔族が攻勢に入る。魔族の爪の一撃目をぎりぎりでかわすエイミだが、先程までと比べて明らかに反応が鈍い。もどかしい思いを抱えながら、エイミは即興で魔法を放つ。

「『フリージン・バーストッ』」

至近距離での冷気の炸裂が、エイミの体を後ろに押しやる。自分にもダメージが来るが、クリスからの補助が切れた今至近距離は危険。離れるにも、こうでもしないと距離をとることができなかった。

だが、それも少し寿命を延ばしたに過ぎない。

自分の魔法で吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。かはっ、と息が詰まる。その一瞬、思考が空白になり――当然、魔法を使うこともできない。

魔族にとってはその一瞬で充分だったようだ。

アランの牽制を多少のダメージを覚悟で突破し、この三人の中で最も戦闘力の高いエイミへ追撃に走る。エイミが悶絶しているうちに、彼女の首筋を掴む――正確には頚動脈を押さえた。

人間と言うのは、それだけですぐに気絶してしまう。

エイミが気を失ったのを確認すると、魔族は念のため、エイミに睡眠の魔法をかけ、

「さて……これでチェックメイトだな」

なんてことない調子で、勝利宣言をした。

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