クーデター成功。

このニュースは、夕方ごろにはアルグラン全住民の知るところとなった。完全武装した兵士が、街中を練り歩き、宣伝する。

自然、国民らは外出を控え、家に閉じこもる。時折、城を鎮圧した部隊が見回る以外、通りに人影はない。

本体の“到着が遅れて”、兵の数は少ないものの、それだけで街の支配は十分成っていた。長らく平和の続いたこの国の民に、軍隊に立ち向かえるような者はほとんどいない。反抗した幾人かも、すぐに鎮圧されてしまった。

唯一、それらに対抗できるであろうギルドの冒険者たちの中に、国の厄介ごとに好き好んで首を突っ込むような輩はいない。

がらんとなった街中を、ガイアは上空から沈痛な表情で見下ろす。

いつもなら、仕事の終わるこの時間、街では酒場で仲間と飲む者らの笑い声や露天の客引きの声、子供のはしゃぐ声でいっぱいなのだ。そんな平和な風景が根こそぎ奪われてしまっている。

『上位精霊は、人間の社会に直接干渉できない』なんて、決まりがなければ、関係者を全員ブッ殺しているところだ。

人間が最も親しみやすい大地の精霊。その王たる彼、ガイア・グランドフィルは、近年覚えがないほどに怒り狂っていた。

 

第85話「アルヴィニア王国の一番長い日 その3」

 

アレンたちは、神殿内に僅かに備蓄されていた食糧を、避難してきた人全員で分け、遅まきながらの夕食を取っていた。

日持ちだけを考えた乾物は味気なく、満腹からは程遠い量だが、それでも胃に何か収まると人間落ち着くらしい。半ば興奮状態にあった城の者たちも、なんとか冷静さを取り戻したようだ。

食事を終え、また個室に移動したアレンらにも、それは感じられた。

……まあ。

「ぜんっぜんたりねぇ……。他になんかないのか」

「私も……ちょっと」

常人の二、三十倍の胃袋を誇るアレンとミリルにとっては、さらに空腹感を加速させるだけだったようだが。

「もう。アレンちゃん。私の分けてあげたじゃない」

アレンやミリルと比べ、ずっと燃費の良いフィレアは、一、二食抜いてもへっちゃらのようだ。彼女も、襲い掛かる兵を千切っては投げ千切っては投げしていたはずなのだが、その元気さはいささかも衰えていない。

「そうだけどさぁ……。ま、贅沢いえる状況じゃねぇってのはわかってるけど、いつもの十分の一もないからな」

「私も同じ程度です。今回ばかりはこの人に賛成」

「てゆーか、二人ともが食べすぎなんだよ。これを気にダイエットでもしたら?」

無駄と知りつつクリスが言う。

「……レディに対して失礼ですね」

「ぎぇえええ!? 待て、お前そゆのはクリス相手にしろおおおおおお!」

なぜか、アレンに関節技をかけるミリル。

「そんな。クリスさんにそんなことできないですよ。王子様なんですから。……私、ずっと王女様だと思ってましたけど」

いやぁ、と何故か照れ笑いするクリス。

親同士が親友で、フィレアと同門、と言っても、クリスとミリルの交流などほとんどなかった。しかも数回会ったときも、姉連中に女装させられていたのだ。

初めてポトス村で会ったとき、お互い気付かなかったのも無理はない。

「だ、だいたいっ。ダイエットなんてしたら、体力が落ちるだろ」

なんとかミリルの呪縛から逃れて、クリスに反論するアレン。

「……まあ、肥満にはなってないからいいんだろうけど。なんでだろうね、ほんとに」

食べても食べても太らない体質。食ったエネルギー分動いている。そんな陳腐な理由では説明がつかないほど、過剰なエネルギー摂取量のはずなのだが。

「帰ったぞ」

そんなくだらない事を話していると、ガイアが帰ってきた。普段の彼には似つかわしくない苦悩の皺を顔に刻み込んで、声も幾分トーンが低い。

「あ、お帰りなさい。……じゃ、作戦会議と行きますか」

城内部の地図を広げ、クリスは不敵な笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

ガイアが見て回った城の様子を克明に地図に写していく。

時間が足りなかったので、兵の交代時間などは不明だが、人質が食堂に集められていること。現在のところ、殺された者はいないこと。兵士の数。等等、貴重な情報がもたらされる。

「……人質が一箇所にいるってのは好都合だね。父上のグランドフォート……でしたっけ、あの結界魔法。あれで食堂を固めちゃうってのは?」

「無理だ。さっきも言ったが、私の魔力は人類の最底辺に位置しているぞ」

「……自慢げに言わない。じゃあ、仕方ない。速攻で見張りを倒して……「ちょっと待った」

いつの間にか主導権を握っているクリスの台詞を、今まで黙っていたリティが遮る。

「クリス。そもそも、ここからどうやって出るつもり? この神殿、囲まれてるよ。突破するにしても、全部倒す前に城に報告にいかれたら?」

そこで、幾人かの人質の命は絶たれてしまうだろう。

「姉さんのトラップで連絡員ごとまとめて吹っ飛ばす……とか」

「あんたね……。あたしはあのルナって娘とは違うの。前準備もなしにそんな真似無理だって。そもそも、それトラップじゃない」

そのルナと、真正面から対抗していた女傑の言葉とは思えないが、本人がそう言うからにはそうなんだろう。

「つーかさ。一気に駆けぬけりゃ間に合うような気もするが」

「アレン。悪いけど、そんな分の悪い賭けをするわけにはいかないんだ」

「……そっか。悪い」

素直に引き下がるアレン。こういう頭を使うことに関しては、アレンはまさしく役立たずだ。動く時の為、なるべく体力を温存することにする。

「でも、実際それ以外に取れる手はないんだよね。せめて、外の敵を一掃出来るような魔法使いでもいれば……」

ズズン、と再度クリスの台詞を遮るように、振動が神殿に襲い掛かる。感触からして、地震の類ではなく外で何かがあったようだ。

「なんだ!」

慌てて立ち上がり、正門に向かうアレン。それに引き続き、他の者も付いていく。

そして、入り口にたどり着くと、国王、もしくは“精霊王”でないと開くことの出来ない正門が、いらっしゃいませとばかりに開いていた。

「あ〜、もぉ。なによ、表の連中。こっちは早く休みたいってのに」

「……それだけのために全滅させたの?」

「ライル。あいつらはどう見ても敵だったでしょうが。それが少ない魔力振り絞ったわたしに言う台詞?」

そして、そこから入ってきたのはボロボロになったライルとルナ。そして、見えないがシルフィもいるのだろう。

「お、おかえり。二人とも。……聞くけど、ライルとルナは、軍隊の相手してたんだよね?」

「そうよ。クタクタになっちゃったわよ。もう魔力も打ち止め……」

「打ち止めって……そうか。それで逃げてきたわけだね」

クリスがほっと息をつく。何はともあれ、生きて帰ってきただけでも僥倖だ。大丈夫だろう、とは思っていたが、若干の希望的観測が混じっていることは自覚していた。なにせ、敵は数千と言う軍隊なのだ。心配するなと言う方が無理である。

「誰が逃げたのよ。きっちり、全部倒してやったわ」

「……は?」

クリスだけでなく、フィレアを除く全員が思わず尋ね返していた。

「だから、その軍隊とやらも全滅させてやったの。……まあ、何人かは取りこぼしたかもだけど、アルグランのほうにはやってないから。ってか、寝かせて」

「僕も……かつてないほど、疲れたから。……ルナ、あんな無茶な真似は今回限りにしようね……」

崩れ落ちるルナとライル。殆ど同時に、二人して寝息を立て始める。そんな二人を柔らかい風が包み込んだ。きっとシルフィが気を利かせたのだろう。

しばらく、呆然としていたクリスだが、はっと我に返った。

外を見ると、神殿を見張っていたらしい兵が、死屍累々と地面に横たわっている。

よくよく確認するまでもなく、ルナが為したからには、逃れた者など皆無だろう。……とりあえず、絶好のチャンスらしい。

「ち、父上! 今のうちに!」

「そ、そうか。じゃあ、女性たちはここで待っててくれ。クリス、アレン。私達で行くぞ」

王らしい威厳を込めて、宣言するカリス。

「いやです。付いていきます」

反論するフィレア。その瞳には固い決意の色が伺えた。

「フィレア……。お父さんを困らせないでくれ」

娘に甘いカリスでも、これは容認できない。謁見の間で立て篭もった時のように、否応なく戦場にいるのとは話が違う。

純粋に戦力としては、この場にいるライラ以外の女性は申し分ない力量を持っている。

……だが、カリスは、やはり女性にはこういった血生臭いことに関わって欲しくはないのだ。我侭だという事は承知している。

「親父さんもこう言ってることだし。フィレアは、ここで待っててくれよ」

アレンがフィレアの頭に手を置きながら言う。

「む。子供扱いしないで、アレンちゃん。わたしも戦えるのに」

「いや、子供扱いしてるつもりはないんだが。……まあ、なんつーかさ」

照れたように鼻をかきながら、アレンはフィレアに目線を合わせて言った。

「帰る所があったほうが、頑張れる気がするから……な?」

 

 

 

 

 

アルグラン市街を駆け抜ける三つの影。

アレン、カリス、クリス。先頭を走るカリスは不機嫌な顔をしている。

「……なぁ。足で砂をかけるのやめてくれないか?」

カリスのすぐ後ろを走るアレンが迷惑そうに抗議した。カリスが不自然に蹴り上げた砂やら小石が、顔に当たっていたいのだ。

「……貴様なんぞに、フィレアはやらんからな」

「やるもなにも、あいつのしたことに俺の意思は介入していたなかったんだけど……。文句を言うならフィレアに言ってくれ」

アレンは困って、頬に手を当てる。“指きりの代わり”と称して、フィレアはそこにキスをしたのだ。まだ、そこから甘い香りが漂っている気がする。

ふと唇の感触を思い出して、アレンの思考に空白が生まれる。

「…………」

「ええい、ニヤニヤしているんじゃない!」

「!? してねぇよ!」

振り向きざま、鞘付きの剣をアレンに叩きつけるカリス。それをかろうじて防ぎながら、アレンは猛烈に抗議した。

「……ま、じゃれあうのはいいけど、アレン、父上」

少し距離を開けて、最後尾を走るクリスが、肩を竦めつつ、

「問答は帰ってからで。ちゃんと帰る、って約束したことだし」

クリスの言葉に、王と剣士は、お互いを睨みながらも力強く頷くのだった。

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