放課後。僕とルナは、クレアさんちに来た。

『噂の真相を確かめてやるわ!』と息巻くルナの横顔を見て、僕は憂鬱なため息をついた。もちろん、ルナが事情をちゃんとわかってくれれば、まったく問題はないはずなのだが、こういうパターンだと、誤解されるってのがお約束だ。

……いや! 今回こそ、そんな使い古されたパターンからの脱却を目指すのだ!

ぐぐぐ、っと拳を握り締める僕だった。

「なにわけわかんない気合入れてんのよ。さっさと行くわよ」

そして、そんな僕の決意など知る由もなく、ルナはさっさとクレアさんの家に入っていくのだった。

……呼び鈴くらい鳴らそうね、ルナ。

 

第64話「戦慄」

 

玄関に足を踏み入れたルナを迎え入れたのは、たった一人の少年だった。なぜか少年は木剣を構えており、なぜか血走った目をしていた。

「は?」

「ライル、覚悟!」

その少年――マルコは、大上段に剣を振りかぶり、ルナに突進していく。そのくせ、目を瞑っているため、人違いに気付く様子もない。
ルナは咄嗟に手を突き出し、魔法を放とうとするが、さすがにこんな子供相手にそんなことをするわけにもいかない。そのくらいの分別はあるつもりだ。

仕方がないので、玄関の外に出て、横に避ける。

期せずして、それが絶妙なタイミングとなった。

ルナの後ろにいたせいで、前方の状況がつかめていなかったライルは、いきなりルナがどいて開けた視界の中に鼻先5cmまで迫った切先を認め……

避ける暇もなく、顔面を木剣で殴りつけられた。

「ったぁ!!」

思わず鼻を押さえ、後ずさる。幸いと言うか、未だ成長しきっていない細腕で放たれた一閃は、攻撃と呼ぶには威力不足で、咄嗟に後ろに下がって衝撃を逃がしたこともあり、痛いだけで済んだ。

痛いけど。

「な、なにするんだ!」

「ふふふ、ライル! 油断したな。この前、気をつけろと言ったばかりだというのに愚か者めー!」

「てゆーか、子供がそんな危ないもん持つんじゃない!」

と、ライルはマルコの手から木剣を取り上げた。

「あ、返せよ! 俺のだぞ!」

「駄目だ!」

ライルは、マルコに取り返されないように、木剣を持った手を目一杯上に伸ばす。それに対抗して、マルコは駄々っ子のようにライルにしがみついてきた。

しばし、その攻防を見守っていたルナは、呆れ果ててツカツカと二人に近付き、

「なにじゃれあってんのよ!」

二人の頭に一発ずつ拳骨をお見舞いした。

「たた……なにすんだよ」

「ルナ。なにすんだ」

二人の抗議を右から左に聞き流し、ルナは愚か者二人をじろりと睥睨する。それだけで、情けない男たちは竦み上がった。

「そっちの子、クレアの弟?」

「そうだけど……ねーちゃんの友達? ずいぶん乱暴な……ってぇ!?」

拳骨二つ目。ルナはこういう生意気なガキに対して、あんまり容赦はしない。こういうガキは、こちらが格上だと思い知らせなければ、言う事を聞かないのだ。

彼女が母親になったら、子供はどうなるんだろう……ライルは、そんな本人に聞かれたら瞬殺確定の事を考えていた。

「で、クレアはどうしてる? 今日休んでいたみたいだけど」

とりあえず、今日ここに来たのは、欠席したクレアのお見舞い……という名目である。クラス内代表として、噂の真偽を確かめるべく、ルナが赴いたのだ。

本来なら、クレアとあまり交流のないルナではなく、リム辺りが来るのが妥当なのだが、彼女だと情報を故意に捻じ曲げる可能性があるのと、ルナが自分が行くと強く主張したので、ルナが来ることとなった。

「ああ。ねーちゃんなら、俺が学校から帰った頃に起きたよ。ずっと寝てたみたい。今は、晩飯の準備をしてるけど」

「そう」

「朝起こそうとしたんだけど、ぜんぜん起きなくてさ。仕方ないから放って置いたんだけど……それというのも!」

キッ、とマルコはライルをにらみつけた。

 

「こいつが、ねーちゃんを傷物にしたから!」

 

瞬間――本日何度目かになるが――空気が凍りついた。

いち早く復帰したのは、いい加減このパターンに慣れてきたライルである。

「おまっ! お前、絶対に意味わかってないだろ!」

「何でだよ。サラがそう言ってたぞ」

サラというのが誰かはわからなかったが、どうせ妹の一人だろう。妙にゴシップ好きな女の子たちを思い出し、ライルは頭が痛くなると同時に、全身が戦慄くのを感じた。

全身の毛が逆立つ。かつてない恐怖に、走馬灯が脳裏をよぎった。

「ライル?」

全身にありえないほどの魔力を迸らせ、ルナが優しく言った。

「私、言ったわよね。もしクロだったら、残りの学生生活、病院で過ごしてもらうって」

「いやいやいやいや! 待ったルナ。これは何かの間違い。冷静になってよ。所詮子供の戯言だって」

「言い訳とは見苦しいわね」

彼の言葉は事実だが、ルナ的にそんなのは毛ほども信用できなかった。一言で切り捨てて、一歩前に出る。

と、その時。

開いたままだった玄関から、何かが風を切って飛来してきた。それは器用にもライルとルナの間をすり抜け、その先にいたマルコの頭にクリーンヒット。スパコーン! と小気味のいい音を奏でながら、元の軌道を描いて家の中に戻っていく。

殺気立っていたルナも、さすがにその光景にぽかーんとなった。対してライルは、どこか既視感を感じていた。

なにせ、飛んできたのはお玉である。それがまるで意思を持った生き物のように障害物を避け、さらには慣性の法則やらなにやらをぶっちぎりで無視した……やめておこう。細かく描写しても嘘臭くなるだけである。

とにかく、そんなシリアスではとても認められないような摩訶不思議な投擲をした本人は、顔を赤らめながらどたどたと廊下を走ってきた。

「マルコ! あんた、なに口走ってんの!?」

噂のもう一人の当事者。クレア嬢の登場であった。

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、つまり、誤解だと?」

「そうよ。マルコがなんかとんでもないこと言ってたけど、とりあえずシメといたから、気にしないで」

あっけらかんと言ってのけるクレアに、ライルは震え上がっていた。

居間の隅には、気絶して痙攣しているマルコが転がっている。この惨状を無表情でやってのけたのだ。多少の恐怖を感じて然るべきだろう。

ちなみに、彼にいらんことを入れ知恵したサラという子は頭に一つたんこぶを作って、正座させられている。

「じゃあ、昨日は何してたの?」

「ん? ライルくんに魔法学教えてもらってたの。恥ずかしいけど、誰かに教えてでも貰わないと赤点取りそうだったから」

頬をかきながら、クレアが言う。

事前にライルを尋問して聞きだした内容と変わらないことを確認し、ルナはやっとライルの潔白を認めることにした。二人が予め示し合わせていた可能性もないではないが、ライルやクレアにそんなことに回す頭があるとも思えない。

何気にひどい事を考えられていることなど露知らず、ライルはルナの顔から険がなくなった事を素直に喜んでいた。

「さて……と。早いところ夕飯作んなきゃいけないから、ちょっとごめんね」

と、クレアが立ち上がった。

「よければ、二人も食べていく? 今日も、うちの親帰ってこれないらしいんだけど、あの二人の分も計算して作ってるし」

その提案に、ライルとルナは顔を見合わせた。ライルは、二日連続と言うことで、困惑している様子だ。なにより、またシルフィを放っておくのは後が怖い。

逆に、ルナは結構乗り気な様子だ。普段の彼女の夕食と言えば、ライルにたかるか、外で買ってくるか、寮の食堂(なぜか、有料)だ。彼女の実家とて、それほど裕福なわけでもなし。あんまり食費にお金をかけたくない。よって断る理由はなかった。

「そうね。ご馳走になろうかな」

「そう? じゃあ、ちょっと待っててね」

「待つだけじゃ悪いから、私も手伝うわよ? 一人分作るの面倒だから、普段はしないけど、これでも料理は得意なの」

あまりにも久しぶりだったため、ライルはその台詞を流してしまいそうになった。

が、間一髪。ルナが厨房に消える直前にはっと気付き、恐慌状態に陥りながら叫んだ。

「ま、ま、待ったああああぁぁぁっっ!!」

「なによ、ライル。大声出して」

「なによって……! ルナ、料理するんでしょ?」

「……それがなによ?」

少々不機嫌になりながらルナが聞き返す。

「えっ……。あ、あー、ほら、そうだクレアさん。昨日、僕が手伝おうとした時は断ったじゃない?」

「あ、ルナさんが手伝ってくれるなら、もう一品増やそうかなって思ってね。ちょっと品目が少ないって思ってたから」

「じゃ、じゃあ僕がやるから! ルナは座っててよ」

名案とばかりに、ライルが提案するが、ルナはそれに対して首を振った。

「ったく。久しぶりに私がやる気になったのに水差すんじゃないわよ。まぁ、いいからあんたが座ってなさい」

「料理に対するルナのやる気は、『殺る気』になるから……」

字面でしかわからない表現。当然、ルナは首をかしげる。

「……はぁ? わけわかんないわね」

「わかってよ! お願いだか……ぶっ!?」

いきなり、ライルの後頭部に衝撃が走った。慌てて振り向くと、さっきまで気絶していたマルコが起き上がって、こっちにまた木剣を向けてきていた。

「ふふふ……お前にねーちゃんは渡さん!」

「その話はもう飽きた!」

その様子に肩を竦め、ルナはクレアと連れ立って台所に入っていった。

「ああ! ちょ、ルナ待っ「ちえぇーーーー」ええい! お前もたいがいしつこいな!」

剣では勝てないと悟ったか、マルコは全力でライルの足にしがみついてきた。

子供とは言え、全力でしがみつかれたらそうそう引き剥がすことは出来ない。多少強引な手を使えば簡単だが、さすがに子供相手に無茶な事を出来るほど、ライルは人間性を捨ててはいなかった。

結果。ルナが台所でなにやら作業を始めるのをただ見ているしかなかった。

「ああ……」

ルナが少しでも手を入れたら、もうアウトである。すでに、クレアの手料理は料理の名を借りた暴力と化している。今更ルナを止めたところで遅いだろう。いや、中途半端なところで止めたら、余計破壊力が大きくなる可能性もあった。

「ま、マルコ……」

「なんだよ、ライル……ひぃ!?」

まさに死んだ魚のような目をしたライルに、さすがの向こう見ずな11歳も引かざるを得なかった。

「お前、とんでもない事をしてくれたな……?」

「な、なんだよ」

気丈にも言い返すが、マルコは完全にライルの異様な雰囲気に飲まれていた。そう、例えるなら、まるで世界が破滅することを知ってしまった予言者のような……

「いやいい。ここまで来たら逃げられやしないし……食事が終わってからもし僕たちが生きていたら、存分にお仕置きしてやる……」

あるいは死地に臨む戦士のような表情で、ライルはそんなことを呟くのだった。

 

 

 

 

 

 

「さあ、できたわよ! 手、洗ってきなさい!」

そして、料理の完成。クレアが相変わらずの肝っ玉お母さん振りを発揮し、子供たちに指示を出す。

「ねえ、クレアさん」

「なに?」

「……ルナが手伝ったのは、どの料理なのかな?」

テーブルに並べられているのは、メインらしい鶏肉を使った料理。スープ、パン。そして、テーブルの中央にデンッ! と鎮座しているポテトサラダだ。

ルナも進歩しているのか、それともクレアが一緒にやっていたせいか、匂いや見た目はどの料理もまともだ。

「サラダを作ってもらったんだけど、それがどうかした?」

「サラダ? サラダだけ、なんだね?」

「うん」

よしっ! とライルはガッツポーズをとった。サラダは、各人が小皿で取り分けるようになっている。これなら、自分が食べなくても、ルナに見咎められる心配は薄い。

……そこでライルはハッとなった。

自分はいい。だが、他の子供たちやクレアさんの身の安全は?

抗体(?)がない分、彼らのほうがよりダメージが大きいのでは?

素直にクレアの言いつけを守って、手を洗ってきた子供らを見て、ライルは苦悩する。

ここでルナの料理の危険性を声高に主張したところで、ルナにぶちのめされて終わりだ。子供たちも、見た目はまともなルナのサラダを疑いつつも食べてしまうだろう。一口食べれば、そのヤバさは十分に伝わるだろうが、ルナの料理はその一口が致命傷だ。

そうなった時……考えるのも恐ろしい。

「あんたたち。そのポテトサラダ作ったのは私なんだから。有難く頂きなさい。ほら、お皿に取り分けてやるから」

余計な事を……!

ルナが、本当にただの親切心から、それぞれの子供たちの小皿にサラダを盛り付ける。

「ほら、ライル。あんたも皿よこしなさい」

「あ、僕は……」

なにか文句を言う前に、ルナがさっさとサラダを盛り付けてしまった。

ゴクリ、と唾を飲み込む。

目の前にある何の変哲もない(ように見える)ポテトサラダが、妖気を発しているように感じられた。禍々しい魑魅魍魎どもが、そのサラダの周りに集まっているような、妙な圧力を感じる。

そんな呪われたブツが年端も行かない子供たちの前に……!

「では、手を合わせて」

クレアの号令とともに、全員が手を合わせる。

「頂きます!」

『いただきまーす』

無邪気な声が響き渡る。

そして、全員が箸を伸ばす。兄弟ゆえか、それともなにか見えない運命に操られているのか、全員が示し合わせたように、ポテトサラダから手を付けようとしている!!

(くっ……ままよ!)

ライルは持ち前のスピードを生かして、それら全てのサラダを奪い、自らの口一杯に頬張った。その場にいる全員があっけに取られたようにこちらを見ている。

(だけど、これを食べてまだしも生き残る可能性があるのは僕だけ……)

悲壮な決意の元、ライルはあえてこの役を買って出たのだ。すなわち、自分が先に食べて、この料理の危険性をカートン家の面々に知らせる役を。きっと、後の世に、勇者と伝えられることだろう。

誇らしげな気持ちで、口の中のモノを咀嚼する。

変化は唐突に訪れた。

「ぐ、うぇ?」

なにやら、口の中に入れたポテトがその形状を変化させ、うねうねとまるで生物のように舌に絡みつき……いや、それは錯覚だ。これは、このポテトサラダの異様な食感と味が生み出した幻覚に過ぎない。だが、しかし……!

「う、うわぁぁっぁあああ!!?」

全身を蛆虫が這い回るような悪寒。飲み込んだ瞬間、そんな常人なら発狂するような感覚に襲われ、ライルは思わず倒れ伏した。

……唯一、意図的にサラダを回収してやらなかったマルコが、顔中の穴と言う穴から黒い煙を噴き出すのを眺めながら。

まぁ、死にはすまい。あの少年も、こういうギャグ的展開では決して致命傷を負わないような、稀有な才能を持っている。同類だからこそ、ライルはそれを敏感に感じ取っていた。

 

……あってもぜんぜんうれしくない才能だよね。

 

ライルの最後の思考は、そんな後ろ向きなものだった。

……頑張れ! きっと役に立つ日が来る(多分)

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