僕はゆっくりと目を開ける。

「……ここ、どこ」

白い天井。少なくとも、寮の僕の部屋じゃない。

右手に違和感を感じて、視線をそちらにむけると、なぜか点滴が打たれている。……あ〜そうか。薬臭いと思ったら、ここって病院なんだ。

「あれ……」

病院ではちょっと考えられない喧騒が聞こえて、窓から外を見てみると、ヴァルハラ学園の生徒らしき人たちが、なにやら部活動で青春の汗を流している。……って、ここ保健室じゃないか。

「目が覚めたようね」

と、ふと話しかけてきた人は……医者のコスプレをしたジュディさんだった。

 

第65話「そして夏休みへ」

 

ライルは目を白黒させる。

「私、実は養護教員の免許も持ってるのよ。学園長って、これが暇でね〜。普段、ここに詰めてるのは私なのよ」

ジュディは、そんなどうでもいいことを言う。でも、普通、学園長は暇ではない。

「どうしてライルくんがここにいるのかっていうとね。あの日、君はルナさんの料理を口にして昏倒……翌日になっても目が覚めなかったんで、ここに運ばれたわけ」

そう言う場合は、ふつう病院に連れて行くんじゃないだろーか、とライルは素朴な疑問を抱いた。

「んで、そのまましばらく目が覚めなかったんで、点滴で栄養を注入して……本日、めでたく意識を取り戻したのでした」

「……普通、学校の保健室に点滴はないと思うんですが」

「なに言ってんの。ここの主は私って言ったじゃない?」

それで全部納得できてしまうのは、教師としてどうなんだろう。

医薬品が並んでいる棚を眺めてみると、王国の法律に抵触しそうなものがいくつも並んでいた。ライルは、怖くなったので、それらから目を逸らし、ジュディに向き直る。

「で、何日も意識を失ってたんなら、今日って何日なんですか?」

 

「ああ。今日から夏休みよ〜。さっき終業式が終わったところ」

 

「…………………………………はい?」

「残念だけど、試験受けてない以上、補習ってことになるから。――ああ、そうそう。補習メンバーはルナさんと、アレンくんと、クレアさんもいるわよ。ま、補習は明後日からだから、今日・明日はまだゆっくり休んでなさい」

なぜか、楽しそうに言いながら、ジュディは白衣を翻し、部屋を去っていった。

後に残されたライルは呆然とするのみ。

いや、別に補習を受けるのがどうという問題じゃない。別に、ライルは勉強は嫌いではないから。

問題は、そう。耐性を持つライルをして、実に一週間以上も意識を奪うルナの料理。いくら大量に食べたからと言っても、以前からでは考えられない。

「……成長してるの、ルナ?」

もしかして、将来、ルナの手料理が世界を滅ぼすかもしれん。そんな益体のない事を考えながら、ライルは寮に帰るべく歩き始めた。

十日前――ライルの感覚では昨日――シルフィに心配かけたばっかりなのに、また長い間不安にさせてしまったなぁ、とかすかに後ろめたい気持ちがあったが、帰らないわけにも行かない。

「てゆーか、身体がうまく動かん……」

これもルナの料理の影響か!? と、ライルは訝しがったが、何のことはない。十日も寝続けていたら、当然の症状である。

そんな状態だが、思い身体に鞭打って自室の前に到着。

「……あれ?」

すでに夕暮れ。シルフィ以外は誰もいないはずのライルの部屋だったが、なぜか、人の声が聞こえてくる。……しかも、割と暴走気味の。

『ヒキカエセ!』という本能からの警告を必死に押さえ、恐る恐るドアを開けて中の様子を伺う。

 

「きゃはははは! クリス、このジュースもっと頂戴」

「OKOK。これって僕のお気に入りなんだ。ルナも気に入ってもらえたようで、なによりだよ。ま、ルナとアレンは補習で大変だろうけど、夏休みに入ったお祝いってことで、もう一杯」

「いやしかし。マジでおいしいよ。なんつーか、こう頭がボーっとする感じがたまんねぇ」

「アレン〜〜そんな飲み方すると身体に悪いわよぉ」

 

……ルナたちの間に回っている飲み物は、俗に言う、酒、とか言うものじゃないんだろーか。

 

「しかし、確かにいい味ね〜。私、酒は酔っ払うだけのもんだと思ってたけど、こりゃ美味しいわ」

「あン? シルフィ、あんたなに言ってんのよ。これはジュースよ。葡萄ジュース。たく、お酒とタバコは二十歳からなんだから、もぉ……」

「いやいや。それにしても、彼の精霊王様にも気に入ってもらえたようで、なによりだよ」

 

……どうやら、あれを持ち込んだのはクリスらしい。

ライルはそこまで確認して、さてどうするべきかと熟考した。

誓ってもいいが、ここは病み上がりの人間が休めるような所ではない。『ついさっき、目が覚めましたー』とか言いながら帰ったところで、延々とつまみを作らされるのがオチだ。

さすがにそれは勘弁して欲しい。

おまけに、中の四人も程よく酔っ払ってきたのか、そこはかとなく破壊音が部屋の中から聞こえ始めた。

「……よし、逃げよう」

無駄に爽やかな笑顔で、ライルは走り出した。なんてゆーか、明日に向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、逃げるにも問題となるのは逃亡先だ。ゆっくり眠ることが出来、できれば栄養も取れるところ……。

自慢ではないが、ライルに友人はあまり多くない。

間の悪いことに、一番手軽に避難できる寮の知り合いらは、皆初日から帰省しているらしい。……けっこう遠くから来ている人が多いので、仕方がないといえば仕方ないかもしれない。

となると、自宅生となるのだが、気軽に家を訪れられるほど親しい友人となると、首を捻るところである。

「……となると、アレンのところかな……」

アレン自体は現在、ライルの部屋で馬鹿騒ぎ中だが、アレンの父親には時々稽古を付けてもらったりしている。家の人には、それなりに親しくしてもらっていた。

そうと決めて、歩き出す。

しばらく使っていなかった体は、なかなか言う事を聞いてくれなかったが、歩く程度なら問題はなかった。だが、体中がだるい。自然と歩みも重いものとなってしまう。

肩を落とし、幽鬼のような足取りで歩くその様子は、あたかも人生に絶望した自殺願望者と言う風体である。

「あれ、ライルくん?」

それを心配したのか、通りがかりのクラスメイトが不安そうに話しかけてきた。

「……クレアさん」

いつの間にか、商店街の辺りまで来てしまっていた。クレアの手には、買い物袋。おそらく、夕飯の買いだしかなんかだろう、とあたりをつけたライルの腹が、ぐぅ、と鳴った。

「いや、ははは……起きてからなにも食べてなくて」

誤魔化すように笑うが、一度気がつくと、空腹感は抑えようもなく大きくなっていく。

「そっか。そうだよね。終業式には出てなかったし、目が覚めたばっかりなのは当たり前か」

「うん。で、部屋に戻ったんだけど、なぜかルナたちが宴会しててさ。知り合いの家に匿ってもらおうかと思ってね」

力なく笑う。

「そうなの? もう一回うち来る?」

「申し出はありがたいけど、大丈夫。前のときに思いっきり迷惑かけちゃったしね。……そういえば、マルコは大丈夫? あいつもルナの料理食べてたみたいだけど」

「……あー、次の日にはちゃんと起きてたよ。しばらく、なんにも口に入れられなかったけど」

無理もない、とライルは大仰に頷いた。そもそも、一口しか食べてなかったとは言え、一晩で目覚めるとは。やはり、マルコには才能がある。

「あ、そういえばさ。クレアさん、補習だって?」

話が怪しい方向に行きだしたので、なんとか軌道修正を試みてみた。

「え……誰から聞いたの?」

「ジュディさ……学園長から」

「……まあ、そうなんだけどね。やっぱり、魔法学のところで赤点取っちゃってさ。ライルくんに教えてもらったのに、ゴメンね〜」

クレアは、両手を合わせ、謝ってくる。

まあ、謝ってもらうほどのことではない。そもそも、例の噂やら、ルナの襲撃やらが、彼女の心労を溜めていたんだろう、ということぐらい容易に想像がつく。

「別に気にしてないって。僕も、補習喰らっちゃったし」

「なんで? ライルくん、成績いいでしょ?」

「そりゃ、悪くはないと思うけどさ。テスト受けてなかったら同じだよ」

肩をすくめながら言うライルに、あー、そっか。と納得したようにクレアは手を打った。

「そーゆーわけ。じゃ、僕こっちだから」

と、アレンの家に行く横道に入っていく。

「ん。じゃーね。また、明後日に」

「あー、うん。それじゃ」

そして、別れた。

しばし、歩いて、ライルはゆっくりと息をはき、しばし呆然となって呟いた。

「夏休み……どうなるんだろうな」

ルナやアレンが補習を受ける。おまけにクレアまで。

なにかと、最近は面倒なことが多い。

どうにもうこうにも、トンデモナイ騒ぎが起きそうな気がする今日この頃だった。

 

 

 

 

 

で、そのころライルの部屋。

 

「うらぁ〜〜」

なぜか本棚を引っこ抜くアレン。その様は、まるでちゃぶ台をひっくり返す親父だ。

「……ック」

クリスが飲んでいるワインは、これで四本目。見た目にそぐわず、ずいぶんな酒豪だ。……まあ、当然のごとく、その目は据わっていて、普段の優雅さのカケラも残っていないが。

「……………なによ、虫」

「……………殺すわよ、小娘」

で、ルナとシルフィは悪態を吐つきあってる。

……ライルの部屋が、完全に吹っ飛ぶのは、この五分後だった。

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