なんやかんやで、ミッションの季節。
なぜだかまたまた妙なことをするハメになったライルたちの明日はどっちだ!
第56話「弱点を克服せよ 中編」
その2 クリス・アルヴィニア編
クリスが来たのは、とある空手道場である。それほど流行ってはいないようで、門下は臨時のクリスを含めても四人だけだ。
「あ、こんにちは。師範」
ぺこり、と頭を下げてあいさつするクリスに、師範は苦笑を返す。
「ああ、こんにちは。クリス君。だが、ここは道場内だ。あいさつは『押忍』だ」
「え、あ……押忍!」
それから適当に二、三言葉をかわして、師範と別れた。どうも慣れないんだよな、とクリスは心の中で呟きながら、とぼとぼと更衣室に向かう。
護身術は多少たしなんでいる。だから、武術をやるのはいいのだが、どうもここの体育会系のノリにはついていけない。あの師範はまだいいけれど、門下生はなんてゆーか男臭い連中ばかりなのだ。
まあ、期間は一週間ほどなのだ。昨日はあいさつだけで終わったし、あとは六日だけ。すぐ終わるだろう。
「クリス! 遅いぞ!」
とか考えていると、すでに練習を始めていた先輩に怒鳴られた。
「……まだ、練習開始時間には余裕がありますけど」
「口答えするな! 先輩より一時間は早く来ておけ。短い間とは言え、ここの門下になったのなら、そこらへんはきっちりしてもらうからな!」
「はあ……じゃなかった、押忍!」
「よし。さっさと着替えて来い!」
内心では頭を抱えながら、クリスは更衣室にはいる。
ああいうのが困るのだ。一人だけで熱血するのなら、一向に構わないけれど、それを人に押し付けるのはやめて欲しい。
急がないと、またなにか言われると思って、さっさと脱ぐ。
……ふと、視線を感じた。
「あ、あの……」
見ると、更衣室の端に、もう一人先輩がいた。名前は確かケビン。昨日あいさつした時、やけに馴れ馴れしく話しかけた人だった。
「や、おはよう、クリスくん」
「お、おはようございます」
「今日も綺麗だね」
ゾクゾクッ! とクリスは背筋に悪寒が走った。
別に、自分が女らしい顔立ちをして、それなりに美形である事は承知している……が、自分を男と知ってはっきりと『綺麗』なんて言ってくる男は、この人が初めてだった。
おまけに、なんか視線が怪しい。頭の上から爪の先まで、嬲るように視線を這わせてくる。顔がひくつくのを抑え切れない。昨日からもしやと思っていたが、まさかこの人……
「クリスくん、早く行かないと。ガイがうるさいからね」
「は、はい……」
ガイと言うのは、さっきの口煩い人の事だ。だが、この人と二人きりになるくらいなら、あの人の小言を聞いている方がマシ……!
そう思って、できるだけ早く着替える。
買ったばかりの空手着を締める帯は、当然の如く白。解けない様にきつく縛って、さあ行くぞ、というとき、
「クリスくんってさ。華奢なようで、けっこういい体しているよねぇ」
またまた、背筋に悪寒が走ったで、クリスは急いで更衣室から出た。
で、出てすぐ、師範がクリスの方にやってきて、
「じゃあ、クリスくんはケビンに色々教えてもらってくれ。俺とガイはもう大分温まっているから、乱取りをしているから」
なんてとんでもない事を言い出した。
「え、でも、その……? ぼ、僕師範に教えて欲しいかなぁ、なんて」
「ごるぁ!」
師範の隣にいたガイがいきなり殴りかかってきた。
「うわっ!?」
とっさに腕を前に出して防ぐが、じーんと痺れた。
「な、なにをするんですか!?」
「師範に口答えするんじゃねえ。てめえは言われたとおりにしてりゃいいんだよぉ!」
……この人、いつの時代の人だ。
「ま、そーゆーわけで」
ぽん、とケビンが邪悪な(クリス主観)笑みを浮かべて、肩に手を置いてきた。妙に強い力で捕まれ、クリスは自分が罠にかかった獲物であるかのような錯覚を受ける。
「よろしくね。クリスくん」
嫌です、とでも言えば、またガイの拳が飛んでくることは明白であり……結局、クリスはずるずると引きずられて行った。
「ま、基礎はできているって話だから、とりあえず突きを二百本ほどやってくれる? クリスくぅん」
その最後の名前の呼び方をなんとかして欲しい。できれば、微妙に体をくねくねするのも。そして、小指を立てると、まだ仮説の段階にある僕の悪い予感が現実味を帯びて来るから、やめやがれこの野郎。
内心、そんな事を考えながらも、外面は良くしなければならないのだから下っ端は悲しい。
とりあえず、健康的に汗を流せば余計な事を考えずに済むだろう。
「はっ!」
雑念を振り払うかのように、なかなか鋭い突きを繰り出すクリス。
「あン! それは違うよ、クリスくん」
反射的に殴りつけそうになった右手の手首を左手で押さえる。
王族として、この程度の自制ができなくてなんとする。クリスは幼い頃から学んできた帝王学やらなにやらを思い返しつつ、頭を必死で冷やしていった。
「だからね、その突きはちょっと違うんだよなぁ。空手の正拳突きはね、こう」
ビシュッ! と空気を切り裂いて、ケビンの正拳突きが虚空に放たれる。
ほう、とクリスはすこし感心した。空手は素人だが、それでもこの人の突きがかなりのレベルのものであることぐらいはわかった。さすがというか、やはり腰の黒い帯は飾りではなかったようだ。
「じゃ、やってみて」
「押忍」
……ああ、僕のキャラと違うなぁ。
まあ、たまにはこういうのも面白い、と積極的に考えるとして、クリスは先ほどのケビンの構えを模す。多少ぎこちなさはあるが、それなりに様になった構えで正拳突き。
「う〜ん、ちょっと違うなぁ」
つつっ、と呆れるくらい自然な動作でケビンがクリスに背後に回った。
全身が泡立った。
「ここの構えはね、こうして……」
ケビンの手がクリスの腕を取る。そして、クリスの構えを矯正していくのだが……あれだ、触り方が嫌だった。皮膚の上を蛇が蠢いているかのような不快感。爬虫類ははっきりと苦手なクリスは鳥肌まで立ってきた。
さっき、ちょっとでもこの人をすごいと思った自分を殴り倒したくなる。
「……クリスくんは綺麗な肌をしているねぇ」
そんな台詞に続いて、ふっ、と首筋に息まで吐きかけられた。
……ぷちっ、と頭のどこかが切れる音が聞こえた。
クリスは女装が趣味と公言しているが、同性愛者ではない。そういった人たちが世の中にはいるということは知っているし、本人たちが同意しているのなら好きにすればいいと思う。
だが、自分がその対象になったとなれば話は別だ。はっきり言おう。自分に言い寄ってくるホ○にかける情けなど、クリスは持ち合わせていなかった。
「こ……のっ!」
背後に回っているケビンの腹に、肘を抉りこむ。鍛えられた腹筋に対してはそれほどのダメージはないはずだが、それも力を入れている時の話。いくら空手の有段者とはいえ、いやらしく鼻の下を伸ばしている男の腹は緩みきっていた。
「ごふぅ!?」
クリスの腕を這い回っていた手が離される。チャンスとばかりに、コマのように回転しながらクリスは今までの鬱憤をこめまくった掌底をお見舞いした。
これはさすがに止められる。
「ふっ……おイタが過ぎるね、クリスくん。仕方がない。練習が終わった後、僕の部屋のベッドでお仕置きを……」
「『ファイヤーボール!』」
最後の最後に蛇のような笑みを浮かべながらそんな事を言うから、前に出した手から炎の球が無意識に炸裂してしまった。それはケビンの顔を、こんがりとレアに焼いた。無論、髪の毛は激しくアフロである。
はっ、とそこでクリスは我に返った。
「って、なにやってんだ僕は!?」
「それは俺が聞きたいわぁ!!」
ビシッ! とツッコミをくれたのは、練習を中断してこちらに駆け寄ってきたガイだった。
そのガイは、ボキボキと指を鳴らしながらクリスに詰め寄ってくる。
「お前、アレか? 実は道場破りの類か? それとも、自殺志願者か? どちらにしろ、十秒で殺すから、お祈りは済ませておけよ。神に祈る間くらいはくれてやらんでもない」
こおぉぉぉぉ、と妙な呼吸法をしながら、怪しげな構えを取るガイ。
そういえば、アレンがこの道場の評判が悪いとか言っていたよなあ。とクリスは現実逃避気味に思い出した。
その理由がなんとなくわかった気がする。いや、今回は自分にも非はあるのだが。ルナじゃあるまいし、最後のファイヤーボールはマズかったかもしれない。
「さあ、時間切れだ。潔く死ねえええぇぇぇ!!!」
まるで怪鳥の如く飛び上がって、『ケェェェ』という雄叫びとともに蹴りを放ってきた。
……しかし、これじゃあ師範も大変だなあ。
バックステップで蹴りの有効範囲から逃れつつ、そんなことを考えていると、ガイの横から当の師範がドロップキックを繰り出すのが見えた。
「は?」
なんて呟く暇もあればこそ。
怪鳥ガイは、師範のドロップキック(三回転捻り付き)を喰らって、見事に道場の壁まで吹き飛んだ。
「ばかあああああああああああああああああああ!!!」
大量の涙を流しながら、師範は叫んだ。
「ばかっ、ばかっ、このガイ!! せっかく新しい入門生なのにそんなことしたら、今までの子みたいにすぐ出ていっちゃうじゃないかあああああああああ!!」
もともと一週間だけの約束なんですけど。いや、確かに、もうこれ以上ここには来たくなくなりましたが。ちなみに、トドメを刺したのは、師範。あなたですよ?
唯一まともだと思っていた師範ですら駄目な人だった。その事実に、クリスは軽い眩暈を感じながら、まだ騒がしい道場をあとにしたのだった。
追記:ちなみに、次の日、クリスは学園長に直訴して今回のミッションをなしにしてもらったらしい。(交換条件で、宿題を追加された)