森の中にいた魔物たちは、その後一時間ですべて掃討された。
ライルたちと、剣しか使っていなかったフレイが倒した分が二割程度。残りの八割は、フレイ以外の精霊王四人が倒した。
「す、っご……」
その戦闘振りを外から見ていたライルは、思わず呟く。
あの中にシルフィまでもが入っているのが不思議でたまらないが、やはり精霊たちの王ともなると、自分たちでは到底及ばない力を持っているんだな、と感嘆する。
一方、その力の差を同じく見せられたルナは、いつか追い越してやる、と歯噛みしていた。
どちらが正しい反応なのだろうか?
そして、一行は、森の中心、魔界への穴が開きつつある場所までやって来た。
第169話「迷走落下」
「あんまり近寄るなよ。“引き摺り込まれる”ぞ」
そう言って、ガイアはライルたちを手で制した。
「見学するのは別に構わんが、それ以上は危険だからな」
森の中央の地面には、魔界への穴がぱっくりと口を開けていた。見た目には、落とし穴のように見えるが、まるで底が見えない。そして、その穴は大きくなったり小さくなったりを繰り返しており、確かに下手に近付くと危なそうだった。
ふと、嫌な風が頬を撫でるのをライルは感じた。
粘っこく、腐臭のする風。穴の向こうから流れてきているのは明らかだった。
「……これ、本当に繋がってないの?」
近くにいるだけで吐き気がするような空気。これがそのまま魔界の空気だと言われても、納得しそうだ。
「繋がってないわよー。こんなん、向こうの空気の影響をちょっと受けた程度。まぁ、マスターは、この手の空気に敏感だから、気持ち悪くなるのかもしれないけど」
「あっそう……」
いっそ倒れこみたいほど影響を受けているライルとは違い、シルフィの方は平然としたものだった。主従のパワーバランスにほのかな危機を抱きつつ、ライルは気合を入れて背筋を伸ばす。
周りを見ると、クリス辺りは気持ち悪そうだが、ルナとアレンは平然としたものだ。やはり、繊細な人間がこの空気に当てられるんだな、と一人うむうむしていると、ルナがどこからともなく取り出したハリセンではたかれた。
……以前、新しいツッコミアイテムとして渡したハリセンは、どうやら気に入ってもらえたらしい。
「よっし。封印作業をやるぞー。全員、準備しろー」
ガイアの指示によって、精霊王たちが散開する。
封印の術式を見学しようと、ルナが身を乗り出すが、寸前でライルが首根っこを引っつかんだ。
「近付いたら駄目だって言われただろ」
「ちょっとくらいいいじゃないー」
ぶーたれるルナだが、それでも魔界の穴に危機感くらいは感じているのか、割と素直にライルの忠告に従った。
一番危ないルナが大人しくしていてくれるのなら、一安心……とライルが油断していると、
「グルグァッ!」
「……へ?」
いきなり、背後から衝撃。
横目で見ると、脇腹を大きく斬られた狼のような魔物が、頭突きをしてきたらしい。
「……えーと」
たたらを踏みながら、ああこれはこけるなぁ、なんて冷静に状況を把握する。でも、ここで前にこけたら、もしかして、あのいかにもやばそうな穴に首を突っ込む(文字通り)羽目にならないかい?
「ライ……!」
誰かが叫んでいるような声がする。
その感覚を最後に、ライルの意識は途切れた。
「ライル!」
ルナが、まず飛び込んだ。
「ちょ、お前らっ」
「もうっ!」
続いてアレンとクリスが飛び込んだ。
あっけに取られていた精霊王たちは、止める暇もないままぽんぽんと飛び込んで行った人間たちに頭を痛くする。
「あ、あいつら……」
「友達思い、なんだろう」
カオスが、苦しいフォローをした。
「……ちっ」
先ほどライルに体当たりをした魔物を斬りながら、フレイが舌打ちをする。
「俺が追いかけてくる」
「え?」
「……これ、俺が仕留め損ねた魔物だ。責任は取る」
忌々しげに吐き捨てると、フレイは他の精霊王の返事を聞く前に魔界の穴に身を投げ出した。
「マスターもいるし、私も行ってくる」
シルフィも続いて。
一気に六人もの人間大の存在を通過させた穴は、更に不安定になってきた。
「……ああ、もう。どうなっても知らねぇぞ、俺は! アクアリアスっ、カオっさん、封印だ!」
「でも、あの子達は?」
「知るかっ! 精霊王が二人も付いてんだ、なんとかなるだろ。それより、今、この穴を開放することの方がヤバイ」
「やむをえんだろうな……」
ガイア、アクアリアス、カオスの三人が、それぞれ詠唱を開始する。
向こうへ行ってしまった人間たちの事を、心配しながら。
意識が途切れたのは一瞬だった。
「うわっ!?」
気が付くと、目の前に灰色の地面が迫ってきていた。咄嗟に受身を取り、衝撃を流す。
「……なんだ、ここ」
やけに冷たい感触の地面に手を付き、立ち上がろうとすると、途端に眩暈に襲われた。
「う……」
一呼吸するたびに、内臓をナイフでかき混ぜられるようなおぞましい感覚が走り抜ける。手足は麻痺し、ピクリとも動かない。
このまま死ぬのか……とライルが半ば覚悟した時、
「ライル、コラ、死ぬな!」
とか、励ますような事を言いながら、背中になにか重い物体が落ちてきた。
「ぐえっ」
それがとどめとなり、ライルはぐったりとなる。
しーん、とどうしようもない沈黙が流れる。
「……あ、あれ?」
「あれ? じゃなーいっ!!」
うがぁっ! とライルが首だけを上げて抗議の声を上げた。
「なにっ!? 僕になにか恨みでも? 死ぬかと思ったよっていうかどいてよ重いんだか」
デリカシーのない発言をしたライルは、グシャッ、と頭を地面に叩きつけられた。
「ったく。誰が重いってのよ」
ライルの上からどいてルナは不機嫌そうに漏らす。何気に脇腹の辺りを気にしている辺り、彼女も一応女の子だと言う事だろうか。
「って、あら?」
ライルの真上の空間がぐんにゃりと歪み、そこからアレンとクリスが同時に落ちてくる。
「げにゅふっ!?」
既に人間の出せないような悲鳴を上げるライル。
「もう! ど、っけーーーー!」
力技で、ライルは上に乗っかった二人を跳ね飛ばす。
「おっ、なんだ、元気そうだなライル」
悪びれもせず、アレンは呑気な声を出す。
「だからー! 一言くらい謝って……」
トドメとばかりに、上からフレイと続けてシルフィが落ちてくる。
「なんだ、お前ら。人間の癖に、割と平気っぽいな」
「いや、下、下」
さっき自分も同じ事をしたことを棚に上げて、ルナが指でちょいちょいと指し示す。
「ん? おお、悪い悪い」
「マスター、ごめーん」
ライルは、突っ伏したまま動かない。今回は動けないのではなく、動かない。なにやら、怒りに打ち震えているように見える。
「そ、そんなに僕をいじめて楽しいかっ! 楽しいんだな、チクショウ! もう嫌だーーーーー!」
訂正。どうやら、世の不条理に涙を流していたようだった。
まぁ、世の中そんなもんである。
「うーん、流石というか、マスターすらも普通に動けてるわねー」
「……なんだよ、どーゆーことだよ」
みんなから少し離れた所で体育座りをしているライルが、ちらりとシルフィの方に目を向けた。
「いやー。フツーの人間はこんだけの瘴気の中、ロクに動けるはずがないんだけどねー。魔界でマトモに行動するには意志力……まぁ、要するに気合が必要なんだけど」
その手のものは、無闇に溢れていそうな連中ではあった。
「あー、それで最初はなんか気持ち悪かったのか……」
「クリス、お前今は?」
「いや、なんかいつものノリを見てたら、なんか慣れちゃった」
ケロっとしているクリス。
ライルもライルで、確かに最初はこう、このまま動けないんじゃないかと思っていたが、いつの間にかそれを忘れている自分に気が付いた。
「ま、でもあんまり長居しても身体にはよくないから、早く帰りましょうか……と、言いたいんだけど」
「……ここ、魔界のどこら辺だ?」
フレイが、きょろきょろと周りを見渡す。
周りは、荒涼とした大地。草一本生えておらず、生命の欠片すら感じることができない。魔界に魔物が大量にいる、と言っていたが、こんな世界で生物が生きていけるのだろうか。
「なんか、変な地形ね……」
ルナが地面に手を当てて、首をかしげる。灰色の土というのも見慣れないが、地形も変だった。なにやら、緩やかな曲線を描いている。
「すり鉢状だね。なんか、クレーターみたい。随分径が大きいけど」
クリスの言葉に、その場にいた精霊王二人が顔を見合わせた。どうやら、心当たりがあるらしい。
「って、ここもしかして……」
「だな。しかし、ここからだと、門まで随分遠いぞ」
「なによ。二人だけで納得して。それに、門って何?」
ルナが口を挟むと、シルフィとフレイはああ、と頷いて説明を始めた。
「場所は分かるのよ。ここは、かつて最後の魔王が倒れた土地。昔、城があったんだけどね、全部爆発で吹っ飛んじゃったの」
「城?」
って、どこだよ、とルナがキョロキョロ見渡す。
どう見ても、ここに何かがあったようには見えない。痕跡すら残さず、すべて消失したらしい。
一体、それはどんな爆発で、どこのどちらさんが起こしたのか。まぁ、魔王というからには、そういう不条理なこともあるのだろうが……
「で、門って言うのはね……まあ、通常世界に戻るための道って言えばいいかな。魔界ってのは、構造的に蟻地獄みたいなもんでね。来るのは割と簡単なんだけど、出るのが難しいのよ」
ま、そのお陰で魔界から来る奴もあんまりいないんだけどねー、とシルフィは説明を終える。
「まぁ、お前らだけで来てたらのたれ死んでたんだ。俺らに、感謝しろよ」
「フレイ……あんたね」
そもそも、ライルがここに落ちてしまったのはフレイの不手際が原因で、それを責任に思っていたくせに、面と向かうとプライドが先立ってしまうらしい。
シルフィは、そんな同僚を視線だけでたしなめると、ライルたちを先導し始めた。
「まぁ、歩きだとちょっと遠いけど、大丈夫よ。ここら辺は、魔物もあんまり来ないから」
「あのー、シルフィ?」
「ん? 何マスター? いじけるのやめたの?」
「いや、いじけてないって」
「じゃあ、なによ」
ふるふると震える指で、ライルはシルフィからは死角になっている背後の方を指差す。
「な、なんかいっぱいいる気がするんだけど」
その先には、視界いっぱいを埋め尽くす魔物の群れの姿があった。