クレーター状の地形の、丁度中心辺りにライルたちは立っている。

そして、半径が大きすぎてどうにもかすんで見えるのだが、そのクレーターの縁に、ズラーっと数えるのも億劫な魔物の群れが立っていた。見事に360度を取り囲み、蟻地獄に落ちた人間たちを睥睨している。

「これ、ってやばくない?」

流石のルナも、あまりの数に少し怯んでいた。

ざっと見たところ、どう考えても三桁ではすまない。もしかしたら、万に届くかもしれない。

「ちらほらだが、魔族の姿もあるな。上位の奴は……いないと信じたいが」

剣を鞘に収めたフレイが、炎を手に纏わせながら呟く。

しかし、その闘志に反し、その炎は何時になく勢いがなかった。

「ちっ」

「あー、マスター?」

顔を引き攣らせ、へっぴり腰で剣を構えながら頼るようにこちらを見てくるライルに、シルフィは居心地悪そうに頬をかいた。

「私らのことアテにしてるなら悪いんだけどー。魔界じゃ、私ら精霊は全力発揮できないから、そこら辺ヨロシクね?」

ピギャー、とライルが声なき悲鳴を上げた。

 

第170話「鎮魂」

 

「撤退! 撤退だ!」

「何処によ」

半狂乱で叫ぶライルに、ルナは少し情けないものを感じながら突っ込みを入れる。

「う、上……」

「あ、今飛行系のモンスターが沢山来てる」

駄目かぁ! と頭を抱える。

「流石にビビるけど……ライル。んな風に怯えてたら、なんとかなるもんもなんとかならんぞ?」

「アレン……」

友人の頼もしい言葉に、ライルは少しだけ勇気を取り戻す。

「とりあえず、考えてみたんだけど……こんなのはどうかな?」

そこへ、この中で一番頭の切れる(発揮されたことはほとんどないが)クリスがみんなを集め、策を披露した。

ライルは、クリスのその言葉に、またしても光明を感じた。きっと、きっと彼はあっというような奇抜な策でこの状況をなんとかしてくれるに違いない!

「アレンあたりがライルを群れの真ん中に放り投げて、ライルは思いっきり周りの魔物を倒しまくる。作戦名『ライル爆弾』で……」

「アホかぁっ!!」

「冗談だよ」

あはは、と能天気に笑うクリスに、ライルは軽く殺意を覚える。

「ほら、ライル。こーゆーときこそあれでしょ、あれ。『ライトニング・ジャッジメント』」

自身の最強の魔法を指摘されて、ライルはおおっ、と手を打とうとして、

「ああー、使えないわよ。そもそも、魔界に純正の精霊って殆どいないのよね。そのせいで、私たちも力を充分震えないし、精霊魔法の類は殆ど効果ないのよ」

「へ?」

そうなると、攻撃、防御、移動まで全てにおいて精霊魔法のバックアップを受けていたライルの戦力は五割減である。

クリスも精霊魔法は使うが、彼の場合、魔法に関しては器用なので特に問題はない。

「風系の中位くらいまでの魔法なら私がバックアップするけど……それ以外は、諦めてね〜。こっちはこっちで、やるんだからさ」

竜巻を幾重にも腕に纏わせたシルフィが、真面目な顔とは裏腹の軽い口調で言う。

「とりあえず、一点突破。こっから、この方向に行くと、人間界への『門』があるから」

「……ちなみに、どれくらい離れてる?」

ライルの質問に、シルフィは微妙に視線を逸らした。

「全力疾走すれば、半日くらいで着くんじゃないかしら?」

「それはもう、駄目駄目じゃないか?」

言わなくてもわかることを、アレンがぽろっと漏らす。

空気読めよ……と、他の人間の冷たい視線が突き刺さった。

「と、とりあえず、早く行こう。時間かけると、また増えるかもしれないし」

「うん、逝きましょうか」

「……ルナ、字が違う」

最後まで肩の力の抜ける会話を続けた一行は、突撃を敢行しようと、呼吸を合わせる。

「っし!」

いざっ! と前傾姿勢になったところ、

「……………」

魔物の群れの中から、一人の魔族がライルたちに向けて抜けてきた。彼が手で魔物たちを制すると、唸り声を上げていた万に迫る魔物たちが大人しくなる。

そのカリスマだけでも、この魔族が相当上位に位置する個体だという事が容易に知れた。

意気を挫かれて、ライルたちは魔族が近寄ってくるのをただ見つめる。おかしなことに、その魔族からは敵意らしき敵意はまったく感じられない。外見も、人間と殆ど変わらず、ただ額から生えた二本の角だけが、人ならざるモノだと主張していた。

「精霊の王よ」

低く、深い。まるで深海から響いてくるような重厚な声だが、やはりこちらを攻撃する意志は感じられない。

「……なに?」

少し悩んでから、シルフィがその呼びかけに応える。同時に、前に出てきた魔族の隙を、虎視眈々と窺っていた。

「そういきりたつな。我々は、基本的には貴方たちに敵対するつもりはない」

「……どういうことよ?」

「その前に、こちらも質問させてもらおう。なぜ、今日という日に、この場所へやってきたのだ? 答えによっては、多少穏当でない方法をとらなくてはならないが……」

「ハン。早速化けの皮が剥がれたわね?」

「誤解をして欲しくはない。こうして話し合う姿勢を見せているのだ。もう少し矛を収めてくれないか? もし、本当に貴方たちを害する意図があるなら、問答無用で攻撃を加えればよかったのだから」

さっきから警戒を隠そうともしないシルフィ。まあ、彼女はこういう交渉事は不得手としている。この手の仕事は、ガイアかアクアリアス、カオスの仕事だ。……無論、フレイに至っては言わずもがなである。

見かねたクリスが、シルフィを制して前に出た。

「すみません。質問に答えます。私たちは、魔界への穴に誤って落ちてしまい、ここに来ました。私たちとしても、貴方たちと敵対する意思は毛頭ありません」

「なるほど……事故か」

「ええ。この理由では、納得していただけないでしょうか」

「いや……なるほど、空間が不安定になっている。お前の言うことを信じよう」

魔族が、もう手を出さない、とばかりに軽く両手をあげ、ぎこちなく微笑んできた。

「……こちらからも一つ。これだけの数の軍勢、まさか私たちが魔界に落ちてきてからの僅かな時間に集めたわけではないでしょう? なぜ、今日、ここに集っているんですか?」

クリスが、最初から抱いていた疑問をぶつける。

「それと、これだけの魔物を従えるあんたが一体何者か、もよ。まさか新しい『魔王』じゃないでしょうね」

それなら、絶対ここでぶっ潰す、という不退転の気迫で、シルフィが魔族をにらみつけた。

「後者に関しては、ノーだ。私は確かに、この地方の魔物・魔族のまとめ役ではあるが『王』ではない。いいとこ、地方領主といったところだ。そして、前者、なぜ私たちがここに出向いたか、だが……精霊王よ。貴方方も、今日という日に覚えはないか?」

言われて、シルフィとフレイがあっ、と何かに気付く。

「……そう。今日は、この地が、このような地形になった日。そして、先代魔王が崩御された日だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

有史以来、最大最強の戦力を持っていたという、先代魔王エルム。

神界を落とし、人間界の実に三分の一を支配した、という、魔族の間では、最大の伝説でもある。

その命日――つまり今日――には、その伝説に心酔している魔族が、己の部下の魔物を率いて、魔王が落ちた地で慰霊するのが、毎年の習わしになっているらしい。

「き……気付かなかった」

仮にも、この世界の管理を任されている者として、そのような大規模なイベントの存在に気付かなかったシルフィは、ガクリと崩れ落ちる。

いや……そもそも、魔界に、『領主』なんてものが生まれていることすら、今日初めて知った。

「それは仕方ない。貴方たち精霊の行動は、魔界では著しく制限される。殆ど戦力が残っていなかったからといって、この世界の管理を精霊に任せた神々の責任だ」

まあ、我々も隠れていたしな、とその魔族――フルカスが言った。

彼は、魔界の実力者の中でも、穏当派に属しているらしく、彼の部下を含めて、ライルたちを襲うつもりはないらしい。暴虐を本能とする魔族の中では、ひどく変わり者だった。

「式典が終われば、『門』まで安全に帰れるよう、取り計らおう。『門』のある地方も、一応私の支配地域だが、そんな私を快く思わないものも多くてな。他地区から襲撃されることも多いのだ」

「ふむ……じゃあ、お願いするわ」

シルフィは、少し悩んでから頷いた。魔族の式典に参加するなど遠慮願いたいが、安全に帰ることができるなら致し方ない。死者の鎮魂ならば、まあいいかという思いもあった。

魔王エルムには、少し思うところもある。

「で、どういうことすんの?」

こんな時にもまったく臆したりしないルナが、興味をそそられたのか、フルカスに尋ねた。

「人間たちのように、豪華なものではない。ただ、集まった我らが一斉に黙祷を捧げるだけだ」

「……地味じゃない?」

「我らには、宗教というものがないからな。死者に対する礼など知らないのだ。花を添えようにも、この大地に花などないしな」

率直なルナの物言いにも、気を悪くした風でもないフルカス。ただ、肩を竦めるばかりだ。

話せば話すほど、随分と人の良い魔族であった。

「で、始めないの?」

「しばし待て。まだゲストが到着していない」

「ゲスト……って魔族?」

フルカスは、首を振る。

「魔族ではないが、毎年来られている方だ。精霊王よ。貴方たちもよく知っている……」

『俺だよ』

と、フルカスの台詞を遮るように、世界に響くような、不思議な声が聞こえ、空に一瞬光が走った。

その光は、一直線に地上に突き刺さり、ヒトガタがその光の中から現れる。

「よ。なんで、シルフィとフレイがこんなとこにいんだ?」

現れたのは、男。ライルは、それが精霊だとわかった。だけど、少し普通の精霊とは違う。どこが、とは言えないが……そう、一言で言えば『人間臭い』。

「そ、そ、そ……」

「それはこっちの台詞だァああああああああ!!」

固まったまま、指をぷるぷるとその男に向けるシルフィの言葉を、フレイが引き継ぐ。

「あんだっ!? お前、自分の世界から出てきていいのか、コラ! しかも、魔界に!」

「別に、姉の墓参りくらい、来てもいいだろう」

ほれ、と男は手に持った花束を見せ付ける。そして、もう片方の手では拳骨を作っていた。

今日ここに来たのはお墓参りのためです。なにか文句でもおありならいつでもお相手をしますよ、という意思表示だった。

「ぐ、ぐぐぐぐ……」

「よ、っと」

その彼は、花束を地面にそっと置く。フレイは、何かを言いたいのだが、なにも言えずそのまま見送った。

「なぁ、シルフィ。姉……ってことは」

「そ。アイツは魔王の弟だったの。ま、あんまり詳しいことは聞かないであげて」

ライルは、シルフィの珍しい悲しそうな顔に、なにも言えず、胸の疑念を押し込めた。

「ではっ、一同……黙祷!」

そして、フルカスの号令と共に、集った魔物たち、現れた男、ライルたち、そしてリアルで魔王との戦争を経験したはずのシルフィとフレイまでもが黙祷を捧げる。

尊い沈黙が、魔界の一角に落ちていた。

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