……さて、ライルとて、引き受けたからには、責任というものがある。
いや、いきなりなにを言い出すのか、と不思議に思うのも当然なのだが、これを先に言っておかないと、ライルはなにもかもを放り出して逃げ出したくなるのだ。
あのあと、クレアは『今晩から明後日くらいまでは、ほんっとうーに忙しいの! うちの家事、お願いします!』と土下座せんばかりに頼み込み、ライルにじゃあこれ三日分の費用だからー、と財布をぽーいと渡し、とっとと就職活動にでかけてしまった。
今日は、なんでも酒場のウェイトレスの面接らしい。
……さて。
「ねーねー、ライルにーちゃん。魔法見せてよ、まほー」
「ねーねー、ねーちゃんとどこまでいったー?」
「えー、コルトー。もうねーちゃんも十八だよ、十八。いくとこまでいってるにきまってんじゃんー」
「な、なんだってっ! おい、ライル! ねーちゃんに手を出すなって、俺言ったよなぁ」
と、こちらに向けて突進してくるマルコを、片手であしらいながら、ライルはパンパンとテーブルを叩いた。
「ほらっ! ご飯で来たから、手を洗ってこい」
はーい、と年長の一名を除き、子供らは行儀よく洗面所に向かう。
「……お前、年下の手本になろうって気持ちはないのな」
「うっさいっ。ふじゅんいせーこーゆーの現行犯が、偉そうに言うな!」
ふっ、とライルは遠い目になる。
「異性交遊、ね。僕とは縁遠い言葉だな……あと、現行犯の意味を調べてからもう一回出直してこい」
別に彼女が欲しいわけではないけれど、せめて周りの女性をもう少しまともにしてください、と願わずにはいられないライルだった。
第149話「クレアの就職活動日記 中編」
「うまいうまいー。ねーちゃんのと、同じくらい美味しいよにいちゃん!」
「そりゃどうも」
「うん、美味しいよ」
「ああ、はいはい。口元に、スープついてる」
「ライル覚悟―!」
「マルコ! 食事中くらい、木剣は置けっ」
右に左に。
自分の食べる暇が全くない。
「なんてーか。まるっきり主夫だな」
「……アレン。何時の間に」
声に反応して振り向いてみると、いつもの男臭い顔が、唐突に出現していた。
「ついさっき。ここはご近所さんだからな。様子見に来た。……おー、マルコ。修行してるか、修行」
「アレンにーちゃん、コイツやっつけてよっ!」
「んー、そりゃ、さすがの俺も骨が折れるなぁ」
ささっ、とアレンの後ろに隠れて、ライルを指差すマルコ。
ライルは頭が痛くなって、あー、と唸った。
「……もしかして、前に比べてマルコの剣筋がやけに良くなってたのって」
「俺じゃないぞ。親父だ。去年の夏からうちの道場に入門したんだ、コイツ」
ライルが、クレアとひと悶着があった直後である。間違いなく、その時ライルがこの家を訪れた事が契機だ。
「どうりで……」
「筋が良くてなぁ。入門してから一年なのに、ガキの頃からずっと通ってる連中ともう互角にやってる。もう一年修行すれば、お前に一太刀浴びせることもできるかもしれん」
「一太刀じゃなくて、ボコボコにすんだよっ」
「……いつもこの調子?」
アレンはカラカラ笑う。
「ねーちゃんにたかる悪い虫をブッ殺すんだっ、って息巻いてんぞ。主に、お前の名前が挙がるが」
「勘弁してくれ……」
自分を狙う人間がいるというのは、どうにも落ち着かない。理由は、まぁ微笑ましいと言えなくもないものだが、この調子だとそのうち寮に闇討ちでもしかけてきそうだ。しばらく会っていなかったから、忘れているかと思ったのだが……
「さて、俺の分はどこだ?」
「ない。っていうか、食べていく気?」
「うむ」
「……うむ、じゃないって。クレアさんからは、本当に限界ぎりぎり……よりちょっと下くらいの予算しかもらえなかったんだから、アレンに食わせる分なんて、有り得ない」
クレアも、もうちょっと余裕を持たせてくれれば良いのに、ライルが持ち前の知識を生かして、食べられる雑草を取ってこなければ、とても人数分は確保できなかった。
……それとも、この家の予算は、あれがデフォなのだろうか。
元気よくお代わりを連呼する子供たちを見ると、あながち間違いとも言い切れない気がする。
「そのクレアはどうしたんだ?」
「今晩は、なんかまた面接があるみたい」
「夜にか?」
「酒場。実際の働きを見て決めるんだってさ」
クレアは要領が良さそうだから、そういうところだとぱぱっと採用してもらえそうだが、意外とそうでもないらしい。
なんでも、本番になると気が急いて、失敗が多くなるんだとか。
あぁ、そういえば、前ミッションを一緒したときはそんな感じだったなぁ、とライルは今更ながら思い出す。
「ふーん。まぁ、それならいいや。頑張れって伝えといてくれ」
「えー、アレンちゃん、もう帰っちゃうのー」
しゅたっ、と手を上げるアレンを、子供連中が押し留める。それこそ、ヒルのごとく張り付いている。子供たちには人気があるらしい。
「……人気者だね、『アレンちゃん』」
「やめろ。フィレアがずっとそう呼んでるから、こいつらにまで移ったんだよ。フィレアは、いつも近所の子供と遊んでるから」
ちなみに、件のフィレアは、まだメイドの村から帰って来ていないらしい。
アレンは、苦労して子供たちを引き剥がすと、やれやれと帰って行った。
セントルイスの、中心に近い通り。
夜になっても喧騒が止まない歓楽街の一角に、クレアが試験的に働いている酒場はあった。
「はーい、エール酒三つと、ポテトピザと、ローストですね。少々お待ちください」
がやがやと騒がしい店内を、クレアは忙しく走り回る。
あまりガラが良いとは言えない連中も多いが、それでも笑顔を振りまくのは忘れない。
「はいっ、こちら、ワインとピーナツ、チーズの盛り合わせです」
肌の露出がやけに多い制服と、時折来るセクハラに耐えられさえすれば、給料もいいし、時間に融通も効く良い職場だ。
だけど、
「へっ? ま、間違えましたか? すみませんっ」
初めての職場で緊張して、注文を取り違えたり、料理をこぼしたりすることが多くなる。
今日、三度目の店長のお叱りを受けながら、これは今回も駄目かな……とクレアは泣きそうになるのだった。
「なぁ、ライル」
「ん?」
がちゃがちゃと、洗い物をしながら、ライルは振り向く。
そこには、憮然とした表情でこちらを見てくるマルコの姿があった。
「なんだ?」
「あの、さ。……もしかして、ねーちゃんって、かなりヤバイのかな」
いつになく真面目な声。やはり、年長なだけあって、他の子供らが見えていないところも見ているのかもしれない。
「さぁ……。僕は、就職考えてなかったから、今のクレアさんがどうなっているのかはわからないけど」
「でも、焦ってるんだろ」
「……ああ」
頷く。
確かに、ライルに家事のピンチヒッターを頼むなど、普段のクレアからは考えられない。余程、切羽詰っていることは容易に想像できた。
「俺らを食わせなきゃ、って気負ってると思うんだよ、ねーちゃんは」
「それは……あるかもな」
「だから、すぐ失敗するんだ。……そうでなくても、俺らのために給料が良いところばっかり狙って、落ちまくってるのに」
女性で、しかも勉強は普通、運動も普通なクレアが、そんな良い給料が貰える職場を見つけるのは難しい。
……せいぜいが、水商売か。
「で、僕にどうして欲しいんだよ」
マルコがこんなことを、なんの理由もなしにライルに話すとは思えない。先を促してみると、少し言い淀みながら、マルコは口にする。
「無理することない、って言ってやって欲しいんだよ。ねーちゃん、俺らが言っても、聞きゃしないから」
「……そっか」
やはり、直接言われても姉としての意地があるのだろう。
ライルに頼むくらいだから、すでにマルコは一度言ったに違いない。それでも、やんわり拒絶された、というところだろうか。
「でも、な」
ゆらり、とマルコが近付いてくる。
なんだろう、今までちょっと良い話、みたいだったのに、なんか急に空気が変わったような。
「でも、なんだよ」
さりげなく洗っていたお皿を置いて、重心を低くする。すぐに飛びのくことができる体勢だ。
「ねーちゃんが落ち込んでいる事を良いことに、お前がねーちゃんに言い寄ったとしたら」
「言い寄らない言い寄らない」
「許さないからなっ」
「人の話を聞けーーーーーーー!!」
ばっ、とその場から逃げる。
途端、マルコは背中に隠していた木剣を、勢いよく振り下ろした。
――あ、しまった。と、ライルが思ったかどうかは定かではないが、
ガシャーン、と。
洗い立ての食器が、景気の良い音を立てた。
「はぁ……」
とぼとぼと、私落ち込んでますよー、と全身で主張しながら、クレアは家路についていた。
見事に落ちた。これ以上にないくらい。『貴女を雇ったら、儲けより損失の方が大きくなっちゃうわーん』と、オカマの店長に嫌味を言われるおまけつきで。きっと、自分が美人だから妬んでいるに違いない、と自分勝手な妄想(実はあながち間違いじゃない)をしつつ、我家に到着する。
「?」
ふと、首をかしげる。
やけに家の中が騒がしい。ガチャーン、グシャ、ガキーン、となにやら不吉な音が聞こえる。
はて? クレアの指導のお陰で、子供たちは悪戯をすることはないはずなのに、なんなんだろう、この音は。
嫌な予感に突き動かされて、クレアは慌てて家に入る。
果たして――
「今日こそ、お前を亡き者にしてやるぅ!」
「物騒なことを言うんじゃないっ」
「ええい、クロウシード流奥義―」
「それのドコが奥義……って、気、飛ばしたぁ!?」
「おお、俺の怒りが新たな力を呼び覚ましたのかー!! よし、この技を『マルコ・スラッシャー』と名付けよう」
「クロウシード流奥義じゃなかったのか!? しかも、凄くダサい!」
「ダサイって言うなーー!!」
無駄な潜在能力を発揮するマルコと、それらの攻撃を慌てて捌いているライル。ライルなら、もっと楽に対処できそうなものだが、見ると家具への被害を抑えようと必死になっているようだ。
プチーン、とクレアの堪忍袋の緒が音を立てて千切れる。
元々、悪ガキにお仕置きするためには、遠慮するつもりはないのだ。スタスタと台所に向かい、お玉を取ってきて、未だ暴れ続ける二人の前に立つ。
クレアの帰還に気がついた他の子供らはとっくに避難を完了していた。
「あっ、れっ? クレアさん、おか、えりー!」
「ライル、隙あ……え? ねーちゃん?」
今更、クレアに気がつく二人。
クレアは、そんな二人ににっこりと、まるでとろけるような笑顔を浮かべ、
「なに、家壊してんのよーー!!」
私の辞書には手加減とか容赦とかいう単語はないのよ−的なお玉の一撃を二人の頭に打ち下ろした。