黙々と、ライルはなにかの作業をしていた。背中合わせに、マルコも同じことをしている。
「く……、マルコ。これは、お前のせいだからな」
ぼそっ、と不満たらたらの様子で、ライルが文句を言う。
「なにを! 元はといえばお前が……」
「こらーっ! また喧嘩してるー」
咄嗟に言い返そうとしたマルコを、彼の妹の一人が嗜めた。
彼女は、見張り役だ。この二人が仕事をサボったりしないか、また、マルコが再びライルにちょっかいをかけないかどうか、きちんと見ておくよう仰せつかっている。
誰に、とは聞くまでもない。一番上の姉、クレアからだった。
そして、男二人は、(主にマルコが)破壊した家具類の修復を命じられている。
忙しいスケジュールの合間を縫って、クレアが近所の大工さんから貰ってきた廃材を利用し、マルコのわけのわからない気功によって破壊されたタンスやら食器棚、テーブルの修復。
確かに、自分が防げなかったせいもあるけれど、どうしてこんなことまで面倒見なければならないんだろう? とライルは心の中で首を傾げる。
クレア曰く、新しい家具を買うお金なんてないんだから、安く上げるために自力で修理よ! とのことだが、この修理にかかる手間賃は絶対に計上されていない。
「はぁ……マルコ、トンカチと釘」
「ほい。……でも、なんでこんな器用なんだ、お前」
材質の違いから見た目は歪だが、きちんと使えるよう修復された家具類を見て、マルコは不思議そうに尋ねる。
「……ヴァルハラ学園に入る前、家具とかは基本的に全部自作してたからね。大工仕事も、まぁ基本くらいは」
答えて、トンテントンテンとテンポよくトンカチを打ち鳴らす。
「〜♪」
なんだかんだで、労働の喜びに浸ってしまうライルだった。
第150話「クレアの就職活動日記 後編」
「マズイ……マズイわ」
そんなライルたちを他所に、休日返上で二つの働き先を巡ったクレアは、頭を抱えていた。
午前中は、とある喫茶店のウェイトレス、午後は公共施設の事務員という仕事の面接だったのだが、両方とも見事にその場で駄目出し。
もうちょっと仕事のランク落とそうかしら? と思わないでもなかったが、現在ですら初期の目標を大幅に下回っている。これ以下の給料だと、弟妹に三時のおやつを振舞うことすら難しくなってくる。
忌むべきは、学業を推奨しているくせに、学費がやたら高くつく国の方策だ。初等部はまだマシで、中等、高等と加速度的に高くなる。貧しい人への補助はあるが、クレアの家みたいな下の中くらいの家にはそのような気の利いた制度は全くない。
「とりあえず……明日頑張ろう」
まだ、明日ひとつ残っている。あまりにもはかない希望だが、残っていることはなお請っている。
それが終わってから、次の作戦は考えることにしよう。
こぼれそうになる涙を堪えながら、クレアはそう決心した。
「よーう」
「……アレン」
日曜大工が終了し、お茶の色をした湯(五番煎じ)を啜っていると、極めて呑気な顔をした親友がまたしても現れた。
「これ、うちのお袋がもってけってさ」
と、なにやらじゃがいものふかしたものを掲げる。
今は、丁度三時過ぎくらい。おやつに、ということだろう。甘いものなどではなく、じゃがいもなのは、この家の乏しいカロリー状況を鑑みてのことだろうか。
とにかく、夕飯担当として、腹に溜まるおやつはありがたい。今晩は、少しは量より質を優先させることが出来そうだ。
「ありがと。みんな呼んで……」
「アレンちゃんー、なになにー、なに持ってきたのー?」
「アレンにい、おやつか!? おやつなんだな、うおーーー!」
「あ、僕が全部もらうんだかんねっ」
「わたしの分〜〜!」
一気に群がってきた子供衆に踏みつけられて、むぎゅっ! とライルは呻いた。
わらわらと集ってきた子供らは、我先にとふかしたじゃがいもを頬張る。熱々で、しかもおやつにしてはあまりにも味気ないものだが、ものすごい勢いだ。
「あっ、てめぇら、それは俺の分も混じってんだからなっ!」
そして、大人気なくもその争奪戦に果敢に突撃していくアレン。しかし、子供たちは一致団結してアレンの手から巧みにじゃがいもを死守する。きっと、アレンに食べさせたら一分とかからずニ十個はあるじゃがいもが食べつくされることを、経験から知っているのだろう。
ライルは、うつ伏せに倒れた姿勢のまま、その様子を憮然とした様子で眺めていた。
今更、あれに割り込む勇気も気力もない。
「はぁ……」
こぼれてしまったお茶を雑巾で拭き終わる頃には、その狂態も済んでいた。
「……ご苦労さん」
「はっはっは。ガキども。俺と食べ物を取り合うなんざ、十年はえぇぞ……って、痛っ! ……なにすんだ、ライル。いきなり、はたくな」
「なに子供相手に本気になってるんだよ」
そもそも、アレンと食べ物の取り合いをするなんて、十年どころか百年経っても不可能だ。
まぁ、アレン参戦前に、子供らは既に一人一個くらいは食べていたようなので、まぁいいだろう。あまり食べ過ぎても晩御飯に差し支えるし。
「それで、おやつ届けにきただけ?」
「んにゃ。クレアはいるか?」
「生憎。帰ってくるのは、今晩になるらしい。明日までは忙しいみたいだね」
ちなみに、ライルも明日でお役御免だ。今日明日が勝負、らしい。
「ありゃ。またか。タイミングわりぃなぁ」
「アレンにーちゃん。まさか、あんたまでねーちゃんにちょっかいを……」
「あのな」
「違う違う。アレンに、フィレア先輩を無視して浮気する度胸は……なかったっけ?」
ライルはアレンにフォローを入れようとするが、途中で自信がなくなって本人に尋ねた。その当人は顔を引きつらせて、
「なんで、『ある』と思うんだ、お前は」
「いや、だって。プリムちゃんのことは……」
「お・ま・え・は! 俺のご近所での評判を、そんなに貶めたいのかっ!?」
「……そういえば、プリムちゃんの件は結局どうなったの? まさか、本気で二人とも娶っちゃう気?」
尋ねると、アレンはあからさまに顔を逸らした。額には脂汗が大量に流れ、いつになく追い詰められているように見える。
「お、俺はな。そんな不誠実なことしたくないっつったんだ。だけど……だけどな。いつのまにか、いつのまにか……ううう〜〜〜」
目の幅涙をぶわ〜っと流すアレン。
その様子から、ライルは大体のところを察した。フィレアはプリムの事を大層気に入っていたようだし、プリム自身もアレンを憎からず思っていたようだ。きっと、フィレアが強引に進めたのだろう。
アレンの方は……まぁ本人が言うとおりあまり筋の通っていないことをしたくないから否定しただけだろう。プリムに悪い感情をいだいていないはずもない。ロリコンだし。
「……ライル。てめぇ、なんか笑ってないか?」
「やだなぁ。これは、親友の幸福を祝う微笑だよ。おめでとう、アレン。あんな可愛い子と結婚なんて、ウラヤマシイナー」
「思いっきり棒読みじゃねぇか!」
こちらへ怒りを転化しようとするアレンから離れて、ライルは子供らに補足説明をした。
「ちなみに説明しておくと、アレンは夏休みの旅先で新しい婚約者と出会ったんだよ。若干十四歳。フィレア先輩ほどじゃないけど、実年齢よりずっと低く見える」
「アレンにーちゃん……」
マルコの、頼りにしていた目が、途端に微妙なものに変わる。
「ち、違うんだっ! あれに俺の意志は介在していない!」
「そんな、『かいざい』なんて難しい言葉使って……アレンにーちゃん、もしその調子でねーちゃんに手を出したら」
「それはない。アレンはロリコンだから。むしろ、そっちの妹クンたちが気をつけるべきだ」
きょとんとする女児たち。ちなみに、全員初等部。年齢二桁が一人、一桁が二人。危機意識が薄くて当然といえば当然だ。代わりに、お兄ちゃんがぐおおお〜〜と燃え上がる。
「妹たちに、手は出させないっ!」
「まぁ、手を出したら犯罪だけどね。プリムちゃんでもレッドゾーンなのに。……法律、大丈夫?」
「ライル……俺、お前になんかしたか?」
「いや。でもたまにはいじめる側に回りたいじゃない? ついでに、いつも幸せそうなその顔がムカツク」
「百パーセント八つ当たりじゃねぇかっ!?」
ぎゃいぎゃい言い合う。
そんな風に騒がしかったから、人が一人家に無言で入ってきても誰も気がつかなかった。
まるで幽鬼のような雰囲気を纏ったその女性は、騒ぐライルやアレンを凍れるような瞳で一瞥して、小さくもはっきりした声で、
「楽しそうね、あなたたち」
と威圧するように言った。
その声にこめられた冷たいものに、ゾクリとする一同。
「あ、あれクレアさん? 帰りは、遅くなるんじゃなかったっけ?」
「ええ、そうよ。もし、うまくいったら、って付くけどね」
「ってことは……」
「速攻、落ちたわ。フフフ……これで、本当にもう後がないわね」
いつも元気なクレアの虚ろな笑いに、ライルは思わず一歩後退する。
(ま、マルコ。ここは肉親の情で、クレアさんを慰めてあげてくれ)
(む、無理言うな。あんな状態のねーちゃん……っていうか女子に話しかけたら、どうなるかわかんないぞ)
(ぐぅ、悔しいがそれは痛いほどよくわかる意見っ!)
ライルとマルコがそんなことを話しているとは露知らず、能天気な笑顔でアレンが一歩前に進んだ。
「お、クレア。帰ったか」
「……ええ。アレンくん、弟たちと遊んでくれていたの? ありがとう」
『ありがとう』という感謝の言葉は、これほどまでに無味乾燥したものだっただろうか。どうも、クレアは言葉に感情を込める事を忘れたようだ。
だが、それも恐らく一時的なもの。少々打たれ弱いものの、基本的に強い少女である。一晩ゆっくり休めば、すぐに回復するだろう。
ただ……
「今日受けたトコは落ちたんだよな?」
「……ええ」
今、彼女を突っつくのはそれなりの覚悟が必要であろうことは疑うまでもない。
そして、火薬庫で花火をするどころかルナに対してにこやかに突っ込みを入れられる危機管理意識ゼロの大馬鹿野郎は、クレアの声質が低くなったことにも気付かず、笑って自爆ボタンを押した。
「なら、ちょうどよかった。実はだな……」
「よ・か・っ・た?」
すでに、ライルたちは避難を完了している。
クレアは、アレンの続きの言葉も聞かず、台所に行ってお玉を調達。
「? どうしたんだ。話ちゃんと聞けよ」
それに、逃げるどころか、自分の話を聞かない事を咎める始末。別に、礼儀の問題としてはアレンの指摘は正しいものだが、それ以上の失礼をぶっかましたことにまるで気付かない。
どうしてこんなニブチンがモテるんだろう、と別にモテたくもないのにライルは本気で怒った。
「うわああああーーーんっ! そんなに、みじめなわたしが可笑しいかぁぁ〜〜! ア゛っぐんの馬鹿〜」
そして、クレアは涙声になりながらアレンの脳天にお玉を振り下ろした。
「うう〜〜」
「ほ、ほらねーちゃん、泣き止んで。ほ〜ら、ライルが残った廃材で作ったコマだよー」
マルコが必死になって姉を慰めようとしている。
たんこぶだらけになったアレンは、納得のいかない様子でぶすーっとテーブルに顎を乗せていた。
「あれは、アレンが悪いよ」
「なんでだよ。ちょっと確認しただけだろ」
「……もう少しデリカシーというものを学ばないと、いつか本気で刺されるよ?」
本気で心配するライルに、アレンはわからんっ、と顔を逸らす。
しかし、流石に泣かれるとバツが悪いのか、げんなりした表情になる。
「あ〜」
アレンは、言葉を探すように空中に視線をやり、やがてぽつぽつと話し始めた。
「……や、うちの道場な。フィレアが来た辺りから、やけに門下が増えてさ。去年の二倍くらいになったんだよ」
突然なにを言い出すのか、とライルが訝しがっていると、アレンは更に続ける。
「で、さ。フィレアも事務とか洗濯とか炊き出しとか、雑用をしてもらってたんだが……来年、俺もフィレアもいなくなるだろ。お袋も年だし。……で、うちで働ける奴探してんだよな」
そっと、クレアが泣き腫らした顔を上げる。
「うち、給料をそんなに出せるわけじゃねぇんだけど。道場の裏ででかい畑作ってることは知ってるよな? 親父が、訓練の一環だって耕さしてるやつ。あそこで取れる野菜とかなら、いつも門下や近所に配っても余るくらい取れっから、現物支給ってことでやれるし……」
泣いている女の子が苦手なのか(きっとそうだろう)、なにやらしどろもどろになりながらも、説明を続ける。
クレアは、期待に満ちた目で、アレンを凝視していた。
「もしかしてそれって」
「まぁ、なんだ。昔からよく知ってるし、まだ進路決まってないんだったらどうかな〜って、お袋が……」
照れながら、そう言うアレンに、クレアは感極まって突撃するように抱きついた。
なんか泣きながら『アっくん、ありがとう』とか言っている。
「てか、昨日から思ってたんだけど……なんだ。アレンとクレアさんって、もしかして所謂幼馴染って奴なのか」
学校ではそんなに話していなかったからわからなかったが、どうも家が近所のようだし、普通にカートン家にノックもせずに乗り込んでるし、なにやら今渾名らしきもので呼びまでしているし。
「昔から、アレンにーちゃんとは遊んでるよ。ねーちゃんは、中等部あたりから、あんまり話さなくなったみたいだけど」
「……あれか。思春期になって男女の違いを意識するようになって疎遠になる、とかそういうありがちなパターン?」
「そーじゃね? よく覚えてねーけど、俺が幼稚園くらいの頃は、普通にアレンにーちゃんが本物の兄ちゃんになると思ってたし」
うわぁ、とライルは本気で呻いた。
外見年齢はともかくとして、あんな可愛い婚約者×2に加え、この上美人の幼馴染と来た。クレアとは、そんな色気のある関係ではないだろうが……少なくとも、女関係において、アレンは阿呆みたいに恵まれているらしい。爆発オチ付かないし。なんか、今は抱きつかれてるし。
ナチュラルに殺意が沸いてきた。
と、その時、
「アッレンちゃーんっ! あなたの可愛い婚約者がたっだいま帰ったよ―――う?」
なにやら、小さな影が飛び込んできた。
その影は、入るなりいきなり固まった。
その影は、確かフィレアとかいう、今は遠くの村にいるはずのアルヴィニア王国第三王女にしてアレンの婚約者ではなかっただろうか、とライルは痺れた思考で考えた。
「アレンちゃん……折角、帰ってきたから、早く顔を見せようとおばさんに居場所聞いて来てあげたのに……」
「う、う、う、嘘だあああああああああああ!! こんな都合の良い展開は有り得ないだろおおおおおおおお!!!?」
身の危険を感じて、アレンが叫ぶ。
クレアを慌てて引き剥がし、無罪を主張するが、そんなものが受け入れられるはずもない。
きょとんとするクレアを、マルコたち兄弟が丁重に運び出す。ライルも、こんなところにいるのはゴメンなので、とっとと逃げ出した。
閉じた扉の向こうから聞こえる打撃音を聞きながら、ライルは思った。
「さて、クレアさんの就職も決まったし、今日の夕飯はご馳走かなぁ」