欲しいものは? と聞かれたら、クレアは迷いなくお金と答える。

そんな自分を、浅ましいなぁと思いつつも、彼女は切実にお金を必要としていた。

理由は簡単。彼女の弟妹総勢六人。最近、成長してきて食費が拡大傾向だし、弟の一人マルコなんぞは来年になると中等部に進学する。なにかと物入りなのだ。

両親は良くも悪くも普通の収入しかない。これからでかくなる子供らを食わせていくのは、不可能ではないがかなりカツカツの家計管理が必要だ。

こんなに子供を作るなーと両親に文句の一つも言いたくなるが、クレアはクレアで弟たちは(時々困らされるが)大好きだから、そこはぐっと我慢だ。

しかし……現実問題として、お金が足りない。

「……はぁ」

今年で、クレアも学校を卒業する。

そしたら、働きに出て、少しは家計の助けをしよう、と考えていたのだ。そうすれば、少しは余裕がある生活ができる。

しかし、しかしだ。問題は、だ。

 

夏休みを過ぎたこの時期に至ってもまだ、クレアの就職先は決まってはいなかった。

 

第148話「クレアの就職活動日記 前編」

 

「はぁ〜〜〜」

ため息も重くなる。

いや、本当に職を選ばなければ、いくつか道はある。職業に貴賎なしとも言う。働けるだけマシというものだが……流石に、歓楽街は勘弁してもらいたいクレアであった。

君ならすぐ売れっ子になるよー、などと街頭でスカウトされた。容姿を褒められるのは、女性として悪い気はしないが、幼い頃からきっちりと貞操観念を仕込まれてきたクレアに、その手の職は嫌悪の対象でしかない。いや、そこで働いている人たちを否定するわけではないのだが。

「うう〜、これも駄目〜」

ヴァルハラ学園の就職課で貰ってきた求人票を捲りつつ、クレアはそれら一つ一つの条件を吟味し◎○△×をつけていく。

今の職は、レストランの厨房関係。料理上手のクレアはこれはと思ったが、条件のところに『男のみ』という一文が加わっていた。

未だ、この社会は男尊女卑の概念が残っているようだ。ええーい、責任者でてこーい、といもしない元凶に向けて呼びかける。

ぐでー、と机に突っ伏す。

もうすぐ、授業が始まる。

この学園は、就職に関しては最大限の配慮をしてくれるので、就職活動のため休んでも公欠扱いになる。だが、今日はたまたまスケジュールが空いていた。だから、夏休みが開けてから初めて登校したわけなのだが……

「はよー……っと」

「……ルナ。随分眠そうだけど、また徹夜で研究?」

「うー……ん。ま、ちょっとね〜。ライル、珈琲」

「……ここ、教室なんだけど」

「なら、とっとと淹れて持ってきなさい」

「わー、話通じてないね? ないね?」

「うっさいっ」

「痛いっ」

ルナにはたかれて、ライルが苦い顔になる。

そんな風景を見て、クレアはムカムカしてきた。ダンッ、と椅子を倒しながら立ち上がり、ずかずかとライルに向けて大股で歩く。

「……え? く、クレアさん、なに?」

「その幸せそうな顔がムカツク!」

「は? ……って、うわらば!?」

ヘッドバットをかまされ、妙な奇声を上げるライル。

別に痛くはなかったのだが、頭突きの拍子に目の前にクレアの顔が迫ったのが原因らしい。

「く、クレアさん、な、なにを?」

「ううう〜〜〜!」

八つ当たり以外の何者でもない行動をとったクレアは、涙を浮かべながらライルの机に突っ伏した。

どうも、情緒不安定になっているらしい。とりあえず、憂さを晴らせそうな相手なら誰でも良かったのだろう。毎日ルナの理不尽に付き合わされているライルなら、特に嫌がりもしないだろう、という打算もあった。

しかし、周りから見ればどう見えるか。

「ら、ライル。君、一体クレアさんになにをしたの?」

「え? さ、さぁ?」

「嘘つけ。明らかに、お前を責めてるぞ」

クリスとアレンの二人に責められ、自分が何かをしたのかと思い始めるライル。しかし……

『その幸せそうな顔がムカツク!』

……あれは、なんだったんだ。なにか、見逃してはいけない諸々が、その台詞に込められているような気がする。

まぁ、

「ラ〜イ〜ル〜?」

「る、ルナ? もしかして、僕がクレアさんによからぬことをしたって、本気で思ってないか?」

見ると、クラス中の女生徒が冷たい目でライルを見ていた。

ライルとしては、なにかをするどころか、クレアと会うのすら約二ヶ月ぶりなのだが……

「うっさいっ! この女の敵め!」

そんな言い訳をする前に、ルナのアッパーカットが綺麗に決まるのだった。

 

 

 

 

 

 

「……就職ぅ?」

漫画のようなバッテンの絆創膏(?)を顎につけて、ライルは苦い顔になりながら聞き返した。

昼休み。理不尽な仕打ちを受けたライルは、いつもの仲間とともに、クレアの相談に乗っていた。

「ふーん、どーせ冒険者としてやってける……のみならず、ごんさか稼ぐような優秀な人たちにはわからない悩みですよーだ」

「いや、ごんさかってどういう表現だ……」

まぁ、なんとなくニュアンスは伝わるが。

しかし、ライルはそんな風に有り余るほどのお金を稼いでいる自分の姿など想像もつかない。

……考えてみる。

冒険者となって、お金をがっぽがっぽ稼ぎまわる自分の姿を。

「……駄目だ。ルナが破壊した街の修理費に、稼ぎが全部飛んでいく姿しか見えない」

あらゆる可能性を吟味しても、それしか浮かばないというのはどうなんだろう。だけれども、ライルの頭では、とてつもなくリアルな未来図が形になっていた。これだけ細部まで想像できるのだから、絶対実現するだろうというほどだ。

その、あまりにも悲惨な未来予想図にたらりと汗を流しながら、クリスは話題の転換を試みる。

「ま、まあ、ライルのことは置いといてさ。そんなに、今年は厳しいの?」

クリスは誤魔化すように笑って、クレアに話を振った。

「もお、厳しいってもんじゃないよー。女の子はまだまだ働きにくいんだから。しかも、最近不況だしさー」

「そうかなぁ? 学園出の人って、結構需要があるもんだけど……」

さもありなん。

学園を出ている、ということはかなりのステータスなのだ。王都では半ば義務と化しているから、住人の殆どが高等教育を受けているが、それ以外の地域でここまできっちりした教育を受けている人間はかなり少ない。

商店でも農家でも、計算が出来る人間は重宝されるし、学歴があると言う事はそれだけである程度の礼儀や教養、協調性があると言う事を保証してくれる。

そういうわけで、例年、ヴァルハラ学園を出ている人間が就職に困ると言う事はあまりない、とクリスは思っていたのだが。

「それは外の話―。この街じゃ、みんな教育受けてるんだから、外から来た人以外はみんな同じ条件なの。街から出るのは、ちょっと嫌だしさー」

「そういうものなのか……」

クリスは合点がいったと頷いた。元々、他所の国の人間であるクリスは、知らなかったことらしい。

「……でも、なんか友達はみんなうまくいったらしくてさー。わたしだけなのよ、残ってるの」

「それで、これ?」

ライルは顎をさする。

正確にはそれをしたのはルナだったのだが、ごめんーとクレアは手を合わせる。

「でも、別に慰めてくれたっていいじゃんー」

「……今の様子を見る限り、慰めが必要そうには見えないんだけど」

「えー、すごく落ち込んでるのに。ライルくん、冷たい」

「そうね」

全く話に関係ないくせに、鷹揚に頷いてみせるルナ。ライルはそれをスルーして、はぁ、とため息をつく。

「じゃあ、頑張ってね」

手をひらひらさせながら、適当に応援する。

「ちょっと、それだけ?」

「それだけって……じゃあ、なにをすればいいのさ」

聞くと、クレアは胸をそらして、威張りながら、

「手伝って」

そんな事を言った。

「……はぁ?」

手伝って、と来た。

就職活動を、どう手伝えと?

そんな事を言いたかったライルだが、有無を言わせず、クレアは彼の手を取って、

「うわ〜、引き受けてくれるの? ごめんね。お礼は、またするから。じゃ、そういうことで!」

「ちょっ! 僕、何も言ってな……」

「じゃ、これ家の鍵。それと食費。あ、なるべく節約してね。値切るのは基本よ。……あ、あとわたしの分の洗濯物は洗わなくて良いから。手に取ったら殴るから」

怒涛のように説明するクレアに、ライルは慌てる。

「あ、あのクレアさん!? 僕に一体なにをさせようとしているのでしょうかっ!?」

「いや〜、今、家の家事が出来る人がいなくて困ってたのよね〜。父さんと母さんは相変わらず忙しそうだし」

「それと僕に何の関係がっ!?」

なに言ってるのよー、とクレアはライルの肩を叩いた。

ルナたちは、大体のところを察したのか、気の毒そうな視線をライルに送っている。

「ライルくんも家事得意なんでしょ?」

「と、得意って言うか。たまたま、必要に迫られて……」

「出来るのよね?」

「しょ、所詮男のすることだから、あんまり誇れるようなものじゃ……」

「あ〜、女の私から見ても、ライルは結構なモンよ」

しどろもどろになりながら何とか逃げようとするライルの努力を、ルナは無にする。

ちなみに、言うまでもない事を言うのは心苦しいが、ルナから見れば、八割以上の男が家事が出来ると言っていいだろう。

「……だってさ」

「あの、クレアさん? なんで……」

更に抗弁しようとするライルに、クレアは両手を彼の肩に置いて、うなだれるようにして頭を下げる。

「ゴメン。今、マジでヤバイの。弟たちも、ライルくんの顔は知ってるし。助けると思って、お願いできないかな」

「う……」

基本、ライルは女に甘い(弱い、と言った方がより正確だが)。

こんな風に、真剣に頼まれては、断ることはとても難しい。

どうしたもんか、と悩むライルだが、考えてみると断る理由も特に見当たらない。面倒くさい、という気持ちがないわけではないが、別にルナみたいに犯罪行為に荷担しろ、と言っているわけでもない。

「……はぁ」

深く、ため息をつく。

つくづく苦労性だなぁ、と自分が嫌になるが、性格がそうそう簡単に変わるわけでもない。

「わかったよ……」

「ありがとっ!」

がばっ、とクレアは勢い良く顔を上げ、満面の笑顔を浮かべる。

その顔に、あれ? 嵌められた? とライルが思うのと、クリスとアレンがご愁傷さまと言わんばかりにため息をつくのはほぼ同時だった。

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