「……えー、っと」

ベッドに縛られたまま、ライルは呆然とその対峙を見つめていた。

深夜になって訪れた片方の少女はマリア。『忙しくてこの時間まで来れなかったけど……なに縛られてんのよ、アンタ』と、一言も案じる言葉を投げかけてくれなかったローレライ店長代理。

昼からずっとこの部屋でライルの顔を飽きもせず眺めていたもう片方はミルティ。『ライルくんの顔は、見てて飽きませんわね』と、そんなに特殊な顔してたかなぁ、とライルを悩ませる発言をしてくれたりしたローレライのライバル店、ウンディーネ店長。

……さて、マリアは、なにやら紙を突きつけて勝ち誇っている。

「私のところの今日の売り上げはこんだけ。どう? 店長がサボってるような店じゃ、到底追いつけない数字でしょう」

「ふふ……。能力のある店員がいれば、店長は行動の指示に徹したほうが効率が良いのよ? お生憎様だけど、今日の売り上げはこちらの勝ちね」

パンパン、とミルティが手を叩くと、どこからともなく執事っぽい老人が現れて、今日の売り上げを報告する。

それを聞いて、マリアがくっ、と悔しそうな顔になった。

「あの〜。どうでもいいけど、これ外してくれないかなぁ」

ライルの蚊の泣くような声は、当然のように二人には届かなかったのだった。

 

第117話「賭博行為はよくないですよ」

 

「とりあえず、それはそれとして。ライルはまだうちの従業員だから、返してもらうわよ」

憮然としたマリアが、ライルに視線を向けていった。

ライルは、それを聞いてマリアを見直すと同時に、頑張れーと内心応援する。

「えー」

「えー、じゃないでしょ。こんなことが外部に漏れたら逮捕されるわよアンタ」

「そ、そんな。これは同意の上なのに……」

「ちょっと、コラ」

さすがにこの発言は見逃せず、ライルが突っ込みを入れる。

酒に酔った自分をここで休ませてくれたのは感謝しているが、なぜ縛り付ける必要があったというのだ。

だというのに、マリアはそのミルティの言葉を真に受けたのか、心底軽蔑しきった目でライルを見て、

「アンタ、そういう趣味あったの?」

「ない! 断じてない! てゆーか、お願いだから信じないで」

「むぅ」

マリアは残念そうな顔になる。

なぜそこで? まさか、そういう趣味があったほうが良いとでも?

突っ込みどころが多すぎて、ライルはそろそろ疲れてきた。助けを求めるように、この様子を見て笑っているシルフィに視線を向ける。

(なに、マスター? 言っておくけど、私は助け舟は出せないわよ。この二人の前に姿現す気はないし)

(せめてロープだけでも解いてくれよ。二人には見えないから出来るだろ?)

(それ解いたら面白くな……もとい。この部屋に何かがいるってことくらいわかっちゃうでしょ)

(今、なにを言いかけたお前)

シルフィは明後日の方向を向いて、我関せずを貫こうとする。どうやら、救援は期待できないようだ。

あとで絶対仕返ししてやるからな〜、と決意するライルをよそに、マリアとミルティの話し合いは続いていた。

「じゃあ、マリア。こういうのはどう? その日の売り上げが勝ってた方がライルくんを雇用するってことで」

「……それで、明日はアンタんとこってわけ?」

「そそ。もちろん、明日の売り上げでウチが万一負けたら、明後日はライルくんはそっちに行くってこと」

むう、とマリアは顎に手を当てて、その提案を吟味している。

なにやら本人抜きで話が進められていることに焦ったライルは、慌てて口を挟んだ。

「ちょ、ちょっと。マリアんトコならともかく、こんな店で働けるようなスキル、僕持ってないんだけど――」

「どうせ一週間後にはウチに正式に来ることになるんだし。予行演習だと思って」

「だから、何度も言いつつ全然聞いてもらえなかったんだけど! 僕は、その頃にはこの町を旅立っているから!」

それを聞いて、ミルティはクスッと笑ったと思うと、

「あら。それなら心配要らないわ」

「……なんで」

「自分から、この店に残りたい、って言わせてみせるからね」

どこからその自信が来るのかはわからないが、ミルティは言い切って見せた。なぜそこまで惚れ込まれているのか、ライルはさっぱりわからないが、それならこっちは意地でも離れてやるからな……と決意する。

(その決意も崩されたりしてね〜)

(うるさい。てか、僕がここに残ったほうがいいのか、シルフィは?)

(ん〜? そうねぇ)

シルフィは、意味もなく空中でくるくる回る。

(私としては、それも良いと思うわよ? マスターには、なるべく危険なことして欲しくないし〜。退屈だとは思うけど)

(む)

そんな真剣に返されると思っていなかったライルは口を噤む。

なんだかんだで、シルフィは姉みたいな感じで自分を心配してくれているのだ。こうして真面目に言われると、確かに冒険者なんていうヤクザな稼業よりは、そちらの方がよほど堅実な生き方だと思わされる。

(でも……それだと、あのルナを野に放つことになるわけか)

抑え役のいない状態で、冒険者という実力がすべての稼業に身を投じるルナ……なんか怖い想像になってきた。

「わかった。とりあえず、明日はライルはアンタに預けるわ」

「そ。マリア、わかってくれて嬉しいわ」

「勘違いしないでよ。どうせ私の店が勝つから、そこまで欲しいならちょっとぐらい貸してあげるわ、って意味だからね」

「さぁ。それはどうかしら?」

フフフ、と笑いあう二人。

いつの間にか自分の境遇が決定されたことにも気付かず、ライルは自分の想像にぶるぶると震えるばかりであった。

 

 

 

 

 

 

……で、次の日。

ビッチリしたスーツに着替えさせられたライルは、昨日売り上げを報告した執事風の老紳士(チーフ)にこの店での接客を徹底的に仕込まれていた。

礼儀作法、言葉遣いは一朝一夕で仕込めるものでもなかったので、今日の仕事は裏方をすることになっている。今日の教育はその後のことを見据えたものだ。

その後なんてないってば、というのがライルの正直な気持ちだが。

「君もお嬢様のわがままに振り回されて、ずいぶん苦労しているだろうが……まあ、犬にでも噛まれたと思って、諦めてくれたまえ」

「はあ」

教育の傍ら、チーフはそんな風にライルを慰め(?)てくれる。

その疲れた物言いから、この人もずいぶんとあのお嬢様に振り回されているようだ。

「こういうことは、もしかして今までにもあったんですか?」

「いや。しかし、お嬢様はああいう性格だから、トラブルには事欠かないんだよ。お嬢様とマリア様の勝負なんて、最たるものだ」

なんでも、マリアとミルティは、親同士は仲が良く、小さい頃から交流があったらしい。だが、自分ちがこの街で一番の店なんだ、というプライドを持っていた二人は大反発。初対面の時からずっといがみ合ってきたそうだ。

さっさと隠居してしまった両親ズは、四人仲良く温泉旅行に行ったというのに、娘はこうやってしばしば売り上げやなにやらで勝負をしている。嘆かわしいことだ、とチーフは漏らした。

「ま、巻き込まれてしまった君には悪いが、どっちが勝つかで賭けをするのは、ローレライ、ウンディーネ両方の店員にとって定番になっててね? 不肖ながら、私もお嬢様の勝ちに五千ほど賭けている」

「……不肖すぎます。なにやってんですか、アンタら」

じろりと開店前の準備をしている女性店員らをにらみつけると、全員バツが悪そうに顔を逸らしてそそくさと逃げる。

「ついては、君もいくらか賭けないかい? 一口百メルから受け付けているが」

「どっちに賭けても角が立ちそうですから、嫌です。大体、そういうのって自分ちに賭けるもんじゃないんですか」

「いや、今回の賭けは、別に売り上げがどっちが勝るか、じゃないんだよ? お嬢様とマリア様。どちらが君を射止めるか、はたまたどちらも逃してしまうか……」

「人を勝手に賭けの対象にしないでください!」

ライルが至極もっともな文句を言う。

「いやいやいや。こうなったら、いっそ楽しんでみるのも手だと思うよ? ちなみに、今一番の人気は、二人の間に挟まれた君が、いたたまれなくなって逃げ出す、というものなんだが……」

「この街から出てくのは、別に逃げ出すわけじゃなくて最初からの予定だったんですが。……ってか、大体その賭け対象だと、僕が参加するのは無理でしょう」

そらそうである。ライルの行動によって、その賭けの結果は如何様にでも変わるのに、ライル自信が賭けに参加してしまっては、普通自動的にライルの勝ちは決まってしまう。

しかし、チーフはなにやら年を重ねた者しかできない笑みを浮かべ、首を振りながらライルの肩に手を置いた。

「ライルくん。こういう場合、自分の思ったとおりの行動ができるとは思わないことだ」

「…………………………」

わかる。確かに、なにかとトラブルに巻き込まれる経験の多いライルは、こういう場合自分の希望など、全く通らないことくらいはよくわかっている。

……と、そこで一つ思いついた。

「なら。僕も今日の給金全部賭けることにします」

「ほう。豪快だな。どの選択肢に賭けるのかね?」

耳を寄せながらメモ帳(賭けの帳簿だと思われる)を取り出すチーフ。

そのチーフに、ライルは小さな声で自分の予想した結果を告げた。

「……本当にそれでいいのかね?」

「ええ。多分、そうなると思いますから」

多分と言いつつ、ライルの顔には確信が満ちていた。

どんな事を言ったのかは、離れたところで聞き耳を立てていたウェイトレスたちには、聞こえなかったのだけれど。

「さて。それじゃあ、そろそろ開店かな。誰か、表の看板、回してきてくれ。ライルくんは、今日は食器洗いでもしながら、みんなの仕事のやり方を見て置くように」

そうして、ウンディーネは開店した。

---

前の話へ 戻る 次の話へ