「へぇ、昨日も思ったが、けっこう手際いいな、おまえ」

「まぁ、いつも自分で料理はしていますから」

料理長の感心したような言葉に、ライルは照れながら返事をする。

現在、開店前の仕込みの真っ最中。ライルは親の仇のごとく、ジャガイモの皮を剥きまくっている。

「おはようー」

そうこうしていると、マリアが起きてきた。

「あら、ライル。もうここには慣れたかしら?」

「まだ二日目なんだけど……」

「なによ、細かい男ねぇ」

そういう問題か? とライルは思ったが、下手に反論することはしない。そんなことしてもしたたかに罵倒されるのがオチだ。

「さぁって、泊り客どもの朝食、作っちまうぞ。嬢、ライル、手伝ってくれ」

「はーい。料理長。今日のメニューは?」

「ああ、今日はトマトのいいのが入ったから……」

「あの、客どもって言い方は客商売としてどうなんですか?」

そして、今日もローレライの一日が始まる。

 

第115話「対峙」

 

ガッ、とルナは手を打ち鳴らせる。

不覚を取った。まさか、フィレアがああまで強攻策を取ってくるとは。

とりあえず、配偶者の責任はアレンに取ってもらったが、お陰で足がなくなった。思いっきり自分の責任なので、誰も責めることが出来ない。強いて言うなら、たったあれっぽっちの衝撃で気絶してしまったアレンだろうか。

クリスに引き摺られているアレンを恨めしそうに見るルナを心配したのか、フィレアが顔を覗き込んだ。

「ルナちゃん? なにカリカリしてるの?」

「……いや、別に」

原因の一つはアンタだ、と言いたいのだが、フィレアの無垢な笑顔を見せられると毒気が抜かれてしまう。

はぁ〜、とため息をついて、ルナは前方を見据えた。

……ポトス村から出発して、既に一時間ほどがたっている。だというのに、まるで進んでいない。これなら、アレンが目覚めるのを待ってもそんなに変わらなかっただろう。

フィレアなんぞは、それでも楽しんでいるのか、ぐるぐるとそこらじゅうを走り回りながら付いてきている。元気なものだ。ルナなどは、一時間歩いただけでもう疲れてきているのに。

……考えてみると、自分は体力がないのかもしれない。アレンは別格としても、クリスもフィレアも、あのライルも、自分とは比べ物にならない体力を誇っている。

むう、鍛えた方がいいかなぁ、とルナは意味もなく二の腕をもみもみした。

「どう思う、クリス?」

「主語はなんなんだよ、主語は」

いきなりの問いに、クリスは呆れながら返す。

ルナとしても、そんな事をしている暇があるなら魔法の研究をするので、大して真剣に考えてはいない。なんでもないわよ、手を振った。

「あぁ、そう言えばクリス」

「なに?」

「その、棺桶の中にいるやつ、なにしているの? セントルイス出発してから殆ど出てこないけど」

フィオナのことだ。

幽霊である彼女は、陽の光に弱くて外に出ることが出来ない……なんてわけではなく、ルナが怖いから出てこないのだ。初対面の時、いきなり浄化させられそうになったことを、今でも怖がっているらしい。

「なに。フィレアと名前が似ててキャラ被るから出たくない、とかそんな軟弱な理由?」

「キャラは被ってないと思うけど……てか、それが軟弱ってのもどうなんだ」

クリスは懐に収めてある棺桶をとんとんと指先で叩いた。

「フィオナ。ルナが呼んでいるけど?」

変化は劇的だった。

ガタガタッ、と棺桶がポルターガイストっぽく揺れると、中から少女の顔が出てくる。なかなかホラーチックな光景に、ルナは反射的に一歩引いてしまった。

とは言っても、フィオナのほうは涙すら浮かべながら、

「はははは、はいぃ! お呼びでございますか、ルナさん!」

見てるのが可哀想なくらいの脅えっぷりだ。

「……いや、クリス。私は別に呼んだわけじゃないんだけど」

「いい機会だから、ルナとよく話し合ってみた方が良いと思うよ、フィオナ。ルナは女の子にはあんまり噛み付いたりしないからさ」

どうやらそのために呼び出したらしい。

クリスとしては気を使っているつもりなのだが、フィオナにしたら意地悪以外の何者でもない。恨めしげにクリスを睨んでいる。

「クリスさん! こんな横暴が服着て歩いているみたいな人と話し合いなんてできるわけありませんよ! 大体、言葉通じるんですか?」

「……あんたね」

「はわわっ! し、しまった、つい本音がーーー!」

なんとも墓穴を掘るのが得意な少女である。ちなみに、彼女の墓はすでに存在していたりするが、二つ目を作る気だろうか。

微妙に顔をひくつかせるルナだが、クリスの言ったとおりルナは女性に対しては甘い。というか、男に対して厳しすぎるだけである。気を落ち着かせて、深呼吸。

「す、すみません、ルナさん。わたし、焦るとついつい本当の事を言う癖があって……。べ、別にルナさんが暴力的で魔法をぶっ放すのに全然見境なくて、とりあえず血が見れればいいなー、いつか殺人起こすぞおい的な人だなんて思ってませんから!」

なんともかんとも。ここまで人の神経を逆なでしてくれると、これも一種の才能なのかと思えてしまう。

ルナは、勝手に練り上げられる魔力を感じながら、あ〜コリャ駄目だわと内心ため息をついた。

「『サンダーボルト』」

「キャアアアアッ!?」

ぴしゃーん、と青空の下に雷が落ちた。

 

 

 

 

 

 

さて、そんなある意味平穏なルナたちと違い、ライルは窮地に立たされていた。

いや、店が忙しいわけではない。ローレライの店内は、昼ともあってそこそこ混んでいるが、昨日ライルが経験した混雑具合ほどではない。この店が本格的に混むのは、仕事帰りのお父さんたちが酒を呑みにやってくる夕方からだ。

……で、

「僕はなにをやっているんだろう……」

ライルは自問するが、答えなど出よう筈もない。

ウェイターとして、給仕をしている。

OK。ここまではいい。仕事の範囲内だ。うん、全く問題ない。

で、その給仕をしている相手に口説かれている。

……なんでだ。

「貴方、なかなか可愛い顔しているわねぇ〜。ねぇ、こんなトコで働いてないで、うち来ない? 給金は弾むわよぉ」

「い、いえ。ちょっと、すみません。まだ仕事があるので離して……」

「ま、ま。ちょっとお話に付き合いなさいな。そのくらいしてくれないと、この店はサービスが悪いって言い触らすわよ」

無茶苦茶である。

ライルより一つ二つ年上の美女は、ぐいぐいとその豊満な胸を押し付けるようにしてライルの腕を取る。

そういうことにあまり興味がないとは言え、ライルもそれなりに健康な男子である。抵抗する力が弱くなるのは、まぁ仕方がないことだろう。

しかし、この女性は自分のどこが気に入ったのだろう、とライルは疑問に思う。

周りからは地味地味と言われ続けて、不本意ながら自分でもそう思う。顔など、十人並みと表現するのがぴったりだし、女性を惹きつけるような要素は我ながら一つも見つからないのだが。

……大体、可愛いとか言われてもうれしくもなんともない。

「うちは女性向けのいかがわしい店じゃないんだけど。うちの店員を誘惑しないでくれるかしら?」

「あら、マリア。いたの」

「ここは私の店よ。いちゃ悪い?」

「悪いなんていわないけど、ちょっと店員借りるくらいいいじゃない。こっちは客よ?」

どうやら、マリアとこの女性は知り合いらしい。

ライルは視線でマリアに助けてコールをするが、マリアは目の前の女性を睨んでてこちらをちらりとも見ていない。

「えっと、マリア? 助けてくれると嬉し……」

「お生憎様。ライバル店の調査に来ているやつを、うちは客とは認めません」

「あら。今日は純粋に食事を楽しみに来ただけよ? うちのほうがずっと美味しいけれど、たまにここの庶民的な味が食べたくなるの」

「うちはそういう味を目指しているから良いの。あんたンとこは、逆に気取った料理ばっかりで、お客さんがくつろげないじゃない。大体、うちの店員を引き抜こうとして、食事もなにもないもんだわ」

「あらあら。よりよい条件を提示して、優秀な人材を引き入れようとするのはそんなにいけないことかしら? それで離れられるのは、そちらが不甲斐ないからじゃない?」

二人の視線が交錯し、火花が散る。

ライルの目には、二人の背後に竜と巨人が睨み合っている幻影が見て取れた。

誰か、誰か助けて、と周囲を見渡すと、周りの人は全員こちらを生暖かく見守っていた。今日はどっちが勝つのかと賭けをしている人までいる。

……どうやら、ここではこの情景は日常茶飯事らしい。

それはいいのだが、せめて自分を巻き込まないでくれー、と二人の間でガタガタ震えながらライルは思った。

「ねえ、君、名前は?」

いきなりライルに話を振る女性。

「ら、ライル」

「そ。ねぇ、マリア。わたし、このライルくんが気に入っちゃったから、頂くわよ」

「冗談。ミルティのところなんかに、ライルが行くはずないじゃない。ねぇ?」

だからこっちに振るなー! とライルは視線を逸らす。

会話を聞くに、どうやら彼女はマリアと同じような店のミルティという人らしい。店員を雇う権限を持つのだから、責任ある立場なのだろう。マリアにそっくりである。

「同属嫌悪か……」

「なに? まさか向こうに行きたいなんて言うんじゃないでしょうね?」

「い、いやなんでもない」

慌てて首を振る。

今思った事を知られたら、思いっきり怒られそうだ。

「あらあら。そんな風に押さえつけるだけでは人は付いてこないわよ。ねぇ、ライルくんも、優しくて美人のお姉さんがいる職場の方がいいわよね? そんなちんちくりんじゃなくて」

いやいや、とライルは内心首を振る。

マリアも、スタイルはミルティさんに勝るとも劣らないですよ?

「はン! 年増がなんか言ってるわね」

「年っ……貴方とは四つしか違わないでしょうが!」

「ンなもん、もう別次元の生物よっ!」

更に言い合いは加速している。

いやぁ、美人二人に挟まれて、両手に花じゃないか、羨ましいなぁあっはっは、という顔をしている男がそこかしこにいるが、ライルはそんな人にこの立ち位置を代わって欲しかった。大体、この二人はライルをダシにしているだけだ。

そして、話は妙な方向に転がって行く。

「んじゃあ、勝負よ。一週間の売り上げが勝っているほうがライルを雇うってことでどうよ?」

「いいわよ。まぁ我がウンディーネがこんなチンケな店に負けるはずがないけど。完膚なきまでに叩きのめすのも一興だわ」

「や、僕は一週間もすれば別の街に行こうかと思ってるんだけど……」

ライルのぼそぼそした声は、二人には届かない。

「それでは。一週間後までライルくんは預けておくわよ。じゃあね、また会いましょう、ライルくん」

「あの、ちょっと待っ……」

ミルティは、ライルの制止の声など振り切って、高らかに笑いながら去っていった。

「……マリア、今の人、誰?」

「うちのライバル店。ウンディーネの店長のミルティ。いけすかないやつよ」

そっかぁ、店長さんかぁ。

しかし、ウンディーネ。港町には相応しい名前かもしれないが水精霊(ウンディーネ)と聞いたら、ライルは某水の精霊王さんを思い出してしまう。

そうやって現実逃避するライルの内心など知ったこっちゃないと、後ろで観察していたシルフィはクククと笑いながらライルの肩を叩いた。

(マスター。なかなか面白いことになりそうね)

 

 

 

余談。

「……あっ!」

「ど、どうしたマリア?」

「ミルティ……。あいつ、食い逃げ――!」

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