「坊主、さっさと三番テーブルの注文とってこんかい! お客さん、待っとるぞ」
「はい、すぐにー!」
「あ〜、二番テーブルのお客さん、料理零しちゃったみたいだから、掃除しといて〜」
「はいはいー」
「バイトくんー。そのあと、皿洗い手伝って〜。わたしだけじゃおっつかないよ〜」
「わかった!」
「お〜い、ライル〜。三回回ってワンと鳴け!」
「(ぐるぐるぐる)………ワン! ……って、マリア! 忙しいんだから邪魔するなああああああ!!!」
「あっはっは。ライル、笑える」
この食堂、ローレライで働き始めて、実に三時間。
息をつくこともできない重労働に、ライルは早くも、ここで働くことを安請け合いした事を後悔しはじめていた。
第114話「ローレライの一夜」
「はぁ〜〜〜〜」
店の後片付けが終了する。
もう日が変わってしまっている時間。この時間をもって、ローレライの食堂は閉店だ。二階、三階は宿屋をやっているが、この時間になると仕事はない。ライルとマリア以外の従業員は、すでに帰宅している。
「お疲れ」
同じように働いていたのに、あまり疲れていないどころか、働いている最中にライルにちょっかいを出す余裕まであったマリアが、コトリと目の前に湯気の立ち昇るグラスを置いてくる。
ほのかに甘い香り。夏の熱帯夜だが、折角入れてくれたのを無視するのもあれだ。ずずず、とライルはその飲み物を啜って、
「ぶはぁっ!?」
思いっきりむせた。
「ちょ、なに零してんのよ。きったないわねぇ」
「これ酒じゃないか!」
ほとんどジュースに近いような味だが、飲み込んだときに香るアルコール臭は誤魔化せない。
「そうよ。果実酒を温めて蜂蜜入れたやつ。疲れが取れるんだから。……あ、それとも下戸だったりした? 殆どアルコールは飛んでるはずだけど」
「いや、いくらなんでもこれくらいじゃ酔わないけどさ」
不意打ちで噴いてしまっただけだ。せめて一言言って欲しかった。
しかし、改めて呑んでみると結構美味しい。じわじわと疲れた身体に浸透する感触がある。これまで味わったどの酒とも違う味。果実酒だといっていたが、原料はなんだろうか。
そんな風に味わっていると、ふとマリアがこちらを妙な目で見ているのに気が付いた。
「……なにさ」
「いやぁ。なんつーかね。自分でやれって言っておいてなんだけど、よく働いてくれたなぁ、って」
「ああ、まあね。どうせ、馬車馬のように働きそうなキャラだから」
「うわ、根に持ってる」
苦笑しながら、マリアは懐から財布を取り出し、いくつかの硬貨をライルに手渡す。給金、ということらしい。
「……って、多すぎない?」
半日働いた程度にしては、ずいぶんと多い。
「まぁ、いきなりだったし。それに、なんか三人分くらい働いてたでしょ」
皿洗いと注文受付と会計と掃除と調理補助……と、とりあえず全部やってみろと言わんばかりの仕事量をこなしていたのだ。
客足がピークを迎える午後七時辺りには、真面目に逃げたくなった。
だが、こうしてその働きが報われると、あぁがんばってよかったなぁ、という気になる。ライルは意外とこういう仕事が合っているのかもしれない。
「ん、そういうことならありがたくもらっておく。……ていうか、もう少し従業員増やしたほうがいいんじゃない? 僕が入って、ぎりぎりだったでしょ」
ライルは本心から忠告する。
今日は自分がいたからよかったが、明日からはちゃんと新しいのを雇ったほうがいい、と。
「は? なんで?」
「なんでって……だから、僕がいなくなったら仕事おっつかなくなるから……」
「だから、それがなんでよ」
「??」
話がかみ合わない。
首を傾げるライルに、マリアはふと思い出したように宿の受付から鍵を取ってくる。
「はい、これ」
「……なに? これ」
「なにって、部屋の鍵。アンタの部屋は二階の奥から三番目だからね。部屋の中は火気厳禁。あと傷つけたら弁償。ちなみに、私の部屋は向かいだけど、夜這いに来たら問答無用でぶっ飛ばすからね〜」
ここに来て、ライルは両者の認識の違いに気が付いた。
マリアは、初め『ちょっとここで働いていきなさい』と言った。ライルとしては、今日だけのつもりだったのだが……どうも、マリアは『ちょっと』を数日間とか数週間という意味で使っていたらしい。
「ちょ、困るよ」
「困る……って、ああ。もしかして、もう別に宿取ってある? それなら、ウチはこの街の宿には顔聞くから、キャンセル料はなしにしておくよう頼んであげるから……」
「いや、路地裏で寝るつもりだったから、その心配はないけど」
「路地裏ぁ? なに、もしかして屋根があると眠れない人?」
どんな人だ、と思いつつ、ライルは違う違うと首を振る。
「そうじゃなくて、僕は働くのは今日だけのつもりだったからさ。大体、あんまりこの街に長居する気もないし……」
「なんでよ。ウチは、終身雇用制度もバッチリなのに」
恐ろしい。どうやらマリアの中では『一生涯』を『ちょっと』とルビるらしい。
「いや、僕まだ学生だし、それはそもそも不可能なんだけど……」
「……学生ぃ〜〜?」
思いっきり疑わしげな目になるマリア。
「なに、将来は学者様とかになりたいわけ?」
「いや、多分冒険者、かな。そもそも、学校に通ってるからって学者になるわけでもないと思うけど……うちの学校で大学院に進むやつなんてほんの一握りだし」
「なにそれ。そりゃ、ちょっとした計算とか読み書きくらいだったら、まぁ覚える価値があるけどさ。あんたくらいの年で、それやってるわけでもないでしょ。いい若いもんがそんな無駄なことしているから、今うちの店が忙しいのよ……」
「いや、多分それ関係ない」
無茶苦茶なこと言っているが、結局は愚痴を言いたかっただけらしい。長く喋ったせいで喉が渇いたのか、マリアは瓶に入った液体を飲み干す。
その後も、一体どれほど労働力を学校にとられているかについて文句を言うマリアを、必死になだめるライル。
「大体、冒険者って何よ!」
「何よって……そんな哲学的なこと聞かれても」
矛先が変わった。
「冒険者ってのはねぇ、ガラが悪いわ、酒癖は悪いわ、仕事にアホみたいな値段吹っかけるわ、そのくせ仕事に責任感はないわ……とにかくろくでもない連中なの! そんなのの方が、このウィンシーズ一のお店、ローレライの店員よりいいっての!?」
「いや、ちょっとそれは言いすぎじゃあ……」
「言い過ぎじゃないわよ……! んぐ、ング!」
「……ちょっと待った。今まで気付かなかったけど、マリア。今呑んでるそれってもしかして……」
「あに!?」
ぶはぁ〜、と吐き出す息が酒臭い。
もしかしなくとも、マリアが飲んでいるのはお酒だった。
「アタシは十六よ〜。文句あっか〜!」
「ある。僕も人のことは言えないけど、本当は成人するまで飲んじゃいけないのに……ってか、年下だったのか」
店ではリーダーとして采配を振るっていたからそうは見えなかった。
とりあえず、ライルは酒の瓶を取り上げ、今日の主な職場だった厨房から、水をグラスに入れて持ってくる。
しかし、持ってきたらすでにマリアは寝てしまっていた。
「……やれやれ。部屋は、僕の部屋の向かいって言ってたよな」
仕方なく、マリアをお姫様抱っこする。そんなに重くはないが、へにょ、と柔らかい感触が伝わってきて、ドギマギしてしまう。悪霊退散悪霊退散悪霊退散、とわけのわからない文句を頭の中で唱え、必死でそれから意識を逸らせるライル。
(襲わないようにね〜)
(襲わない!)
その様子を面白そうに見守っていたシルフィが余計な事を言ったので、叱り飛ばした。
「ちぃっ! やはりライルはいなかったかぁあああ!!」
実家に帰るなりこんなことを叫ぶ娘に、ルナの両親であるジェフとアヤは『変わってないなぁ』と感想を漏らした。
「じゃ、私もう行くから!」
「早いな。折角帰ってきたんだからゆっくりしていったら……」
「あなた。もうルナ、ぜんぜん聞いてませんよ」
「俺より、ライルちゃんのほうが大切なのか……」
さめざめと泣くジェフのことなど露知らず、ルナは地図を広げて、アーランド山の近くの町を検索する。
少なくとも、このポトス村のある方向ではないだろう。こちら方面に来ていたら、少なくともこの家に顔くらいは見せているはずだ。
むしろ、逆方向……とつつと指を滑らせると、ウィンシーズという街名にぶち当たる。
「……ここね」
なんの根拠もなく確信する。確かに正解ではあるのだが、その正解に辿り着くまでの式を是非聞かせてもらいたいものだ。
「よし、行くわよ!」
「……てか、いい加減休ませてくれ」
「なに甘えてこと言って……ぐふっ」
崩れ落ちそうになるアレンを叱責するルナだが、台詞の途中で崩れ落ちる。
見ると、フィレアがその小さな身体を生かして気付かれないように接近し、ルナに当身を食らわせていた。
「わたしもそろそろ眠くなってきちゃったし、アレンちゃんも疲れているだろうから、休ませてもらっちゃいましょう」
無邪気にそう言うフィレアに引きつった笑いを返すアレン。
それを横で見ていたクリスは、
「まさか、あのルナを……。我が姉ながら、なんっつー恐ろしい」
と、フィレアに畏怖しつつ、将来結婚するアレンに手を合わせていた。
「そういえば。ミリルちゃんは一緒じゃないのかい?」
「あっ」
ここ、ポトス村は、ルナを姉と慕うミリルにとっても故郷である。……しかし、彼女は遠くセントルイスの地。こちらに来るのなら、当然連れてくるべきだったのだが……正直、そこまで気が回っていなかった。
今頃は『お姉さま〜どこですか〜』とセントルイス中を探し回っているに違いない。
ごめんなさい、と内心で謝りつつ、クリスもルナの実家で泥のように眠るのだった。
――翌朝。
食堂の朝は早い。
まずは市場で、今日の食材の仕入れ。ライルも荷物もちとしてついてきた。
「オヤッさん! 野菜、これだけでいいんですか!?」
「あとトマトだ、トマト!」
「オヤッさん! 魚は一体どれを!?」
「そっちは馴染みのトコがあるから、そこへ行けば全部揃えてくれる!」
「オヤッさ〜〜ん! 場所がわかりません〜〜」
「テメェで探せ、この愚図がっ!」
人並みに流されそうになる料理長の叫びを必死で聞き分け、目的のものを揃えていく。
時折、罵声を浴びながらも、なんとかすべて仕入れ終わり、荷車に積んでえっちらおっちらとローレライに向かう。
その道すがら、料理長はライルに話しかけた。
「よぉ。ライル、だったよな」
「はぁ、そうですが」
いつも坊主としか呼んでいなかったのでもしやと思ったが、覚えていなかったらしい。
「あのよ。マリアが強引にうちの職場に押し込んじまって、迷惑だとは思うんだが……」
「いえ、迷惑だなんて」
こういうとき、はっきりと頷くほどライルは世渡り下手ではない。
「できれば、しばらくいてやってくれ。うちの嬢は、早いうちから親から店任されて、学校にも行けず、あんまり同世代のヤツと話す機会がないからさ。お前くらいのやつがいてくれれば、嬢もうれしいんだよ」
「……えと」
どうせ、路銀は必要なのだ。一週間くらいなら、まぁなんとか許容範囲なのだが。
……あれはどう見ても、一週間くらいで離してはくれないような。
しかし、どうも学校を目の仇にしていると思ったら、そういう事情があったのかとライルは内心頷いた。
「ま、まぁ善処します」
「いっそのこと、嬢と一緒になって、ウチ切り盛りしてくか? 昨日の働きっぷりを見てたら、それもいいような気がしてなぁ」
ガハハハと笑う豪快な料理長に、ライルはただ苦笑を返すしかなかったのだった。