「いだいっ!? ちょ、やめてくだっ……ひゃぅ!?」
封印の間。かつて、凶魔王の異名をとった者が封じられた空間で、ライルのそんな悩ましい嬌声が響いていた。
「あらぁ。ライルくん、いい声で鳴くわねぇ」
そんなライルをいじめて……もとい、お仕置きしているのは、一応神官であるはずのメリッサ。鞭を構えて、ぴしんぴしんとライルを滅多打ちにしている。
……無論、これはあくまでもお仕置きなのであって、その鞭の勢いも緩やかだ。痛いことは痛いだろうが、傷がついたりすることはない。せいぜい、少々赤くなるくらいだ。
そこら辺、溢れる経験と知識を持って絶妙な加減をしているメリッサの業に、ライルも段々とその痛みが快感に……
「変わるわけないよ!! って、メリッサさん、ゴメン! 謝るから、許してください!」
「あら。なにを謝るのかしら? 別に、ライルくんはこの洞窟のこと教えてくれなかっただけで、悪いことは何もしていないでしょ?」
「……って、つまり、これは単なる貴方の趣味!?」
「うん♪」
うわぁ、爽やかに言い切っちゃったよ。
なんで叩かれているのか、イマイチ判然としなかったが、どうもなんとなくライルの立場が弱くなっているのを察して、趣味に走っただけらしい。
向こうでは、クリスに対する尋問を終えたカイナが、みんなを集めている。
当たり前のように、ライルとメリッサを無視して。
「ちょっ、みんな助けてよ! 僕たち、仲間でしょ? ……え、なに、ルナ。その冷たい目は? アレンもクリスも、僕たち友達じゃないかそんな巻き込まれちゃたまんないって顔してないでこの人止めてよって痛いイタイイタイ!?」
第110話「冒険者の哲学 その6」
「……と、いうわけでだ。アタシらは、この学生組の尻拭いをするハメになったわけだが」
ジロリ、とクリスとライルを睨みつけるカイナ。
クリスは一応事件の当事者であったが被害者であるし、ライルはライルでここの魔王が復活するとかいう話では完璧蚊帳の外に置かれていたわけなのだが、おかまいなしだ。
あえて言うならば、姿が見えないことをいいことに、ライルの真上でぴ〜ぴ〜と誤魔化すように口笛を吹いている某精霊王に責任の一端がある。
背中に走る鞭による痛みを押しこらえて、ライルはそんなシルフィを恨めしげに睨んだ。
(シルフィ……。後で、この痛み、キッチリ返してやるからな)
(そ、そんなぁ。大体、ここの責任者は、私じゃないわよ。確か、この森の封印の件はガイアが総責任者だったし)
精霊界にも上層部の責任の擦り付け合いというものはあるらしい。
(近所に住んでいるくせに、お前はすこっしも気付かなかったのか?)
こことセントルイスは、まさに目と鼻の先である。普段、精霊界、もしくはアルヴィニア王国で過ごしているガイアと違い、気付ける機会は多かったはずだ。
(あ〜、ははは。それはそうなんだけど〜。ほら、今回はガイアが悪者ってことでいいじゃん)
……そもそも、仕事に関しては几帳面なガイアは、ここの浄化もシルフィに頼んでいた。アルヴィニア王国の王城が崩れた件で、色々と彼も忙しいのだ。
だが、事件直後のドタバタでシルフィはさっぱり聞こえていなかった。シルフィに確認を取らなかったあたりが、ガイアの失敗だろう。
全てあわせて、責任は半々といったところではないだろうか。
そして、当然のことながら、本来はこの森の浄化が自分に任されていたと知らないシルフィは、ここぞとばかりにライルの怒りの矛先をガイアに逸らそうと必死で努力する。
「そこっ、ちゃんと話を聞け!」
「うあっ! す、すみません」
そして、そんな風に虚空を見ていたライルを、カイナが目ざとく見つけて咎める。
カイナはそれに満足そうに頷き、ごほんと仕切りなおすかのように咳払いをした。
「とりあえず、アタシが独断で作戦を決めた。まず、アタシとメリッサとベルが外に出て、ドラゴンどもをひきつける」
ふむふむ、と頷くライルたち。
「んで、お前らはアタシらが外に出てから五分後にこっそりとここから出て、セントルイスの方角へ向かえ。急いでギルドと騎士団に、ドラゴンの事を教えて応援を呼べ。以上、質問は?」
「ちょ、ちょっと待ってよ。つまり、私たちだけ尻尾巻いて逃げろってこと?」
「ま、ぶっちゃけるとそうだ」
あまりの作戦に食って掛かるルナを、カイナは適当にあしらう。まるで意見を聞く気はなさそうだ。
「……つまり、俺らは足手纏いだと?」
「いやぁ。あの戦いっぷりを見て、そんなこと言えるヤツがいたらお目にかかってみたいねぇ」
アレンの問いにもあっけらかんと答える。
なら、どうして? と視線で問いかけるライルたちに、カイナは笑って、
「アタシらは、一応前金でいくらか貰ってるしね。まぁ、ここが大人のつらいところで、受け取った金の分はきっちり仕事しなきゃなんないんだよ。だから、授業の一環で報酬なしのお前らが付き合う必要ないの」
カラカラと笑い飛ばすカイナだが、だからといってわざわざ死地に臨む神経がライルには理解できなかった。
外にいるドラゴン三匹。カイナたち三人では、単純計算で一人一匹は倒さないといけないことになる。いくらなんでも無理だ。
「……勘違いするなよ? 俺らもなにも死ぬつもりはない。なに、お前らよりよっぽど修羅場はくぐっている。なんとか逃げるくらいはして見せるさ」
「そそ。わたしは、ライルくんともう一回するまでは死なないわよ〜」
「め、メリッサさん。鞭をぴしぴしとしながらそんな事を言われても困るんですが」
『なにをする気ですか、なにを』としどろもどろになるライルの後ろで、何やら考え込んでいたクリスが口を開いた。
「でも、そんな無謀なまねしなくても色々方法はあるんじゃないですか? 例えば夜まで待って竜が寝静まってからこっそり逃げるとか、酒に酔わせてその間にやっつけるとか」
「いやぁ、例え寝てても、やつらの感覚を誤魔化すのはちぃと無理だろ。……酒は、お前昔話の読みすぎ。大体、ここにはアルコールは消毒用のやつしかねぇぞ?」
簡単に却下して、カイナは学生を見渡す。
それ以上文句が出ないのを確認して、まるでそこらに散歩に出るくらいの口調で宣言した。
「よし、じゃあ、ちょっくら行ってくるわ」
カイナたちが行ってしまった後、残されたライルたちは途方に暮れていた。
「どーすんのよ、ライル」
「……なんで僕?」
「こういう時、意思決定するのはあんたなの。一応、名目上はリーダーでしょ」
「こ、こういうのはクリスが……」
助けを求めるようにクリスに視線を向けるが、笑顔で遮断された。
「僕は、あくまで参謀役だから。方針が決定したら作戦は考えられるけど、それ以上のことはする気はないよ」
「ならアレン……は、どうせ無駄か」
「なにゆえ!?」
なにに驚いているのかはわからないが、アレン=剣を振るしか能がない、というのはもうこの場にいる人間には共通認識である。そんな彼に『これからどうしたら良いと思う?』なんて聞くのは、ルナに手料理を味あわせてくれ、と言うくらい無謀だ。
……それは言いすぎか。
「さぁ、ライル、どうすんの?」
「ああ、言うまでもないと思うけど、もしセントルイスに逃げるなら早くした方がいいよ。その方が、助けも早く入る」
「俺は、このまま何も考えずに突っ込んで行きたいわけだが」
三人に詰め寄られる。
僕、そういう主体性はあまりないんだけどなぁ、とライルは苦悩しつつ、自らの決断を口にした。
一方、先に外に出たカイナたちは、早くも後悔していた。
外でなにやら騒がしい音がしていたと思ったら、ドラゴンの皆さんはご丁寧にも周りの森を焼き払い、戦闘フィールドを作っていらっしゃったのだ。
この森のほぼ半分ほどが、焼け野原になっている。
彼らのブレスにかかっては、普通の木など炭すら残らず灰となってしまう。こんな見晴らしのいい場所で、障害物なしのドラゴンと追いかけっこは分が悪すぎた。
必然、真っ向勝負の形になってしまう。
「とりあえず……なんとかこっちに気を引き付けて、ライルたちが逃げれるようにするしかないな」
「ですね。カイナ、あまり前に出ないようにお願いします。適当にヒット&アウェイでしのぎましょう」
三匹の竜と対峙しつつ、ベルナルドとメリッサは小声で話し合う。
今は嵐の前の静けさ状態だが、少しでも場が揺らげば、そのまま戦闘状態に入るだろう。最初に戦ったワイバーンが、狂気にかられた瞳で、自慢の翼の片方を奪った人間――つまりカイナ――を睨み、その口から炎を漏れ出している。
そんなドラゴンの心中がわかったわけでもないだろうが、沈黙に耐えかねたカイナは、ふんっ、と気合を入れて啖呵をきった。
「やいてめぇ! もう片方の翼も、切り刻んでやるから、とっととかかってきやがれ!」
ご丁寧に中指を突きたててそう吠える。
それに反応して、ドラゴンたちも咆哮する。
びりびりと震える大気に押されながらも、カイナは二刀を構えて突っ込んでいった。
「カイナっ! ……ああ、もう! あまり前に出るなって言ったのに!」
即座に補助系魔法を連発しながら、相棒のこんな時にも変わらない無茶具合に文句を言うメリッサ。
「まぁ、あれが俺達の忠告で自分の行動を変えるとは思わないがな」
マイペースに色々な魔法でカイナを援護するベルナルドの顔には、諦めの色が濃く出ている。何気にメリッサよりカイナとの付き合いは長いのだ。十年以上の付き合い。いい加減、色々悟ってくる。
「ぅぅうらぁ!」
ベルナルドの魔法が巻き上げた砂埃に隠れ、右側にいる恐竜タイプの竜に切りかかる。
このタイプのドラゴンは、攻撃力は他に類を見ないが、その分防御力で他のドラゴンに劣る。何も考えていないように見え、意外と計算高いカイナだった。
硬い鱗に守られていない剥き出しの腹めがけて左右の剣を平行に振るう。二条の傷が付き、血が溢れ出す直前、今度はすぐ左でカイナを補足したワイバーンに向った。
「キキェェエエエ!!」
特有の甲高い叫び声を上げながら皮膜を破られた方の腕で爪を走らせてくる。
それをあえてギリギリでかわし、腕を足場に、ワイバーンの頭部へ駆け上る。
わざわざ死にに来てくれる獲物に対して、炎のブレスを浴びせようとする竜はしかし、口を開けた瞬間カイナの姿を見失った。
だが、吐こうとしたブレスはそう簡単には止まらない。
身体にある機能の通りにブレスを放とうとしたワイバーンはしかし、
「閉じてろ、この馬鹿!」
口の上を殴りつけられ強制的に口を閉ざされ、火炎が逆流する。
本来、火を吐けるように出来ている生物なのでそれで喉が焼かれたりはしないが、さすがに内臓まで耐火できるわけではない。
口のずっと奥にまで戻った炎が、ブスブスと肺を焦がす。
「へっ」
苦しみにのた打ち回るワイバーンを見て満足そうに笑い、その場から飛びのこうとするカイナだが、
「! ちっ」
奥に構えていた竜タイプの尻尾を叩きつけられる。
吹き飛ばされるが、ベルナルドの牽制の魔法によって、それ以上の追撃はなくなる。
「……肋骨、二、三本いったか?」
ズキズキと痛む胴を撫でつけ、不快そうにそう判断する。
激しい痛みを気合で押さえつけ、カイナはメリッサらのところに一旦戻る。
マシンガンのように氷弾を放ち続けるベルナルドの横に立ち、一歩引いているメリッサに回復を頼んだ。
「……カイナ。どう?」
「ああ。もう、だいぶ楽になった」
二刀を構えなおす。
三頭の竜を睨みつける。さっきカイナが与えたダメージはどうやら大したことはないらしい。阿呆みたいな生命力に呆れ返りつつも、徐々にこりゃ駄目かなぁ、なんて考えが浮かんでくる。
それを振り払うかのように目の前の空間を一薙ぎして、カイナは吠えながら突進していった。