それは、僕がぼけーっとしながら紅魔館に向けて飛んでいる最中のことである。

「……今日はやけに冷えるな」

 湖の辺りに差し掛かった辺りで、僕はブルっと体を震わせた。
 もう夏だというのになんか肌寒い。水辺の近くだからって理由だけじゃ説明できない寒さだ。

 こういう時は慌てず騒がず周囲の気温を上げる事で対処できるのだが……なんだろう、これ。

「あれ? 良也じゃない。なにしてんの」
「……チルノ、お前か」

 そして、その答えが探すまでもなく飛び込んできた。
 氷精の癖に太陽のような笑顔を浮かべるチルノは、なんか今日はやけに元気で、大気中の水分がなんかチキチキ音を立てて小さな氷の粒になってる。

「やけに調子良さそうだな」
「まぁねー! なんかこう、最近いい感じ!」

 うはー! と歓声を上げながら、チルノが万歳し……なんか生み出された氷の刃を、僕はギリギリで回避した。

「危ねっ!? チルノ、コラ! 気を付けろよ!」
「んー? なに、どしたの」

 き、気付いてねえ。
 チルノの腕の動きに合わせて周囲を薙ぎ払うように展開された氷の刃は、すぐにバラバラになって崩壊する。……が、僕はジリジリと距離を取った。
 どうも、今のチルノは自分の力を制御できていない感じがする。いや、いつもは制御出来ているのかと聞かれると割とそうでもないのだが、普段よりもっとって話だ。

 夏なのにチルノの力が向上している理由はわからんが、まあこいつの場合、なんの理由もなくテンションが高くなったとか、そんな感じだろう。あるいは暑さを回避しようとしたらなんか力が上がったとか、そんなくだらん理由に違いない。
 もしかしたら、先日スキマが言っていた月の云々の異変が関わってるのかもしれんが、なんか違う気がする。

 ともあれ、だ。

 普段なら適当にかまってやるのだが、今のチルノの近くにいたら色々と危険である。
 ここは刺激せず、とっとと立ち去るのが上策だろう。

「な、なんでもねえよ。じゃ、僕はちょっと急いでるから、じゃーな」
「あ! ちょっと待ってよ」
「……なんだよ」
「良也、お菓子持ってない? 持ってたら頂戴」

 鋭い。確かに、僕が今『倉庫』ん中に入れてるリュックには、レミリアへの賄賂兼フランドール他への土産である菓子類が詰まっている。
 ま、いつも多めに持って来ているので、多少分けてやるくらいは構わんが。

 はあ、と僕は嘆息一つ。『倉庫』から取り出したリュックの口を開けて、チルノに見せる。

「あー。そんじゃ、なにがいい? ポテトチップスとか、チョコレートとか。飴もあるけど」
「ん? なに言ってんの?」

 チルノがめちゃくちゃいい笑顔で掌を僕に向ける。
 で、なんかチルノの背後に氷弾が無数に生まれちゃったりなんかしちゃったりして……

「そのリュックごと置いていけー!」
「阿呆かあああああああ!?」

 氷弾の発射と、僕が咄嗟に下に逃げるのがほぼ同時だった。

 背中の危ういところを掠めていく氷弾にぞっとしたものを覚えつつ、僕は口で反撃を試みる。

「やめんか! 分けてやるって言ってるだろ!」
「えー、でも、沢山あったほうが嬉しいじゃん」

 じゃん、じゃねえ!?

 ええい、大ちゃん……チルノの外付け良心回路の大ちゃんは……いないか。
 視線を巡らせた後、僕はジリジリとチルノとの距離を測り、

「あ、良也。中身が溢れたら嫌だから、リュックの口閉じて。背負って背負って」
「…………」

 嫌だと言ったらすぐ弾幕ぶっ放してきそうだから、僕は仕方なく言う通りにした。

「よし! じゃあ行くよ!」
「ですよねー!」

 言う通りにしたらしたらで、当然のように弾幕が放たれ、僕は背を向けて飛んだ。
 必死こいて逃げるものの、有り余る冷気で弾幕を放ってくるチルノがどうにも振り切れない。

「あぶっ、危なっ!? てめ、コラ。僕がいつまでも大人しく逃げるだけだと思ったら大きな間違いだぞ!」
「へへーん。調子に乗ってるあたいに勝てるかな?」

 調子に乗ってるって……多分良い方の意味で本人は言ってるつもりなんだろうが、どう考えても悪い意味にしか聞こえねえよ!

 いや、突っ込んでいる暇はない。火符……火符はどこだ。いかに絶好調のチルノとは言え、弱点は変わってない。適当に火で炙ってやれば、逃げるに違いない。

「……火符今日作るつもりだったんだった」

 在庫ナッシン! 

「このっ!」

 僕は諦めて、霊弾での反撃を試みた。

「ぶはっ!? やったなー!」

 で、脳内の辞書に迂回とか後退とか、まどろっこしい言葉は載っていなさそうなチルノは、もろに顔面に喰らい、気炎を上げる。

「お前から始めたんだろうが!」

 もういっそのこと、リュックごとぶん投げて事の収拾を図ってもいいんだが、それやると今後延々とカツアゲされまくるからな。断固とした態度で臨まないといけない。

 ……あー、ヤダヤダ。どうしてこう、ここの連中は腕力(弾幕)で物事を解決したがるんだろうか。文明人のボクとしては付いてけませんよ、モウ。

 火のスペルカードなしじゃ、この状態のチルノを追い返すような火魔法は無理だし……腹くくるか。とりあえず、追っ払うことを目標に頑張ろう。

「風符!」
「氷符!」

 僕とチルノが同時にスペルカードを取り出し、宣言する。

「『シルフィウインド』!」
「『アイシクルフォール』!」































「おおおおおおおおおお!!?」
「あはは、待て待てー!」

 湖の水面ギリギリを飛行しながら、僕は背後から襲ってくるチルノの氷弾をジグザグ移動で躱す。
 ……いや、真正面からやり合おうと思ったんだけど、ほら、普段のチルノで大体僕と互角なわけで。なんかめっさ気合入ってる今のチルノは、ちょっと手に余るというか……ねえ?

 とか考えてる場合じゃねえ!

「おりゃあ!」

 ふとした閃きから、湖に弾幕を叩き込んで水柱を生み出す。
 僕は一瞬早くその水柱に巻き込まれることなく飛び抜けるが、すぐ後ろにいたチルノはそれにモロに突っ込み、

「……よっしゃ!」

 思惑通り、水を被ったチルノは自身の冷気によって水柱を氷に変えてしまい、巨大な氷塊に覆われて身動きが取れなく……あれ?

「ぷはー! 気持ちいー!」

 ……あっさりとその氷塊は割れ、それどころかチルノは二つに割れたそれを片手ずつで持ち、ブン投げてきた。

「えい!」
「どえぇええええ!?」

 呆気に取られていた僕は、意外と早いその氷塊を避けるのが遅れて、真正面から受け止める羽目になった。

「うご、ごふ!」

 なんとか後ろに飛びながら受け止めることで、即座にプチッ、ってなるのは防いだが……お、重……

「とりゃあー!」
「ぎゃあ!?」

 そして、即座にチルノが氷塊に体当たりを敢行。ギリギリで宙に留まっていた僕はその衝撃に耐え切れず、湖の中に叩き込まれることになった。

「がぼっ!?」

 そして当然、陸上で生きる生物であるところの僕は、突然の水中に混乱する。
 ……っていうか、上から氷塊に押し潰されてるから、逃げらんねえ!? 窒息死は嫌だ! 苦しいから!

 手足を必死で動かし……あ、水の中でも空飛ぶ要領で移動できるじゃん、と気付いてからは危なげなく氷塊を避けて水面に向かうことが出来た。

 ん……? でも、なんか冷た……水、冷たくない?
 っていうか、どんどん水温が下がっている気が……って、水面辺り凍りかけてる!?

「溺死させる気かコラァ!?」

 薄氷をぶち破って、湖から飛び出る。
 見ると、案の定、チルノの奴が湖に片手を付けて、冷気を流し込んでいた。

「あ、失敗。蛙の氷漬けはやったから、今度は人間の氷漬け作ろうと思ったのに」
「思うなよ!? 死ぬよ!」

 どうやら、逃げ場をなくして溺死させるというより、湖の一部ごと僕を氷漬けにするつもりだったらしい。

「どーせ良也は死なないんでしょ?」
「死なないけれども! やるなっつーの!」
「蛙も解凍したら生き返ったし、大丈夫大丈夫」
「せめて哺乳類で試してからやってくれませんかね!?」

 いや、そういう問題ではない。鼠とかでもし成功しても人間相手にやられたら困る。

「ほにゅーるい?」
「……その、でっかい怪獣のことだ。そういうので成功したら、人間にやってもいい」
「へー、そうなんだ」

 よし、信じやがった。

「怪獣かあ。そんなに大きいの?」
「おお。そりゃもう、あれだ、だいだらぼっちよりもでかい」
「だいだらぼっちより!? いいなあ、ほにゅーるい。そんなやつを氷漬けにしたら、あたいのすごさが幻想郷中に広まるなあ」

 あ、なんか思いの外興味を引いたらしい。適当ぶっこいただけなのに。
 ふむふむ、とついさっきまでの弾幕ごっこを忘れて、自分の勇姿を想像しているらしいチルノ。……あ、これ行けるか?

「…………それじゃあ僕はこれで」
「じゃ、お腹いっぱいにして準備しなきゃ。そういうわけで、そのお菓子をよこせー!」

 ちぃ、忘れてなかったか!

 いや、待てよ……

「あ! あんなところに哺乳類が!」
「ほにゅーるい!?」

 僕があらぬ方向を指差すと、実に馬……素直なチルノはまんまと騙されてそっちを向く。
 勿論、これくらいでは逃げおおせることは出来ない。でも、この隙に僕はリュックを外し、てい! と『倉庫』にぶっ込んだ。

「もー! ほにゅーるいなんてどこにもいないよ!」
「悪い悪い。見間違えだったみたいだ。……それで、菓子なんだがな」
「お、やっと寄越す気になった?」
「いや、さっき湖ん中に叩きこまれた時、落っことしたみたいでな。もっかい潜って探しに行くのも面倒だし、お前にやるよ。今回だけだぞ」

 今回だけ、というのを念押しして、チルノに提案する。

「もー、ドジだなあ、良也は」
「……っ、っ!? っ!」

 ち、チルノに言われるとは、なんたる屈辱。し、しかし、ここで反論してまた攻撃されても困る。僕は必死で自分を抑えて、反論の口を閉じた。

「じゃ、また今度ねー」

 お菓子の詰まったリュックを探しに、チルノは戸惑いなく湖に飛び込む。
 べー、と僕はチルノに舌を出して小馬鹿にすることで溜飲を下げ、当初の予定通り紅魔館に向かうのだった。


















「……良也。貴方に頼んでいた外の世界のお菓子。これ、水浸しなんだけど」
「そ、そうだなー、不思議だなー」
「不思議ねえ? 私への贈り物をこんな風にする男がいるなんてねえ」
「ご、ごめんなさい。ちょっと不測の事態があって」
「今日、倍ね」

 なにが、と聞くのも野暮だろう。

 その日、僕は吸血鬼に普段の二倍の血を吸われ、失血でデスカウントが一つ回ったのだった。



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