今日も盛況のうちに土樹菓子店を終了した昼下がり。
 僕は少し遅目の昼飯を取るべく、里の蕎麦屋に入った。

 ここは、そこそこ手頃な値段で美味い蕎麦を食わせる店として繁盛している店だが、この時間ならば座れるだろうという目論見である。

「いらっしゃいませ!」

 給仕の女の子が元気な声を上げて迎えてくれる。外の就業年齢には達していない子だが、ここんちの娘さんだし、こっちじゃこのくらいの年で働くのは当たり前なので僕も気にしない。

「あー、と。ただいま満席でして。しばらくお待ちいただくか、相席をお願いしたいのですが」
「あ、そうなの?」

 しまった。目論見が外れてしまった。
 まあ、ちゃちゃっと昼をかき込むだけのつもりなので、誰かと相席でも別に構わない。
 もしかしたら知ってる顔いないかな、と店内のテーブル席を見渡し、

「……あっ、じゃあ僕、今日は遠慮します。じゃ、また今度ぉが!?」

 知った顔というか、知っていないことにしたい顔を見つけ、僕は迷わず回れ右をし……なにか、フック状の物が首に引っかかってうめき声を上げた。

「ちょっと。今、私の顔見て逃げなかった?」
「い、いや、んなことはないんだけど」

 咳き込みながら再度振り向くと……ジト目になったスキマ妖怪が、いつも持ってる日傘の柄を僕の首から外しながら、核心を突いていた。
 ていうか、いつ移動したんだ。奥の方の席だったくせに。

「……え、ええと」

 給仕の子が、オロオロしながら僕とスキマを見比べる。

「ああ、相席にするから。よろしくね」
「え、いや僕は帰ろうと」
「一人で席を占領するのも居心地悪かったのよ。いいから来なさい」

 ……まあ、ここで無理に逃げてもどうせ逃げられんし。腹の虫はさっきから定期的にはよなんか食わせろとせっついてるし。
 仕方ないか。

「ごめん、騒がしくして。じゃ、座るから」
「は、はい」

 やれやれ、と僕は嘆息しつつ、スキマの座るテーブル席の向かいに座り、品書きに目を通す。

「……っていうか、お前、真っ昼間から酒かよ」
「あら、いいじゃない」

 なお、スキマの前には天抜きと熱燗。美味そうだが……僕は今日は呑むつもりはないのだ、うん。

「すみません、ざる蕎麦と他人丼。蕎麦は二枚で」
「はぁーい」

 注文を通し、運ばれてきた熱い茶を啜る。……ああ、蕎麦茶って美味いよなあ。

 と、茶を堪能していると、スキマが話しかけてきた。

「今日も菓子売ってたんでしょ。売れ行きはどうだったの?」
「ん? まあ、おかげさんで完売だ」
「へえ。相変わらずねえ。……ということは、懐は温まっているというわけね?」
「奢らないからな」
「ひどいわね。私がそんながめつい女に見えるの?」
「ノーコメントで」

 別にこいつは金に困っていないだろうが、それはそれとして僕に奢らせることを楽しがる、絶対に。
 今もきっと、釘を差さなければなんだかんだで勘定を押し付ける気だっただろう。

「そこは否定しなさいな。まったく」

 スキマが文句を言って、お猪口をくいー、と傾け、息をつく。
 その仕草はどこか艶めかしく、多分、これだけ見ると騙される人もいるんだろうなあ、と何人かこちらに視線を送っている男どもを見て思う。

 って、あ。そういえば身内にいるんだったな、騙された人。
 ……ちょっと凹んできた。

「ていうか、美味そうだな……」
「上げないわよ」
「いや、別にくれとは言ってないけど」

 こう、今日は呑むつもりはなかったんだけど、目の前で呑まれると、ほら、ね?
 行くべきか、引くべきか悩んでいると、僕の注文の品が届けられる。

「蕎麦二枚と他人丼お待たせしました」
「あ、すみません。追加で冷酒ください」
「え? あ、はい。わかりました。冷酒をおひとつですね」

 ガッツリ食うメニューを頼んだ客が酒を追加で頼むのは流石に珍しいのだろう。
 まあ、よかろ。実際、スキマの言うとおり懐もあったかいしな。店に入った時と今とで、見事な手のひら返しと関心するがどこもおかしくはない。

「さて……」

 蕎麦はアテになるので置いとくとして、腹の虫は他人丼で納めるとするか。


























「ところで」

 蕎麦を肴にちびちびと冷酒を舐めるように呑み始めてしばらく。唐突にスキマが話しかけてきた。

「ん? なんだ」
「最近、どう?」

 どう、と言われても。

「いや、いつも通りだけど。外の仕事はまあまあ慣れてきたし、幻想郷に来たら適当に目についたやつと遊んでるし」
「そ。まあ、楽しんでるならいいわ」

 ? なんか変だな、スキマ。酔ってんのか?

「ようわからんこと言うな。なんなんだ、急に」
「別に大した意味があるわけじゃないんだけど。ほら、最近新しく外の世界の人間がこっちに来るようになったじゃない?」

 外来人? ……って、ああ。宇佐見のことか。

「そういや、あん時の異変は幻想郷の危機だったみたいだけど、お前動いてなかったよな」
「外のただの女子高生なんてそんなに危険視しないわよ」
「ただの……?」

 いや、その意見には反対に一票を投じたいが。

「それに、霊夢も早くから動いてたし。大体、私も暇じゃないのよ」
「こんな真っ昼間から酒呑んでる奴が言うセリフじゃねぇよ」
「お互い様じゃない」
「たまの休日に酒くらい呑んでなにが悪い」

 おばけには学校も試験もないとどっかの歌でも歌われていたが、あれを地で行くここの妖怪に言われる筋合いはないぞ。

「はあ……それで? 宇佐見がどうしたって?」
「私、外の世界には行っても、そんなに外の人間の機微を知っているわけじゃないんだけど……あれ、最近の学生の標準だったりするのかしら?」
「あれが標準であってたまるか」

 異世界があるということを知って喜ぶのはわかる。
 行ってみたい、と思うのも、まあ怖いもの知らずとは思うがそう変な話でもないだろう。
 ……でも、普通の学生はその世界の住人を呼び出してボコったりしねぇよ。例え力があったとしても、んなことするのはちょっと頭のネジのどっかが外れてる奴だろう。

 ついでに、演技も入っていたとはいえ、命を狙われた場所に喜々としてやって来て物見遊山に耽るっていうのも、ちょっと普通では考えづらい。

 ……えっと、でも僕は違うよ? 確かに、命を狙われるどころか何度も奪われている割にノコノコやって来てるがこれはアレだから。ノーカンだから。

「そう。残念ね。外の世界の人間も、ここの良さが多少は分かるようになったのかと思ったのに」
「通い詰めてる僕が言うのもなんだが、現代人に幻想郷はちょっと厳しい環境だと思うぞ」

 売りにできるのは豊かな自然くらい。娯楽もなく、ちょっと人里離れれば命の危険マシマシ、生活環境も、まあ時代相応である。

「それは今の外の世界が物質文明に汚染されているからよ。こちらのほうが、精神的には豊かな生活を送れるわ」
「……そう断言したもんでもないと思うけどなあ」

 基本、外で生活している僕としては反論もあったのだが、具体的な言葉にはならなかったので口を噤む。

 というか、僕は好きだけど、幻想郷って基本、妖怪たちにとっての楽園だからなあ。普通の人間はちょっとズレた人じゃないと大変って思う人が多いと思うよ。
 ……ああ、勿論、僕がズレているという意味ではないので誤解はしないで欲しい。

「ていうか、意外と気にするんだな。外の人間が気に入るかどうとか」
「別にそうおかしい話ではないでしょう。自分が好きなものが、他の人に評価されれば嬉しいと思うのは自然なことだと思うわ」
「……まあそうなんだけど」

 普段は人間とか屁とも思っていないくせに、どういう意味なんだろう、これは。

「やっぱお前酔ってないか?」
「どういう意味よ」
「なんかいつもより大人しい感じがする。変だ。もしかしてお前、スキマのニセモンだろう」

 言ってからしまったと思ったが、もう遅い。
 気怠げな視線を向けたスキマは、閉じたままの扇子の先端をこちらに向け、

「ここの払い、貴方ね」
「……はい」

 いいえと答えようものなら、この扇子の先端から何が飛び出るかわかったものじゃない。
 僕は大人しく両手を上げて、降伏するのだった。
























「というか、私は最近疲れてるの」
「はぁ、そうですか」

 お前、普段ずっとぐーたらしてて疲れる要素ないじゃん、とツッコミたかったが、僕は賢明にも口に出さなかった。

 ……見透かされているような気がするが、思うくらいでアウト判定は勘弁してもらいたい。

「最近、月の奴らがね。こっちにちょっかいかけてきてるみたいでね。私も色々と動いているのよ」
「へー」

 そういや、宇佐見の持ってたオカルトボールに月の都のが含まれていたとかなんとか言ってたなあ。
 いや、忘れていたわけじゃないのだが、そう重要なこととは思っておらず、スルーしていた。

 ……しかし、スキマが動いているとなると、なんか変なことになるんだろうな。

「まあ、今すぐどうこうってわけじゃないけどね。永遠亭の薬師とも相談して、どう動くかは検討中」
「ふ、ふぅん。大変だな。頑張れよ。ほら、もう一杯」

 なにか嫌な予感を感じて、僕はスキマに次の酒を勧める。
 僕の酌を受けて、すぐにそれを飲み干したスキマは獲物を狙う蛇のような(僕的主観)目でこっちを見て、

「でも、実際に解決に動くのは勿論博麗の巫女。毎度付いて行ってるけど、今回も貴方は大変ねえ?」
「あの、なんか僕が異変に突っ込むの当たり前に思ってないっすかスキマさん」
「だって、貴方がこっちに来てから今まで、異変に巻き込まれなかったことってあったっけ」

 ないけどさあ!
 で、でも僕だって好きで関わっていったわけじゃないんだよ? ほら、成り行きとか、責任とか、色々あるじゃん。

「っていうか、お前に無理矢理突っ込まれたことも何度かあった気がするぞ」
「そうだったかしら」

 すっとぼけよってからに。

「でも貴方、一度月に行ったじゃない。縁がある、ってのは大切なことよ」
「その縁のお陰で異変に巻き込まれて死にそうなんですが、それは」
「死なないじゃない」
「死なないけどさ!」

 クスクスと狼狽える僕を見てスキマが意地悪い笑みをこぼす。

 ……はあ。これ、僕も先に永琳さんに話しに行った方がいいのかなあ?

「ほら、酌してあげるから」
「……どうも」

 十何本目かのお銚子の酌を受ける。と、丁度空になった。
 もう一本、と思ったが、入った時は昼下がりだったのに、そろそろ日が落ちる頃合いだ。店の客層も、飲みに来ている人が増えつつある。

「そろそろ出るかー」
「ええ、よく飲み食いしたしね」

 勘定を済ませ、外に出る。
 アルコールで火照った頬に、冷たい外の風が心地いい。

 もう辺りは薄暗くなっていた。
 不意に空を見上げると、明るい星が見え始めている。

「お、今日は星がよく見えるな」
「ちなみに、敵はあそこね」

 と、スキマが月を指差す。

「……僕的には敵対したくないんだけど」
「なら、それはそれでいいわ。ま、貴方がどっちに味方しようと、大勢に影響はないし」
「もうちょっと仲良くやれよ……」

 ったく。
 と、僕は愚痴って、飛び上がる。

 酔いのせいで、危うく蕎麦屋の屋根に突っ込みそうになったが、酔っ払い運転(飛行)は僕も慣れたものなので、そんな失敗は華麗に回避だ。

「……で、お前なんで付いてくんの?」
「ちょっと飲み足りないから、久し振りに霊夢と呑もうかと思って」

 空中に作り出した亀裂から、スキマが一升瓶を覗かせる。

「……そうか、好きにしろ」
「あら、付き合わないの? こんな美人の酌が受けられるわよ」
「さっきもらったからいい」

 というか、僕はもう結構いっぱいいっぱいだ。

 ふらふらと、ちょっと蛇行しながらスキマと二人、博麗神社に向かう。っていうか、スキマの場合、一瞬で移動できるはずなのに……酔い覚ましのつもりなのかね。

 ……なんかこう、奇妙な感じだった。










 なお、二人でうまいもん食ってずるい、と言い始めた霊夢に、そのまま里に取って返してちょっとお高い居酒屋で呑む羽目になったのだが。
 まあ、美味いことは美味かったのでいいだろう。

 ……結局、翌日、一日中二日酔いが残るほど呑んじゃったけど。



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