「はあ〜」

 仕事を終えて帰宅し、僕は一日の労働の疲れに思わずため息をついてしまう。

 いや、時間的には大したことはない。現在時刻夜の十時。この時間でも頑張って仕事をしている人は多々いらっしゃると思う。

 でも、本来の業務と全く違う理由での残業は、こう、疲れる。

「やれやれ……」

 帰りに買ってきたビールを冷蔵庫に投入し、ひとまず部屋着に着替える。

 ……事の起こりは、ある一つの噂だった。

 夜、女子高生が繁華街を出歩いている。

 その手の噂は、学校によく集る。善良な、そう善良な市民の皆様から、オタクの生徒さんなにやってるのちゃんと指導してるの危ないじゃないまったく最近の教師ときたら云々、といった感じで善意の、そう善意の通報が来たりする。

 この辺にある高校はうちだけじゃないので、必ずしもそれがうちの生徒と決まったわけではない。しかし、このような通報がされてなにもしないのも、というわけで、若手の僕に見回りが命じられたわけである。
 というか、どこの制服着てたくらい確認しといてくれよこの野郎、とかは思っていない。

 まあ、高校生と言えばもう分別のつく歳だし、そのくらい自己責任で、という意見もあるが、下手に制服でなにかやらかされると学校の風聞にも関わる。それなりのお嬢様校として名高いうちは、殊の外こういうのを気にする。

 ……まあ、結局は空振りだったわけだが。

「っていうか、なんだよ、飛行少女って」

 愚痴る。

 女子高生徘徊の噂には、もう一つ別の話も付随していた。
 曰く、その女子高生は空を飛ぶらしい。空飛ぶ女学生、あるいは飛行少女。……非行少女とかけた古臭い駄洒落ではなく、実際目撃者が何人かいる……らしい。

 無論のこと、まったく信憑性のない噂だ。まったく、幻想郷じゃあるまいし、そうポンポンと人が空を飛んでたまるかってんだ。
 ああ、そういえばこの前幻想郷に行った時はなんか都市伝説が流行ってた。……空飛ぶ女学生、も都市伝説になるのかね。

「……ま、それはそれとして」

 つまみにスーパーで買ってきたコロッケとメンチカツをレンジにかける。
 その間に冷蔵庫からキャベツを取り出し、千切りに。水に晒して、皿に盛りつける。ドレッシング……は、今日はいいか。

 温まった惣菜をキャベツの隣に添え、ソースをぶっかけ、冷蔵庫からビールを一本取り出す。買ってから帰宅するまでの間に少しぬるくなっているようなので、手の平から冷気系魔法を放ち、冷ましながらパソコンデスクの前へ。

 キーボードをどけてスペースを確保して、ビール缶のプルタブを開ける。
 プシュ、と炭酸が抜ける音が心地良い。

 さあ、一日の疲れを癒やすフィーバータイムである。
 パソコンの電源を入れて、ぐびり、とキンキンに冷えたビールを口に流し込む。

「……ン、まぁい!」

 こう、全身に活力が漲ってくるのがわかる。続いてコロッケを一口食べて、ビールで流し込む。油っこいじゃがいもとひき肉の旨味がビールの苦味と合わさって、これがたまらない。その後に食らうキャベツのシャキシャキした食感は、次の一口への呼び水だ。

 こんな時間に揚げ物とビールは少々カロリーが気になるところだが……大丈夫だ、問題ない。
 ビールを半分ほど呑んだ辺りでパソコンの起動が完了する。

 ブラウザを立ち上げ、一通りいつも回っているサイトを巡回した後、ふと思いついてオカルト系の掲示板に飛んだ。

 今日、さんざん歩き回って発見できなかった例の飛行少女な女子高生の話だが、もしかしたらそういう噂が広まっているかもしれない。
 目撃情報があって、制服が特定できれば、明日からは歩きまわらないで済む。

 そんな、何気ない気分だった。

 そして、それらしいスレッドが立っているのを発見し、読み進めていって……昨日、アップロードされたその写真を発見した。

「……………………」

 その写真は不鮮明だった。
 周囲の建物とかはばっちり写っているのだが、肝心の空飛ぶ女学生とやらはピントが合っていないのかなんなのか、はっきりと見ることは出来ない。
 昨今のカメラの性能なら、こういうことは多分ないだろう。
 そのため、そのスレッド内ではその写真はでっち上げだのなんだのと、信用されていないようだ。

「これって、魔理沙……か?」

 しかし、僕には完全に偽物だと捨て置くことは出来なかった。

 その写真には、人影は二人映っている。どちらも顔や服は判然とはしないが、片方はなにやら黒い帽子と黒っぽい衣装、そして箒にまたがっているようなシルエットだった。しかも、そちらの影はなにやら光のようなものを放っており、それはなんだか星っぽい形状で、幻想郷の普通の魔法使いを想起させる。

「……いやいや」

 僕は首を振った。

 ありえない、ありえないって。大体、こういう衣装は別に魔理沙特有のものではなく、古典的な魔女のイメージから画像を作ろうと思えばこうもなるだろう。この弾幕っぽい光も、そういうエフェクトを合成しただけだ、うん。

 っとと、そうこう考えている内に一本目のビールが空いてしまったか。さて、二本目を……

 と、僕が立ち上がった時だった。
 ピンポーン、と来客を告げるドアチャイムの音が響いた。

「……こんな時間に、一体誰だ?」

 夜の十時過ぎにアポなしで訪ねてくる知り合いに心当たりはない。
 不審に思いつつも、玄関に向かう。

 強盗とかだったらどうしよう。わざわざ一人暮らしの男を狙うとも思えないが、適当な家に押し入って、とか……
 普通の人間なら十中八九返り討ちにできるはずだが、そもそもそんな返り討ちとかするような事態は勘弁して欲しい。

 警戒しつつ、ドアチェーンをかけたまま、少しだけ玄関を開ける。

「……はい、どちらさまでしょうか」
「こんばんは。夜遅くにごめんなさい」

 果たして、玄関先に立っていたのは見知らぬ女性だった。
 お団子頭にコスプレっぽい派手な衣装。右手は包帯がぐるぐる巻きにされている。

 さて、誰だろう。考えて見よう。

 深夜、単身者向けのマンションに訪れる、極めて趣味嗜好的な衣装を着た、妙齢の女性。
 そして、僕は相手のことを知らなかったのに、向こうはさも当たり前のような顔でこっちを見ている。知り合いの家に来たという感じではない。

 ……ふむ、成る程。

「すみません、僕、デリヘルとか頼んでないんですけど。部屋、間違えてません?」

 ピク、と女性の表情が引き攣る。

 しかし、綺麗な人だ。
 風俗とか、そういうのは……なんていうのか、その、ぶっちゃけ怖いし、金はかかるしで、行ったことがないのだが、こういう人がお相手してくれるというのなら興味津々である。いや、僕も若い男だしね。

「……なにを勘違いしているのか知りませんが」

 す、と女性は包帯で包まれていない方の手を伸ばし、ドアのチェーンを指で摘んだ。
 んで、まるで豆腐かなにかを崩すかのように、ぐしゃ、とチェーンを指だけで破壊した。

「え゛っ?」
「私、茨華仙と言います。名前くらいは、霊夢達から聞いていませんか? ……後、でりへるとやらがなんなのか、説明してもらえます?」
































「ど、どうぞ」
「ありがとう」

 僕は我ながらおどおどしながら華仙さんにお茶を差し出した。

 華仙さんの名前は、確かによく霊夢や魔理沙から聞いていて知っている。しかし、なぜか今まで顔を合わせることがなく、これが初対面だった。
 えらい誤解をしてしまったっていう後ろめたさと、なんで幻想郷の仙人が外の世界に? という疑問がないまぜになる。

 なお、件の単語を説明した際、正座させられてこんこんと説教された。そういうプレイかな? とちらっと頭をよぎったのは秘密だ。

 ……こほん。

「あ、えーと、その。とこれで華仙さんは、どうやってこっちに?」
「ちょっと結界に穴を開けまして。安心してください。別に博麗大結界が壊れたとか、そういうことじゃないありませんから」

 いや、別にそこを心配していたわけじゃないんだけどな。
 でも、確かに結界が壊れたら、あの連中がこの二十一世紀に解き放たれるわけで、

 ……うん、言われてみれば、安心するべきことだな。

「まあ、もしかしたら近いうちに本当に壊れるかもしれませんけど」
「え?」
「今、ちょっとした異変が起こっていまして。外の世界から幻想郷の結界を破壊しようとしている奴がいるんですよ」
「そんなことするやつが!?」

 な、なんて怖いもの知らずな。

「えっと。するともしかして、華仙さんはそれを解決するためにこっちに?」
「いいえ、私の目的は別。まあ、こっちに来た直後、元凶っぽいのには会ったけど、取り逃がしてしまいました」

 ふぅ、と華仙さんは溜息をついてなんでもないことのように言うが、それってマズくないか?

「まあ、そっちはいいのよ。策は考えていますから。私が今懲らしめても、幻想郷のオカルトボールがなくなるわけじゃないから意味が無いしね」
「お、オカルトボール?」

 詳しく話を聞いてみると、今、幻想郷にはオカルトボールという……よくわからないが、なんか変な力を持った球を人妖達が宿すようになっているらしい。
 戦って勝つと相手のボールを奪うことができ、そして七つ集めると願いが叶う……という噂は実は嘘で、実際には外の世界へ飛ばされるんだとか。

 ボールを七つ集めると願いが叶う、という辺り、確かに外の世界の人間っぽいセンスだ。幻想郷じゃドラゴン◯ールは流通してないしな。

「まあ、幻想郷に帰ったらちゃんと霊夢達と対策を取るから、安心して」
「はあ。……で、そうすると、なんで僕のところへ? 華仙さんの目的とやらを手伝えばいいんですか?」
「そっちもすぐ終わるからいいのよ。今日、貴方を訪ねてきたのはね」

 ふう、と華仙さんが一つ溜息をつく。

「化け狸に、土産を頼まれまして。佐渡のイゴ。確か、郷土料理だったはずよ」
「そ、そうですか。っていうか、それなら僕が次行くとき、持って行きますけど。佐渡のもの欲しがる化け狸ってことは、多分マミゾウさんですよね?」

 土産に頼むくらいだから、恐らくそれほど高価なものでもないだろうし。

「駄目です。これは私が頼まれたもの。それにお土産っていうのは、出かけた当人から貰わないと意味がないものよ」
「そういうもんですか……」
「そうよ。でも、生憎私、今のお金の持ち合わせがないのよ。両替してもらえるかしら? それをお願いしに来たのよ」

 と、華仙さんはどこからともなく数枚の小判を取り出す。

「状態のいいのを見繕ってきたつもりよ」
「え、ええと」

 こ、小判って今どのくらいの価値があるもんなの? 古物商に持ってったら買い取ってくれるんだろうか……

「ちょ、ちょっと待ってくださいね」

 現代人の強い味方、ネットだ。ネット。

「? なにそれ」
「ええと、これはパソコンって言って。これでネットっていうのに繋いで、色々調べられるんですよ」
「ねっと、ね。そういえば、異変を起こした奴も言ってたわ。ネットで検索すればなんでもでてくるんだとか」
「なんでもは出てこないと思いますが……」

 いくらインターネットを使いこなそうと、博麗大結界を壊すような大それた真似が早々できるとも思えない。

 調べながら、華仙さんに気になっていたことを尋ねる。

「……っていうか、どうして僕の家がわかったのかも謎なんですが」
「それは件の化け狸にね」

 ……確かにマミゾウさんは元々こっちにいたので、僕の住所は教えたことがあるが、よく辿り着けたな。

「っと、あったあった。この小判、これですね」

 そして調べた結果、華仙さんの出した小判は、美品ならばかなりの値打ちものだということが判明した。

「買取してくれるところに持ってかないと具体的な金額はわかりませんけど、とりあえず、手付で一万、渡しときますね。残りは、買い取ってもらってから渡しますから」
「良いわよ。イゴを買える分だけ貰えれば。外の世界のお金なんて使い道ないし。釣りは手間賃に取っておいて」
「いや……じゃあ、今度幻想郷に行くとき、好きな菓子買っていきますよ。しばらくはタダでいいです」

 大体の妖怪連中が喜ぶ提案なのだが、華仙さんは難しい顔をして唸った。

「……私、なるべくあっちでは貴方と顔を合わせたくないのよねえ」
「え? な、なんでですか」

 博麗神社に入り浸っている割に顔を見たこともないというのは変だと思っていたが、避けられていたのか、僕。
 な、なぜ。会ったこともないのに、そんな。

「……今から言うことは、内緒でお願いしますね。貴方は霊夢や魔理沙と違って口が固そうだから話すんだから」
「はい」
「私は、萃香と顔を合わせたくないのよ。で、貴方が来ると、外の酒を持ってないかって、萃香がよく狙ってるから」

 え? マジで? 監視されてたの、僕――というか、僕の持ってきた酒。

「しかも、貴方って記憶をいじったりする術、効かないでしょう? 誤魔化す術も限られるから」
「……よくわかりませんが、理由とかは聞かないでおきます」
「ありがとう」

 萃香の名前が出てくる時点で、僕の手に負える問題でないことは明らかである。
 そういうのに首を突っ込むと碌な事にならない。チキンだと、笑わば笑え。

「さて、と。長居しちゃったわね。お茶、ご馳走様。もう行くわ」
「って、今出ても、お店とか閉まってますよ。寝床とか……良ければ、泊まってもらってもいいですけど」
「殿方と同室で寝泊まりは遠慮するわ。大丈夫、適当に過ごすから」

 そう言われてはなんとも言えない。別に下心があったわけじゃ……ない、よ。うん、ないない。

「あ、そういえば、その異変の首謀者ってどんなやつだったんですか? こっちの人間なら、関わりたくないんですけど」
「確か……東深見高校一年の、宇佐見菫子……だったかしら。書生だと思うけど。じゃ」
「え?」

 僕は呆然と去って行く華仙さんを見送る。

 ……東深見高校って、ウチのすぐ近くの進学校じゃん。



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