鈴奈庵。
 人里にある貸本屋である。

 幻想郷では、本自体それほど多くなく、買おうとすると割高なので貸本屋という業態は数軒ある。
 その中でも、ここは外来の本を多く取り扱っている関係上、僕は割と懇意にしていたりした。

「こんちはー」
「いらっしゃいませ……っと、良也さん」
「や、小鈴ちゃん」

 明るい声で出迎えてくれた鈴奈庵の看板娘、本居小鈴ちゃんに手を上げて挨拶をする。
 小鈴ちゃんの両親は裏で製本、印刷業を営んでおり、貸本業は主に彼女が取り仕切っている。どう見ても外では就業できない年齢だが、幻想郷で気にするのは今更に過ぎた。

「とりあえず、この前頼まれていた本、持ってきたよ」
「ありがとうございます。あ、お代はこちらに」
「毎度」

 紙袋に入れた本を渡して、代金を受け取る。
 ……うちと鈴奈庵さんは、こういう関係である。外来本は、偶然流れてくるのを待たないと新規入荷しない。まあ、蔵書自体そこそこあるので、鈴奈庵を続けるのには不都合がないし、書籍を毎回持ってくるとなると僕の出費もかなり痛いものになるので、新規の本を持ってくることはあまりない。
 僕が持ってくるのは、続き物の場合だ。偶然に流れ着くものを並べているのだから、全巻揃っていることは稀。特に漫画なんかで顕著であり……最終巻だけない場合なんかは、里の人たちが凄いヤキモキしているそうだった。

 こういった途中が抜けている場合は埋めるために手伝いをしているわけなのである。僕としても、漫画の続きが待ち遠しいという気持ちはわからなくもないので協力していた。

「ふんふーん♪」
「……小鈴ちゃん、それ商品なんじゃ」
「もちろんそうですよ。ちゃんと並べる前に中身を確認しておかないと」

 嬉々として僕の手渡した紙袋から本を取り出し、早速読み始める小鈴ちゃんに嘆息する。
 ……この子、パチュリーとかとは別方向でビブロフィリアなのである。

「……僕も適当に読ませてもらうよー」
「はい、どうぞー」

 鈴奈庵の一角。外来本よりもずっと珍しい本が並べてある棚に取り付き、僕はその中の一冊を取り出す。

 ――妖魔本。妖怪の書き記した、力のある本である。
 基本的に一点物ばかりなので、ここにある本はパチュリーの大図書館にもない。
 あの大図書館の百分の一も読んでいない分際ではあるが、僕も一応、魔法使いの端くれとしてこういう本には興味がある。

「っていうか、わかりやすいんだよな……」

 ここに置いてある、どっかの魔術師が弟子のために書き記した魔導書は、『伝えること』を目的としているためか、非常に理解しやすい。
 普通の魔導書だと、独特の言い回しや悪筆、暗号、ひどい時はオリジナルの言語で書かれていたりして、もはや『読む』ではなく『解読』になってしまうこともあるのだ。例えば、ここんちにはネクロノミコンの漢字版写本なんてものもあるんだが、これは文字は漢字であるものの、完全に暗号化されてて読めない。

 そういうのに比べると、この魔導書は読みやすく、僕のレベル的にも丁度いいため、ここ最近は鈴奈庵に来るたびに読ませてもらっていた。上中下の全三巻。現在は中巻を読み進めているところだ。

「……ときに、小鈴ちゃん
「はい? なんですか、良也さん」
「この魔導書なんかは毒は少ないけど、他の妖魔本、いくつか危険っぽいのが混じってるよ?」
「はあ。それで?」

 本のページを捲りながら、気のない返事をする小鈴ちゃん。いや、呑気にしてるけど、危険な本は放置しちゃ駄目だと思うぞ。ヘタすると喰われる。片腕を喰われかけたことのある僕が言うんだから間違いない。

「……霊夢辺りに処分してもらったほうがいいんじゃ。もしくは、パチュリー辺りに持ちかければ嬉々として買い取ってくれると思うけど」
「うちの本は、みんな可愛いうちの子です」

 子、って……

「……まあいいけど。気ぃ付けなよ」
「はい」

 まあ、ちっちゃいけど、本に関してはれっきとしたプロ(?)だし、心配は無用……かな。
 僕はそう納得することにして、本の続きを読み始めた。

 ……不用心とか子供を見捨てるのかとか、僕の良心が訴えかけているが。
 生憎と、幻想郷の住人は、普通の人間でも相当に逞しいことを僕は知っているのである。

























「お邪魔するよ」
「あ、いらっしゃいませ!」

 っと、お客さんが来たか。

 店の一角に陣取って読み耽っていたけど、邪魔にならないようにしないと……

「お、良也じゃないかい」
「はい?」

 名前を呼ばれて顔を上げてみると眼鏡をかけた美人が僕を見下ろしていた。……ってか、誰だ? 見たことない。

「え、ええと。どちら様ですか」
「おや、冷たいねえ。二人きりででぇとまでした仲じゃないかい」

 おい、どこの平行世界の僕の話だ。こんな美人とデートなんてする男は、土樹良也じゃないぞ。

「ま、人間に化けてるから、気付かないのも無理ないかね」
「化け……」

 ん? 化ける力を持っていて、この喋り方。んで、デート……とは言わずとも、二人で出かけたことある人。
 ……該当する妖怪が一人思い浮かんだ。

「もしかしてマミゾ……」
「っと、正解じゃから、名前は出さんどくれ。里では人間で通しておるのでな」

 ……なんでだろう。別に、妖怪は騒ぎさえ起こさなければ、普通に里に買い物にくらい来ているんだけどな。
 まあ、マミゾウさんは昔気質な妖怪だから、様式美というヤツなのかもしれない。

「あれ? 良也さん、その人と知り合いなんですか」
「ええと、まあ、そうかな」
「おう、ちょいと世話されたり、世話したり、そんな関係じゃよ」

 というか、小鈴ちゃんのこの口ぶりからして、マミゾウさん、もしかして鈴奈庵の常連か。

「よく来ているんですか?」

 聞いてみると、マミゾウさんは軽く頷いてみせた。

「ここにゃ懐かしい本があるからね。それに、『珍しい本』もある。なかなかに楽しい店なんで、贔屓にさせてもらっとるよ」

 あー、外来本ね。マミゾウさんにとっちゃそりゃ懐かしいか。それに後者は妖魔本……確かに、興味を惹かれてもおかしくない。

「ちなみに、儂のオススメはこの百鬼夜行絵巻じゃな。非売品だそうじゃが、一度目を通しておくとよいぞ」
「……いや、それ凄い妖気なんで、意図的に無視してんですけど」

 開いたらロクなことにならなそうなので、触れもしていない。こんな本があるのに平気で店番をしている小鈴ちゃんは、実は隠れた実力者なのかもしれないなんて考えたこともある。

「そうかい? お前さんなら、ちょっと洒落にならん妖怪を呼び寄せても大丈夫だろうに」
「やっぱそういう本なんじゃないですか。嫌ですよ」

 力強く言い切る。

「まあ、無理にとは言わんがね……。それで、お前さんの目的は、その妖魔本かい。西洋の魔法使いの書いた指南書だったかね?」
「ええ、そうです。後は、鈴奈庵へは仕入関係でちょっと協力していますんで。納品に来たついでですよ」
「ほう、そういえば、何度か途中の巻が漏れているのが、気がついたら埋まっておったことがあったのう。お前さんの仕事かい」
「そういうことです」
「それは助かるねぇ。今後共よろしく頼むよ」

 はい、とマミゾウさんに返事をして立ち上がる。マミゾウさんは妖魔本を見るだろう。妖魔本棚の側に座ってたから、移動しなくては。

「っと、すまんね、読書の邪魔をして。儂は適当に借りていく本を見とるから、良也はゆっくりしててくれい」
「はい。そんじゃ失礼して。小鈴ちゃん、そっちの隅借りるよ」

 鞄も持って、と。

「うん? 良也?」
「はい?」
「本、渡し忘れておるんじゃないかい? それ」

 と、マミゾウさんは口を閉め忘れていた鞄から除く紙袋を指差し――げ!?

「い、いや! これは、鈴奈庵とは別件で頼まれていたやつで!」

 紙袋に包まれているため、幸いにして中身までは見えなかったようだが、僕は慌てて鞄の口を閉める。
 ――これは、里の友達から頼まれた、その、男子御用達の、女性のいる前で開くには極めて不適切な、ある一定以上の年齢でないと読むことが許されない、特殊な書籍であった。

 シクった。鈴奈庵に来る前に渡しときゃよかった。

「それも外の本ですか?」
「ま、まあ一応」
「どんな本か、見せてもらっていいですか?」

 目をキラキラさせながら頼んでくる小鈴ちゃん。
 年齢的にも性別的にも、小鈴ちゃんに見せるのはマズい。マズいのだが、しかしてどのように言い訳をすればこのビブロフィリアを納得させることができるだろうか。
 ――いかん、本の内容を教えないで断る理由が思い当たらない。

「い、いや。その、あのね。これはちょっと……」
「? なんでですか。見せるくらい、いいじゃないですか」

 ジリジリと近付いてくる小鈴ちゃん。今にも鞄に飛びかかりそうな雰囲気に、僕は自然と逃げ腰になる。

 マミゾウさん! アンタが原因なんだからなんとかしてください!
 ……そんな思念を込めてマミゾウさんを見やると、

「……クク」

 うわぁ! ニヤニヤ笑ってて全然助ける気ねえ! それに、あの表情はどんな本なのか大体察していると見た!

「小鈴ちゃん、後生だから勘弁してくれ」
「はい? 意味がよくわからないんですけど。どうしてそんなに嫌がるんですか」

 理由を言ったら駄目なんだよ!
 こんな小さな女の子にエロ本を見せるようなセクハラ行為は、断じて出来かねる!

 ま、マミゾウさーん!?

「……仕方ないねえ。おい、店主よ。"男"がここまで嫌がるんだ。察してやんな」

 いや、その言い方は!?

「ええ? 察して……あ」

 ボンと、顔を赤くする小鈴ちゃん。

 ――なお、里に数軒ある貸本屋には、春画艶本専門の店もある。同業者として、そのような本の存在は、小鈴ちゃんも当然知っており、

 つまり、一言で言うとアレだ。……アカン。

「え、ええと。今日は僕、この辺でお暇します。んじゃ!」

 そして、僕は逃げるように鈴奈庵を後にする。

 ……これは、しばらく鈴奈庵に来ることは出来ないな。畜生。



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