「ごめんくださーい」 と、僕は人里の行きつけの居酒屋の暖簾をくぐる。 人口の割に、飲み屋の数がやたら多い里の中でも、ここは結構人気のあるところだ。 「あー、良ちゃん。ごめんねえ、今日は貸切なんよ。今看板降ろすところだったんやけんど」 「え? そうなんですか」 ありゃ、タイミングが悪い。 確かに、見る限り席は全部埋まっちゃっている。然程広くもない店内に、見るからに体格の良さそうなアンちゃんたちが二十人ちょい…… ああ、これ大工の皆さんだ。里の建築関連を一手に担う職人集団。なんだろう、打ち上げかなにかかな? 「土樹ー! あのキャラメルってやつ、今度持ってきてくれよー」 「ああ、はいはい」 菓子屋の常連の一人が手を上げて声をかけてくれる。それに適当に応えて、僕は踵を返そうと、 「……ん?」 そこでふと気がついた。 筋肉モリモリなマッチョメンの皆々様の中に、少なくとも見た目だけは子供の女の子が、ガハハと男臭い笑い声を上げていることに。 「おお、良也か? いいとこに来た。お前さんも一緒に呑もうや」 「……なにやってんの萃香」 それは、幻想郷でも最強の種族の一角である鬼だった。僕に気付いた萃香は、その体に不釣り合いなほど大きな盃を手に、僕を誘ってくる。 「ちょっとね。ほれほれ、こっち来な。酌してやるから」 「いや、ここ貸切だろ? お前はどうか知らないけど、僕は別の店に、」 と、そこで萃香の隣に陣取っている一際大きく、そして年嵩のおっちゃんが気のいい笑顔を浮かべて、 「別に構わんぞ。みんな知ってるだろ? よく外の世界の菓子を売ってる土樹だ」 「棟梁さん、いいんですか。お仕事の集まりじゃ?」 「なぁに、でかい仕事の前の景気づけってやつだ。んな堅苦しいもんじゃないよ。それに、お前には世話になってるし。なあ」 何人かの知り合いが、口々に同意の声を上げる。 ……この人達、こんな強面のくせに甘党の人が多いんだよなあ。 「それじゃ、お言葉に甘えて」 んで、ここまで言われて断るのも、まあなんだ。 僕は恐縮しながらも、開けてくれた席に座る。 「ほい、良也。駆けつけ……おまけして五杯だ。呑め」 「多いな!?」 萃香に注がれるままに、僕はお猪口に注がれる酒を立て続けに呑む。ぷはぁ、と最後の一杯を飲み干すと、大工の皆さんからおおー、と感心する声が上がった。 「やるな、良也。優男な見た目の割に、結構強いじゃないか」 「……いや、優男ってなんですか」 確かに、ここに集った男らしい面々に比べると軟弱な顔なのは否定しないけどさ。 「後ですね、別に僕が特別強いわけじゃなくて」 一升は入りそうな特注の盃になみなみと注がれた日本酒を、水かなにかのように豪快に呑んでいる鬼を指さす。 「こーゆーのに付き合ってたら、そりゃ多少は強くもなります」 「……成る程」 棟梁さんは深く頷いて、納得の顔になる。 「ぷっはぁ! ……ん? なにか言ったかい?」 「なんにも。萃香、その煮染め僕ももらうぞ。……っと、すみません、お箸ください」 空きっ腹に酒を入れたから、ツマミが欲しい。萃香の前にある小鉢にもらった箸を伸ばす。 「あー、美味い」 「うんうん、ここの煮染めは美味いよねえ」 「そうそう。……んで、萃香。どうしてお前が、棟梁さんたちに混じって呑んでんの?」 こいつが飲み屋にいること自体は珍しくないけど、なんで大工の人たちと一緒に? 「あー、それはな、土樹。今日は、飲み会の前に今度造成する予定の場所を検分に行ったんだが」 棟梁さんの話すところによると、その予定地には馬鹿でかい岩が埋まっていたそうな。 掘り起こしてどかすだけでも何週間もかかるような大仕事。 そこへ偶然通りかかった萃香が、巨人化してあっさり岩を引っこ抜いた挙句、パンチで粉砕してしまったらしい。 「いや、おかげで助かったよ。礼がてら飲みに誘ったんだ」 「へえ〜〜、お前もたまには人様の役に立つことをするんだな」 遠慮なしに飲み食いしている萃香を感心して見る。そんだけの仕事なら、萃香が好きに飲み食いしても棟梁さん的には余裕で黒字だろう。 だが、僕としては褒めたつもりなのだが、不意に萃香は機嫌を悪くして、 「ぁん? 良也、勘違いするなよ。私ゃ、ちょいとこいつらに鬼の力を見せつけてやっただけさ。それで礼をしたい、ってんなら受けるのも吝かじゃないがね。人間に媚を売ってるみたいに思われるのは心外だね」 「ああ、そう……。いや、わかってるよ、お前はそーゆー奴だ」 けっこう前の話だが、こいつが天蓋の月を砕いたことがある。文々。新聞にも大きく取り上げられた事件だったのだが、理由はと言うと節分で『鬼は外、鬼は外』言われたから脅かしたのだとか。 レミリアと言い、鬼と付く連中はどうしてこうプライドが高いんだろう。 「まあ、別にああしろこうしろとは言わんけどさ。こういう風に感謝されたほうがお前もやりやすいんじゃないのか?」 言いながら、萃香の空になった盃に一升瓶の中身を丸ごと注いでやる。それを受けながら、萃香はニヤリと笑った。 「はン。鬼なんてのは恐れられてナンボさ」 と、萃香が集まった男衆を顎で指す。 ……今さっき萃香が放った軽い怒気だけで、屈強な大工さん達が竦み上がってんだもんなあ。んで、萃香はなんかいい気になってる。 僕なんかはもう慣れたけど、やっぱ怖いよね。 一気にしーん、となった店内に、僕はため息をつき、 「それで? ご高説もっともだが、せっかくの宴会を盛り下げるのも鬼の流儀ってやつか?」 「んなっ!? 言うに事欠いて、この野郎〜〜っ、くっ」 痛いところを突かれたのか、萃香が顔を引き攣らせる。 そして、張り詰めていた気をふっと緩めて、 「あーあー……確かに今のは私が悪かったよ。……くっそ、良也に一本取られるとは」 萃香は悔しそうに呟き、腰の伊吹瓢を掲げる。 「皆の衆、詫び入れに鬼の酒を馳走してやろう。女将、自前の酒を振る舞うが、ちぃっと目溢しを頼む」 この辺は、流石は幻想郷の住人というか。 緊張感が緩んだ途端、がやがやと喧騒が戻り、伊吹瓢から注がれる酒の芳香に皆さん興味津々のようだった。 「……ん〜、こほん。それじゃ、珍しい酒を頂いたことだし、改めて乾杯といこう」 棟梁さんが、空気を変えるようにそう挨拶をして、盃を掲げる。萃香も、流石に棟梁さんの挨拶を遮るつもりはないのか、皆に倣って盃を掲げていた。 「では乾杯!」 乾杯から一時間ほど。程よく場も温まり、今は萃香も機嫌よく自分の武勇伝を語っている。 そんな空気の中、ちびちび呑んでいた僕の隣に、誰かが座った。 「よう、良也」 「ああ、鉄か」 鉄之助。僕と同年代の大工見習いで、人里のまあ所謂非モテの一人。外の世界の『独り身御用達の、需要がなくなることのないと有る種類の書籍』を提供したこともある。要は友達だ。 「呑んでるか?」 「お陰様で。払いはいいって言われたけど、本当にいいのかな?」 「構わないんじゃないか? お前だけじゃなくて、よく他の先輩の知り合いとか来るし」 まあ、人里はみんながみんな顔見知りなので、緩そうだなそこら辺。 「それよりさ。さっきのすげかったな。見た目女の子つっても鬼だぞ、鬼。よくあんなこと言えたな」 「……ああ、あれか」 確かに、慣れない人にはあの空気の急変っぷりはついて行けないかもしれん。だけどなあ。 「あんなん、萃香はからかってただけだ」 別にあのくらいで本気で怒るほど萃香は短気じゃない。言い方が癪に障ったから、軽く脅しとこう。そんな感じだったはずだ。 まあ、場所がいつもの博麗神社だったらそれで済んだんだが、今回は場所が里の飲み屋で退魔師でもない普通の人達ばかりが集まっていたので、萃香にしては珍しく僕に一本取られることになった。 「あ、あれがからかってただけって……。俺、本気で命の危険を感じたんだけど」 「そこは間違い無く大丈夫だけどなあ。里で殺しはご法度、って萃香は約束してるし」 約束を破るなんてこと、あいつに限ってまず有り得ない。 「まあ、里の外だと、機嫌を下手に損ねたら殺されるのは確かだ」 「マジか」 「そうだけど……まあ、僕は幸いにも、萃香の機嫌を損ねて殺されたことは今までないぞ」 萃香の場合、基本は――あくまで基本は――気のいいやつだもんなあ。 いや、とは言っても、萃香の僕へのキルカウントがゼロなわけではもちろんない。機嫌が良くてもたまにノリと気分で殺したり喰いにかかってくるのが、鬼の怖いところなのだ。 「お前は凄いのか馬鹿なのか……もしくは、とんでもない女好きでマゾなのか、俺はいつも判断に迷う」 「最後の選択肢ちょっと待て」 「だってさあー」 いや、言わんとすることはわかる。確かに、人外連中は美人で、それ以上に危険な連中だ。大怪我したり、実際に殺されたりしたことも何度でもある。 それはそれとして違うのに! 僕は女好きなんかじゃないし、断じてマゾでもねえ! 「……くっ、タカさんも負けた! これで五人抜きだぞ!?」 「はっはぁ! 私に呑み比べで勝とうなんざ千年早い!」 崩れ落ちる酒豪で有名なタカさんを前に、勝鬨をあげる萃香に、僕と鉄の視線が自然と集まる。 「……あと、小さい子が好――「鉄」 流石に遮った。 ふ、ふふ……僕がいつまでも怒らないと思ったら大間違いだからな? 「一応、念のため言っとくが。僕はこう見えても、弱い妖怪くらいなら互角にやれるからな?」 いくら大工仕事で鍛えているとは言え、霊力を扱えない鉄と僕ではまともにカチ合ったらどうなるか。 妖怪たちの脅威をよく知っている里の人間である鉄は、僕の言葉に『やべぇ』とちょっと顔が引き攣る。 「は、はは……良也、冗談に決まっているじゃないか」 「それはよかった」 「……でも、そういやお前の持ってきた本、貧ny」 「飲みが足りないようだな、鉄!」 アレには僕の趣味嗜好は入ってねえよ! 普通に大きなのも大好きです! 「お、賑やかだねえ! よし、次はお前さんだ、かかってきな!」 「え! 俺!?」 そんな風に騒いでいたお陰で、次なるチャレンジャーを求めていた萃香の目に止まってしまったらしい。 「鉄之助か! よーし、やれやれ」 「いや、あの……」 哀れ鉄は、周りの先輩方にも囃し立てられ、逃げるに逃げられず萃香との呑み比べの場に立つことになった。 「鉄、頑張れよ」 そして僕は、勿論友人として笑顔で鉄を送り出してやった。ハハ、ざまぁ。 「うーん……」 「あれ? もう終わりかい。弱いねえ」 幻想郷基準では酒の強さは並程度(外だとザル呼ばわりされるレベル)の鉄は、ものの十分も経たないうちに沈んだ。 ……ふっ、友人として、介抱くらいしてやるか。 急性アルコール中毒が心配と言えば心配なのだが、この里の人間、年がら年中一気飲みやちゃんぽんやってるくせに、アル中で死んだ人が開村以来一人もいないという魔人揃いなので、多分大丈夫だろう。 いざとなったら、永琳さんとこに放り込めばいいや。 「はいはーい、失礼しますよー」 んで、落ちた鉄を担いで、居酒屋の空いている座敷に寝かせようと、 「良也、待ちなよ」 「……なんでしょう?」 萃香の声に、僕は嫌な予感を覚えながら振り向く。……ああ、しまった、どうしてこのことを予測できなかったのか。どうやら、僕の頭にも随分酔いが回っていたようだ。 「そいつ、アンタの友達だね? おいおい、友達の仇は討たないのかい? 討つだろう? 討つべきだ。よし決まり!」 「……萃香、お前さっきやりこめられたの、根に持って」 「女将! この店で一番でっかい酒盃を持って来とくれ!」 いいのかなあ? という顔で、律儀に萃香と同じ一升は入りそうな盃を運んでくる女将さん。 ……チクショウ、こんなネタにしかならない酒器が普通にあるなんて、どういうことだよ。 そして、トクトクと注がれる日本酒。 「……萃香、すまん。もう結構呑んでるから、流石にこれは無理……」 「え? なんだって?」 逃げられねえ……。 大工さんたちは固唾を飲んで見守っている。……くそう。 ……いや、落ち着け、僕。萃香とて仮にも生物。……生物? うん、きっとそう。 だから、例え呑んでる酒の量が体積を余裕でオーバーしていようが、限界はあるはずだ。微妙だけど……多分。 そして、ここまで萃香は好きに飲み食いした後に、呑み比べで六人抜き。そこへ、この量だ。……つまり、勝ち目はある! 「行ったらァ! 鬼に勝っちゃる!」 「はっ、来いやぁ!」 ぐい、と、僕は勢い良く盃を傾けた。 ちなみに。繰り返すが、勝負の前の時点で、僕はだいぶ酔っていた。 ……なんで勝ち目があるとか勘違いしたんだろう、と。翌朝、ぶっ倒れているところを女将さんに起こされて、僕は心底思った。 | ||
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