そろそろ暑い季節。もう一月もすれば、気温操作の出番だ、という時期。
 特に目的もなく幻想郷を飛んでいた僕は、喉の乾きを覚えて水場がないかと探した。

「お」

 空を飛んでいるから、こういうのはすぐに見つかる。
 そういえば、このへんだったなぁ、と頭の中の幻想郷の地図を再確認して、僕は見つけた水場――玄武の沢へと降りていった。

「ふんふーん」

 鼻歌を歌いながら、玄武岩に囲まれた小さな清流の傍にしゃがむ。
 手で掬うと、思いの外冷たい水。口に運ぶと、これがまた美味い。

 幻想郷の水は、一部体に悪い妖怪(メディスンとか)が近くにいないところなら基本的にどこのでも飲める。それも、そこらのミネラルウォーターなどメではない美味さだ。しかも、酒造りに最適とくれば、もはやなにも言うことはない。

「ふぅー」

 ごくごくと飲み、口元を拭う。
 ……うん、いい日陰になってるし、少しここで休憩でも、

「あー! 流されちゃった」
「もー、ルナは鈍なんだから」

 ……なんか声が聞こえたぞ。

 聞き覚えのある声に上流の方を見ると、なにやらどんぶらことボールが流れてきていた。
 そして、それを追いかけてとてとて走ってきたのは、見覚えのある日と月の妖精……

「サニー? ルナ?」
「あれ? 良也」
「あー、それよりそのボール取って!」

 僕の目の前にまで流れてきたボールを掬い上げる。
 何の変哲もないゴムボール。幻想郷では作れないが、このくらいの品は良く外の世界から流れついてくる。

「ほれ」

 ひょい、と投げると、少し逸れた。サニーがそれをジャンプして受け取る。

「ありがとっ」
「ああ。……って、お前らなにしてんだ?」
「今日はちょっと暑いから、涼しい水辺で遊ぼうと思って」

 それでボール遊びか。

 なんとはなしに二人のいる方に歩いて行く。

「そういやスターのやつはどうしたんだ?」

 セットの黒髪がいないことに気付いて聞いてみる。

「スターはそこで涼んでる」
「お、いた」

 ちょっと大きめの岩に隠れて、スターが川の縁に座っていた。靴を脱いで、素足を水に浸してぱしゃぱしゃしている。……どうでもいいが、僕はさっき下流の水を飲んだんだが。いや、洗濯していたわけでもあるまいし、どうということはないのだが気分的に。

「あれ? 貴方。なんでいるの? ……やだっ、すとーかーってやつ?」
「誰がだ!?」

 こ、こいつら。相変わらず、謎の語彙を持ちやがって。

「ちょっと散歩してて、休憩がてら水飲みに来ただけだ」

 『ふぅん』と興味なさそうに返事をするスターに、ああもう、と頭をかいて、隣に座る。サニーとルナは、ボール遊びを再開していた。

「お前は遊ばないのか?」
「ちょっと前までやってたんだけど、あの二人の体力にはついて行けないわ。まあ、帰る頃にはバテバテだろうけど」

 しれっと言って動く気配も見せないスター。
 それきり、僕の方を気にするでもなく、スターは足を浸した清流の感触を楽しんでいるようだった。

 僕はと言うと、サニーやルナが興じる声をBGMにしてぼーっと休憩する。
 こいつらの悪戯は、気にする必要はない。この三人の悪戯は奇襲を基本としている。こんな場面で僕に仕掛けても、あっさり返り討ちに遭うことくらいこいつらも理解している。
 ……いや、その、多分ね? たまに向こう見ずに突っかかってくることもあるけど。

「あっ」

 と、背後でルナの慌てた声。なんだ、と振り返ると、目の前にボールが迫っていた。……こりゃ躱せん。

「いたっ」

 ゴムボールらしい軽い感触が鼻先に当たる。てん、てん、と受け取れなかった本人の方に転ぶボール。ルナはそれを拾い上げ、

「お、よかった。今度は川に落ちなかった」
「その前にまず一言はないのか」
「あ、そうね、ありがとう」

 ……謝罪の言葉を期待する僕は間抜けだろうか?

「ったく、大体、そんなボールくらいちゃんとキャッチしろよ」
「だって〜」
「あはは、無理無理! ルナは下手っぴだから」
「もー。続きやるよー」

 けらけら笑うサニーにちょっと怒るふりをして、二人はキャッチボールを再開した。

 見ていると、やっぱり遅い。身体能力的には人間の子供と大差ない妖精なので、仕方ないのだが山なりのゆる〜いボールだ。
 確かに、あれをちゃんと受け取れないのは、ルナがちとニブ……

「あっ、また。もう、今日は調子悪いなあ〜」
「あン?」

 はて、気のせいだろうか。
 今、ルナが受け取り損なったボール。……ちゃんとルナの手に収まるところだったのが、僅かに下にズレなかったか?

「良也ー、もっかい取って」

 またしても、偶然に僕の方にボールは転がってくる。
 拾い上げて、立ち上がる。

「サニー?」
「え、なに?」
「お前、今なんかした?」

 指摘すると、サニーは面白いくらいにうろたえ始めた。

「な、なにを言っているのかしら! わ、わわ、私はボールを普通に投げただけよっ、こうやって! こうやって!」

 わざわざ素振りまでしてから愛想笑いで答えるサニー。……いやもう、これ語るに落ちているだろ。
 その反応で大体察したルナは、ジト目でサニーを睨みつけている。

「……サニー、あなた能力使ったわね?」
「は、はて、なんのことやら拙僧にはとんとわからぬことじゃってばよ」

 どんなキャラだ。

「も〜〜! 道理で目測と違うところにボールが来ると思ったら!」

 光の屈折を利用して姿を消したり見える物を歪めたりズラしたりできるサニーの能力だが、それを利用してボールの見かけの動きをいじっていたらしい。
 そのため、ルナは見えている位置と違う場所に来たボールをキャッチできなかった、と。

「いや……ルナ。これ、気付かないお前も悪いんじゃないか?」

 僕の冷静なツッコミは、怒りをあらわにしてサニーを追いかける月の妖精には届かなかったらしく、彼女たちは一層喧しく騒ぐのだった。








































 結局、サニーとルナの仁義なき争いは弾幕ごっこにまで発展し、両者ノックアウト。
 二人して体力を限界まで使い果たしたらしく、大の字になって寝込んでいた。

「……阿呆だろ、お前ら」

 いや、実に今更の話だが。

「ふう、ふう……うるさいなあー」
「さ、サニーが悪いのよ。ズルするから」
「なにようー。やるかー」

 いや、本当に元気だ。
 まあ、もう空も飛べないほどバッテバテになっている二人のことだから、これ以上喧嘩は発展しないと思うけど。

「あー、んじゃあ、そろそろ僕は行くわ。じゃあな、仲良くしろよ、お前ら」

 もし仲違いしてくれれば、姿を消し、音を消し、気配を察知するという恐ろしいコンボが成立しなくなるので気楽なのだが、まあ有り得んだろう。
 喧嘩しているのを見るよりは、仲良くしている方がいい。うん。
 ……いや、結託して悪戯とかそういう方面に行かれると困るんだけど。

「ん……あれ?」

 飛び立とうとした直前、妙な洞穴が目に入った。
 ここの地形的に、洞穴はたくさんあるんだが、その一つだけはなにか妙なものが見える。

 なんだ? と近付いてみると、なにやらベタベタと符っぽいのが貼り付けられていた。

「なんだこれ?」

 ピッ、と一枚取ってみると、『玄武鎮』なんて書いてある。

「あ、ああ〜〜、そこは駄目!」

 なんじゃらほい、と奥を覗こうとすると、後ろからやかましい声。
 見ると、さっきまで疲労困憊だったサニーが慌てて飛び起きて、こちらに突っ込んできていた。

「ぬお!?」

 体当たりで、腹に衝撃が走る。ぐ……ぐぐ、ふ、腹筋が緩んでいたから、地味に苦しい。硬い頭しやがって……

「さ、サニー。まだ喧嘩し足りないのか? 今なら三割増しで買うぞ」

 スペルカードを見せて脅す。
 『わわ』と、慌ててサニーは僕から離れるも、

「そ、そこには玄武様が眠っているから、覗いたりしちゃ駄目だって!」
「げ、玄武様?」

 四神の一がこんなしょぼくれた洞穴にいるわけがない――などと安易に否定出来ないのが幻想郷の怖いところだ。
 そんなことを言うなら、しょぼくれた神社にかぐや姫や酒呑童子(多分)や聖徳太子がしれっと現れているからな。油断は禁物である。

「……しかし、それにしてはらしい力を感じないが」

 そりゃ、僕はその手の感覚は鈍い方だが、ここまで近くに来ていればそりゃわかる。この符も、封印だか魂鎮めだかは知らないが、それっぽい字が書いてある割には霊力が込められてないし。

「もー、魔理沙さんが言ってたんだから。玄武様を怒らせると、ぱくっと食べられちゃうよ」
「……玄武ってそういうのだっけ?」

 仮にも神なのに人食いかあ。しかし、魔理沙が言ったことねえ……

「あれ? こっちに来るの、その魔理沙さんじゃない?」

 まだぶっ倒れていたルナが、上空を指さして声を上げる。
 その指先を追いかけると、確かに箒にまたがった魔理沙がこちらにやって来るところだった。

「よう、良也! こんなところで会うなんて珍しいなっ」
「……なあ、毎度思うんだけど、お前って出待ちとかしていないよな?」
「は? 何の話だ」
「いや、いつもいつもタイミングが良すぎる……」

 噂をすれば、ってレベルじゃねーぞ。

 僕は呆れながらも、丁度いいと魔理沙に尋ねてみることにした。

「そういや魔理沙。ここに玄武が眠っているんだって?」
「はあ?」

 心底、こいつなにいってんのわけわかんねー、って返事をされたぞ、おい。

「え? 魔理沙さん、前そう言ったよね」

 魔理沙の反応に、サニーは問い詰める。当の魔理沙はうーん、と唸り、次いでぽんと手を打ち、

「……あー、あー。言ったな、そういや。すまん、ありゃ嘘だ」
「えーーーー!?」

 うわぁ、あっさりとまあ。

「いや、あん時はお前の能力にちょっとびっくりしてな。びっくりさせられっぱなしも癪だから、ちょっとからかってみた」
「ひっどーい!」

 サニーが怒り、ぽかぽかアタックを仕掛けようとするが、魔理沙に頭を抑えられて拳が届かない。魔理沙も小柄とはいえ、幼児そのものなサニーよりはそりゃリーチは長いのだ。

「おっと、そんなのはどうでもいい。私は光苔を見に来たんだ」
「光苔?」
「そう。そこの苔」

 名前くらいは聞いたことある。外では天然記念物だかなんだかに指定されているやつだ。
 確か、僅かな光を反射して光るんだっけ?

「たまに見に来てんだよ。このくらいの時間に、水面で反射した太陽の光が差し込んで綺麗に――」

 ふっ、と突然暗くなる。

 もしかして、と思って振り向くと、サニーが仁王立ちして、手を掲げていた。
 ……こっちに来る日光を屈折させてやがる。

「あ、こら! お前、舐めた真似を」
「ふっふーん、私も仕返しするもんねー!」

 この! と魔理沙が一発お仕置きに魔弾を放つが、ふっ、とサニーを貫通する。……なんか、蜃気楼的な幻影を使ってた、のか? 地味に能力の使い方にバリエーションが増えてやがる。

「妖精大戦争を生き抜いた私の力を見せてあげるわっ」

 とか言いながら、全力で後ろ向きに逃げ始めるサニー。

「妖精ごときが小癪だぜ!」

 もう日光は差し込んで光苔が綺麗に煌めいているのに、まるで目に入らずサニーを追いかけ始める魔理沙。

「…………おおー、確かに綺麗だなー」

 とりあえず、僕は無視をすることにして、光る苔という珍しいものを鑑賞するのだった。




 え? なに? 今日はこれで終わりだったよ。実に平和な一日だった。



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