紅魔館。パチュリーの図書館でお勉強の時間。

 もはやこれも定例となっていたが、今日はいつもとはちょっと違う人物が図書館にいた。

「……美鈴?」
「あ、良也さん。こんにちはー」

 門番の美鈴が、厚手の本を読んでいた顔を上げて、挨拶をしてくる。
 ……珍しい、というか初めてじゃないか、美鈴が図書館で本読んでるの。そういえば、今日の門番は妖精メイドだったけど。

「美鈴、お茶をどうぞ」
「や、これはありがとう。小悪魔も一緒にどう?」
「私は仕事があるから」

 紅魔館的ヒエラルキーが近いせいか、タメ口で言葉を交し合う二人。

 は〜、なんつーか、慣れてるな。
 お盆を抱えて司書の仕事に戻っていく小悪魔さんを見て、そう思う。意外に仲が良いのな。

「美鈴ってもしかして、意外と図書館に通ってる?」
「はい? ああ、そうですね。よく本を読みに来ますけど?」
「あんまりここで美鈴を見た記憶がないんだけど」
「そりゃそうです。私のオフシフトは、大抵深夜ですからねー。良也さんとは時間が違います。今日はたまたまです、たまたま」

 たまたまと称する美鈴が読んでいるのは……なんだろう、小説? しかし、普段漫画や文々。新聞を読んでいる美鈴にしてはお固そうな本。

「……漫画じゃないんだ」
「門番の仕事の合間に読むのは、ああいうのの方がいいですけどね」

 まあ、そうか。僕だってラノベならまだしも、文章だけの分厚い本は、じっくり腰を据えて読みたい。

「ちなみに今読んでるのって何?」
「はあ、水滸伝ですが」

 水滸伝かよ。
 ええと、なんだっけ、梁山泊?

「やっぱ、中国だから?」

 いやほら、なんだっけ……華人小娘? じゃなかったか。美鈴の二つ名って。小娘と言うには、幻想郷じゃ大人のほうだが。
 とにかく、中国のはず。だから中国の小説を読む。うむわかりやすい。

 いや、別に中華系っぽい名前も服も、全部美鈴の趣味って言われても納得しちゃうが。

「別にそういうわけでは。色々読みますよ。日本の歴史小説なんかは好きですし。恋愛ものも嫌いじゃありません」
「意外に読書家なんだ……」
「い、意外ってなんでですか?」

 いやまあ。

「……いや、美鈴といえば暇さえあれば拳法の練習をしているもんだと」
「失礼な。私、これでもインテリを目指しているんですよ」

 それを公言する時点で、インテリからは程遠いと思うが。

「実は今、空気椅子とかしてない?」
「……良也さんは私をなんだと思っているんですか」
「いやいや、それはどうでもいいじゃないか」
「気になるんですけど」

 しかしまあ、驚きの事実。美鈴はなんとただの脳筋ではないらしい……。やっぱり意外だ。

「まあ、あとで特訓はしますけどね」
「やっぱするのかよ!?」
「そりゃ、一日訓練をサボると、取り戻すのに三日かかりますし。あ、そうだ、良也さんも是非付き合って……」

 マジ勘弁。今日は私、魔法使いとして修行しに来たんですよ。体を動かす気分じゃない。

「パス」

 で、手を振った。

「仕方ありませんねえ」

 美鈴はここでしつこくないのがいい。どこぞの冥界の剣士にも見習って欲しいもんだ。

 なんとなく、会話が途切れる。

 しかし、改めて思うが……美鈴が図書館の常連だったとは、驚きである。似合わない、って思うのは失礼に当たるだろうか? というか、居眠りしそうなイメージしかない。
 だというのに、そのイメージに反して、ページを捲り文字を追う美鈴の目は、真剣そのもので眠気など欠片も見当たらない。

 時々、小悪魔さんからもらったティーカップを口に運ぶ仕草は、美鈴だというのに様になっていた。

「……じゃ、僕はこれで」
「はい」

 なんとなく、ぼーっと傍で突っ立ってるのも憚られて、僕は美鈴に背中を向ける。

 なんとなく頬をかいて、パチュリーの元へ飛んだ。魔法のことで聞きたいことがあったのを思い出したのだ。

「パチュリー」
「あら、良也。いらっしゃい」

 本から顔を上げもせず応対するパチュリーに、ああいつもの図書館だ、と思った。

























 パチュリーに質問をすると、すらすらとよどみなく僕の疑問に答えてくれた上で『勉強不足ね』の辛辣な一言を頂いた。

 なんとなくそれだけで終わらせるのも気分が悪かったので、世間話に水を向けてみると、珍しくパチュリーも応えてくれた。
 と、すると、話は自然と美鈴のことになる。

「美鈴? そうね、よく来るわよ。いつもは貴方とは違う時間だけどね。そういえば、今日はどうしたのかしら? 門番の仕事はどうなってるのよ」
「そんなの知らない。なんか、メイドがやってたけど」
「……ま、ここに侵入してくる輩なんて、魔理沙くらいのものだけどね」

 その魔理沙が図書館にとっては大打撃なんじゃないかなあ。実際、魔理沙の名前を出した途端、パチュリーの額に一瞬漫画ばりのペケマークが浮かんだ気がしたし。

「ま、門番としての腕はともかくとして……美鈴は按摩が上手いのよね。運動不足だから、助かっているわ」
「……お前、少しは身体動かせよ」

 僕は、こいつが本のページを捲る以上の運動を、弾幕ごっこ以外でしているのを見たことがない。

「嫌よ。動いたら疲れるじゃない」
「…………」

 そりゃ僕だって運動嫌いな方だけど、流石にここまでじゃないぞ……。

「向いてない門番なんかやめて、私のマッサージ師として雇おうかしら」
「……嘘でもいいからもうちょい優しくしてやれよ。あの上司に、あの主人だぞ」

 なんというブラックな職場。僕なら三日で逃げ出す。そして三分とかからず連れ戻されて、逃げた罰として血を吸われる。
 ぉおう。リアルにその情景が想像出来た。

「……ん?」
「どうした、パチュリー?」
「いや……今」

 突然、パチュリーが図書館の入口のところに目を向け……直後、その扉が乱暴に開け放たれた。

「ようー! お久しぶりだぜ」

 ああ、と僕は思わず手を額に当てて、溜息をつく。
 ……相変わらずだな、魔理沙。

 前ここんちの本は借りて写本する、って言ってたけど、すぐにおっつかなくなってやめたらしい。

「よ、パチュリー。そういえば、今日は門番が妖精メイドだったけど、美鈴の奴はどうした? まあ、どっちにしろ変わらんけどな!」

 いや、横、横。

 魔理沙、ちょっとだけ横に目を向けてみれば、突然やって来た魔理沙に目を白黒させてる美鈴がいるって。
 第一、毎回毎回、魔理沙に轢き殺されている美鈴でも、妖精と一緒にするほど弱くないぞ。

 つーか、普通に強い。美鈴を鎧袖一触に出来る魔理沙が異常なのだ。

「……いや、魔理沙。お前……」
「ん? 良也もいたのか。あ、そうだ、この前もらった菓子は中々美味かった――」

 なんて、魔理沙が喋っている間、美鈴は見事に音一つ立てることもなく魔理沙に忍び寄って行き、

「あー、魔理沙、横、横」
「ん? 横がどうし――」

 僕の指差した方向を見た魔理沙は、顔を引き攣らせる。
 もう手を伸ばせば届く位置に、美鈴がいた。

 あの距離だと、二人の力関係は逆転する。既に腰だめに拳を構えている美鈴と、肩に箒を担いでいる態勢の魔理沙だとなおさら――

「――っフ!!」
「ぐほぁ!?」

 図書館全体が震えるような震脚から、遠間からでも霞んだようにしか見えない速度で、美鈴の中段突きが放たれた。
 魔理沙の身体が一瞬ブれ、直後に吹っ飛んで行く。

 ゴシャァ! と勢い良く本棚に突っ込み……っておいおい、死んでないよな?

「いつもいつも負けばかりだと思うなよっ」

 びしぃ、と言い訳のしようもないほどの不意打ちを仕掛けた美鈴が、なんかポーズを取って勝鬨を上げている。

「……紅魔館的にあれはありなのか?」
「ありじゃないの?」

 表面上は興味がなさそうにしているパチュリーだけど、今一瞬、グッと拳を握ったな。……スカっとしたか。

 っていうか、今更だけど、僕全然魔理沙の心配してないな……。普通の人間だと、三回は死ねる勢いだったけど、あの程度で魔理沙がどうこうなるとは到底思えない。

「見てくれましたか、パチュリー様! 私、あの人間に初勝利です!」

 初かよ。

「ええ、よくやったわ」

 労いの言葉をかけるパチュリー。
 しかし、二人とも魔理沙を全然心配してないな。

 ……あ、本にほとんど隠れた魔理沙の腕が動き出した。落ちてた帽子を掴んで……あ、出てきた。

 うん、やっぱ心配する必要ないな。

「いたた……畜生、今日はこっちに詰めてたのか」
「ふふふ、たまにはここを使わないと、貴方は止められませんからね」

 とんとん、と頭をたたく美鈴だけど、嘘をつくな嘘を。めちゃくちゃ偶然だろうが。
 そしてやはり、魔理沙は心配するだけ無駄だった。拳が突き刺さった腹をさすっているけど、ありゃどう見ても骨にひびすら入ってないな……

「くっそ……って、ん?」

 帽子を定位置に直して、悪態を付いていた魔理沙が、散らばった本の一つを拾い上げる。

「おっ、これは」
「そ、それは――!」

 パチュリーが焦った声をあげる。……なんだなんだ。

「ラッキー! 割とどーでもよさそうな本棚だったけど、こんなのが隠してあったのかっ」

 ……あー、遠間にも、なんか強力そうな魔導書だなあれ。

「し、しまった……。そういえば、あの本棚の裏に、あれを隠していたんだった! あれだけは盗られたくなかったのに!」

 なんという偶然。ていうか、本当に偶然か? どっかの幸運の女神とかが悪戯してないか?

「ふふ……例によって例のごとく借りていくぜ、パチュリー! 美鈴もサンキューな!」
「え、ええ!?」

 箒にまたがって、スタコラサッサと逃げて行く魔理沙。……一旦スピードに乗ったら、ここんちだと時間を止めた咲夜さんくらいしか追いつけないスピードでカッ飛んでいく。

 呆然と見送るパチュリーと美鈴。『どうしましたかー?』と図書館の奥からやって来た小悪魔さんにも目を向けない。

「……やれやれ」

 僕は、この惨状に溜息をつくくらいしか、することはなかった。







 ……ちなみに、その後。美鈴は普通にお説教を受けたらしい。
 理不尽というか、運が悪いな……美鈴。



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