今日も今日とて、人里でお菓子を売った。
 もうこれもライフワークになりつつある。菓子を食べて喜ぶ子供の顔を見るのも悪くないものだ。

「おう、良くん。今日はこっちに泊まっていくのかい?」

 露店を畳んでいると、馴染みのお客(子供)の親御さんが話しかけてきてくれた。

「はあ、そのつもりですけど」

 こっち、というのは幻想郷のことだ。もはや、僕が外の世界の人間であるということは、幻想中の人間が知っている。妖怪は知らないのも多い。なぜなら連中は自分の興味外のことにはまったく関心を示さないから。

「んじゃ、今夜は里で過ごすといいぜ。今晩は、流し雛の日だからな」
「……流し雛?」

 ああ、人形とかを川に流して厄を払うっていう、あれか。ん? でも。

「里の厄は、全部鍵山のお雛さんが引き受けてくれているんじゃ?」

 うん、だからこそお雛さんは大きな信仰を集めているのだし。そんな幻想郷の人里で、今更流し雛と言っても……確かに、同じ雛ではあるが。

「いや、そりゃ鍵山様もいらっしゃるよ。当たり前じゃないか」
「???」
「ああ、もしかして良くん、流し雛って参加した事ないか?」
「ええ、一度も」

 なんだかんだ言って、僕がこっちに来るのは週に一回、土日くらいだ。それだって来ない日もある。こっちの生活のほうが濃い(当社比百九十一倍)ので、外の生活がオマケみたいに感じることもあるが、実時間はそんなに長くはない。
 里でのイベントは、参加したことがないものもあるだろう。

「じゃあ、お雛さんが主催ですか」
「主催というか……まあ、来てみれば分かるよ。もちろん、その後は酒もある」
「いいですねえ」

 妖怪だけではなく、こっちでは人間もみんな酒好きだ。しかも、お前らは本当に日本人かと問いたくなるようなザルも少なくはない。
 自然、事あるごとに宴会となる。里で作っている水田の、何割が酒用かを聞いたとき、僕はパネエと思ったものである。

「そういうことなら、参加しますよ。……時に聞きますが、うちの霊夢って?」
「さあ、後の宴会はいつの間にか混じっていたりするけど、流し雛に参加しているのは見たことねえなあ」

 ……やっぱりか。
 霊夢も、もう少し里のイベントとかに参加していれば『んじゃ、義理で参拝するか』ってことにもなるだろうに。

 思いついていないのか、それとも面倒くさがっているだけか。

 絶対に後者だ……と一人確信しつつ、僕は一度博麗神社に帰るのだった。






















 一応、霊夢も誘ったんだが、やはりというか来ない。

 行かない旨を告げられた後、『後でお酒だけ呑みに行くわ』という言葉が続いたのも、言うまでもない。
 まったく……本当に大丈夫なんだろうな? 村八分とかされたり……するまでもなく、今でも村八分みたいなものだけど……

 ま、あいつのことだ。大丈夫か。霊夢はいつまでも、あんな調子でゆるゆると生きていくだろう。というか、心配するだけ損だ。

 うん、と一人で納得して、会場である里近くの川辺まで来る。

 周りには……流石に、里の人間みんなが参加というわけではないが、百人ほどの老若男女が集まっていた。
 たまに話しかけてくれる人もいるが、基本的に皆さん家族できていらっしゃって、僕はなんとなく孤立中。

 ……ちぇ。まあこの後、酒が入れば話し相手には事欠かないだろうし、まあいいや。

 んで、いつ人形を流すんだ? テレビとかで見る限り、小さな船みたいなのに紙や藁でできた人形を乗せて流したりするのが定番みたいだが……誰も持っていない。
 んん〜? みんな懐に隠してる? それとも、この場で適当に作るの? 確かに、木片とか探せばいくらでもあろうが。

 戸惑いつつ、別に誰かに聞く程でもないかと、僕は川の流れを眺める。

 妖怪の山を源流とするこの川は、村の大動脈とも言える。水田に流れ込む水は、全てこの川の水だ。他にも洗濯に、飲用に、水浴びにと、普段は賑やかな印象の川である。

 だが、今日は静かだ。
 高く上がった月が水面に揺らぎながら映り、さらさらとした水の流れる音がする。……うん、風流ってこーゆーのかもしれない。

「……ん?」

 とかなんとか黄昏ていたら、皆さんの視線が上流に行く。
 なんだなんだ?

 背の高い人に遮られて、なにがあったのか見えない。仕方無しに、軽く宙に浮かんで、上流を――

「ぶほぉ!?」

 吹いた。

「んだよ」
「ご、ごめんっ、で、でもあれなんだよ!?」

 一人騒がしい僕に、みんなの視線が集中する。
 いや、でも仕方ない。あれを見てびっくりするなとは、僕には無理だ。

 なぜなら、視線の先にいたのは、

 ――お椀みたいな船に乗って、なんか回転しながら『どんぶらこ』とやってくるお雛さんであったのだから。

「なにって……流し雛様だろ?」
「洒落!?」

 親切な人が教えてくれるが……いやいやいやいや、そんな当たり前の顔をして言われても。

「どうかしましたかー?」
「いえー、気にしないでください。なんか土樹のやつが騒いでいるだけなんで」

 騒ぎを聞きつけ、川の真ん中からお椀に乗ったまま様子を聞いてくるお雛さん。答える、村の有力者さん。
 ……シュールだ。

 僕を見つけ、船の上から手を振ってくれるお雛さんに、力が抜けるのを感じつつ、僕も手を振り返した。

 そして、お雛さんが立ち上がり、里の人達を見据えて話し始めた。……あの不安定そうなお椀で立って大丈夫ってことは、多分ギリギリのところで飛んでいるんだろうな。

「では、皆さん。今年も、厄の全ては私が引き受けましょう。今ある厄は、この毎度お馴染み、『流し鍵山雛』が全て持っていくので、どうか心安らかに」

 ……毎度お馴染みなんだ。
 ツッコミを入れたいが、みんな厳かな雰囲気なので入れられない。うわー、ツッコミたい、三百六十度あらゆる方向から『ここが変だよ幻想郷』ってツッコミたい。
 でも駄目なんだろうなあ。いい大人がするこっちゃねえよなあ、みんな真剣なのに。

 ……うう、ストレスが。

「では、この後はお酒で厄払いを……僭越ながら、私が音頭を取らせていただきます」

 お雛さんが、船の中から一升瓶を取り出し、升に注ぐ。待ち構えていたかのように、皆さんお酒を取り出していらっしゃる。

「さ、土樹。お前も呑め」
「イタダキマス」

 頭が痙攣するかのようなカオスな状況に、返事がカタコトになってしまった。

「では――乾杯」

 お雛さんの、小さいものの良く通る声に続いて、乾杯の声が唱和した。
 ……『かんぱ〜い』と、僕は力なく続くことしか出来なかった。



 大分慣れたと思っていたけど……まだまだ奥が深いぜ幻想郷。























 酒を呑んでも、なんとなく盛り上がる気がせず(なにせさっきのアレがアレだ)、コップを持ったまま、会場となっている川辺の対岸に飛んだ。
 この川は、大きいという程ではないが、一足飛びに飛び越えられる川幅でもない。橋は少し離れたところにかけられていて……要するに、今こっち側にはたった一人しかいなかった。

「こんばんは、お雛さん」
「良也。ええ、こんばんは」
「隣いいっすか」

 一人しっとりと呑んでいたお雛さんは、答えずに少しだけ脇にどいてくれる。
 ありがとうございます、とお礼を言いつつ、隣に腰を下ろした。

「ま、一献。つまみもちょっぱってきました」
「あら、ありがとう」

 お雛さんも一升瓶を持っているが、今日はちと冷える。向こうでは焚き火を熾して燗酒を作ってたので、そいつをお雛さんの升に注いだ。

「ふぅ」
「……で、あれなんですか」

 岸に少し乗り上げたまま放置してある……船? お椀? を指差す。

「流し雛の船よ。定番でしょう?」
「絶対に定番じゃないです」

 外の世界じゃそうなの? と、お雛さんは不思議そうに首を傾けて、もう一度升に口を付けた。
 ……いや、外の世界でもって、流し雛の風習なんか、幻想郷が結界に覆われる前からあったろうに。そしてそれは、間違いなく厄神が流れて来て厄を集めるような行事じゃなかったはずだ。

「大体、お雛さんはあっちの森で厄を集めているんじゃなかったんですか」
「幻想郷はなんだかんだで閉じた世界だからね。時々はこうやって、本格的に厄を払わないと厄が濁っておっつかないの。儀式の体を繕えば、私の力も上がるから」

 くるくる、と指先を回すお雛さん。……螺旋は厄を集める動作だと言っていたが、もしかしてあの指先に厄が集まっていたりするんだろうか。

「んで、向こうへは行かないんですか」

 と、僕は本題に入る。
 そもそも、こっちに来たのはイマイチノリきれなかった他にも、一人で呑んでるお雛さんがなんとなく放っておけなかったからで。

「貴方が傍にいれば厄を振りまく心配はないけど、同時に集めることもできなくなってしまうからね。……範囲、狭めてくれてありがとうね」
「いや、まあ」

 どうせ、そんなこったろうと予想は付いていたから、こっちに来る前に能力の範囲は薄皮一枚まで絞った。
 ……でも、それとこれとは別っていうかさあ。向こうが賑やかなだけに、こっちの寂しさがン倍というか。

「心配はありがたいけど、こうしてみんなの楽しそうな姿を見ているだけで充分よ。それに、今はこうして酌をしてくれる人もいるしね」
「……空いてましたね。すんません」

 はよ注げ、とばかりに升を向けてくるお雛さんに謝りながら、持ってきた徳利の中身を全て注ぐ。
 なんというか、その時見せた神様らしい超然とした表情に、僕ごときが心配するなど、余計なお世話以外のなにものでもないのだなあ、と感じた。















 ……ちなみに、お雛さんは村の若い衆にカルトな人気を誇っている。いや、神への信仰ってわけじゃなく、もうちょっと俗な意味で。要するに、女性としてあれこれなのだが、それは恋人になりたいとか、そーゆーのじゃなくて……そう、あえて言うなら女神様的存在だ。女神だけどな。言ってて良くわかんなくなってきた。
 なにが言いたいのかと言うと、

「土樹っ! お前、昨日鍵山様となにを話していた?」
「いや、ふつーに一緒に酒を呑んだだけだけど」
「なんでお前だけ!」
「いや、お前ら近づくだけで厄移るから……」
「こいつばっかり!」「これだから霊力持ちは! ズルい!」「俺らは遠くから見ることしか出来ないのに! しかも、年一回流し雛の日だけ!」「俺もご一緒したかったのに!」「ていうか、お前、鍵山様に近付くなよ畜生!」

 んな訳で、次の日、若い連中に嫉妬された。
 ふざけて『羨ましいかー』と言ったらシメられた。……日常生活に妖怪が近くにいる幻想郷の人間は強いです。



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