「ふっ、ふっ、ふっ」

 一回、二回、三回と上体を起こす。
 所謂、腹筋だ。

「物好きねえ」
「いや、たまにはな。健康的に」

 茶を飲みながら観察している霊夢が呆れたように言う。
 なんとなく見られていることを恥ずかしく思いつつ、僕は筋トレを続けていた。

 ……いや、別に僕がマッソーを手に入れたいとか、そーゆーんじゃない。
 たまにあるのだ。身体を動かしたくなる日ってのが。そういうときは軽く素振りをしたり武術の型の練習をしたりと、昔取った杵柄を生かすこともあるが……大抵は、こうやって筋トレをしている。

 地味に役立っていて、僕が怠惰な生活を送っていても肉がたるんだりしていないのは、これも理由の一つだろう。

「私には出来そうにないわ」
「……お前はやらんでもいい」

 霊力で強化したら、並の成人どころか妖怪並のパワーを発揮する巫女に、筋トレなどする必要はない。身体強化系の術って言うのは、基本的に元々の身体の強さに掛け算で強くする。霊夢が素でも力が強くなったら……考えるのも恐ろしい。

「よ、っと」

 現在、腹筋背筋腕立てスクワット二十回を五セット目。そろそろいい汗をかいたし、疲れてきたしで満足かなあ、と思いつつ、腕立て伏せに移行する。
 個人的には、これが一番キツい。
 腕が疲れているせいで最初より大分遅くなりつつも、こなしていると――

「やっほう」
「うがっ!?」

 上から、なんか落ちてきて、べちゃ、と地面に蛙のように潰された。

「なになに、良也。身体鍛えてんの? いや、いいね。強くなろうとするやつは大好きだよ」
「……いいから除け、萃香」

 上から聞こえてきた声に帰す。
 ……一体、いつのまに来やがったんだ。ったく、背中を痛めたらどうしてくれる。

「ん〜? 私くらいの体重、持ち上げてみせなよ」
「くっ、言ったな」

 ぐぐぐ、と気合で腕を伸ばす。……重い重い重い! 萃香は体重的にはたいしたことないはずだけど、僕にはかなりキツい。

「……駄目、重い」
「なっさけないなあ。んぐ――ぷはぁ!」
「人の上で酒を呑むな!」

 文句を言う。しかし、まったく萃香は意に介さない。
 霊夢の方に助けを求める視線を送ると、ヤツめは僕のことなど全く気にせずに、萃香を呆れた目で見ていた。

「なにしてんのよ。ってか、なにしにきたわけ?」
「ん? 私が遊びに来ちゃ悪いかい?」
「良くはないわよ。鬼が現れる神社だなんて、人聞きの悪い」

 なにを今更。

「ひどいなあ。ほれ、こうして約束通り土産も持ってきたっていうのに」

 ぐはっ!? な、なんかいきなりまた重くなったぞ!?

「……良也さん、潰れかけているけど」
「まったく。情けないねえ」

 す、好き勝手言いやがって。
 苦労して僕の背中に座っている萃香の方をちらりと見やると、なんか萃香は自分の身の丈の半分ほどの大きさの壺を持っていた。……散らせていたのを、実体化させたのか。
 そりゃ重いよ!

「萃香。なにそれ」
「お酒だよ。お酒。まあ、まだ中身は水だけど」

 ……水? なにか、これは名水だから、これを使って酒を仕込めば美味い酒になるとでも言いたいのか。

「水?」
「ああ、こいつは一晩眠らせると、とびっきり美味い酒になる。まあ、良也も明日一緒に呑もうよ」

 どすん、と地面にその壺を置く萃香。
 ……や、やっと軽くなった。

 霊力を込めて腕を伸ばし、萃香をどける。

「わっ! ……良也、そりゃ反則だろ」
「一体どんなルールに違反したのか、是非とも聞かせてもらいたいもんだな」

 少し痛む背中をさすりながら、萃香の持ってきた壺を眺める。

「水が、酒にねえ。一体どんな仕組みだ?」
「へっへ、そりゃ秘密――「酒虫ってやつらしいわよ」

 得意そうに笑う萃香を尻目に、霊夢があっさりとバラした。……で、酒虫ってなに?

「霊夢っ! バラしちゃ駄目だろ。種明かしは明日だって思ってたのに」
「別に、一日くらい早まったって変わりゃしないわよ」
「〜〜、まあ、そうだよ。この壺の中には、水と一緒に酒虫が入ってる。酒虫ってのはさ、鬼の一種で、少しの水を与えるだけでたくさんお酒を作ってくれるのさ」

 ……なに、その便利な生き物。
 でも、虫かあ。虫が作る酒……うーん、イメージが悪い。

「前にも萃香が持ってきたんだけど、その時出来たお酒は普通だったわ。酒虫ってやつもいなかったし」
「本当はすんごく美味しいのに。だから、今度はちゃんと良さそうなのを捕まえてきたんだ」
「ふぅん」

 なかなか面白そうだな。明日、ご相伴に預かるか。

「……あ、もしかして、萃香の瓢箪って」

 ふと思いついて聞いてみる。そういえば、あの酒が無限に湧き出る謎の瓢箪。それってもしや、

「気付いた? この瓢箪には、酒虫のエキスが染み込ませてあるのさ。味は落ちるけど、空気の中の水分で勝手に酒を作ってくれる。鬼の特別な製法で作った瓢箪だよ」
「うっわ、すごい欲しい。それ、もう一つ作れないの?」

 あの瓢箪の酒は美味い。それは何度も呑ませてもらっている僕にはよくわかっている。
 あれが酒虫の作る酒って言うなら、虫がどうとかはどうでもよかった。

「あ〜、無理無理。この瓢箪を作れる鬼の職人は、今どこにいるかわからないから」
「……そうなのか」
「それに、酒虫も五十匹は必要かな。流石にそんだけ捕まえるのは面倒だ」

 でも、そうだね、と萃香は考える。

「酒虫をもう一匹捕まえてくるのは、まあ吝かじゃない。私なら一週間と持たないけど、普通の人間が呑むなら一年分くらいの酒は作るんだよ」
「マジで!?」
「でも、タダってのは癪だなあ」

 ニヤリ、と笑う萃香。
 う、言外になにか寄越せと言っている。

「ま、また酒か? つまみか?」
「おいおい、酒の代わりに酒を要求するだなんて、考えちゃいないよ。私はここんとこ、宴会以外じゃ暇を持て余しててね。さっき良也が鍛えているのを見たときは、久しぶりに面白そうだと思ったんだ」
「……おい、なんか嫌な予感がするんだけど」

 鬼ってのはバトルマニアだ。間違いない。力比べとか大好き。萃香なんか、事あるごとに僕や霊夢や魔理沙なんかに喧嘩に誘っている。後者二人はともかく、僕を相手にしたって面白くないだろうに。
 そんな趣味を発揮して、思う存分力比べをしようとか言われても、僕は嫌だぞ。

「私に修行をつけさせな。今から日が落ちるまで、私の修業について来れたら、酒虫を進呈しよう」
「……修行?」
「そう、修行」

 なんだ、それなら直接戦うよりも命の危険はないだろう。鬼の修行なんて言うんだから、かなりキツいことは予想できるが、そもそも修行ってのは強くなるためのもの。まさか虐待するだけで終始したりはしないだろう。
 もうかなり疲れているが、日没まで後四時間ほど。……まあ、それくらいなら、気合で切り抜けられるか。

「よっしゃ、いいぞ」































 ――なんて、言っていたのはどこの誰だぁぁあああああーーーーっっっ!!

「ほらほら! 走れ走れ! 何事も、基本は走ることだよ。飛んだり、霊力使ったりしたらすぐ潰すからね!」

 後ろから、ドでかい岩が転がってくる。その上に乗っている萃香が萃めて作り出した大岩だ。左右に逃げ場はない。これまた萃香が周りの地面を隆起させて、大岩がギリギリ通れる程度にしたから。
 上も無理。理由は先程萃香が言ったとおりだ。

 潰されないためには、前へ、前へ! 走るしかない!

 って、この状況……

「どこのインディ・ジョーンズだぁぁぁーーー!?」
「印度がどうしたい、良也!? 天竺まで走りたいのかい!」

 んなわけあるかっ。

「それとも、この岩に立ち向かう? 霊力を使ってもいいよ。受け止めきれたら、そこで終わりにしよう」
「くっ」

 言われて、そっちの方が楽かな、と思った。
 後で考えると、走り疲れて相当キていたんだろう。

「くそ、舐めるなよ!」

 肉体に霊力を通す。そうすると、僕の身体能力はかなり上昇する。
 そりゃ、霊夢とかそういう連中と比べられても困るが、人間レベルをちょっとは上回る。

 さて、ここで問題。

「う」

 目の前に、僕の身長より高い岩がかなりのスピードで転がってくる。さて、一体何トンあるでしょうか?

 ……ちなみに、例えば重量上げなんて、オリンピックでも数百キロの世界だ。トン以上の大岩を受け止める……多少人間離れしてても、どうにかできる訳がない。

「んぎゃ」

 ぷち、と潰された。

「もう、楽な方に逃げようとするからだよ」

 ……うるせぃ。

























「さて、もう少し重くても大丈夫かな?」
「無、理、だよ、馬鹿、野郎」
「おおっと、仮にも今は師匠なんだ。そういう口答えはいけないねえ」

 はい、追加ね、と背中におぶさった萃香が、また一段と重くなる。

「さて、この状態で石段を十往復行ってみようか」
「そ、の前に、足滑らせて、落ちるぞ」
「大丈夫。私は逃げるから」

 そう、これは重くなった萃香を背負って石段を往復する修行。……一体どういう原理で重くなっているんだ、と疑問に思う。子泣き爺か、お前は。
 まあ、巨大化までする鬼に、質量がどうとか言っても意味のないことかもしれないが。

 一歩前に進むたび、滝のような汗が流れる。こ、これは身体が鍛えられるより前に、身体がおかしくならないか?

「ほらほら、フラフラしてる。もうちょっと真っ直ぐ行きなよ。乗り心地が悪い」
「ぐ……」

 好き勝手言いやがって! こちとら、足を踏み外さないだけでも精一杯だと言うのに!

「はあ、はあ」
「……良也さん、大分お疲れね」

 やっと片道一回終わり。博麗神社の石段を登り切ると、箒を持った霊夢が呆れたように僕を見ていた。
 多分、僕の方は幽鬼のような顔をしていただろう。流石萃香。この短時間で僕を(幽)鬼の仲間入りさせてしまうとは。

「悪いね、霊夢。今こいつは修行中なんだ。女人は禁制さ。話しかけないでやってくれ」
「お前ね……」
「おおっと、私は別だよ? ししょーだからね」

 訳がわからん。お前、楽しんでるだけだろ。

「ほらほら、ぼさっとしてないで降りる降りる」
「わかっ、てる、よ」

 声も途切れ途切れだ。ていうか、支えている手をのけて、萃香を落としてしまおうか。

「ちなみに、私を落としたら十往復追加ね」
「……するわけないだろ。レディを落とすなんて、そんな馬鹿な」

 チィ、読まれてやがる。

「そう? いやあ、よかった。良也が紳士で」
「はは、は」
「ハハハハハ」

 畜生。




















 散々に身体を苛めた後は技だ。
 そう前置きした後萃香に、『剣持っているんだろう? 持ってきな』と言われ、草薙の剣レプリカを持ってきた。

「ふぅん。強い剣だね」
「あ、わかるんだ」
「わかるさ、そりゃ。前見た安綱ほどじゃないけどね」
「……童子切と比べられてもなあ。オリジナルの方なら圧勝だろうけど」

 国宝で、天下五剣の一つだぞ、おい。

「おいおい、良也。童子『切』とは穏やかじゃないね」
「へ?」
「ありゃ安綱だよ、安綱。童子切なんて物騒な」

 こいつ。前々から思っていたけど、もしかして酒呑童子本人なのか? 日本三大悪妖怪の? 酒呑童子の配下の四天王に、星熊童子っているし、関係者なのは間違いないと思っていたけど。
 ……考えると怖いから、気にしないでおこう。

「確か、その剣は攻撃を無効化出来るんだってね」
「……誰から聞いたんだか。そうだよ」
「ふぅん、じゃ、頑張って防げ」

 は? と声をあげることも出来なかった。
 ドンドンドン! と、連続して萃香が弾幕を放つ。

「うおおおおおっ!?」

 疲労で、身体中に鉛を付けたかのように重い身体を無理矢理動かして、全てを払う。

「い、いきなりなにすんだ!?」
「へっ、本当にそんな力を持っているんだねえ」
「いや、だからなにをするのか!?」
「私ゃ、人間に教えられるような技なんてないから。実戦形式で覚えてもらおうと」
「いらねえーーーーー!」

 ――なんて言っても、当然のように聞き入れてもらえない。萃香の弾は、基本力押しだ。だから、この剣一本で防ぐことも、しばらくはできた。

「むむ、良也の癖に生意気に防ぐね」
「そ、りゃ、な」

 ぜひ、ぜひ、ともう息切れしているが。
 弾幕の薄いところに走り、数少ない弾を剣で振り払う。確かにこれは修業になる……といいなあ。弾幕はみんな違うから、意味あんのこれ?

「はっ」
「んがっ!?」

 なんか、少し強い大玉が来た。
 躱せない、と判断して、レプリカ草薙を盾に耐え切る。……あ、余波で服ちょっと敗れた。いいけどね、こっちに来る時は安物しか着ないし、というか僕の私服ってオール安物だし。

「む」
「はあ、はあ……ちょっと休憩を――」
「はっ!」

 さっきより強い弾が来た。

「ぐっは!?」

 力が抜けてふんばりが効かず、吹っ飛ばされる。だけど、無傷ではあった。

「むうう〜〜」
「ちょ、萃香? お前、なんかムキになってないか?」

 今までのは加減されていたが、さっきのはちょっと本気だった気がする……

「これでどうだっ! 『ミッシングパワー』!」
「でかくなるなぁっ!」

 かんっぺきムキになってる。そりゃ、僕なんかに手加減しているとは言えあっさり弾を防がれたら、そうかもしれないけどさぁ!

「あ、逃げるな良也!」
「逃げるわ!」

 もういい。禁止って言われていたが、飛んで逃げる。

「えいっ」

 そして、蠅でも落とすように、ぺちっ、と手で払われた。……剣を盾にしなかったら、そのまま潰れていたかもしれん。

「ちょ、萃香? もう修行ここまでにしよう! ほら、もうすぐ日が落ちる!」
「もうすぐであって、まだ落ちてないよ」

 うわぁい。
 くっそ、僕もやられっぱなしじゃないぞ。炒った豆――はないが、限界まで抵抗してやる!

「火符! 『サラマンデルフレア!』」
「そんなくらいで!」

 ふぅーーっ! と巨大萃香が息を吹きかけると、僕の作った火の玉は掻き消えた。ついでに、僕も吹き飛ばされた。

「うわぁ〜!?」
「ふふん、トドメぇ!」

 トドメって言いましたね今!? 殺す気満々じゃん!


 ――さて、時に、今僕と萃香が争っている場所は博麗神社である。そして、巨大化した萃香が歩くたび、境内に巨大な足跡がついているわけである。

 当然の帰結として、

『あ』

 僕と萃香が、オーラを纏って神社から出てきた霊夢を発見する。

 ぎろり、と僕と萃香を交互に睨み、

 ……博麗神社に、七色の弾幕が弾けた。























「お、本当に美味いな。野趣溢れるって感じで」

 次の日。ボロボロになった境内を徹夜で片付け、労働の後の一杯。萃香が持ってきた酒虫の酒を呑んだ。霊夢も、片付けさえすれば機嫌は直ったようで、嬉々としておかわりをしている。

「そうさ。なんで前のはイマイチだったのかなあ」
「まあ、いいや。ほい、萃香」
「お、あんがと」

 萃香に酌をする。まー、修行でさんざん苛められたが、夜を通して一緒に片付けをしていれば、そんなわだかまりも消える。
 本当に美味い酒だしな。前に呑んだ天界の酒は、洗練されきった酒だが、こちらは色々な旨みが絡み合って複雑な味だ。

「これがこんな虫からねえ」

 ちょっとグロテスクな手のひら大の黒い虫。虫と言うより、山椒魚が近いか。

「鬼みたいに可愛い虫だろう?」
「普通、鬼に可愛いと言う形容詞はつけない」

 いや、萃香のことを言うなら確かに見た目可愛らしいけどさ。中身は鬼だけど。

「あ〜あ、あと三十分も我慢してりゃ捕まえてきてやったのに」
「…………」

 そうなのだ。巨大化した萃香に『修行はここまでっ』宣言をしたため、酒虫をもらう権利を失った。
 ……この味を考えるに、かなり惜しいことをした気がする。

「まあ、いいさ。呑みたくなったら呼びな。味は落ちるけど、こっちの瓢箪の方をご馳走してやるから」
「へいへい」

 今までと変わらないじゃん。

 ……はあ、骨折り損のくたびれもうけ。



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