「ふんふーん」

 鼻歌を歌いながら、釣り針の先にミミズをちょいと引っ掛ける。

 空は快晴。燦々と輝く太陽の下、僕は一人、ゆっくりと釣りに勤しんでいた。

「ほい」

 ぽい、と湖面に餌の付いた針を投げる。ぽちゃん、と軽く水面を震わせて、糸が沈んでいく。
 竿は迷いの竹林から取ってきた竹竿。針、糸は霊夢んところの蔵から借りてきた。

『今日の夕飯の材料は任せとけ』

 と、言った手前、それなりの数を釣らないといけないな……。
 なんて思いつつも、魚がかかるまでは暇だ。ぼけー、っと雲の流れを観察しながら時間が流れるのを待つ。

「あ〜、和む」

 普段の喧騒もそれはそれで楽しいものだけれど、こうして一人、時間の流れを気にせず釣りをするととても癒される。

 小さい頃は近所の川で釣りやってたけど、大きくなったらめっきりやらなくなった。
 しかし、幻想郷に通い始めてから、たまにだけどこうして魚釣りを楽しんでいるのだ。

 まあ、趣味と実益を兼ねた有効な時間の使い方だと思っている。こっちでは、魚は重要な蛋白源。そうでなくても、幻想郷の魚は美味しいしね。

「お」

 くん、と竿の先端がぶれる感触がして、僕は手を動かす。
 餌だけ取られる、なんて間抜けなことはしない。このときの手の返しで、針を確実に引っ掛けるのだ。

 数秒の格闘の末、主導権は僕に移る。最後に釣竿を立て、見事一匹目をゲットした。

「幸先いいなあ」

 針を外して魚を魚籠に入れ、再び針を投入。
 ……さて、昼飯も稼がないといけないから、もう五、六匹ほどは釣っておきたいところだ。

 まあ、でも、結局魚がかかるまでじっとしているしかないんだけど。

「って、ん?」

 空を見上げていると、空の一点に妙な黒い影を発見した。
 その影はこちらにぐんぐんと近付いてきて――

「あれって……妹紅か?」

 なんとか顔の判別が付く頃には、向こうも僕に気付いたようだった。少しだけ針路を変更して、ゆっくりとこちらに降りてくる。

「っと」

 すとん、と僕の隣に軽やかに着地した妹紅は、よう、と手を上げて挨拶してきた。

「や。どうしたんだ、妹紅。こんなところで」

 いつもは竹林を根城にしている妹紅は、そんなに他の場所で見かけることはないんだけどな。

「見て分からないか? お前さんと一緒で、釣りに来たんだよ」
「いや、一応聞いただけ。でも、妹紅も釣りとかするんだな」

 釣竿と魚籠を持っていたから、予想は付いたけどね。まあ、でもそうか。いくら妹紅でも、毎日焼き鳥を食っているわけじゃないんだな。

「あのなあ。こちとら、お前さんとは違って、人里で定期収入はないんだ。自給自足するために、釣りくらいはするさ」
「そっか。そういえば、畑とか作ってたな……」

 前、妹紅の家にちょろっと行ったことがある。家庭菜園ほどの小さな規模だけど、色んな種類の野菜を育てていた、確かに。

「で、釣果のほうはどうだ? ……まだ一匹か」
「悪かったな。僕もまだ始めたばかりなんだよ」
「なるほど……じゃ、私も釣るとしよう。十匹は差をつけてやる」
「……別に競争しなくても良いだろ」

 っていうか、あまりたくさん釣れすぎても食べきれない。別にレジャーで釣っているわけじゃないんだから、適量以上は釣らないだろう。

「ふふん、自信がないのか?」
「自信とかいう問題ではなく」

 とかなんとか話している間にも、妹紅は釣りの準備を整えていく。糸を付け、目敏く餌のミミズを見つけ、ぽいっ、と湖面に針を投げるまで一分足らず。
 流石は自給自足を公言するだけあって、大した手際だった。

 ……まともに競争しても、勝てないだろうなこりゃ。

「さて……こうしているのも暇だ。話でもしようじゃないか」
「いいよー。でも、あんまり騒がしくしすぎると、魚が逃げるぞ」
「その時は移動すれば良いだろ

 妹紅さん、貴方割りと短気でしょう、きっと。

























「ほいっ、っと」

 集めた枯れ木に向けて、弱めの火魔法を放つ。
 一瞬で、焚き火が完成。マッチやライターじゃ火力が足りないからこうはいかない。便利だ。

「手際良いな」
「まあ、こういう使い方は慣れたからなあ。……って、妹紅の方が得意だろ、こういうの」

 確か、妹紅の弾幕は、不死鳥をモチーフにした焼き鳥殺法だったはずだ。火の扱いについては、僕より何段も上のはず。

「加減が難しいからな。私の場合は、かなり慎重にやらないとすぐ薪が蒸発しちゃうんだよ」
「……灰にするどころか蒸発ですか」

 何段も、とか言うレベルじゃなくて次元が違う。それだけ大きい力だから、加減も難しいんだろう。……慎重にやればきちんと制御できるんだから、制御力も並外れたものだけど。

「塩あるか?」
「もちろん」

 持ってきた鞄の中から、塩の入った小瓶を取り出す。
 妹紅が捌いて、串を刺してくれた魚にぱらぱら振り掛けた。

「昔からこういうの憧れていたんだよなあ」
「憧れ? 何の話だ」
「いや、こうやって釣った魚をその場で串に指して焼いてがぶりっての」

 妹紅にとっては当たり前のことなので感慨なんてないだろうけど、現代じゃキャンプ場に行っても設備が整いすぎていて、こういうサバイバル的なことはあんまり出来ない。
 漫画とかでこういうシーンはよくあるけど、中々実体験は出来ないもんな。

「そういうものなのか?」
「そういうものだよ。まあ、下らない戯言とでも思ってくれ」

 子供っぽい憧れだ。あんまり詳しく説明する気もない。
 串を地面に刺して、焼けるのを待つ。

「あ、そうそう。お茶持ってきたんだけど、飲むか?」
「ああ、もらうぞ」

 水筒を取り出して、持ってきた茶をコップに入れて妹紅に渡す。
 ぐい、と男らしく一気に煽った妹紅は、『ありがとう』と言いながら返してきた。

 僕もお茶を飲む。……うん、美味い。
 それに、魚の焼ける香ばしい匂いもしてきて……腹が鳴った。

「なんだ、そんなに腹が減っているのか?」
「まあ、普通に。妹紅こそ、お腹空いてるだろ」
「ああ、まあ……そうだな」

 ……なんだ、その歯切れの悪い。もしかしてダイエットとかか?

「最近でこそ、三食食べるようになってきたが……少し前までは全然食べていなかったからな。腹は減っているが、これが当たり前だった」
「はあ? なにそれ。減量にも程があるだろ」
「別に、減量って訳じゃない。単に、食べなくても死なないんだから、食べる必要を感じなかっただけだ」

 え? そうなの?

「……いや、死なないのはともかく、腹が減りすぎて動けなくなるような気がするんだけど」
「空腹感はあるけど、蓬莱人は極端にやせ細ったり、動けなくなったりはしない。私もどういう原理かはよくわからないけどな」
「はあ……便利なもんだなあ」

 仮に無人島に遭難とかしても余裕で生き延びられそうだ。

「便利と言えば便利だけど……これのせいで、昔酷い目に遭ったことがある」
「……昔?」
「お前達が江戸と呼んでいる時代だ。何度か飢饉に見舞われたことがあったんだが……食べるものがないのに、一向にやせ細らない私が、食料を隠し持っていると疑われてな」

 あ、なんか嫌な予感。
 これ以上聞いちゃいけないような。

「人里からはかなり離れて暮らしていたんだが、ある日夜襲にあった」
「は……ははは、夜襲ですか」
「食料なんぞあるはずがないのに、村の連中はそこらじゅうを引っ掻き回してな。いい加減、私もキレたんで、丁重にお引取り願ったが」
「……そりゃ、その村の人たちも踏んだり蹴ったりだな」

 妹紅の力は、幻想郷でもトップレベルだ。そこらの人間が束になったって敵うはずがない。
 本当に『丁重』だったのか。むしろ、丁重に火葬したんじゃないだろうな。

「ふん。いくら腹が減って混乱していても、か弱い女を無理矢理押し倒そうとする連中には、良い薬だ」

 こいつをか弱いと表現するには、まずか弱いの言葉の定義を見直す必要があるんじゃないか?

「しかし、そうすると今度は、私が化物扱いだ。仕方なく、引越しした。それもこれも、あの輝夜のせいで……」
「ま、まあまあ! 落ち着け。もうそろそろ魚も焼ける頃だ。お、おにぎりも持ってきたから、食べろよ」

 これ以上、妹紅の昔話を聞くのは危険だ。なんつーのか、爽やかな一日が一気に暗くなる。

「おむすびか……昔はこれ一個食べるのに、苦労したものだ」
「ああああ――!」

 こ、これだから年寄りはっ!

「どうした、良也? 叫んだりして」
「いや、あのな妹紅……この幻想郷は、とりあえず食料は豊富だ」
「そうだな。有難いことだ。やはり腹が膨れていると落ち着くしな」

 そうそう。だから、暗い過去を見るより、明るい未来に目を向けた方が建設的だ。僕の精神的安定のためにも。

「と、とりあえず食べよう」
「ああ」

 良い感じに焼けた魚を取り、かぶりつく。
 塩味と、野趣溢れる旨み。そこで、おにぎりを食べると、もう至上の美味さだ。お茶を飲めば、これまた美味い。

「よく食べるな」
「まあ、一応男の子ですから」

 蓬莱人は食わなくても大丈夫、とは言っても、やはり食欲は人間の三大欲求の一つ。切り捨てられるものではない。

「美味いものを、美味いと思って食べられるのは幸福なことだ。昔は――」
「あーー! やめやめ。こんな良い天気の日に、なんで暗い話をするかなあ」
「む、人聞きが悪いな。私は、お前のこれからの人生を思って、先達として忠告してやっているというのに」

 あー、そういえば昔、色々教えてとは言ったけどさ。
 でも、昔と今じゃ時代が違うし、教えて欲しいのはそういうのじゃないんだけどなあ。

「死なない、というのは思ったより不自由だぞ。特にお前は、外の世界で生活しているから……」
「ええい、しつこい」

 鞄の中を引っ掻き回して、一升瓶を取り出した。

 今日は一日、爽やかに過ごすつもりだったから呑まないつもりだったのに……いや、持って来ておいて、なにを言っているのかという話だけど。

「ん?」
「呑め、とりあえず、話はそれからだ」
「……まあ、嫌いじゃあないが」

 水筒のコップを渡す。僕は……ラッパ呑みかな。

「ほら、呑め呑め。そして、暗い過去を振り払うんだ」
「なにを訳の分からないことを」
「昔はどうだったか知らないけどさ。だからって、今暗い顔をする理由はないだろ」

 む、と少しだけ妹紅が鼻白んだ。

「持って帰る予定だった魚、全部焼いちゃおう。また後で釣れば良いし」
「あのな……いや、そうだな。全部食べてしまおう」

 あ、少しだけ妹紅もノってきた。

 よし……じゃあ、今日はこの先輩と、思う存分呑むとするか。













 ――当然の話だけど、魚を持って帰れなかった(ていうか、酔い潰れて朝帰りだった)僕は、霊夢にヤキを入れられたのだった。



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