「あれ?」 それは、博麗神社でお茶を飲んでいたときの話だ。 石段を登って、幻想郷にはこの上なく場違いな人物がやって来た。 「…………」 「……こんにちは」 怪訝そうにこちらを見てくるその人に、とりあえず手を上げて挨拶をする。 その人は、ノリの効いたワイシャツにストライプのネクタイを締め、幻想郷を歩き回ったせいか少々薄汚れたスーツを着込んだ……一言で言うと、サラリーマン風の男性だった。 「や、やっと人に会えた。なあ、君、ここはどこなんだい? 私は、会社帰りに気がつくとこんな知らないところに来ていたんだが」 昨日、ちょっと呑みすぎたかな、と呑気な感想を漏らす男性は、もう間違いない。外来人だ。 幻想郷には、時折外の世界から人が迷い込んでくるという話は聞いている。他ならぬ僕自身もそうだし、人里には元外の世界の人間が僅かながらいる。 しかし、こんな迷いたての人を見たのは初めてだった。 「……なあ、霊夢。外来人みたいだけど」 「そうね。運が良いわ。ここに辿り着くなんて」 「運が良いって?」 「大抵、外来人ってのは危機感が薄くてね。こことか人里とかに辿り着くまでに、妖怪に食べられちゃうのよ」 ……マジかい。 「まあ、腹を空かせてなかったり、人に割と好意的な妖怪や妖精に会えれば、なんとかなるけどね」 しかし、隣に座ってお茶を飲みながら淡々と語る霊夢が、冗談を言っているようには思えない。 確かに……人里の人とかは、妖怪をそれとなく避ける術を身に着けているが、外来人にそんなスキルはないもんなあ。僕も最初の頃はルーミアとかに食べられそうになってたし。 「なあ、君達? ここはどこか、教えてくれないか」 「え、ええと」 「良也さん。私に任せておきなさい」 茶を一気に飲み干した霊夢は、慣れた感じで件のサラリーマンさんのところへ行く。 大丈夫かなあ、と思いつつ、お茶をもう一杯急須から注ぐ。 ん〜、ちょいぬるくなってんなあ。 「ば、馬鹿なっ! 大人をからかうのはいい加減にしなさいっ」 「もう、相変わらず、外来人ってのは頭が固いんだから」 あ、やっぱなんか揉めてる。 ……しゃーない、助け舟を出すか。 「あー、どうしました?」 「君! 君は兄かなにかか? 言ってやってくれ。彼女はここが、私の住む世界とは違う世界だと言うんだ。漫画の読みすぎだろう!?」 とかなんとか言葉を荒げて否定するのは、もしかしてこの人もここがただの田舎ではないとわかっているからだろうか。 「残念ですけど、事実です。ここは幻想郷。外の世界……科学が支配する世界じゃなくて、妖怪とか、魔法とか、超能力とか、そういうファンタジーな世界です。まあ、和風RPGに洋風テイストを加味した世界観を想像してもらえば……」 「……っ、話にならん!」 怒って、回れ右をするサラリーマンさん……って、それは駄目だ。 「離してくれ!」 咄嗟に、彼の肩を掴んで止めた。 「駄目ですよ。折角安全地帯にまで来れたのに、妖怪に食べられに行くつもりですか」 「妖怪? そんなものがいるわけないだろう!」 ……うーん、頑固だ。 でもまあ、仕方ないのかもね。僕も、いきなり幽霊の屋敷に飛ばされでもしなかったら、簡単には信じなかっただろうし。 「霊夢」 「なに?」 「飛んで見せてあげて」 りょーかい、と霊夢は疲れたように返事をして、軽く地面を蹴った。 普通なら、小さくジャンプして終わりだ。しかし、霊夢の身体は重力に逆らい、宙を舞う。 「な、なんだ!? て、手品か!」 「違いますよ。あんなん、どこにタネがあるんですか」 上から吊るすようなものもないし、あってもああも自由自在に飛ぶことは不可能だ。 ひとしきり、上空を旋回した霊夢が、軽やかに着地する。 「これでわかってもらえたかしら」 「……しかしっ」 「良也さん……」 「うーむ」 まあ、この人は割と年配っぽいし、仕方ないかなあ。 人間、長く生きれば生きるほど、それまでの常識に凝り固まるものなのだ。って言うと難しいけど、単純に子供の方が夢見がちってだけの話なんだけどね。 勿論、個人差はある。世の中には成人した後もフィクションの世界にどっぷり浸かりまくっている僕みたいな奴もいることだし。 「ええい、じゃあ、これでどうよ?」 と言って、霊夢が僕に向けて霊弾を…… 「って、いい!?」 あまりに突然だったので、対応が一瞬遅れた。 無茶苦茶に腕を振り回し、なんとか霊夢の全ての弾を叩き落とす。 「い、いでて!? なにすんだいきなり!?」 「空を飛ぶより手っ取り早いと思って。手加減はしたわよ?」 そりゃあそうだろうな。何せ、僕が原型を留めているもんな。手はひりひりするけれど。 しかし、僕が弾いた霊弾が当たったサラリーマンさんが大変ではないかい? 「あー、大丈夫ですかー?」 せいぜい、ちょっと強めに小突かれた程度の衝撃のはずだけど、尻餅をついている。……これはどっちかというと、ビックリしてる感じかな。 「ってなわけで、僕とそこの霊夢は、人間ですけどこういう力を持っているんですよ」 「……本当、なのか?」 「疑り深いわねえ。外来人ってのはみんなこうなのかしら?」 よく知っている外来人代表である僕に視線を向けてくる霊夢だが、僕は肩を竦めることしか出来ない。 疑り深いって言うかさ、こっちとあっちの常識に乖離がありすぎるんだよ。 「いや、信じるよ……。ここまでされたらね。考えてみれば、私の住んでいたところの近くに、こんな場所があるわけがない」 ようやく、態度を軟化させたサラリーマンさんが、呆けた様子で認めた。 ……やれやれ、なんとかなったか。 「ところで、貴方が住んでいたところって?」 「私は……」 彼が告げたのは、ここからけっこう離れた都会だった。僕が住んでいるところから、更に遠い。 ……どういう理屈で、生身の人間がこんなところまで瞬間移動してくるんだろう? いや、外の世界の物品が流れてくるんだから、人間が流れてきてもおかしくはないけどさ。 「しかし、幻想郷……か。ここは外とは隔絶されていると言うが、そうすると私は帰れないのか?」 不安そうになりながら、サラリーマンさんが尋ねてくる。 ああ、そんな心配そうにしなくても。 「ん〜、まあ今日中には帰れますよ。なあ、霊夢?」 「ええ。まだこちらの常識に染まっていない人間なら、博麗大結界を越えられるからね」 「……大結界?」 あ〜、気にしないのが吉ですよ、と僕は忠告する。 僕自身もあんまりよくわかっていないんだよなあ、あの結界のこと。 なんでも、物理的な障壁みたいなのじゃなくて、常識、非常識を分ける論理的な結界だそうだ。 だから、幻想郷の常識を身につけていない者ならば、幻想郷から外の世界に抜けるには問題がない。 ……でも、こっちの常識に我ながら染まりまくっている僕が抜けられるのかがよくわからない。かなり強力な妖怪でも歯が立たないって話なんだけどなあ。 「とりあえず、ここと外の世界を分ける壁みたいなものと思ってください。外から来た人は、ここに根付く前は、その壁を越えられるんですよ」 「ま、私が誘導してあげる必要はあるけどね」 霊夢が補足説明をする。 ……って、ん? 今ふと気になったんだが、 「なあ、霊夢。お前って、こういう人を外に帰したことって何回くらいある?」 「え? さあ、数えてないけど……。まあ、十か二十かは超えているわよ」 十か二十……倍は違うじゃないか。でも、霊夢のこのどんぶり勘定具合から見て、実際はかなりの数に上っていると見た。 ってことは、やっぱり…… 「今回は丁度良かったわ。良也さん、一緒に付いて行って上げて」 「へーい」 っと、そうだな。そんなことより、この人を外に帰すのが先決だ。 「君が一緒に?」 「ああ、僕は外で大学生やっているんですよ。こっちへは……ちょっと遊びに来ているだけで」 びっくりしているようだが、勘弁して欲しい。僕的には当たり前になっているんだから。 「それじゃ、貴方。目を閉じてもらえるかしら」 「あ、ああ。これでいいかな?」 「それじゃ」 そっと、霊夢がサラリーマンさんの頭に手を触れ、なにごとか集中する。 ……さて、 「じゃ、霊夢。この人に道を教えたらまた帰ってくるわ」 僕も目を閉じて、外の世界を強く意識する。 ふっと、意識が遠くなるような感触がした。 ……そんな、ぼやけた感覚も一瞬。段々と、『壁』を越える感触がして……目を開けてみると、寂れて雑草が生え放題の神社があった。 頬を撫でる風が、なにか生ぬるい。 ……さて、あの人は、っと。 「ああ、いたいた」 「……ここは」 いきなり景色が変わったので、驚いているんだろう。 ……さて、と。 「き、君。ここは、どこだい?」 「ここは、『外の世界の』博麗神社です。……まあ、さっきの神社の表側とでも思ってもらえれば」 幻想郷と外の世界に同時に存在する建物なんぞ、想像できるとは思えないが。 「ちなみに、ここは○○県の××村。……まあ、聞いた事はないでしょうけど」 「○○県……?」 遠くから来ているらしきサラリーマンさんは、怪訝な顔をする。どうやったらそんな遠くまで来れるのか、と疑問に思っているようだった。 ……いやあ、その辺の理屈は、僕に聞かれても困りますがね。 「そう。人家はずっと遠いけど……。あの山の向こうに行けば、小さいバス停のある集落に着きますから」 僕は最寄駅から飛んできているので、緊急の買い物とかでもない限り行かないけどね。 そんなに高くない山だし、普通の人の足でも半日あれば着くだろう。 「あ、ああ。そうか、わかった」 言いつつも、サラリーマンさんはふらふらと歩き始め、朽ちかけた石段に腰掛けた。 「……えっと?」 「君……あそこは、夢だったのか?」 そう僕に聞く時点で、夢じゃないってことはわかっているだろうに。 「さあ。貴方がどう解釈するかは自由だけど」 「そうか……そうだね」 遠くのものを見るような目で、集落があるという方角を見つめるサラリーマンさん。 「なにか、本当に夢のような場所だったな。ああいうところが、あるのか」 「それはわかりますけどね」 こっちで生活していると、時々僕も、幻想郷が本当にあるのか疑問に思ってしまうことがある。 そのたび、自分の能力を自覚して、ないはずがない、と確認するのだが。 「さて、帰り道を教えてくれてありがとう。是非御礼をしたい。君の名前は?」 「いいえ。これくらい、なんてことないですよ」 自己紹介して、僕の名前が変に広がってもアレだ。 ……それに多分、してもすぐ忘れる。 「そうかい。それじゃあ……」 と、言いかけた男性の足元に、亀裂が走る。 空間の隙間に、落ちて行き……やがて、亀裂は閉じた。 「スキマ」 「気付いていたみたいね」 と、男性を落とした隙間が再び開き、八雲紫が姿を現す。……やれやれ。 「なんとなく、気配というか……勘?」 「そう」 「それに、初めて外に帰った外来人に会ったけど……もしそのまま帰っていたら、幻想郷のことがもっと広まってそうなものだって思ったからな」 だから、あの男の人と話している間にふと気がついたのだ。もしかしたら、スキマがなにか細工しているんじゃないかって。 「ご明察。彼は、幻想郷の記憶を消して元の場所に戻したわ。ま、そのまま私の御飯にしてもよかったんだけど」 気軽にとんでもないことを言うスキマだけど、どうなんだろうね。 こいつが人を喰ったところを見たことがない。僕と交流のある何人かの妖怪も同様だ。……ああ、レミリアとフランドールは血は吸ってるけど。 人間を襲わない妖怪はいない。人を襲わないなら、それは妖怪じゃない。 ……だそうなのだが、思うに、人を襲うイコール喰うってことじゃないと思う。時々、連中は洒落にならない悪戯を仕掛けてきたりするけど、それも十分襲うってカテゴリに入っているんじゃないだろうか。 ……好意的に解釈しすぎかなあ? まあ、こっそり喰っている可能性は否定できない。 でも、健全な付き合いのため、僕は直接目撃しない限りあえて気にしないつもりだ。 「冗談にしてはタチが悪いぞ」 「そう?」 「そうだよ」 ったく。……真面目に相手をしていると、またなにをさせられるかわかったものではない。とっとと博麗神社に帰ろう。 と、思って僕が博麗大結界の境界に手を伸ばしたとき、スキマから声をかけられた。 「そうそう、この機会に一つ忠告、というか、聞いておきたいことがあるんだけど」 「………………」 特に答える必要性も感じられず、僕は結界を越えるため目を瞑る。 「貴方、いつまでこっちとそっちを行き来するつもりかしら? どちらに『所属』するか、そろそろはっきりさせたら?」 「……む」 あ〜、そうだねー。例えば東風谷とか。外の世界を捨てて自分の世界を幻想郷と決めたわけで、僕だけこうやって行き来するのはズルいかもしれない。 でも、だからこそ出来ていることもあるわけで。外のお菓子とかはみんなに好評だし、わざわざやめることもないじゃないか。 大体、スキマの物言いだと、『外』と『幻想郷』がまるで別個の世界でどちらか片方しか選べないように聞こえるけど、僕から言わせればどっちも同じなんだよ。単に壁で仕切られているだけで。 壁をよじ登る僕みたいなのがいてもいいじゃないか。大体、それを言うならスキマだって行き来している。 理論武装完了。 「幻想郷と外の世界のハイブリットってことで、一つどうだろう」 「……まあ、今はそれでいいのかもしれないけれど」 呆れたようなため息が聞こえた。 「でも、大変じゃない? ここまで来るの。今は良いけれど、将来働くようになったら、こちらに来るような余裕はないと思うのだけれど」」 「いきなり現実的な話になったな……」 どー答えろと。 まあ、確かに来る頻度は少なくなるかもしれないが……。でも、休みはなくはないだろうし、なんとかなるだろ。 「私としては、霊夢や色んな連中が貴方のことを気に入っているみたいだから、幻想郷に居を構えて欲しいのだけれどね」 「まあ、検討しとく」 でも、検討だけでしばらくは幻想郷に住所を移すことはないだろう。 外の世界と幻想郷。どっちにもいいところがあって、僕にはその両方が必要なんだから。そして、外の世界のお金は幻想郷のお金に(菓子を売るという形で)換金できるが、逆は無理だ。 なので、外の世界の『いいところ』を取るためには、こっちに生活圏は置かないといけない。 ……具体的には、漫画とかゲームとかね。我ながらちいせえー。 「そ」 「なにやら、嫌な予感がひしひしとするんだが」 「さあね。別に、貴方の思うようにすれば良いわ」 妖しい。スキマが僕の意志を尊重するなんてことがあるわけがない。 「楽しみだわ」 「なにが?」 「なんでしょうねえ。さ、貴方は博麗神社にお帰りなさいな」 ……怪しい。 流石は妖怪。 でもまあ、気にしても仕方がないことはよくわかっている。 僕は再び目を閉じて、幻想郷を強く意識した。 帰ってくると、霊夢が『あら』と呆けた声を上げた。 「なに? 良也さん。いつもより、なんか真剣っぽい顔をしているわよ」 「僕はいつも真剣だよ」 「嘘おっしゃい」 また、やけに言い切るじゃないですか霊夢さん。 「……さっき、ちょっとスキマに禅問答を仕掛けられて」 「紫に?」 禅問答とはちょっと違う気がするが、考えさせられるという点では似たようなものだ。 「考えない方がいいわよ。あいつの言うことなんて、九割がインチキ、もしくは単に迷わせるだけの法螺なんだから」 「だろうねえ」 よし、考えないことにしよう。 | ||
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