鋭い風切り音を立て、冷たい刃が頬の数センチ横を通り過ぎる。 ほぼ躱させてもらったその攻撃の後、僕は掬い上げるように切り上げ。 ……と、思ったのだけれど、目測を誤り標的からずっと離れたところを薙いでしまう。 空を飛びながらのチャンバラは、はっきり言って地上とは勝手が違いすぎる。 そんな状態でも、的確な攻撃を加えてくる彼女は、流石は生まれたときから空を飛べるだけはあると思った。 空振りして生まれた致命的な隙。 流石に、それを見逃すことは出来なかったのか、これまでギリギリ避けられる程度の攻撃をしてきた彼女は、今度こそ本気の一撃を繰り出し、 「……降参」 首筋から、僅か数ミリのところに突きつけられた楼観剣の冷たい感触に冷や汗を流し、僕は手を上げた。 「はい」 汗もかいていない妖夢が、固い表情のまま剣を降ろす。 ではもう一度、と構え直す妖夢に、僕は慌てて言った。 「なあ、そろそろいいじゃないか。ほら、幽々子も退屈そうだし」 「……ようやく、こなれてきたところだったんですが」 妖夢は、地上の白玉楼でおかしそうにこちらを観察している主人と僕を見比べると、『仕方ありませんね』と呟いた。 「では、ここまで、ということで。お疲れ様でした」 「お、お疲れ〜」 ふっ、と表情を和らげた妖夢に、気を張っていたことで忘れていた疲労がどっと襲ってきた。 ……うう、疲れた。 ほんの十本ほど手合わせをした、と言葉にすれば簡単だけど、妖夢は絶妙な手加減で僕に終始全力を出させていたのだ。 全力でいかなければすぐやる気を出してくださいと言わんばかりにメタメタにされるし、全力でいったらいったで痛めつけられはしないでも僕が疲れる。 ……なんでこんなことになったんだろ。 明日、間違いなく筋肉痛になるだろうなあ、とちょっとため息をつきながら、僕は手の中にある剣……草薙の剣・レプリカを見た。 こいつが元凶なのだ。 今日、白玉楼に来ることにした僕は、以前妖夢が草薙の剣に興味を示したのを思い出して、この剣を持ってきた。無論、妖夢に自慢するために。 あんまりにも、僕が『いいだろー』と言ったせいか、妖夢が『なら、軽く手合わせしてみませんか?』とちょっと引き攣った表情で提案してきて、 で、『やりなさい』と幽々子が後押しし、こうなったわけだ。 ……ったく。自慢しまくった僕も悪かったけど、妖夢もこんな突っかかってくるなんて、まだまだ子供だな。 僕をぶちのめして、スッキリした顔になってるし。 「はあ……おい、幽々子。お前のところの従者に苛められたぞ。説教してやれ」 「そうねえ。妖夢、もう少し手加減してあげても良かったんじゃない?」 下に下りて、真っ先に幽々子に言いつけてやる。 「いえ、たまには良い薬かと」 「それもそうね」 「あっさり納得するな、オイ」 そんな薬を投与されるほど、僕は病的じゃないぞ。……いや、その、多分。 「それに、そんなに素晴らしい剣を持っているんですから、相応の腕を身に着けてもらわないと困ります」 「いや、困りはしないだろ」 これは、ある意味お守りみたいなものなのだ。 確かに、まともに当てれば相当の切れ味かもしれないけど、そんなものは僕にはあんまり必要ないからな。 「まったく……死蔵するくらいなら、私に譲ってください」 「それは駄目」 僕のコレクションアイテムなのだから。 ……いやまあ、そのうち使おうとは思っている。炎を切り払ったっていう伝承があるんだから、防御の手段としては優秀だろうし。 「その剣は、本物の何十分の一かでも、天下を取る程度の力を持っている。でも、それは正統な持ち主の手にあってこその力。……宝の持ち腐れね」 「わかってるよ。でもまあ、まったく意味がないわけじゃないだろう?」 断言する幽々子に、ちょっとムッとして反論する。 ……いや、わかってはいたけど、正統な持ち主って要するに天皇陛下でしょうが。返納したくてもできねえよ。そんな超VIPになんて近付けません。 「貴方の手にある間は、それは単に頑丈でちょっと切れ味の良い剣ってところよ」 「十分すぎる」 特に、頑丈ってところは重要だ。弾幕の盾にして、持ちこたえてくれれば何も言うことはない。 「……はあ。まあ、いいけどね。その剣は、貴方程度の人物の手に収まっている方が安心だわ。……ああ、香霖堂の主人もだけどね」 えらい言われようだった。 ……まあ、僕と森近さん。男二人組は、完全に弾幕ごっことかから逃げ回るタイプですしね。皇族の血なんて勿論引いていないので、草薙の剣の真の力とやらも発揮は出来ない。 「精進なさい。もしかしたら、多少なら力を引き出せるかもしれないわよ?」 と、言い残して、幽々子は去っていく。 「……どこに行くのん?」 「貴方たちの稽古で埃が立って、汚れちゃったから。身を清めてくるのよ。一緒に入る?」 丁重に辞退した。 「……本当に精巧に作ってありますね。以前見た草薙の剣と、まるで見分けがつきません」 と、僕はこの剣をもっとよく見たいからと、妖夢に部屋に案内されていた。 っていうか、半分くらい強奪された気がする。 「まあ、森近さんのお墨付きだしな。あと、あれは霧雨の剣ってことになっているみたいだから」 「あの方は、道具に関しては凄いですからね」 呟く声も、なんか夢見心地だ。 ……刃物、好きなんだなあ、本当に。 実際に使うのは楼観剣と白楼剣の二振りであることはきっと変わらないだろうけど、それとこれとは別なんだろう。 ……って、言っても、そこまで刃物フェチではない僕は、どうにも妖夢のテンションについていけなくて手持ち無沙汰だ。 何気なく、部屋の中を見渡す。 久方振りに入った妖夢の部屋は、以前入ったときとそれほど変化は見られなかった。 相変わらず、物の少ない部屋。衣服を収納していると思われる和ダンスと、ちゃぶ台くらいしか目に付くものはない。 ……と、思いきや、以前はなかった姿見が追加されていた。可愛い割りに外見を気にしている様子がなかったけど、少しは見た目を気にするようになったんだろうか。 香も変わってる。相変わらず微かだけど、なんか甘い感じに。 ……ふむ。成長しているのかなあ。なんか、年の離れた幼馴染が成長するような、微妙な心境だ。いや、そんな幼馴染、ゲームの中でしか知らないけどね。 あ。掛け軸の熟語が『半人半霊』から『全身全霊』になってる。 ……成長? 成長なのか、これも。もしかして。 「あ、ちょっと良也さん。なにをじろじろと見ているんですか?」 「いや、なんかちょっと変わったなあ、って」 ……下着とか落ちてないかなー。なんて思っていませんよ、うん。 「思ってないってば」 「はい?」 「いや、突っ込まれそうだから、先に予防線を」 妖夢はハテナ顔。 そういえば、そうだ。妖夢はこういうの、あんまり鋭くない方だったな。 「そういえば、確かにこの部屋に招いたことがありましたね」 「そうそう。スペルカードを初めて作った時だ、確か」 懐かしいなあ。 生霊時代というと、もう遥か昔のことに思える。それだけ内容の濃い数年だった。 「良也さんは……あんまり変わっていませんね」 「変わったよー。もう、色々と」 うん。あの頃とは想像も出来ないほどだ。 当時は、自分が魔法使いになったり不老不死になったりすることなんて、想像もできなかった。いや、そんなん想像できる奴なんて、いるならお目にかかってみたいけど。 「いいえ、変わってませんよ。その適当なところとか」 「……む、まるで僕が成長していないみたいじゃないか」 「そういうのとは違うんですけどね」 むう、なんというか、納得がいかない。 しかし、そう言う妖夢はなんか成長したよな。昔と違って、少し頑ななところが取れた感がある。 それもこれも、現世に良く通っているからだろうか。霊夢や魔理沙、その他幻想郷の人妖の影響は大きそうだ。 ……うん、昔は、僕のことをボコって愉悦に浸るような趣味はなかったはずなのに、今日の妖夢は実に楽しそうだったしな。 「はい。この剣、お返しします。出来れば、また見せてください」 「いいよー。普段は博麗神社に置いてるから、そんときにでも」 「ええ。また行かせてもらいますね」 偽草薙の剣を受け取り、腰のベルトに帯びる。いや、佩く、か? ……むう、神代の剣だから、どっちでもいいか? どうでもいいけどね。 「しかし、そんな凄い剣を手に入れたとは言え、あまり巫女の異変解決に付き合わないほうがいいですよ」 「……は?」 「色々と、噂は聞いています。地底に向かったり、空飛ぶ宝船に向かったとか」 よく知っているなあ。 まあ、異変の顛末はいつも射命丸を始めとした天狗たちが記事にするし、里や妖怪たちの間で噂にもなる。知っていて不自然ではないけど。 「ああ、まあねえ。成り行き上……」 「あまり無茶をしないでください。まったく、その危機管理がなっていないところが、変わっていないと言うのです」 ……あれ? いつの間にか僕、説教されてる? 「良也さんは普通の人間なんですから」 「いや、待て」 確かに、僕は自分を普通の人間と思いたいけど、それはあくまで性格とか常識的な部分で、空飛べたり弾幕撃てたりするのは普通じゃないと思います。我ながら。 「あの、妖夢? もしかしてなんだけど、まだ僕のこと心配してる?」 「当たり前です」 うわぁい、死んでも生き返る僕のこと、まだ気にかけてるんだ。ありがたいことはありがたいけど、なんていうんだろう、そろそろ初心者扱いは止めて欲しいというか。 まさか、まだ『幻想郷の歩き方を覚えよう』時代の僕のイメージ? 「……その、僕も慣れてきたし。大丈夫だと思うんだけどー」 控えめに反論してみる。 「へえ。では聞きますけど、今まで一度だって、自分一人の力で妖怪を倒したことがありますか」 「ありませんけどね」 でも、強〜い知り合いが増えているから問題はないのだ ……うん、我ながら他人任せ過ぎるけど。 「で、でも負けても問題なくなったからっ! 異変の度、二、三回死んでるけど、ピンピンしているからっ」 「そういう問題ではありません。それに、死ぬのは気分が良い訳ないでしょう?」 「そうだけどさ……」 うーん、どう言ったものか。 なんというか、妖夢は心配性すぎると思う。まるで僕を子供扱いだ。自分の方が小さいくせに。 ……でも、折角心配してくれているのを無碍にするのも憚れる。 「ま、まあ。気をつけるよ」 なので、大人らしく、適当に誤魔化すという対応を取らせてもらう。 許せ、妖夢。僕も自分から厄介ごとに首を突っ込みたくなんてないけど、仕方ない流れとかもたまにあるんだよー。 「信用できませんね」 「……そこをあえて、信じて欲しい」 いや、ごめん。裏切る気満々ですが。 「はあ、わかりましたよ。でも、自分の力はちゃんと弁えてくださいね」 結局、妖夢が先に折れた。 ……なんだろう、妖夢の方がなんか大人な対応をしている気がするのは。 そ、そんなことないよな。 「そうそう。もうすぐ夕飯の支度をするんですが、食べていきますか?」 「あ、うん」 「巫女の分も包んであげますので」 あ、そりゃ助かる。 そうすれば、霊夢とて文句は言うまい。それに、妖夢の料理の腕は僕よりずっと上だし、むしろ歓迎しそうだ。 「ようむ〜、ごはん〜」 「ああ、はいはい。幽々子様。ただいま準備しますので」 水浴びから戻ってきたらしい幽々子が、情けない声をかけてくる。これは……腹が減りすぎてダレているな。間違いない。 「では、良也さん。今日言ったこと、忘れないでくださいね」 「……へーい」 手をひらひらさせて、適当に頷いておいた。 ……やれやれ、本当に、僕を侮っているな。 その日の帰り、ルーミアに襲われた。 「おー、久方振りー! ちょっと齧らせてくんない?」 「涎を垂らすな、牙を見せるな、スペルカードを使うなぁぁぁ!!」 なんとか逃げ切ったものの、妖夢手製の霊夢への弁当は、なくしてしまった。 帰って、霊夢にボコられた。 妖夢の忠告、この身にしかと刻み込もう、と誓った。 | ||
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