「まったく、人のものを勝手に持っていってはいけないと、貴方はそんなことも習っていないのかしら?」
「だーかーらー、前から言っているように、借りているだけだぜ。私が死ぬまで」

 と、そんな口論をしているのは、我が師匠であるパチュリーと、悪友である魔理沙であった。

 本日、パチュリーの図書館で勉学に耽っていると、いつもどおり魔理沙が突っ込んできたのだ。
 僕は知らなかったのだが、ここ最近よく来ているらしく……とうとう堪忍袋の尾が切れたパチュリーが弾幕戦の名を借りた奇襲を仕掛け、見事魔理沙を仕留めた。

 で、説教である。
 相当鬱憤が溜まっているらしく、既に三十分、パチュリーは休まず言葉を吐いていた。

 ……喉の調子がいいなあ。いつもなら、とっくに咳き込んでいる頃なのに。

「どうぞ」
「あ。ありがとうございます、小悪魔さん」

 小悪魔さんがこっそり持ってきてくれた紅茶を一口啜る。……うん、美味い。

「しかし、あれはどうにかならんもんでしょうか」
「さあ。まあ、あの魔法使いには、いい薬でしょう」
「魔理沙、どのくらい持っていったんですか? ここ、本が多すぎて、なくなったかどうかわからないんですけど」

 魔理沙の目的は、魔導書だ。
 しかし、この図書館。蔵書は僕が把握しているだけでも数千は余裕で越えている。頻繁に来ているとは言え、目に見えて本が少なくなったようには見えなかった。

「量は大したことないんですけどね。ほんの百冊ほどで」
「……百、ですか」

 大したことがないと言い切る小悪魔さんだが、僕の感覚からいくと百は大したことあるなあ。

「ええ。この図書館の蔵書からすればほんの一部なんですが……どうも、あの人間。稀少な魔導書に鼻が利くようで。特に貴重なものが根こそぎ持って行かれたんですよ」
「うわぁ〜」

 高位の魔導書ともなれば、売却すればかなりの値がつくそうだ。……まあ、幻想郷では買い取ってくれるのは香霖堂くらいだけど。
 とにかく、そんな魔導書を百も。っていうか、魔理沙はちゃんと読んでいるのか。

「そんなんだったら、取り返しに行けば良いのに」
「パチュリー様は出不精ですから」

 引き篭もりと、端的に言ってやれば良いのに。

「それに、パチュリー様もあの人間には期待しているんですよ。戦闘力はともかく、魔法使いとしては今の彼女はパチュリー様には到底及びませんけど。でも、遠からず自分と同じ位階に上ってくるって」

 そうでもなければ、自分の貴重な財産である魔導書を持って行くことを見逃すことはありません、と小悪魔さん。

 ふーん……なんだかんだで、仲が良いと思っていいのかな。
 まあ、普段のパチュリーの様子からして、魔理沙を悪く思っているわけじゃなさそうだし、あれは行き過ぎたことを説教しているんだろう。

「……小悪魔さん。ちなみに、僕についてはパチュリーなにか言っていました?」
「え? は、ははは……どうでしょうねえ」

 曖昧な笑顔で誤魔化そうとする小悪魔さんだけど……その反応だけで、十分すぎるほどわかってしまった。

「……いいさいいさ。わかっていたもん」
「で、でもっ! もしかしたら『面白い』成長をするかもしれない、って言っていましたしっ」
「面白い、ですか」

 全然フォローになってないよね。
 まあ、一番最初に言われたことだけどさ……僕の魔法の才能は普通だって。

 納得済みで習い始めたんだけど、ここまで来て『お前は大成しない』って言われたら、そりゃそれなりに凹む。
 いーけどさ。

「大体貴方は――うっ、ごほ、ごほっ!」

 あ、とうとうパチュリーが咳き込み始めた。
 魔理沙、どうしていいか困っている。あ、仕方なく背中をさすり始めた。

 ……やれやれ。

「良也さん。こちら、薬です。私は水を持ってきますので、よろしくお願いします」
「はいはい」

 小悪魔さんから喘息の薬を受け取り、僕は二人の方に向けて飛んだ。



















「ごほっ……どうもありがとう、良也」
「どーいたしまして」

 薬でどうにか発作は収まったらしく、パチュリーは咳き込みながらも礼を言ってくる。

「ったく、あんなに長いこと話すからだ。大丈夫か?」
「お前が言うな」

 心配している様子を見せる魔理沙だけど、その元凶が言うようなことではない。窘めると、ちぇっ、と拗ねてそっぽを向いた。

「魔理沙。あんまりパチュリーを困らせるなよ」
「べっつに、困らせてなんか……」

 僕は、意識してちょっと厳しい目を向けると、魔理沙の声は尻すぼみになる。
 まー、良識はある方だから、悪いことだってわかってはいたんだろう。それより、自分の趣味を優先するだけで。

 ……よりタチが悪いな。

「ちぇっ、お前は私のお母さんか」
「せめてお兄さん辺りで一つ」

 まあ、お兄さん的存在は森近さんがいるか。あの人の、魔理沙に対する兄貴っぷりは中々のものだしな。
 『お兄ちゃ〜ん』とか甘える魔理沙はまったくもって想像できないが。

「大体、読んだ奴くらいは返しに来いよ。どうせ、積んであるんだろうが」
「馬鹿言うな。借りた本は、ちゃんとその日か次の日までに全部読んでいるぜ」

 よ、読んでいたのか。
 でも、魔理沙の奴、多いときには十冊近くの本を強奪していくというのに、翌日までに全部読むのか……

 やっぱり魔法使いに速読は必須なのかな? 僕も覚えようかなあ。
 でも、日本語か英語ならばともかく、ギリシャ語とかラテン語とかドイツ語とかは、辞書引きながらじゃないと読めないし……意味がない気がする。

「っていうか、読んだんだったら返せよ!」
「あのなあ。一度読んだだけで全部覚えられたら苦労はないと思わないか?」
「そりゃそうだけど。大切なところだけメモっておけば」
「それに、私は大切なものは手元においておく主義なんだ」

 ……あかん、こいつ。反省の色がまったくない。

「パチュリー。なにか一言」
「早く返しなさい。全部とは言わないけど、昔に貸した物くらいはいいでしょう?」
「あー、そうだなー」

 魔理沙は宙を眺めながら、指を折っていく。
 『あれは、駄目……。これは……ん〜、置いておきたいしな』なんて、呟きながら、しばし。

 パンッ、と魔理沙は両手を合わせて頭を下げた。

「すまんっ! やっぱり返せるやつはないや」
「……オイオイ」
「いい度胸ね」

 流石にパチュリーが顔を引き攣らせ、手の中に小さな太陽を生み出す。……おおーい、そのロイヤルフレアって魔法は、周り中巻き込むやつじゃなかったかしら?

「ま、待てパチュリー! それやると僕が死ぬっ!」
「そ、そうだそうだ! 可愛い弟子を巻き込むんじゃないぜ!」

 慌ててパチュリーを止めに入る。
 魔理沙も、流石に日符を喰らいたくはないのか、箒でいつでも防御できる体勢を取りながら言葉だけで止めに入った。

 ……チクショウ、喰らっても耐えられる奴は余裕だなあ。

「パチュリー、後生!」

 肩を掴み、がっくんがっくんと揺する。

「わ、わかった。わかったから! 揺らさないで!」

 ぽひゅぅ、と火の玉が消えるのを確認して、僕はなんとか安堵のため息をつく。……ヤバかった。

「ふ、ふう。よかった」
「……こっちは全然良くないけどね」

 ずれた帽子を直しながら、パチュリーが恨めしげに睨んでくる。……う、だって仕方ないじゃないか。

 しっかし、魔理沙も困った奴だ。確かに妖怪の寿命は人間より遥かに長いし、死ぬまで借りるっていうのも、別に非現実的な話じゃあないけど。
 だからって、きっとパチュリーも読むであろう本をばかばかと……

 なんとか、奴に返させることは出来ないかね? 今はまだ早いけど、そのうち僕も読むことになるかもだし。

 えーと、うーんと。

「あ」

 ぽん、と手を打つ。名案が思いついた。

「どうした?」
「魔理沙、提案がある」
「?」

 二人の視線が集中するのを感じる。……ふふ、この提案を聞いて、驚け。

「お前は、本を読みたいから手元に置くわけだよな?」
「ま、まあな。いざ読みたいって時に、ここに来るまで面倒だし」
「……その言葉については、ツッコミは入れないとして。なら、写本を書けばいい」

 うん、そうすればいいんだ。
 パチュリーも、普段は本を読むか書き写しているか新しく書いているか、って具合に、執筆している割合は意外と大きいし。

「……なるほど。いいアイデアね」
「お、おいおい。まさかあの百冊、全部写せってか? いくらなんでも……」
「あら。人のものを勝手に持っていったくせに、文句でもあるのかしら?」

 ぐう、と魔理沙は声を上げる。
 性格からして、そういうチマチマした作業は苦手っぽいが、しかしそのくらいで魔導書の写本が手に入るなら安いものだと思う。

 うん、我ながらナイス。

「それに、将来貴方が自分の魔導書を書く時のためにも、いい経験になるでしょう」
「……いや、私も研究ノートくらいは残しているけどな」
「それは自分しか読み解けない類のものの癖に」

 だろうね。

 実は前、ほんの興味本位で、魔理沙のノートを見せてもらったことがある。
 なんか、そういうのは見せたくないらしく、かなり渋っていたけど、結局僕のノートと交換で見せてくれた。

 ……で、内容は、チンプンカンプン。かろうじて、魔法の森のキノコを用いて、様々な反応を観察し、それを魔法に組み込む……みたいなことをしているのはわかったけど、肝心の術式とか、効果とかの記述となるとさっぱりだった。

 僕のは僕ので、魔理沙にとっては方向性が違う上に初歩的過ぎて、あんまり役に立たなかったという、どちらにとってもあんまり意味のない交換だったが、しかし僕のはそれでも読むのに不自由はなかったはずだ。

「それに、自分で書き写せば、普通に読むより遥かに深く理解できるわよ」
「う〜〜。それでも面倒だ。なあ、良也。外の世界は印刷技術も発達しているんだろう?」
「……そうだけどな。でも、本となるとスキャナで取り込まなきゃいけないし……」

 そして、僕はスキャナなんぞ持っていないし、大体百冊全ページって面倒臭すぎる。

「それに、本が傷むしな……」
「写本は写本。そのために、原典を損なうわけにはいかないわね」

 僕とパチュリーのダブル駄目出しに、魔理沙は唸った。

「わ、わかったよ。でも、すぐにとはいかないぜ」
「わかっているわ。写し終わったものから、順に返しにいらっしゃい」

 そうパチュリーが言って、決着。

 ああ〜、久しぶりにいいことをした……

「じゃ、ついでにこれは借りていくぜ!」

 はい? と振り向いた時には、既に魔理沙は懐の本を見せびらかせながら、箒に跨ったところ。

「そ、それは秘蔵の! ちょっと待ちなさい!」
「あばよっ!」

 パチュリーの制止の声も届かず、魔理沙は射命丸に次ぐ速さでかっ飛んでいく。
 あ〜、ありゃ咲夜さんが時間を止めでもしてくれなきゃ追いつけないなあ。

「パチュリー? とりあえず魔理沙は、写す気にはなったと思うから、そう気落ちしなくても」

 そう、僕は無責任な言葉で慰め、

「……すわよ」
「え?」
「良也、魔理沙に写本を掴ませるために、今から高位の魔導書を書き写すわよ」

 はいいいい!?

 な、なんでとばっちりが僕に!?

「そろそろ、上級の知識に、触れるだけ触れるのもいいわ。貴方、頭は悪くないんだから、写本を作る過程で一つくらい理解できるかもしれない」
「それで一つ!?」
「当たり前よ。……ああ、そうそう。誤字脱字は締めるから」

 本に関しては厳しいですねっ!







 ――そして。
 何故か、魔理沙のとばっちりを受けた僕は、それからしばらく紙とペンを持ってひいひい言いながら本を写す作業に入るのだった。

 ……なんか、そのおかげで少しは魔法使いとしての知識が蓄えられたけど。
 魔理沙、今度会ったら目の前で泣いてやるからな。



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