霧の湖、と言えば、紅魔館のすぐ近くにあるので、僕も近くを通ったり上空を通り過ぎることはよくある。 その名の通り、年がら年中霧が漂っているが、慣れてしまえばどうということもない。夏場などは涼しくて、水浴びに最適なくらいだ。 ……で、ちょうど紅魔館からの帰りに、その湖の上に妙なものを見つけた。 「……なにやってんだ、ありゃ] なんだろう? と思ってちょっと高度を下げて近付いてみると、すぐにその正体は知れた。 湖の上に流氷。……ここはいつから北極だか南極だかになったんだ? と聞きたくなるような大きさの流氷の上で、氷の妖精がだらしなく腹を出して眠っている。 ……風邪は引かないだろうけど、大丈夫なのかアレ。 「チルノー?」 更に高度を下げ、足元がギリギリ水面に付かないところで止まる。チルノの近くだと空気がかなり冷たいので、ちょっとだけ温度を上げて。 ……声をかけても、チルノは起きない。 「おい、こら」 とりあえず豪快に捲くりあがった服を直してやってから、肩を揺する。 昼寝をしているのかもしれないが、ここは妖精のみならず妖怪も頻繁に出没する危険スポットだ。あんまり無防備だと、妖怪に暇つぶしに襲われるかもしれない。 果たして、『ん〜』としばらくもぞもぞしてから、チルノは目を開けた。 「あれ……? えーと、誰だっけ」 「良也だ、良也」 ……挨拶くらいなら割と頻繁に交わしているというのに、寝ぼけているとは言えなんて失礼な。 「ああ、そうそう。ふぁ……なに? あたいになんか用?」 「用っていうか、なんでこんなところで寝ているんだよ。家で寝ろ、家で」 「ここの湖を凍らせると、丁度いいベッドになるんだよ」 スプリングもなにもない氷のベッドの寝心地がいいとは思えないけれど、氷の妖精なんだから氷には一家言あるのかもしれない……。 「それにしたって、危なくないか? 妖怪とかに襲われたらどうするんだよ」 「大丈夫大丈夫。あたいは最強だから」 ……そりゃ妖精の中じゃかなり強い方だけどさあ。 まあ、ここら辺を根城にしているんだから、流石に危なかったらわかっているだろうし……余計なお節介だったか? 「そうか、そりゃ悪かった。思う存分昼寝の続きを楽しんでくれ」 「もう目が覚めちゃったよ」 んー、とチルノは伸びをして、ふわりと浮き上がる。 「あー、でも起きてもすることがないんだった。それで寝てたんだった」 「することがないって……暇人だな」 「暇なわけじゃないよっ。単に、悪戯もマンネリだし……そう、ちょっと休憩していただけなんだからっ」 さっきと言っていることが違うんだが。 「大ちゃんとでも遊んでいればいいじゃないか。前、確かかくれんぼが大流行とか言ってなかったか?」 いつもチルノとセットでいる妖精、大ちゃん。時にやりすぎてしまうチルノを抑える役目をしている。妖精にしては、かなり大人しく、いい子だ。 「今、大ちゃんいない。おでかけ」 「おでかけ?」 いや、一体どこに。 「大妖精って、地域の妖精のリーダーだからね。なんかあるみたい」 「なんかって……」 「忘れた」 覚えておけよ。親友だろうが。 ふむ……でもまあ、人間に悪戯とかしていないんだったら、別に僕がどうこう言う問題でもない。好きなだけダラダラしていればいい。 「それじゃ、僕は行くわ。あんまり悪戯しすぎるなよ」 それだけ言って、チルノに背を向ける……と、殆ど同時に、僕は身を横に躱した。 直後、脇をすり抜けて行く氷の弾丸。 「……なにをする」 「折角だから、遊んであげるっ」 「一応聞くが、なにをして?」 ここで鬼ごっこ、とかかくれんぼ、とか平和的な遊びだったら、まあ付き合ってやらんでもないが、この展開からして間違いなく…… 「弾幕ごっこに決まっているじゃないっ! あたいが最近開発した新しい弾幕を見せてあげるよ!」 「やっぱりかっ!」 逃げに入る。 大体からして、僕は弾幕ごっこをちぃとも楽しいとは思わない。 そんな遊びで怪我をするのも馬鹿馬鹿しい。 「あっ、逃げるの!?」 「逃げるわ!」 「逃がさないよっ」 なに、この三段活用。 チルノから放たれる弾幕をランダム回避で避け続ける。向こうは、弾を撃っている分スピードはあまり乗っていない。このままいけば、割と簡単に逃げ切れるはずだ。 「避けるな!」 「無茶言うな!」 勝手なことを言うチルノを叱り飛ばす。 大体、これは弾幕ごっこじゃなくて単なるいじめですよねっ! チクショウ、あとで大ちゃんに言いつけてやるからな! なんて考えていると、回避が疎かになってしまい、すぐ傍をチルノの氷弾が通り過ぎる。 「と、とりあえず無事逃げてから考えようっ」 加速する。 ……よし、集中すれば、チルノくらいの弾幕なら躱せなくはない。このまま、無事逃げ帰―― 「あー、もう! いくよっ、新必殺技!」 「必殺!?」 当たらない僕に業を煮やしたチルノの発した物騒な単語に、思わず振り返る。 ……と、チルノが湖の水面に向けて弾幕を放ち、水しぶきを上げているのが見えた。 「なにを――」 しているんだ、と思わず呟きそうになったが、途中でその言葉は止まった。 空中に撒き散らされた細かな水滴が、全て小さな氷の針となってこちらに切先を向けている。 ……一つ一つは、チクリと痛む程度だろうけど、見る限り数は数百や数千じゃきかない。 「待っ――!?」 「いっけー!」 ぎゃーーーーーーっっ! という、僕の悲鳴が霧の湖中に響き渡った。 ……考えてみると、壁を作ればよかったかもしれん。 「って、わけで行くよー」 「……へーい」 負けた僕は、チルノに『今日一日、あたいの下僕ね!』と、引っ張られていた。 ……いいよもう、好きにしてくれ。全身がチクチク痛いし、抵抗する気もねえ。 「で、行くってどこに?」 前を飛ぶチルノに尋ねる。なんとでもなれ、という自暴自棄な気分ではあるが、流石に危険すぎるところは勘弁だ。 「ん? 博麗神社」 「神社ぁ?」 いや、僕今まさにそこに帰るところだったんだけど。 はあ、なんだ。別に、全然危険とかじゃない。まあ、でもチルノには神社は珍しいのかな? なんて思っていたら、この馬鹿とんでもないことを言い始めやがった。 「そう、今日は神社の巫女に悪戯するのっ」 「待てやコラ」 ぐいっ、とチルノの肩を掴んで引っ張る。霊夢に悪戯? 命が惜しくないのかこいつは。 「んなあからさまな死亡フラグは御免被る! お前だってあいつの容赦のなさは知っているだろ!?」 知り合いだからって手加減するような、そんな甘っちょろい奴ではない。っていうか、そこら辺、霊夢は極めて平等だ。とりあえず、敵対したらボコボコにする。 「大丈夫っ、あたいは最強だから!」 「それはいいっ!」 ことあるごとにチルノが言う『最強』。こいつのはアレだ。クリ○ンが地球人の中じゃ最強なのと一緒で、妖精の中なら最強ってことだ。それなら認めてやる。 「それに、前は成功したんだ。真夏に氷柱を作ってやったら、ビビってたし」 「いや、そりゃびっくりするだろうけど」 う、うーん。その程度なら可愛い……のか? 大丈夫だよな……霊夢だって、こんな子供の悪戯程度笑って流―― 「今回は一味違うよっ。山の上の神社でやってやったように、賽銭箱凍らせてやるんだからっ!」 「馬鹿ーーーーっっ!」 死にたいのか!? 「え? なになに?」 「いや……それはやめとけ」 霊夢は別にお金に頓着するようなやつでもないが、それでも賽銭は信仰の目安になるってことで大切にしている。ことあるごとに神社を訪れた連中にそれとなく賽銭を要求しているし。 それを凍らせる……まさに神をも恐れぬ所業。 「大丈夫、大丈夫」 「いや、待て馬鹿! 本当に、本当に洒落にならないからっ」 僕の手を振り解いて、ぎゅーん、と加速するチルノを必死で追いかける。 もし本当にそんな悪戯が成功してしまったら……僕は生き残れる自信がない。 しかし、悲しいかな。僕とあやつの速さはほぼ同等。追い着けることなく、博麗神社のすぐ傍まで来てしまっていた。 チルノは霊夢がいないことを確認もせず、一直線に賽銭箱に向かう。 「ま、待て待て待て! 本当にヤバイって!」 「もう遅いよっ」 勢いそのままに、チルノは手から寒波を発し、 一瞬後、賽銭箱は見事氷漬けになってしまっていた。 「あ゛ああああ〜〜〜!?」 「ふふん、どんなもんよ。あたいの手にかかれば、こんなものさ」 胸を張って言うチルノだけど、ヤバイ。 今は境内に霊夢がいないからいいけど……もし事が発覚したら、どうなるか想像も付かない。 「と、とんでもないことをやってくれたな。一体、どう始末をつけるつもりだ……」 「始末?」 わかっていない様子のチルノ。……だから、わかってからやってくれ、そういうことは。いや、わかってたらやらないだろうけど。 「じゃ、あたいはその木の上で隠れて様子を見ているわ。あんたはあたいの下僕なんだから、巫女にあれを見せて驚かせるのよ」 「いや、待て!」 制止する暇もなく、チルノは宣言どおり木の上に行く。 ……葉っぱに紛れて、見事に偽装していた。普段からやり慣れていることが一目瞭然だ。 って、落ち着いている場合じゃない。僕もとっとと逃げないと―― 「あれ? 良也さん。帰ってきてたの?」 ぎゃーーーーー。 「よ、ょ。よう、霊夢」 「なにどもりまくってんの」 さり気なく霊夢の視界を阻む位置に陣取り、賽銭箱の惨状を隠す。 で、でも自然に溶けるのを待ってたらいくらなんでも――あ、そうだ! 必殺、博麗神社限定広範囲能力展開。そして賽銭箱周辺だけ温度を上げるっ。 や、やってやれないことは……ない、か? で、でも。か、かなり繊細なコントロールが必要だぞこれ。 「……なんか苦しそうだけど」 「な、なんでもない」 話しかけないでー! 集中が解ける! し、しかしやはりこんな方法じゃあ溶けるまでに三十分くらいはかかりそうだ。……し、仕方ない。なんとか霊夢をこの場から引き離さなくては。 「れ、霊夢? ほら、腹減ってないか? 菓子が余っているから食おう」 「でも、今から境内の掃除なのよね」 「あ、後でもいいだろ」 「なんか久しぶりに掃除をしたい気分なのよ」 どうしてこんなときばっかり! っていうか、やっぱりこいつの勘は化物じみている! 「ま、まあまあ。それは僕がやっておくから」 「……? なに、良也さん、どうかしたの?」 流石に、霊夢も怪訝そうに……バレるよっ、バレる! ひょい、と霊夢が僕の後ろを覗き込み、 「……………………」 隠し切れず、霊夢はそれを目撃する。 ……どんどん、表情に色がなくなっていった。チルノ逃げてー。 「さて、と」 陰陽玉と針とお札とお払い棒を取り出す霊夢。……やっべ。これは、本気だ。 「犯人はそこの氷精かしら?」 流石の自称『最強』も、霊夢の雰囲気にビビったようで、びくっ、と木の上から跳ねる気配がする。 ……南無。 「それに、なんで良也さんがそれを隠そうとしたの?」 「い、いやその……」 「そ、それはそいつがあたいの下僕だからっ」 観念して姿を現したチルノがそんなことを言う。って!? 「そう、共犯ってことね」 霊夢の声は驚くほど冷たかった。……冷や汗がたらりとこめかみを流れ、僕の灰色の脳細胞が全速力で言い訳の文言を生み出す。 「ま、待て! ぼ、僕は止めたんだ! でもこいつが聞かないから……」 問答無用、と霊夢は静かに呟き、お払い棒以外の道具を全て空中に浮かべる。 や、ヤベ。 「逃げるぞチルノぉーーーっ!」 「が、合点!」 二人揃って、全力で飛ぶ。 『待ちなさいっ!』とキレた霊夢が追いかけて来て……後のことは、大体わかってもらえると思う。 | ||
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