僕でも、年に一回か二回くらいは、体を動かしたくなるときだってある。
 進んで体を動かすなんて、普段はまずしないのだけれども、そういう気分の時だって稀にはあるのだ。

 ……なので、たまたま紅魔館に来ていたこともあって、軽く美鈴と手合わせをしているのだけれども、

「わかっちゃいたけど、全然敵わないな……」

 三回やって、三連敗。それなりに手加減はしてもらっているのだけれども、勝つどころか攻撃が掠りもしない。

「そりゃ、まあ。私は弾幕よりこちらのほうが得意ですからねえ」
「それにしたって、一発くらい受けてくれてもいいじゃないか」
「相手に合わせて手加減くらいはしますけど、手を抜くことは出来ません」

 ええい、門番の仕事はよく昼寝してサボっているくせに、こと武術に関しては厳しい。
 わかっていたけどさ。しかし、なんとか一発くらい、美鈴の鼻を明かしてやりたい。

「……よっしゃ。ラスト一だ」
「え? もうですか。始めて十五分くらいしか経っていませんけど」
「そろそろ疲れてきた」
「運動不足だからですよ。魔法使いっていう人種はみんなそうなんでしょうか?」

 魔理沙は特別として……確かに、パチュリーやアリスもあんまり運動する方じゃないなあ。ってか、パチュリーに関してははっきりと運動音痴だ。
 ……まあ、方向性が違うって事で一つ。

 とにかく、あと一回。なんとか、一撃を美鈴に当てることを目標に。

 ……あれ、使ってみようかな。アイデアだけで、使えるかどうかわからないんだけど。

「いくぞっ」

 まずは、軽くジャブから。
 牽制以上の意味のないパンチを、美鈴は当然のように弾き、反撃してくる。

 美鈴の本来の威力や速度からすれば、十分の一以下のその反撃をかろうじて捌き、蹴り。

 体力はないけど、体はけっこう柔らかいので、頭を狙った蹴りなんてものも実はできる。
 無論、そんな大振りは軽く首を傾げるだけで避けられたが。

 ここまでは当然の流れ。最近ようやく霊力による身体能力増強なんてものも身につけ始めた僕だけれども、普通の人間に毛が生えた程度の動きで美鈴を捉えることなど無理ゲーすぎる。例えて言うならレベル1でムドーに突っ込むくらいに。

 続く、何の変哲もないパンチ。……こいつに仕込む。

 美鈴は、僕の放った無防備過ぎるパンチを、ちょっと怪訝そうにしながらも見切って躱し、

「え?」

 ぐにゃり、とその拳の軌道が変わった。
 我ながら、見ててキモイ形になっちゃっているけれど、ともかく僕のパンチは最初の軌道から数十センチもズレて、回避した美鈴を直撃する軌道を描き、

「は? ぅうおぅっ!」

 美鈴の胸に当たる寸前、弾ける様に飛び上がった腕に絡み取られ、投げ飛ばされた。

「ぐげ!?」

 痛い、頭が痛い。頭だけじゃない、受身とれない態勢で投げられたものだから、全般的にっ!

「あ、ご、ごめんなさいっ! 大丈夫ですかっ!?」
「だ、だいじょぅぶぅ〜」

 頭がくわんくわん鳴っている気がするけれど、骨とかは折れていない。打撲程度ならすぐ直るステキ体質だし、少し休めば回復するだろう。

「すみません。あまりに予想外の攻撃に、ついちょっと本気を」
「気にしないで……。本気を出させただけで、僕はちょっと嬉しい」

 まあ、本当に美鈴が本気だったら、胸に拳型の穴が空いていただろうけどね。

「……っていうか、今のなんですか」
「能力の応用。腕周辺の空間をくいっと曲げて、パンチの軌道変更した」

 地味に近接戦じゃ有効な使い方だ。もしかして、腕が千切れ飛ぶかなあ、とも思っていたけど、予想通り見た目上曲がるだけで特に腕に違和感とかはない。
 腕が千切れ飛ぶ……要するに空間ごと切断するような真似は、もっと……なんて言えばいいんだ? とにかく、もっともっと曲げ切らないといけない。多分。

「はあ。よくわかりませんけど、凄いですね。もし、もうちょっと速ければ、防ぎきれないところでした」
「っていうか、あそこで対応できる反射神経が凄いと思う」

 妖怪だからか? 人間の反射速度じゃないぞ、ありゃ。

 でも、とりあえず新しい技ができた。弾幕ごっこじゃ完全無欠に役立たずだけど、使うことも……あるかなあ? ない気がするなあ。空間操作は疲れるから、連発できないし。
 いや、しかし。とりあえず名前をつけよう。えーと、空間を曲げる技だから、ディストーションパンチ? ……某機動戦艦を彷彿とさせるから却下。

 ……いいか、名前は。

「ラストって言っていましたけど、もう一度どうですか? 今の技の使い方とか、考えた方がいいと思いますし」
「パス。疲れる」
「はあ、仕方ありませんね」

 呆れたように美鈴はため息をつく。

 しかし、仕方ないじゃん。僕の『久しぶりに運動したい』って欲求は、とっくに解消されたんだから。

























「精が出ますね」
「あれ? 咲夜さん」

 美鈴との手合わせを負え、一緒に整理体操をしていると、いつの間に現れたのか、咲夜さんがバスケットと水筒を持って現れていた。

「あれ? 今日はレミリアは?」
「妹様ともども、ただいま就寝中です」

 そっかー、吸血鬼だもんなあ。昼間はおねむの時間か。
 ……その割には、けっこう昼間でも出歩いている気がするけれど、多分あれは僕が昼夜逆転の生活をするのと同じようなもんなんだろう。

「はい、美鈴。今日のお昼よ」
「あ、ありがとうございますー」

 嬉々として咲夜さんからバスケットと水筒を受け取る美鈴。微かに香ってくるのは、なんだろ、これ鶏かな?

「サンドイッチです。多めに用意しましたので、もしよろしければ良也様もどうぞ。中で食べられるのなら、用意しますが」
「いや、サンドイッチ美味しそうだし頂きます」

 お客対応モードの咲夜さんは、微妙に苦手だなあ。
 しかし、慇懃な態度の裏で、何を考えていることやら。咲夜さんって基本的に、主人のレミリア以外の人間はどうでもよさそうだし……

「なにか?」
「……なんでも」

 鋭い。相変わらず、僕がちょっとでも不埒なことを考えようものなら、一瞬で看破して睨んでくる。
 怖いなあ。

「よければ、咲夜さんもご一緒しません?」

 今日はいい天気なので、お誘いしてみる。
 見る限り、バスケットの中のサンドイッチは、三人分くらいは十分賄える量だし。

「いえ、遠慮しておきます」
「……そう言わず」
「しかし、まだ仕事があるので」

 いやいや、この人に限って仕事が忙しいから、ということはありえない。なにせ、時間を止めてしまえば、タイムラグなしに全ての仕事を終えることも可能なのだから。
 ……しかし、毎日時間を止めてて老けないのかなあ。

「なにか?」
「なんでも」

 微妙に視線を逸らして答える。……いやあ、怖いッスよ。

「咲夜さん、一緒に食べましょうよ。こんないい天気なんですから」

 美鈴が、抜けるような青空を仰いでそう誘う。
 僕だけでなく、門番からの誘いも受けて、咲夜さんは少し逡巡した後、ため息を付いた。

「それじゃあ、失礼して」
「やった」

 美鈴が手を叩いて、門の影をごそごそする。
 ……ピクニックシートが出現した。

「そんなもん隠してたのか」
「はい。他にもお茶セットや、暇つぶしのための文々。新聞のバックナンバーと小説、あとは枕が……」

 自慢げに説明していた美鈴が、笑顔のまま固まる。

「枕?」

 咲夜さんが鸚鵡返しに問い返し、ガタガタと美鈴は震え始めた。

「なんで枕が必要なのかしら? ねえ、美鈴」
「い、いえ! なんといいますか、これは――!」

 言い訳を紡ごうとする美鈴だけど、いやいや、無理だろう。僕は軽く目を瞑って黙祷を捧げる。まだ死んではいないけど。

「……はあ、とりあえず、昼食後に話を聞きます」
「は、はい〜」

 およ?

「なんだ、珍しい」
「いつもいつも怒っているわけじゃありません。たまには」

 咲夜さんが困った顔でをする。いやあ、でも、美鈴相手にはいつも怒っているイメージがあるけどねえ。

「あ、ほらほら、準備できましたっ」

 誤魔化すように、シートに座るよう進めてくる美鈴に笑いを禁じえない。
 ……まあ、いいけどね。

 どっか、と腰を下ろして、ふと自分の立ち位置を客観的に見る。

 ――やっべ、メイドさんと一緒にシートに座るとか、なんてイベント?

 ここで、『はい、ご主人様。あーん』とかしてもらったら、僕はもう死んでもいい。

「なにか?」
「いやいや、ほんとなんでもないですから」

 誤魔化しも三度目となると、慣れたものである。笑顔で何も変なことは考えていませんよ? と主張する。

「そうですか……」

 微妙に納得がいっていない風だったけど、流石に考えは読まれていないだろう。もし読まれていたらナイフを投げつけられているのは多分間違いない。

「さぁさ、頂きましょう」

 バスケットを広げ、水筒の紅茶をそれぞれカップに注ぎ、美鈴が手を合わせる。
 僕も手を合わせる。

 いただきます、と三人の声が唱和して、それぞれ思い思いのサンドイッチを手に取った。
 ……僕が取ったのは、焼いたチキンとレタスが挟まったもの。軽くトーストされたパンはまだ暖かい。

 一口齧ってみると、これがまた美味い。紅茶にも良く合う。

 ……うーむ、紅魔館でこうも穏やかに過ごせるとは。大抵、レミリアに血を吸われたり、フランドールにまとわりつかれたりして気の休まる暇がないというのに。

「ああ、そういえば、パチュリーも呼んだほうがよかったか」
「でも、パチュリー様は太陽の光が苦手ですけど」
「……そういえばそうだ」

 そういう意味でも、レミリアの友達なんだよなあ。

 そして、まったりと過ごす。
 穏やかに過ぎる時間。やはり僕に似合っているのはこういう空間だよなあ、と一人うむうむと頷いていると、遠くからキィィィ、と小さな音が聞こえた。

「……なんだ?」

 僕がそっちに視線を向けるのとほぼ同時に、美鈴が立ち上がっていた。

「美鈴。紅魔館の門番の力、教育してあげなさい」
「はいっ! 今日こそはここは通しませんよっ」

 咲夜さんがリラックスした様子で紅茶を飲み、美鈴は空に飛び上がり構える。
 ……ってかチャイナ服だから、下から色々見えちゃうんだけどー。

 思わず、飛び上がる美鈴を視線で追おうとした僕の首筋に、冷たい感触がぴたりと張り付く。

「紳士は見ない。でしょう?」
「は、はい」

 右手で紅茶を飲みながら、左手でナイフを突きつけてくるパーフェクトメイド・咲夜さん。パネェ。

 仕方がないので、音がする方向を見て、うげっ、と小さく漏らす。

「魔理沙……」
「そうね。さて、美鈴は今日は勝てるかしら」
「むしろ、勝ったところを見たことがないんですが」

 魔理沙と思しき流星は、ぐんぐんと近付いてくる。
 上を見てはいけないのでわからないが、多分そろそろ美鈴が構えているはずだ。

「白黒! 今日こそはここは通さな――」

 ばびゅんっ、とすさまじい勢いで上空を閃光が走り抜ける。
 ややあって、目を回した美鈴が落ちてきた。

「……今日も負け、と。あの魔法使い対策、そろそろ真剣に検討するべきかしらね」
「うう〜、面目ないです」

 美鈴が涙目になっている。
 ……あ〜あ。魔理沙め。今度会ったらやめとけ、って言っておくかな。

「お、美味そうじゃないか」

 ひょい、と半分ほど残ったサンドイッチの、四分の一ほどがいきなり現れた手に掻っ攫われる。

「……魔理沙」
「よお、良也。紅魔館でピクニック気分か?」
「そんなところだが、なんでお前が食っている」

 いやあ、腹が減っててな、と笑って言う魔理沙。我が物顔過ぎる。

「あっ、今日という今日は許しませんよっ!」
「おっと、お前と殴りっこするつもりはないぜ!」

 じゃあなー、と魔理沙は箒に乗ってぶっ飛んでいく。もごもごと口を動かして……いや待て、あれ全部口に入れたのか?

「はあ」

 涙目の美鈴。ため息をついている咲夜さん。

 ……まあ、紅魔館の割には、平和な一日だったな。















「あら、おはよう」
「げっ、レミリア……」
「げ、とは失礼ね。咲夜、寝起きのジュースを」

 ジュースにされた。



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