「んん〜?」

 なんかいい匂いがして、目が覚めた。

 寝起きのせいか、昨日しこたま呑んだ酒のせいか、まだ頭は霞みがかかったようにぼんやりしているが、鼻だけはひくひくと動いてその匂いの元を探る。

「……って、ここどこだ」

 と、そこでやっと自分が見覚えのない和室に寝かされていることに気がついた。
 いや、見覚えがない――? あれ、どっかで見たことあるような。

「えっと、昨日は……」

 記憶を探る。
 確か、勇儀さんに礼のお酒を持ってきて、そのまま旧都の路地で宴会になって……最後は、ええっと、確かお燐が……

「あ、地霊殿か」

 ぽん、と手を叩く。
 そうそう、あの死体を運ぶ荷車に運ばれて、なんか精神的にも気持ち悪くなって気絶しちゃったんだった。

 ……んで、この客間。見覚えがあると思ったら、前お空に消し炭にされた後寝かされていた部屋だ、うん。

「お燐が運んでくれたのか」

 後で礼を言わないと。

 でも、その前にこの匂いの元だ。なにやら美味しそうで、すきっ腹に響く。

 ふらふらと、その匂いに惹かれるように布団から這い出て、僕は歩き始めた。

 当たり前の話だが、今回はちゃんと服を着ていることを確認している。
 ふふふ、この土樹良也、同じ失敗は二度繰り返さないぜ。服も昨日のままだし、ちょい汗でべたついて気持ち悪いけど、着替えさせられたってわけじゃないみたいだしね。

 などと、頭の片隅で安堵しつつ、長い廊下を歩く。
 ……でも、匂いが届くくらいだからそんなに遠くはない。すぐ傍にあった台所らしき部屋を覗く。

「〜♪」
「……あれ」

 さとりさんが料理をしている。

 いや、それだけなら別にどうってことないはずなんだけど、あの人仮にもこの屋敷の主人だよな?
 しかも、なんか味噌汁の味見をしている仕草が異様にサマになっているんですけど。

「あら?」

 鼻歌を止めて、さとりさんが振り返る。

「おはよう。よく眠れたかしら」
「あ、はい。おかげさんで。すみません、布団借りちゃったみたいで」
「構わないわ。お燐が勝手にやったことだし。あの娘が死体じゃない人間に懐くなんて珍しいわ。あの巫女もそうだけどね」

 や、そこはそれ、私キャットマスターですので。

「丁度よかった。今、朝餉が出来上がるところよ」
「あ、いただいてもいいんですか?」
「どうぞ。どうせこいしは来ないでしょうし」

 どうせ、とかいいながら毎日妹の分を作っているのか? なんというか良いお姉ちゃんだと思う。

「運ぶのを手伝ってもらえますか?」
「ああ、了解」

 お盆に純和風の朝食を乗せて運ぶ。隣が座敷になっているようだった。

 ……むむ、しかし美味そうだ。




















 ちなみに、朝食のメニューはご飯、葱と豆腐の味噌汁、川魚(種類がわからない)の塩焼き、納豆、カブの漬物、といった感じ。

 一つ一つの仕事も丁寧で、特に漬物はこれだけでご飯二、三杯はいけそうな感じだった。

「美味しいです」
「それはよかった」

 人んちでどうかとは思ったけど、おかわりもしてみたりする。

「それはいいんですけど、なんで館の主人が料理をしているんですか? 僕の知っている主人って言えば」

 例1:従者に料理を作らせ、その従者の分どころか客の分まで食べつくす勢いの亡霊姫。

「言えば……」

 例2:客がメインディッシュの吸血鬼

「言え、ば」

 例3:基本的になんもしない昔話のお姫様。

「……とりあえず駄目な奴しか思いつかないんですが」
「どんな主人を考えているのか、読めないのが残念ね。面白そうなのに」

 いや、そうぽんぽん読まれても困るんだけど。

「まあ、確かに従者の一人や二人は欲しいところですけどね。うちは嫌われていますから」
「……いや、そんな」
「貴方にはわからないでしょう。心を読まれる恐怖なんていうものは」

 や、ちょいとシミュレーションしただけで、空恐ろしい事態だということは十二分にわかりますけど。
 ああ、そうか。それでこんなでかい屋敷なのにメイドどころか家政婦さんすらいないのか。執事? おととい来やがれ。

「でも、お燐やお空とかは?」
「あの子たちは私のペット。ペットに料理をさせる飼い主がいるかしら? まあ、色々と地獄の管理は任せているけど」

 いないな、確かに。……いや、地獄の管理をさせる飼い主もいないが。

 しかし、まったく関係ないが咲夜さんも悪魔の犬とか呼ばれていたけどな。
 いや、ま、ものの例えというのはわかっているけど。犬、犬かぁ……犬耳。

「はっ」

 ……いかん、こんなこと考えていると知れたら殺される。

「?」
「な、なんでもないっ」

 ほんっとうに、心を読む能力が効かなくて助かった。
 誤魔化すようにして、僕は残りのおかずとご飯を平らげる。

「ご馳走様でした」
「お粗末様です」

 とりあえず、食器の片付けも手伝う。さとりさんはいいと言ってくれたが、まあ食べさせてもらったんだし。

「ああ、とりあえず水に漬けておいてください。後でまとめて洗うので」
「了解」

 で、すぐ終わっちゃった。

 しかし、腹が膨れたら、茶が欲しくなった。でもなあ、わざわざ頼むのもなあ。

「お茶でも飲みますか?」
「……心、読みました?」
「これくらいは、別に心を読む必要なんてありませんよ」

 と言って、上品に笑うさとりさん。

 ええい、くそ。誰だ、地底の妖怪は忌み嫌われているとか言ったのは。そんなことを言った当の本人を含む地上の妖怪の大部分よりも、ずっといい人じゃないか。


















 その後、さとりさんとお茶を飲みながら他愛ない話をした。

 前回の異変のことから始まって、大きな力を手に入れたお空がちょっと心配だということ。その相手にお燐も頑張っていること。妹の第三の瞳が最近うっすらと開きかけていることなどなどを聞く。

 僕も、お空を倒した霊夢の話をしたり、今までに起こった異変のことを話したり、外の世界のことを話したりした。

 ……うーむ。ここまで安心できる空間は、幻想郷に来てから初と言っていいかもしれない。
 なにせ、地底に地上の妖怪は来れないそうだし、霊夢や魔理沙といった人間連中もわざわざ遠い地底に来ないだろう。そして、地底の妖怪たちは、さとりさんを苦手としているらしく近寄らない。来るのはペットだけ、と。

 いかん、今なんかここに入り浸りたくなってた。

「そういえば、お燐とお空は?」

 お燐は猫っ可愛がり(文字通り)したいし、お空は、あれはあれでからかうと結構楽しい。
 ああ、あとお燐にはここまで運んでもらった礼を言いたいし。

「さあ。うちは基本的に放任主義ですから。もしかしたら、こいしを見ててくれているのかもしれないですね」
「こいし?」
「あの子、いつもふらふらしているから。暇なペットは付いているようにお願いしてるわ」

 そういえばこいしのふらふら度合いは半端じゃなかったなあ。お茶を淹れにちょっと席を外している間にどっか行っちゃってたし。

「でも、最近は目的をもって行動しているように見えるわね。第三の瞳を閉じてから、そういうことはなかったんだけど。そろそろこいしも、あの瞳を開く気になったのかしら」
「ふーん。こいしは、心を読んでいると嫌なことばっかりとか言っていたけど」

 それならその能力を封じたくなっても仕方ない気がする。

「それはあの子の心の弱さよ」
「……厳しいなあ」
「心を読める能力を封じるっていうことは、他人の心の全てを拒否しているのと同じこと。自分の心も閉ざして、寂しいということを寂しいと感じることもない。
 あまり健全な状態じゃないでしょう?」
「かもしんない」

 でも、時と場合によると思うけどなあ。
 極端な話、僕くらい年頃の男の心理なんて、女の子が読んだら……その、両方にとって良い結果を生まないと思うぞ。

 い、いや、別に僕が妙なことを考えているわけではなく! あくまで一般論として!

「でもまあ、こいしの気持ちもまるでわからないわけじゃないわ。心を読めない貴方との話は楽しいし、落ち着くもの」
「……はい?」

 自分で言うのもなんだが、僕は話題は貧困だし、相手を落ち着かせるような話術も持ち合わせていないぞ。

「私が思ってもいない言葉が飛び出てくるのは新鮮だわ。言葉の裏で妙なことを考えていても、気付かずに済むし」
「いや、妙なことなんて考えていません」
「嘘。男の心理くらい、私は知っています」

 きゃー

「単純な人ですね。そんな風に動揺したら、心を読めなくても察することが出来ます」
「あ、あのー。いや、本当に、そんなこと考えていないので、勘弁してくれませんか」
「構いませんよ。代わりといっては何ですが」

 え? か、代わり?
 どんな無茶要求を突きつけられるんだろう……。酒とか菓子とか大量に貢がされたり、暇つぶしに虐めさせろとか、もしくはストレートに金か?

「な、なんでしょう?」
「なにをそんなに警戒しているのかわからないのが残念ですが……簡単な話です。こいしのこと、気にしてあげてください」
「へ?」

 まったく予想外の方向からの要求だった。

「なんで?」
「心を読んでしまうのが嫌だったから、あの子は瞳を閉じた。再び開くにしても、リハビリ相手はいてもいいと思わないかしら?」
「……僕?」
「能力を使っても、心を読めない相手。練習相手としては妥当でしょう」

 妥当か?
 いや、ま。別にそんくらい構わないけどさ。

「でも、僕あんまり地底に降りる気はないんだけど……」

 下手したら居ついちゃいそうだからネ!

「見かけたら話しかける程度で構いません。最近、地上によく顔を見せているそうだから、そのときにでも」
「なら、いいけど」

 毎回こいしに会うために地底に降りるのは……その、色々と勘繰られそうだし。
 わざわざ僕の女関係を勘繰るような奴はいねぇよ、という悲しい事実にはそっと蓋をしておくとして。

「あれー? お姉ちゃん、私の分のご飯がないけど?」

 ……噂をすれば影、って本当にあるんですね。

「僕が食べた」
「ええ!」








 まあ、その後は。
 ちょいとこいしにぼこぼこにされつつ、彼女とちょっと話をしたりした。

 ……さとりさんも、少し満足そうにしていた。



前へ 戻る? 次へ