「そういえばさ、スキマが確か、地上の妖怪を地底にやらない、みたいなことを言っていた覚えがあるんだけど」

 荷物を肩に担ぎ、地底への道を飛びながら、僕は前を飛ぶ鬼に尋ねた。

「お前は良いのか?」
「なにさ。文句でもあるの? それなら、一人で潜ればいいじゃん」
「あ、いや、そんなつもりなんかない。だから行かないでくださいお願いします」

 本当に転進しようとする萃香の服の裾をつかんで嘆願する。
 仕方ないねえ、と萃香はニヤリと笑って、再び地下に向けて飛び始めた。

 ……だって仕方がないもの。下にいる妖怪にあったら、また死んじゃうかもしれないんだから。
 地底に行くに当たって、萃香が同行してくれたのは僕としてはとてもありがたいんですよ。

「その契約は知っているよ。でも、私はもともと地底にいたからね。適用範囲外さ」
「ふーん……」

 そういえば、そんな話も聞いた気がする。
 僕はスキマと地底の妖怪との契約なんてどうでもいいんだけどな。一応聞いてみただけだし。

「しかし、良也も急にまたどうしたんだい? てっきり、もう二度と地底には行きたくないのかと思った」
「まあ、危険なところだからなあ。そう思わなくもない」
「いや、そうじゃなくて。ほら、色々嫌な思い出があるじゃないか。特に、異変解決したときの――」
「蒸し返すな!」

 せっかくほとぼりが冷めて、僕に心の安寧が訪れていたというのにっ。

「いや、ほら。あんな破廉恥な真似、度々やられちゃ困るだろう? 釘を刺しておかないと」
「もう自分で刺しまくったよ」
「糠に釘……」
「なんだって?」
「なんでも」

 なんか、ひどく馬鹿にされた気がするが……。仮にも、今は護衛されている身。我慢しておこう。

「んで、なんで地底に行くか聞いていないんだけど」
「そりゃ、これだよ」

 背負ったバッグの中身を見せる。
 中には計三本の日本酒の一升瓶。新聞紙に包まれていて中身は見えないだろうが、全部それなりに高い良い酒だ。

「おっ!」
「目を輝かせるな」

 明らかに獲物を狙う鷹の目になってる。
 嫌な予感がして、僕はすぐさまバッグの口を閉じた。

「地底に宴会に行くのかい? そりゃもう懲りたんじゃ」
「前、ちょっと約束したからな」

 まあ、あの人は忘れているかもしれないけど、でも一応は助けてもらったんだし。
 ちょっと待たせてしまったけど、そこは勘弁して欲しいのである。

「約束ねえ。嘘はいけないからね。約束はちゃんと守らないと」
「まあ、そんなところだ。ってわけで、きりきり先導してくれ」
「はいはい。っていうか、もう着くけどね」

 その言葉が聞こえるとほぼ同時に、ずっと薄暗い洞窟っぽい道のりだったのが、急に視界が開けた。
 以前、暮らしてたとあって、萃香の案内は的確で、思っていたよりずっと早く旧都に着いたようだ。

「で、どこに行くんだい。地霊殿か?」
「勇儀さんのところだ。友達だから知っているだろ?」
「勇儀……って、アイツに用なの? そういえば、異変のとき少し話してたけど」

 萃香が小首を傾げる。

「お前は霊夢にかかりきりで聞いていなかったな。あのあと、地霊殿まで案内してもらって……礼に行く、って約束してたんだよ」
「ふーん。まあ、勇儀なら、ちょっとここで待っていれば……」
「あれー? 萃香じゃん。こっちに帰ってきたの? って、そっちはいつかの人間か」

 ……案内してもらうまでもなかった。
 旧都の入り口でほんの少し立ち止まっていただけなのに、勇儀さんは早々に嗅ぎ付けてきたようだった。

「こんにちは、勇儀さん」
「ああ、こんにちは。お前さんと巫女のおかげで、この地底もずいぶんと落ち着いたよ。以前言っていた観光かい?」
「そんなところです。あと、これは約束のもの」

 バッグから、一本の酒を取り出して、勇儀さんに差し出す。

「ん?」
「ほら、次来るときは礼に酒を持ってくる、って言ったじゃないですか。その酒、外の世界のもので、かなり良い酒なんですよ」
「……ああ、思い出した思い出した。あんなの良く覚えていたな。律儀だねえ」

 勇儀さんは、萃香と同じく酒は好きなようで、上機嫌になってがさがさと包装の新聞を破る。
 豪快に破った新聞を、ぺっと捨て、きゅぽん、と封を開けた。

「……お、本当だ。良い酒っぽいね」

 匂いを嗅いで、勇儀さんは感想を漏らす。

「あ、本当? どらどら」
「ほれ」

 萃香がその隣に飛んでいって、同じく鼻をひくひくさせる。それだけで芳醇な味わいを想像したのか、にへら、と顔を緩ませた。

 ……それにしても、並んでいるとよくわかるが、同じ鬼だというのに萃香と勇儀さんのこの違いは何だろう。

 どっちも山の四天王と呼ばれたすごい鬼だということは聞いているが、萃香の方は見た目だけなら完璧お子様。女体の神秘がカタチとなった二つの膨らみは無論のこと、身長だって勇儀さんの胸元くらいしかない。
 哀れだ。

「……そこの人間。なにか凄い私のこと馬鹿にしていなかった?」
「どうしてそんな鋭いんだお前ら」
「あんたがわかりやすすぎるんだよ。ていうか、否定しなかったね」

 萃香がイイ笑顔でにじり寄ってくる。

 僕は蛇に睨まれた蛙のように固まり、

「ほら、なにを考えていたか吐け!」
「い、痛いっ! 頭をぐりぐりするんじゃねええ〜〜」

 万力のような腕力で、両拳で頭をぐりぐりされたっ。

 ぎゃああああああーー!? 手加減されているんだろうけど痛い!

「ふ、あっはっはははは!」

 ……あ、あれ? 勇儀さんが笑っている。
 う、ウケたのか? この天然漫才みたいなやりとりにっ! っていうか、やっているのは萃香だけだけどっ。

「はは、いや、ごめんごめん。まさか、本当に萃香が人間と友達だなんて思っていなくってさ。それも、こんな人間と」

 こんなとか言われた。……欝だ。

「まあ、色々と足りないしね」
「今更否定する気もないが……」
「なに、取り得はあるんだから気にしなくてもいいんじゃないか」

 取り得? 何回でも死の苦しみを味わえる取り得なんだか罰ゲームなんだか拷問なんだかよくわからない体質の他に何が?

「腐るんじゃないよ。あんたの能力は、割と認めてんだよ、これでも」
「それでもか?」
「これでも」

 嘘くせぇ。

「力ねえ。まあ、そこら辺も後で聞こうじゃないか。とりあえず、落ち着いて呑めるところに行かないか?」
「お、そうだね。どこにするかな?」

 鬼二人が算段しているが、僕は地底の地理には明るくないので黙って従うことにする。

「ふむ、まあそこら辺の道でいいだろ。騒いでたら、他の連中も寄ってくるだろうし」
「そうだね。ああ、良也。そういうことになったから」

 はい?
 そこら辺の道って……て聞く前に、勇儀さんと萃香は地上に降りていく。

 ……やれやれ。野外かあ。まあいいけどね。




















 どこの誰だ。野外でも、まあいいけどね、とか思った馬鹿野郎は。

「ははははっ! なあ、良也。この酒美味いなぁっ!」
「そりゃなによりです……が、勇儀さん、僕の隣のこれ、なんとかしてもらえません?」

 隣にはゾンビフェアリーとかいう幽霊なんだか妖精なんだかよくわからないのが三匹ほど。なんか寄ってくるんだよ、こいつ。
 冷たいし、なんか背筋がゾクっとするし、あんまり気分のいいものじゃない。

「ん? こんなのはこうだっ」

 勇儀さんはそいつらをぐわしっ、と掴んだかと思うと、ぶんぶんと振り回して遠くに放り投げた。
 ……流石というか、ゾンビフェアリーたちはきらりんと星になったり。

 しかし、別にそれだけないんだよ。僕の後悔の理由は。

「なに、貴方鬼を顎で使っているの? 妬ましいわね」
「どこをどう見たらそんな結論になるんだ。大体、酒くらい楽しく呑めないのか」
「呑んでいるわよ。でも、貴方はいつもこんないいお酒を呑んでいるのね。それはストレートに妬ましいわ」

 もういや、この橋姫。
 素面でも絡み癖のある彼女は、いつの間にか酒盛りに現れていて、で、ずっと愚痴愚痴と僕に絡んでくるのだ。

 っていうか、会って早々、

『なんで貴方生きているの? そのタフさが妬ましい』

 とかなんとか、僕被害者なんですけどー? と聞きたくなるようなお言葉をのたまった。
 ……おーい、勇儀さん。この妖怪もお星様にしてくれー。

「いないし」

 見渡すと、なんか見覚えのある桶に入った少女に酒を注いでいた。……あれ? あの子って、んー? どこかで会ったっけ。思い出せない。

「おう、逃げ腰くんじゃないか」
「妙なあだ名はやめろ」

 いつかの土蜘蛛も来たし。
 まあ、ヤマメはパルスィとは違って、基本的にはいい奴っぽいからまだ良いんだけど。

「ご相伴に預からせてもらっているよ。あんたがこの酒持ってきたんだって?」
「……まあ、一応。しかし、もうそんなのは関係なくなっているな」

 持ってきた三本の酒以外にも、誰が持ち込んだのかもわからない酒瓶がそこら中に転がっている。かくいう僕も、少々呑み過ぎていたり。

「まあ、ヤマメも前の時は、気絶した僕を見ていてくれたしな……遠慮せず呑んでくれ」
「その後、弾幕ごっこから逃げた奴の言うことじゃないねえ。まあお酒はありがたくもらうけど」

 折角持ってきたんだから、たくさんの人に味わってもらいたい。

「そういえばさ、ヤマメ」
「ん? なんだい?」
「いや、人を病気にする力って聞くけど、どんなことが出来る? さっきから、あのパルスィがちょいウザいので、二日酔いにでもしてくれないか」
「……二日酔いは病気なのか?」
「知らない」

 でも、あれは病気みたいなもんだろう。

「いやあ、でも二日酔いなんて無理だね。私は主に感染症を操る妖怪だから」
「感染症……インフルエンザとか?」
「そんな感じ」

 ふーん、感染症……。ペスト辺りの病気を操る、とか考えると、えらく恐ろしい妖怪だな。

「なに? 私に内緒で楽しい話でもしているの?」
「……どこからでも嫉妬のネタを嗅ぎ付けるんだな」
「当然」

 当然とか言い切りましたよ、この人。

「それにさ、良也。二日酔いを操るのなんて、簡単な話さ」

 ヤマメが、僕の持ってきたのとは違う一升瓶を持ち出す。

「な、なによあんた」
「こうすればいいのさー!」

 ヤマメがパルスィの口に一升瓶を捻じ込む。
 逆らうことも出来ず、パルスィは中の液体を胃に流し込み、

「きゅう……」

 倒れた。……哀れ。

 しかし、これで少しは落ち着いて呑めるな。

「ありがとう、ヤマ……メ?」

 な、何故に僕に対してまで一升瓶構えていらっしゃるんでしょうか。

「じゃあ、一緒に呑もうか」
「ま、待て。コップ、コップ」
「まあ、ま。私の持ってきたとっておきだ。遠慮せず呑んでくれ」

 きゃぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー。




















 ……お兄さん、お兄さん、と声が聞こえる。

「んあ〜」

 まだ宴会は続いている模様。しかし、倒れてそれを見ている僕は、なんていうか立ち上がることも出来ないヘロヘロぶり。
 えっと、なにがあったんだっけ……。そうそう、ヤマメに無理矢理呑まされたんだ。

 ……流石病気を操る妖怪。見事僕を二日酔いにしてしまった。

「お兄さん、大丈夫?」
「……お燐?」

 僕の顔のすぐ傍に立っている黒猫は、確かに地霊殿のペットの彼女だ。

「大丈夫じゃない。頭が痛い、胃がムカムカする。もっと寝たい」
「ったく。ここじゃゆっくり休めないね。うちに来る?」
「出来るなら。……でも、まだ僕まともに立てないくらいまいっているんだけど」

 一升瓶丸二本はキツい。

「はいはい。わかったよ。これでも死体を運ぶのには慣れているんだ。お兄さん一人ぐらいどうってことないさ」

 と言って、お燐は人型に変化して、手馴れた様子で僕を手に持った荷台に乗せる。

 ……って、ちょっと待て。死体を運ぶのに慣れている? これって、もしかしなくても、普段そういうものを乗せている荷台なのでは?

「ちょ、お燐待って!」
「じゃ、しゅっぱーつ」

 無視して走り出す火車。

 って、いやああああああああ! なんかこう、腐敗臭がするような気がしていやぁあああああ!

「あれ? お兄さん、また寝ちゃったの?」

 これは気絶と言うんだ、馬鹿野郎。



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