幻想郷に来てみると、博麗神社の近くに、大きな白い柱が立ち上っていた。

「……なんだありゃ」

 よくよく目を凝らすと、その柱は湯気を立てている。
 しばらくして、その柱は引っ込む……というより、噴き出すのをやめた。

「か、間欠泉、か?」

 確か、地中から温泉が噴出するやつがあった気がする。……え? 温泉? 幻想郷って、温泉脈があったのか?

「おいおい!」

 温泉大好きなんだよ、僕っ!
 入らせてもらおう、と思いながら意気揚々と博麗神社に向かう。

「よう、霊夢っ!」
「あら、良也さん? こんにちは」

 なにやら桶とタオルを持った霊夢が挨拶をしてくる。

「ああ、こんにちは。時に霊夢、さっきの温泉見たぞ。僕にも入らせてくれ」
「目敏いわねえ。でも駄目よ。私がこれから入るところだもの」
「なにっ!?」

 入浴とな?
 いや、別にこいつが風呂入っていることなんざ今までいくらでもあったが、温泉というシチュはヤバイ。

 とりあえず覗きに行けという、使命(おやくそく)が僕の身体を動かそうとする。

「おいおい、良也。目がエロいぜ」
「……魔理沙もいたのか」

 エロいとは何事か。

「へへ、温泉なんて、早々入れないからな。私もご相伴に預かりに来たってわけさ。なにを隠そう、間欠泉の湧き出るところから湯を引いて、露天風呂を作ったのはこの私だ」
「露天作ったのか……」
「ああ。地面をくりぬいて、石を敷き詰めてな。いやぁ、なかなかの大仕事だった」

 そりゃすごい。しかし、露天……露天かぁ。

「一応言っておくけど、覗かないでよ?」
「なあ、良也。私はこれでもあんまり人を痛めつけるのは得意じゃないんだ」

 霊夢は符を、魔理沙は愛用の八卦炉を見せながら威嚇してくる。

 ……でも、僕死なないんだよねえ。大怪我もすぐ治るしー。
 一時の苦痛を犠牲に、使命(おやくそく)に殉じるのも一つの道か。

「ねえ、良也さん」
「なんだ?」

 と、霊夢は僕の内心を読んだかのようにイイ笑顔を見せながら、懐から退魔針を取り出す。

「爪の間に針を差し込むっていう拷問があるそうなんだけど、良也さんは知っているかしら」
「……ごめんなさい」

 多少の痛みながら我慢するけど、流石に拷問は嫌っ!

「はあ。じゃあ、私達の後で入ってね」
「はーい……」

 ちぇ、つまらん。
 別に、本気で覗こうなんて思っていなかったけどさ。

「あ〜あ、でも、これであの怨霊がいなけりゃ最高だったのに」
「ん? 怨霊?」

 なんだそりゃ。

「間欠泉と一緒に地底から怨霊が湧いて出てきているんだよ。ったく、どうなっているんだか」
「怨霊ねえ……」

 また冥界から出てきたか? でも怨霊っぽいのは冥界じゃ見たことないし。

「まあ、そんなに暴れたりしないから大丈夫でしょ。妖怪や妖精が跋扈しているっていうのに、なにを今更言うのよ」

 うむ、霊夢の言うことももっともだ。
 幻想郷に来てからこっち、そういう人外との出会いには事欠いていない。今更怨霊の一匹や二匹、なんだというのだ。

「そうだけどな。……まあいいか。霊夢、行こうぜ」
「ええ。じゃ、良也さん。風呂上りの冷酒の準備をしておいてくれるかしら?」
「へいへい……なんなら温泉の方に配達もしようか?」
「馬鹿ね」
「んなことしたら良也は妖怪の山まで吹っ飛ぶことになるな」

 はいはい。そんなのはゴメンなのでしませんよ、っと。























 霊夢たちの後に温泉を堪能した僕は、守矢神社に向かっていた。

 東風谷の文通相手である山本からの手紙を届けるのもあったし、ついでに博麗神社の温泉を紹介して、この幸福を分け合おうという魂胆だ。覗きはしないよ? うん、良也くん嘘つかない。

 ……なんて言いつつ、神社に来たスキマから逃げてきたんだけどな。
 どうも、あいつは今回の温泉を異変だと思っているらしい。渋っている霊夢をなんとか説き伏せようとしていた。

 こういう時、僕は高確率で巻き込まれる。
 とりあえず、博麗神社から逃げてきたというわけだ。

「やれやれ……折角温泉が湧いているんだから放っておけばいいのに」

 異変が解決してしまって、温泉が出なくなったらどうするんだろう。まったく、もう少しくらい楽しませろというのだ。

 やれやれ、幻想郷温泉ライフもすぐ終わるか……とか、落胆していると、守矢神社が見えてきた。

「……あれ? 東風谷?」

 なにやら、神社の上空に東風谷が飛んでいた。それだけなら出かけるのかな、と思うが、なにやら弾幕を放ちまくっている。
 ……相手をしているのは、あれチルノか?

「ぎゃー! あんた覚えていなさいよー!」

 あ、逃げた。
 まあ、僕とどっこいどっこいの実力のチルノが、東風谷相手に早々生き延びられるとは思っていなかったけど……割と容赦ないな、東風谷。

「おーいっ」
「あ、先生」

 手を振りながら、東風谷に呼びかける。……どうでもいいけど、お払い棒構えて完全戦闘体制だから、そのまま打ち落とされそうな感じがひしひしと。
 そんなことする娘じゃないと思っているんだけど、その、東風谷から立ち上る気迫がですね。

「さっきのチルノ、どうしたんだ? 思い切り弾幕撃ってたけど」
「ええ、ちょっと神社の方で悪戯などをしていたので、少々お仕置きを」
「……い、悪戯?」
「はい。うちの賽銭箱が氷漬けに……」

 そりゃひどい。これが東風谷じゃなくて霊夢だったら、もっと恐ろしいことになっていたぞ。
 ……いかに馬鹿なチルノとは言え、博麗神社の賽銭箱に手を出すほど馬鹿じゃないとは思うが。

「でも、ちょっとやりすぎじゃないか? 常識的に考えて」
「なにを言っているんですか、先生」
「はい?」

 東風谷は、そう言って、ものすごい笑顔で答えた。

「この幻想郷では、常識に囚われてはいけないじゃないですか」























「……ねえ、早苗。良也はどうしたんだい?」
「さあ……。話していたら、急にああなっちゃって」

 諏訪子と東風谷の声が聞こえるけど、耳を素通りする。

 東風谷が、東風谷が……君だけは常識を持ったままだと思っていたのに、なんか染まっちゃってるよぅ。
 わかるか? この絶望感。

 しかも、言葉だけじゃなくて、チルノに対するあの仕打ち……すぐにあれの対象が僕の方に来ることになるだろう。ああ〜、そんな未来想像したくねえ!

「まあ、なにがあったのか知らないけど、お茶でも飲みなよ」
「神奈子さん……。貴方達は東風谷にどんな教育をしているんです?」
「なにをいきなり。普通だよ、普通」

 神様の普通があの弾幕ごっこなんですね、わかります。……わかりたくないけどな!

 とりあえず、出されたお茶を飲む。うめえ。

「それで、今日はどうしたんだい?」
「ああ、そうそう。東風谷、これ、山本からの手紙」
「あ、ありがとうございます」

 東風谷にとりあえず手紙を渡す。あとは幻想郷に僕がいる間か、次に来たときくらいに返信を受け取って、山本に届ける。

 しかし、この文通も山本が進学するまでだなぁ。考えてみると。
 まあ、東風谷も『色々な意味で』幻想郷に馴染んで来ているみたいだし、大丈夫だとは思う……馴染んじゃったなあ……。

「また、どうしてそんなに項垂れているんですか」
「ちょっとね。僕的心のオアシスがどっか行っちゃってね」
「オアシス?」

 天子が起こしたあの異変の辺りから片鱗は見えていたけどねっ。

 とりあえず、そろそろ復活しよう。ある意味、東風谷も立派に一人立ちしたって事じゃないか。ちょっと方向性はアレだけど。

「気にしないでくれ。……そうそう、あとですね。博麗神社の方に温泉が湧き出てきたんですよ。よければ神奈子さん達もどうですか? 魔理沙の奴が、なかなか立派な露天風呂を作っていましたけど」

 僕も入ったが、アレはいい。周りの景色は平凡だけど、この幻想郷は空が高く、綺麗だから、上を見ているといつまでも飽きない。
 今は昼間だけど、夜になって星や月が見えるようになったら最高だろう。

「温泉?」
「ええ。幻想郷に来てみたら、博麗神社の近所に間欠泉が噴き出てました。びっくりましたよ、あれは」

 神奈子さんと諏訪子は顔を見合わせる。
 なんだ?

「計画の第一段階は成功みたいだね」
「そうだね。さて、あとはエネルギーの取り出しか……」

 ……計画?

「あの、口ぶりから察するに、二人はあの間欠泉についてなにか知っているみたいだけど」
「ああ、話していなかったけ? 幻想郷の地底には今は使われていない灼熱地獄があってね」

 神奈子さんが話し始める。
 ……地獄? 今は使われていないって……前、思い切り映姫に貴方が死んだら地獄行きねとか脅されたんだけど。

 っていうか、地下世界なんてあったんだ。いやもう、そんなのがあってもビックリしなくなっている自分が嫌。

「そこを再利用して、核融合炉を作ろうって計画だ。名付けて『河童のエネルギー産業革命』」
「……か、核?」

 や、ヤバくね? なんかほら、メルトダウン?

「言っておくけど、原子炉とは違うよ。あれは核分裂。核融合は、核分裂よりずっと安全性が高いんだから」
「そうなんですか?」
「そうなの。ったく、現代人ならもっと勉強しな。その気になれば、いくらでも知識を得られる夢のような時代なんだから」

 そんなこと言われても、普通の人は核融合と核分裂の違いなんて知りませんよ。……多分。僕が無知なだけということはないはず。

「で、産業革命……ってことは、その核融合炉とやらを使って、電気とか作る気ですか」
「その通り。エネルギーを河童の所まで引いてね。まあ、守矢神社の営業活動の一環さ。これで信仰も増えるだろう」

 えっらいスケールのでかい営業活動だな、おい。

「でも、それ、異変扱いされて霊夢の奴に潰されるかもしれませんよ?」

 うん、温泉がなくなるのは嫌だとか言って抵抗していたけど、本当に異変っぽいなら霊夢は動く。間違いなく。

「ええ? それはまずいなあ」
「事情を説明して止めたらどうですか?」

 聞くと、神奈子さんは渋い顔になる。

「でもねえ。あそこの巫女が、私達の言うことを聞くかい?」
「……神奈子さんたちだけじゃなくて、誰の言うことも聞かないと思いますが」
「だろう? まあそれでも、お前さんのほうが可能性あるんじゃないか? ちょっと話して来ておくれよ」

 ええー? まあ、いいけどさ。やれやれ、一体なんで僕が。

「礼にこの早苗の生ブロマイドをやろう」
「神奈子様!?」

 ……いやいや。それをもらって僕にどうしろと?

「まあ、霊夢の奴を引き止めるのは了解しました。でも、できるかどうかはわかりませんよ?」
「よろしくね」

 はあ、じゃあ、とっとと博麗神社に帰らないと。



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