また次の週。 守矢神社に向かった僕は、境内に東風谷の姿を見つけられず、母屋の方に向かった。 「東風谷ー?」 癖でついインターフォンを押してしまったが、当然のように鳴るわけがない。電気通ってないし。 それもこれも、ここんちが現代風なのがいけないんだ、と八つ当たりしつつ、玄関を開ける。 施錠はされていない。在宅しているのか、それとも元々鍵をかける習慣がないのか。 多分、後者じゃないかなあ、と予想しながら、玄関の中に顔を覗かせ、もう一度家主の名前を呼ぶ。 「東風谷ー!」 「はーい」 ぱたぱたと、慌てて小走りに来る小柄な影。 ……東風谷じゃない。諏訪子だった。 「あー、いらっしゃーい。早苗ー。良也ー!」 諏訪子が二階へと声をかける。さて、あっちは確か東風谷の部屋があると聞いたことがあるようなないような。 「ちょ、ちょっと待ってください!」 ドタバタした音が聞こえ、東風谷が腰帯を結びながら慌てて出てくる。……ああ、着替え中だったのか。それは失礼。 しかし、本日の東風谷の顔色はすこぶる良い。 この前の強制ダイエット中のときと比べると雲泥の差だ。……うんうん、女の子は健康な方がいいよね。でも、元気が良すぎると、『だぜ』とか言うようになるんだ。 それはそれで大変よろしいけど、おしとやかさも欲しいなあ、とか。 「あ、先生。こんにちは。先週は大変お世話になりました」 「いや。別に気にするなって」 「これ……人里の方たちが来て下さって賽銭など入れてくれたので」 東風谷が恭しく封筒を手渡してくれる。 中身を確認すると、この前僕が貸したお金がちゃんと入っていた。 「別に急がなくてもいいのに。僕はこっちで生活しているわけじゃないんだから、切羽詰ってないんだ」 「いえ、ですけどいつまでも借りておくわけには……」 「利子が付いて、借金のカタに売られるかもだからねー」 底抜けに人聞きの悪いことを諏訪子が言う。……いや、しないよ。ほら、払えないなら身体で払ってもらおうか、とかそんなのはしないって。 「諏訪子様、駄目ですよ。先生は私たちを助けてくれているんですから」 「早苗は年頃の娘にしては、危機感が足りないよ。男なんてみんな狼。こいつだってこんなナヨナヨした顔して、裏じゃ何を考えているか……」 「考えてない考えてない。東風谷をどうこうしようなんて、そんな怖いもの知らずなこと」 「はっ、まさか私!?」 しばいたろか。 ロリィな魅力があることは認めるが、僕はそんな趣味はないはずだと自負しているのだ。 「あー、とりあえず、東風谷。これ、食べられる野草が載った本」 「や、野草ですか」 「うん。山菜とかのことも載ってるから。……春になれば、タラの芽の天ぷらで一杯とかね。うう、たまらんっ!」 諏訪子が『無視すんなー!』と猛っているのを尻目に、去年博麗神社で食った山菜の王様のことを思い返す。 うむうむ、あれは美味しかった。ちと量が多く、胃がもたれてしまったが、正にあれがこの世の春…… 「って、違う違う。とりあえず、食べ物はこれからどんどん少なくなっていくんだから、少しはこういうのも覚えておいた方がいいってこと」 「は、はあ」 「最初は抵抗あるだろうけど、慣れると野趣溢れる風味でやみつきになるぞ? 酒にも合うしね」 言うと、こっち向けと言わんばかりに袖を引っ張っていた諏訪子が反応するな。 「酒!?」 「反応するな見た目幼女」 東風谷は苦笑して、本を受け取った。 「ありがとうございます」 「いや別に。僕もこっちでの生活用に買ったやつだし、内容は覚えたし」 最初は腹痛とか起こして大変だったなあ……。って、そうだ、今日来たのはこの本を渡すためだけじゃない。 「東風谷、これから時間あるか?」 「はあ、ありますけど?」 食と並ぶ、重大事項。これを覚えておかないと、長生きできない。 「よし、じゃあ竹林に行くぞ。幻想郷での生き方、その二だっ」 「竹林?」 そう、医者だ。 「ここは迷いの竹林……。まあ、空飛んでいる僕らは迷いっこないけど、歩きだとかなり危険だ」 「はい」 力強く頷く東風谷に、僕は内心満足する。 今回の目的は永琳さんのところだ。なにかと怪我をすることの多いこの幻想郷では、医者である彼女との面通しは半ば必須だ。 十分殺菌しないと食べ物で腹を下すこともあるし、予防接種がないため風邪なども引きやすい。 不老不死になってから僕は怪我で厄介になることはないけれど、やっぱり体調を崩すことはあって、博麗神社の置き薬の世話になったことは一度や二度ではない。 「でも、こんなところにお医者様がいるんですか」 「いるよ。正確には薬師だけど、外科手術も出来るみたいだし」 永琳さんは外の世界顔負けの名医だ。ちょん切った腕も、前と遜色ないくらいに繋ぐことも出来るらしいし。 「でも、こんな人里離れたところで……」 「それが唯一の欠点ではある。人里近くに診療所を構えたら、って前提案したんだけどな」 永遠亭が好きだそうで却下された。一応、月から逃亡している身でもあるし、とかも言われた。 ……あれだけ大っぴらに置き薬とか商売している癖に、今更なにを言っているんだろうね。 「ええっと、確かここら辺……」 「まさか迷ったんですか?」 「いやいや、大丈夫。ちょっと上行って確認するから……」 東風谷の視線が冷たくなる前に、それから逃れるように上空へ。 ここの竹はすぐ成長する上、新しい竹もどんどん生えてくるから、すぐ風景が変わってしまう。迷いの竹林の名は伊達じゃないってことだ。 でも、竹林より上に来れば、流石に永遠亭はすぐ発見できた。 僕と同じく上空に来た東風谷が目を見張る。 「うわ、立派な屋敷ですね」 「大所帯だから」 兎が。 「東風谷んちだって、あれだけ立派な神社じゃないか」 「あれはやっぱり、神奈子様、諏訪子様のお住まいなので……。私の家は母屋の方だけですよ」 霊夢の奴は、神社の中で昼寝するくらい傍若無人だと言うのに……立派な子だ。 なんて思っていたら、永遠亭に到着する。 飛んでいるんだから、直接庭のほうに入ることも出来るけど、ちゃんと門から入るのが一応の礼儀だ。 「おーいっ! 誰かいないかー?」 声をかけると、ややあって見覚えのあるウサミミ少女が顔を覗かせた。 「…………」 「うぉい! 閉めるな!」 間一髪、門を閉じようとしたところに足を引っ掛ける。 「帰ってください。貴方のような破廉恥な人間に永遠亭の敷居を跨がせるわけにはいきません」 「そ・れ・は! 誤解だって何回も言っているだろう、鈴仙!」 前の宴会の時、酔っ払って耳を弄ったのをまだ根に持ってやがるのかっ! 同じく酔っていた鈴仙も、されるがままだった気がするんだけどっ!? 「先生……」 「こ、東風谷ー? なんかとっても怖いぞー」 「一体、彼女に何をしたんですか!?」 誤解ですー! 「ほ、ほら、耳をちょっと触っただ「セクハラです!」 あ、そうですか。すみません、東風谷に断言されちゃあ、仕方ない。 「しかも、このコスプレは先生の趣味ですか!?」 「何故に僕の趣味に!? 違う違う、鈴仙の耳は天然……だよな?」 暖かかったし。いやでも、あの永琳さんなら体温のあるコスプレ耳くらい作れそうだが…… 「こ、コスプレってなんですか!?」 あ、今度は鈴仙の琴線に触れた模様。 ……ああ、もうどうにでもなれ。 「なにを騒いでいるのかと思えば……」 呆れたように永琳さんが嘆息する。 あの後も、玄関先でうだうだやっているのを、永琳さんに見咎められたのだ。いやはや、失敗失敗……って、いや、さっきのは別に僕のせいじゃないよな? まあ、ことの元凶(?)の鈴仙は永琳さんにお仕置きと称して……いや、これ以上は僕の口からは。 「あ、あの。こんにちは。東風谷早苗と申します」 「ああ、守矢神社での宴会のときに会ったわね。八意永琳です。貴方のうちの神様にはご挨拶したのだけれど」 ……東風谷は酔い潰れていたからなぁ。 「す、すみません」 「いいわよ。なんなら、酔い覚ましの薬でも処方してあげましょうか? あの酒豪の神様たちについていくのは大変でしょう?」 「もうお酒はこりごりです」 前の失態を思い出したのか、萎縮した東風谷の肩を叩いてみる。 「ま、気にするな。初めてならあんなもんだよ。酒の美味さがわかるのは、もう少し先かな」 「……わかりますか?」 「なに、僕だって昔は……」 思い返す。 確か、僕が初めて酒を嗜んだのは小学校の卒業式の日。 気分良く酔ったお父さんに勧められるまま、銚子を一本空けて……良く覚えてないけど、次の日起きたらマッパだったような。 「ま、まあ、僕のことはいいじゃないか」 「?」 ヤバイ。こんなエピソードを話したら、僕のクールなイメージがぶっ壊れてしまう。 さり気なく話題を逸らすため、永琳さんに本題を持ちかけた。 「ってわけで、守矢神社にも置き薬を置いて欲しいんですよ」 「また強引な話題転換ね……」 全てお見通しなのか、からかうような笑みを浮かべる永琳さん。……う、マジで心を読まれている気がするから困る。 「置き薬の件は構わないわよ。博麗神社や紅魔館にも置いてあるし……さて、そうすると神様用と人間用、二種類用意したほうがいいのかしら?」 「あ、それでお願いします。……いいよな? 東風谷」 「えっと、神様用?」 「いや、だって神奈子さんと諏訪子用……」 困った感じの東風谷に、こっちの方が困ってしまう。 あの神様たち、体調崩したりしないのか? 「大丈夫。私は神様用でも妖怪用でも薬を処方できるから」 「ほ、本当ですか? でも、神奈子様も諏訪子様も体調を崩されたことはありませんけど……」 「それは隠しているか、気付いていないだけね。神と言えども肉の身体を持つなら、当然病気にもかかるわよ」 ちょっと待ってて、と永琳さんは薬を取りに行ったのか、席を外す。 残されたのは、呆気に取られた東風谷と僕。 「……神様に薬だなんて、考えたこともありませんでした」 「まあ、作れる人は少ないだろうなあ」 考えてみれば、どうしてあの人は妖怪向けの薬なんて作れるんだ。いや、不老不死の薬を作っちゃう人に突っ込むのもどうかと思うけれど。 「でもあの人、マッドドクターだから」 「ま、マッド?」 「うん。マッドサイエンティストならぬ、マッドドクター。狂気的に腕はいいけど、普通の人間が飲んだら死んじゃうような薬も作ってる」 胡蝶夢丸ナイトメアとか。 前、飲んでみたとき、あれは夢の中なのに死ぬかと思ったぞ。 以来僕は、永琳さんをマッドドクターと呼称しているのだ。脳内だけで。 「……はあ」 「なに、その『あ〜あ、また先生がおかしなことを言い始めた』みたいな『はあ』は」 「いえ、だってあんなにいい人そうだったのに」 いい人ではあるんだけどなあ。……でも、天才ってのは、どっか世間とはズレてるもんなんだよ。 「ちなみに、なにを隠そう僕が不老不死になったのはあの人の作った薬のせいだからな」 「またその話ですか。私を騙そうたって、そうはいきませんよ」 あ、あれ? 信じてない? いや、信じられないのもわかるけど! 「いや、本当。前の宴会のとき、さり気にアル中で一回死んでるから」 「もう、しつこいですね」 あれ〜? 信じてもらえないぞー? むむむ……死んで実演とか、文字通り死んでも嫌だし。 「あれ? 騒がしいと思ったら、良也じゃない」 「うげっ」 今度は輝夜か! こいつとは、えらい相性が悪いらしく、会うたびからかわれるんだ。 ……もうここまで来たらいいか。逃げよう。 「んじゃ、東風谷。あとは永琳さんから置き薬貰って帰ってくれ。僕は用事があるのでこれにて失礼……」 「なによ、逃げることないじゃない」 つ、捕まったぁ!? 「ふふ……初心ねえ。本当は期待しているんじゃない?」 「ま、まて輝夜。東風谷が見てる」 「あら、見てなければいいの?」 「見てなくても駄目だけど!」 ぬ、脱がせようとするんじゃねー! 別に、僕にはなんもさせんくせにっ! 「あら? これは意外と……意外に逞しい」 「お前みたいなのがいるから、自主トレしてんだよっ! 離せ!」 半分脱がされた上着を強引に取り戻し、ちょっと涙目になりながら抗議する。 「……先生」 ヒィ! もう後振り向くのも嫌っ! 「また、複雑な状況になっているわね」 完全に誤解しきってしまった東風谷に、必死で説明する僕。そして隣で笑っている輝夜の図を、永琳さんは笑いながらそう評するのだった。 「……僕は一体どこに向かっているのだろう」 なんか、さっきの鈴仙の件といい、僕に対する東風谷の評価が迷走し始めた気がする。 つ、次こそ。次こそクールに決めてやる。 | ||
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