「大丈夫ですか? 森近さん」
「うーん、なにがあったのか、まったく思い出せない……」

 結局、片付けに途中で飽きた霊夢たちが帰ってしまい、僕一人で整理する羽目になってしまった。
 とはいっても、適当にモノを一箇所に集めたりするくらいしかできなかったけど。

「思い出せない方が良いですよ。きっと」
「? 本当に何があったんだい……って、僕の店が!」

 森近さんはずーん、と落ち込み始めた。
 そりゃ、こんだけめちゃめちゃにされたら当然だろう。

「と、とりあえず、壊れちゃったのは表に集めてありますから」
「あ、ああ。いや。ありがとう……」

 あまりの落ち込みっぷりが見ていられないので、僕はそそくさと退散した。
 ……ごめん、森近さん。あの巫女と魔法使いには、僕からもきつく言っておくから。

 森近さんに同情しつつ、僕は空へ舞い上がる。
 酔いは覚めたが、まだ日が沈むには早い。特に急いで帰る理由もないし、ちょいと散歩でもしながら帰ろうかな。

 なんて、僕は博麗神社まで一直線のルートから微妙に外れて飛行し始める。





 ……んで、

「……ここはどこだ」

 あ〜〜!! 馬鹿馬鹿、僕の馬鹿!
 こうなることくらい、今までの経験から簡単に予想できただろうに、なんで僕は『ちょいと散歩でもしようかな』なんて考えたんだ!

 ええい、つい二十分ほど前の自分を殴り飛ばしたい。

「と、とりあえず、進もうか」

 一人言でなんとか行動を決める。
 幻想郷は、閉じられた空間とはいえ決して狭くはない。一度迷ってしまったら、そうそう簡単に戻れはしないだろう。

 ……空が飛べなかったら、遭難決定だったな。

「明るいうちになんとかしないと……」

 視界が暗くなってしまったら、帰り着ける確率はガクンと減る。それだけなら最悪野宿でもすれば良いが、忘れてはならないのが妖怪の存在だ。
 夜は妖怪の世界。人里から離れて野宿する人間など、格好の獲物だ。

 と、とりあえず、魔法の森か妖怪の山か博麗神社か人里か。どこでもいいから知っている場所に出ないと……

「……ん?」

 ふと、視界の端に、屋根が見えた。
 まさか、こんな人里離れた位置に、家があるはず……

「あるし」

 確認のため、近づいてみると、確かに家だった。
 人里のものと同じく、和風の佇まい。しかし、家の広さは相当のものだ。

 その家の庭に降り立つ。
 辺りを見渡しても、住人らしき人の姿は見えない。

「えっと、誰かいませんかー?」

 不気味なほどの沈黙が返ってくる。

 なんだろう。廃屋なのだろうか。でも、全然朽ちた様子はないし、なんとなく生活の臭いというものがする。
 ……ていうか、まさかここ、妖怪の家か?

「有り得る……」

 レミリアだって、あんな立派な洋館に住んでいるし、妖怪が家を持っていたってなんの不思議もない。
 なんて考え始めると、とたんに怖くなってきた。

「……符は、ある」

 慎重に、ポケットの中から風符を取り出す。いつでも駆けられるように腰を落とし、四方八方を警戒。

 こめかみの辺りに汗が一筋流れる。
 それを拭う暇も惜しく、いつでも符を発動できるよう集中。

 ざわざわと、周りの木々がざわめく。

「ゴク」

 喉が鳴った。

 ……いる。
 間違いなく、僕の近くに何かがいる。

 それが妖怪か、はたまた人間か、妖精か……なにかはわからないがしかし、

「フシャーーーー!!」
「ぎゃああああっっ!!!?」

 後ろから、いきなり何かが飛び掛ってきたっ!?

「ええい、妖怪め! この僕を舐めるな――よ?」
「ナー」
「えっと」

 飛び掛ってきた小さな影の首根っこを掴み、目の前に持ってくる。
 影は、意外におとなしく、僕に捕まえられたまま前足を舐めたりしてて……

「猫?」
「ニャア」

 猫である。完全無欠の、猫だ。
 茶色のブチが可愛い猫。野良だろうに、やたら人懐こく、目の前にある僕の顔を舐めてきた。

「……僕は、これにビビってたのか」

 果てしなく、自分が情けなくなった。
 同時に、がっくりと力が抜ける。

「もー、どこに行ったの? ちょっと式にするだけだってばー」

 しかし、それは少し早かったらしい。猫が現れたのと同じ方向から、少女が登場し、

「へ?」
「にゃ?」
「は?」

 僕と猫とその少女――なんか猫耳生やしてる――は、顔を見合わせた。
















「誰?」

 猫耳少女は、まるで本物の猫のように伏せ、いつでも飛びかかれる体勢で聞いてきた。

「えっと。僕は、土樹良也。ちょっと迷ってて……」

 説明する声も小さくなってしまう。
 少女は間違いなく妖怪だ。しかも、今でも襲ってきそうなほど、こちらを警戒している。

「へぇ、迷い家にようこそ」
「迷い家?」
「ここに来ちゃあ、あんた二度と帰れないよ」

 なにそれ。

「それに、ここは私たちの里。人間はとっとと立ち去って欲しいんだけど」
「……さっき二度と帰れないって言ったのは一体」
「と、いうわけで、叩き出してあげるよっ」

 いや、質問に答えろっ! なんて言いたかったが、突然丸くなって突撃してくる少女を避けるのに精一杯でなにも言えなかった。

「な、なんだぁ!?」

 今までに見たことない動きだ。僕の脇を通り過ぎたその少女は、跳ねるように急激に方向転換し、縦横無尽に飛ぶ。
 それだけならまだしも、当然のように弾幕も放ってくるのだからたまらない。

「くっ、やるっていうなら……」

 相手になりたいけど、負けるだろうなぁ。
 よし、ここは逃げることに大決て……

「あっ!」

 猫を忘れていた。
 先ほど僕に飛び込んできた猫は、身体を丸くしてその場に伏せている。

 ……奇跡的にまだ巻き込まれていないようだが、時間の問題。

「くっそっ!」

 生粋の猫派の僕が、まさか見捨てるわけにも行かない。
 慌てて庇いに行き、

「いってぇ!」

 背中から、少女の体当たりを受け、したたかに身体を打ちつけた。

「ヂィ……!」

 すぐさま立ち上がるが、背中が痛い。おかげで動きが鈍い。マズ……次は避けれない。

「なんだ? 騒がしい」
「ら、藍さん!?」

 突然、姿を現した女性は、以前にもあったことのあるスキマの式神、藍さんだった。

「? りょ、良也くん?」
「藍さんっ! ヘルプミーー! あの妖怪、ちょちょいと追っ払ってくださいっ!」

 我ながら逃げ足だけは速い、
 まだ震えていた猫を掻っ攫い、藍さんの後ろに隠れる。

「……はぁ。橙。彼は紫様の友人だ。その辺でやめておけ」
「え? 紫様の?」

 ぴたり、と橙と呼ばれた少女が動きを止める。

「え? えっと」
「あの子は橙。私の式神だ」
「へ、へー」

 式神の式神? ふーん、よくわからんけど、珍しいんじゃないの、そういうの。

「橙に代わり謝っておく。いきなり襲い掛かったみたいで、すまなかったね」
「いや、不法侵入した僕も悪かったし……」
「と、いうか君はどうやってここに来たんだ。普通の人間が通るような場所じゃないんだが」
「いや、ちょっと散歩してたら、なんとなく?」

 藍さんが呆れたようにため息をつく。間の悪い人間だな、と小さく呟くのが聞こえた。

 ……どうせ、どうせ僕は間の悪い人間だよ。

「藍さま、あいつが紫様の友達って本当ですか?」
「本当だ。よく、彼で遊んでいらっしゃる」

 彼『で』ね……

「で、でも。紫様に友達なんていたんですか?」
「ブッ!」

 あ、あの子。仮にも主人の主人に、なんつーことを言うんだ。いや、気持ちはよーくわかるけれどもっ!

「ちぇ、橙。そんなことを言ってはいけない。紫様にも、ご友人の一人や二人……」
「本当に一人か二人なんじゃあ?」

 僕がぼそっと突っ込むと、藍さんは沈黙した。

「そ、そうだ。せっかく寄ったんだ。上がって、お茶でも飲んでいくと良い」

 誤魔化した。
 ……まあいいか。

「ちなみに、ここが藍さんの家ってことは、スキマもいるんですか」
「もちろん。ただ、今は寝ていらっしゃるけどね。下手に起こすと機嫌が悪くなるから、起こしてくることはできないが」
「いや、いないほうがいいんで」

 あの人がいると、気が休まらないからな。別に嫌いってわけじゃあないんだが。

「…………」
「ん? どうした、橙」
「なんでもないです」

 ……嫌われてんなぁ。あ〜あ、睨んじゃってまぁ。

「ところで、この猫。うちに入れちゃっていいんですか?」
「構わないよ」
「あ、そ、そいつは私のっ」

 橙が僕の腕の中に収まっている猫を奪おうとするが、当の猫が爪を立てて抵抗する、って痛いから。

「なに? 君が飼ってる猫なの?」
「飼ってるんじゃない。これから、そいつを私のしもべにするの。ほら、こっち来なさい」

 ……つっても、抵抗しまくりなんだけど。

「もう、あんなに餌やマタタビあげたのに」
「それ、飼ってるって言うと思うんだけど」

 しもべねえ。そういうのを持つには、この子には少々威厳が足りない気がする。

 スキマの場合は、威厳を通り越して胡散臭いが……

「はは……まだまだ橙には、式神を持つのは早いってことさ」
「でも藍さまー」
「時期が来れば、きっとお前にも自然と従者となるものができる。焦ってはいけないよ」

 不貞腐れたように橙がそっぽを向く。
 うーん、本当に子供なんだなぁ。

 で、案内されたのは小奇麗に片付けられた今。座布団を勧められ、座ったところで藍さんは『お茶を淹れてくる』と行ってしまった。

 残されたのは僕と猫と橙。

「……えーと」

 右手で猫をごろごろしつつ、橙とのコミュニケーションを図る。
 んが、橙は露骨に視線を逸らし、所在なさげに二本ある尻尾をくねくねさせていた。

(あ〜〜)

 僕って、割と猫には好かれる体質なんだけど、流石に化け猫は管轄外か。

「あ、この猫じゃらし使っていい?」
「勝手にすれば」

 まあ、そうと決まればこの猫と遊ぶまでである。
 床に放置してあった猫じゃらしを手にとり振り振り、

「シャ!」
「ふっ、甘い」

 猫が腕を伸ばすと同時、猫じゃらしを鋭く動かす。
 ふっ、その程度の腕でキャット☆マスターと呼ばれたこの僕の猫じゃらしテクを攻略しようなど……

「ん?」
「な、なによ」
「いや……」

 なんか、さっきから僕が猫じゃらしを動かすごとにピクピクしてないか?

「ほいっ」
「うっ」

 橙の目の前で猫じゃらしを揺らすと、もうわかりやすすぎるほどわかりやすく、橙の腕が反応する。

「……橙も遊ぶか?」
「わ、私は化け猫よ。そこらへんの野良と一緒にしないでくれる?」
「あっそう」

 猫じゃらしを揺らす。橙は反応する。脇から猫が『こっち見んかいコラーッ!』と言わんばかりに僕の膝を叩く。

「ほれほれ」
「う、うう……」

 橙は我慢しようとしているみたいだが、そろそろ限界か。

 よし、ここで僕の猫奥義『猫まっしぐら』でも喰らえ。

「ニ゛ャーーー!」
「は? うおおおおっ!?」

 我慢できなくなったらしい橙が飛んできた。いや、比喩じゃなく。

「ま、負けるかっ!」

 しかし、僕とてキャット☆マスターを自称した男。そこの猫も一緒に、思う存分遊び倒してくれるわっ。






「なにを、しているんだい?」

 で。
 僕と橙の勝負(という名の遊び)は、藍さんが呆れた様子でお茶を持ってくるまで続いた。

 帰り際、橙に『二度と来んなっ!』と怒られた。……さて、次は外の世界の特製マタタビても持ってきてやるか。



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