それは、香霖堂にて、森近さんに萌え講義をしているときの話だった。 僕が、冗談半分で語った『侘び寂び萌え』のトライアングルに、なぜか森近さんは興味を持ったらしい。 ……染まらないよな? 「やっぱりよくわからないね。外の世界で、物語に音楽と絵と音声をつけた『ぎゃるげー』なるものが流行っているのはわかったけれど」 「他にもアニメとか、漫画とか。まあ色々あるわけです」 「……で、どれが萌えなんだい?」 深遠なことを聞く人だ。萌えの定義は人によって違うし、これというものはない。 あえて言うなら世の中にあるもの全てだ。 「例えば、僕はこれなんかが好きです」 持ってきたアニメ雑誌の一ページを広げてみせる。 そこには、最近見た、とある魔法少女アニメのヒロインの一人が載っていた。 「……うーん、やはり長い時間が経つと、好まれる絵柄も随分変わってきているね」 「やはり無理ですか」 「うん。正直、あまり可愛いとは思わない」 うーん、そうだよねー。 アニメ調のキャラクターって、総じて目が大きくて、頭身が小さい。慣れてないと、奇妙に見えるんだろう。 特に森近さんは、この手の絵を見るのは初めてなんだろうし。 「ん? こっちの、フィギュア同時発売ってのはなんだい?」 「文字通りフィギュア……人形を発売するってことです。ああ、DVDと同時に出るのか……」 「人形? へえ、そんなものまで売っているんだ」 「ある程度、人気が出ればですね。僕にフィギュア集めの趣味はありませんが、僕の友人に好きな奴が居ます」 声優とかと同じで、ここらへんは好きな人はとことん好きだけど、興味ない人はあまり興味ないんだよなぁ。同じオタクの中でも。 「実物はないのかい? 見てみたいんだけど」 「フィギュアですか? いやぁ、僕は持ってません。買うと高いし」 「そうか……」 森近さんは肩を落とした。 「興味あるんですか?」 「いやね。こういう紙媒体じゃなく、ちゃんと手に取れる人形なら、僕にも萌えが理解できるかと思ったんだけど」 ああ、なるほど。ある意味、2.5次元だしな。 ……でも、そこまで熱心に理解に努めようとしている辺りに、一抹の不安を感じるのは僕だけか。 「あ、そうだ」 「どうしたんですか」 「いやね。この魔法の森には腕の良い人形師が住んでいるんだ。彼女に作ってもらえば良い」 ……は? ちょっと待ってください。 彼女、ってことは女性ですよね? 「ちょっと、森近さん?」 「ああ、大丈夫。彼女はうちのお得意さんでね。頼めば作ってくれるよ」 「そうではなく」 「代金はもちろん僕が負担する。あ、この本を資料用に借りたいんだけど良いかな?」 そうじゃなくてー。 オタク趣味に理解があるわけでもない女性にこんな美少女フィギュアの作成を依頼するって、どんな羞恥プレイなのか。 変態の烙印を押されても、文句は言えないぞ。 「森近さん!? ちょっとそれは――!?」 早い。 既に森近さんは、僕の持ってきた雑誌を手に、店を出ていた。 あの人、趣味の事となると、行動早いな。普段は椅子から立ち上がるのも億劫そうにするくせに。 「……って、ちょっと待ったーっ!」 なんだかなぁ。 森近さん、だんだん目覚めつつあるのは僕の気のせいだろうか。 なんだかんだで、森近さんの行動を容認してしまう辺り、僕も甘いというか。 というか、森近さんの口車が上手すぎる。あれよあれよと言い包められて、僕は件の人形師の家の前まで来ていた。 この森に似つかわしくない、こぢんまりした洋館だ。 「念のために聞いておきますが、その人形師ってどういう人です?」 「人間じゃないね。彼女は妖怪の魔法使いだ。ただ、元々は人間だったと聞いているし、危険はないと思うよ」 ふーん。 人間から妖怪になることなんてあるんだー。まあ、確かに、妖怪っぽい人間ならいるしなぁ。 「アリス。いるかい?」 こん、こん、と森近さんが玄関をノックすると、しばらくして扉が小さく開いた。 中から出てきたのは……は? 人形? 「……ああ、上海人形じゃないか。主は在宅みたいだね」 コクリ、とその小さな人形は頷いた。 ……うーん、普通に可愛いな。動く人形って、髪の伸びる市松人形みたく怖いイメージしかないが、この娘(?)はそんなことない。 「お邪魔してもいいかな?」 森近さんが尋ねると、どうぞ、とばかりに扉が大きく開いた。 洋館らしいので靴を履いたまま上がる。 通されたのは、なにかの作業場のような場所。 何故そんなことがわかったのかというと、腕やら頭やら脚やら、そういう人形のパーツが整然と並べてあったからだ。 そして、そんな人形だらけの部屋の中央に、机に向かって座っている女性――というより少女が一人。 「あら、香霖堂の店主じゃない。貴方がここに来るなんて珍しい――を通り越して初めてね」 「こんにちは、アリス。突然すまないが、君に一つ仕事を頼みたいと思ってね」 「へえ? でも、ちょっと待って。今、大事なところだから」 と、その少女――アリスというらしい――は作業に戻った。 作業というのは、この部屋の状況から簡単に推測できるが、人形の作成だ。 真剣な表情で、『仕上げ』にかかっている。 ……というか、この人。どっかで見たことあると思ったら、博麗神社の宴会の常連じゃないか。 いつも一人で酒を空けているから、生霊時代、何度か話しかけようと思ったのだが、なんとなく気が引けて話せなかった娘だ。 「これでよし、と。待たせたわね」 「そうでもないさ」 「香霖堂の店主と……そっちの貴方は話すのは初めてよね? アリス・マーガトロイドよ」 いきなりこちらに視線が向けられ、ちょっと慌てる。 「あ、あー、うん。初めまして。土樹良也、です」 「よろしく、良也」 「アリス。よろしく」 自己紹介も終わり、本題に入る。 というか、森近さんが一方的に話している。 ……あのー、外の世界の文化や萌えについての自分なりの見解なんか聞かされても、彼女困るだけだと思うんだけど。 「――というわけでね。僕が萌えを理解するために、このフィギュア、とやらの作成をお願いしたい」 「……別に構わないけど、これ、別に普通の人形よね? 意匠は変わっているけど」 アリスがこちらに視線を向けてくる。森近さんはあてにならないと判断されたようだ。 「えーと、普通の人形です。多少、方向性がアレなだけで」 「あれ? どれ?」 「ど、どれだろう」 な、なにか、なにか適当な情報は載っていないか? と、雑誌のページを捲っていると、ある意味最も端的に説明できるページを発見。 ……で、でも、これ見せても良いのか? 「なに? どうしたの?」 ひょい、とアリスが僕の開いていたページを覗き込み、 「あ」 固まった。 そのページに載っていたのは……いや? 十八禁じゃないよ? ただちょっと、フィギュアの不必要に艶かしいパンチラが載ってただけで。 「そう……『こういう』観賞用の人形ね」 「ま、待った。君は誤解をしている」 別に『そういう』もんだということを否定はしないが、僕は別に好きじゃないんだってーっ!! 「どうかしたのかい?」 「いえ、別に。……悪いけど、私はこういうのを作るつもりは」 アリスが断ろうとした瞬間、森近さんの眼鏡がキュピーンッ! と光った(気がした)。 その後のことは、僕はよく覚えていない。 ただ、森近さんの屁理屈が炸裂したことと、その結果アリスがフィギュアの作成を承諾させられたということだけが事実だ。 「で、なんで僕がここにいるんでしょうか」 森近さんは帰っている。 で、僕はアリスの館に残っていた。 ……なんで? 「私はこんな人形、作ったことないのよ。よく知っている人に、聞きたいこともあるの」 「いや、だから僕はよくは知らないんだって」 そこらへん、誤解されたままだと、非常に心外というか。 「とりあえず……スカートの中は、埋め立てじゃ駄目なのよね?」 「だ、駄目ってことはないと思うけど」 かんっぺき、誤解されてるーーーー!? 「そ。まあ、引き受けたからには手を抜く気はないわ。この人形が持っている杖はなに?」 「ま、魔法の杖」 「ふーん。魔法?」 「設定だけだけどね。実際は外の世界に魔法なんてないよ」 少なくとも、僕が知る範囲では。 秘密魔術結社がないとは、僕も言い切れないし。 「随分と無骨なデザイン。外の世界の魔法の杖ってみんなこうなの?」 「それはそのアニメが特殊なだけ」 アニメといわれてもわからないのか、アリスは首をかしげる。 「あ〜、まあこんな風に可変するし。他の作品じゃ、こんなのはない」 丁度その杖の変形シーンが載っていたので見せた。 「よくわからないけど……ふーん。そういう杖なの」 アリスはふむふむと頷く。 「動く必要はないの?」 「間接が稼動するやつもあるにはあるけど……これは動かない奴だと思う」 「ふむ……あ、そうそう、肝心なことを聞き忘れてた」 「?」 「これって、素材はなに? 木じゃないし、もちろん布じゃない。……金属、にしては光沢が変だし」 あ。 「え、えーと。樹脂とかプラスチック、だったはずだけど」 「どちらも知らないわね」 「そりゃあ、幻想郷にないし……」 そういう問題があった。こりゃあ、不可能……。 「ま、粘土で外見だけでもそれらしく作ることは出来ると思うけど」 「できるんだ」 「まぁね。作成に入るから、そこでお茶でも飲んでて」 椅子を人形が引いてくれ、そこに座ると人形がお茶を運んできた。 ……便利だなぁ。あ、紅茶だ。 「これって、自分で動いているの?」 「完全に自立して動く人形が私の目標ではあるけど、まだ無理ね。ある程度命令は与えてあるわ」 自立した人形、ね。 よくある、『心のある』ロボットとかの話か。 「外の世界にはないのかしら?」 「ないなぁ。空想の世界じゃあ、割とよく使われるモチーフだけど」 「外の世界の技術でも作れないのね……」 「いや、多分こういう人形を動かす技術はアリスのほうが上だと思う」 外のロボットは、やっと二足歩行が可能になったあたりだ。空飛んで、お茶淹れて、客の出迎えをするような人形、ついぞお目にかかったことはない。 「まあ、僕に人形のことはよくわからないけど、頑張ってくれ」 「そうね」 そこからは、アリスは作業に集中しだしたのか、会話もない。 そのせいか、なんか香霖堂からここまでの森歩きで疲れていた僕のまぶたはちょっとずつ閉じていき、 いつの間にか寝ていた。 「あら、起きたの」 「……なんか、僕、寝てばかりのような気がする」 こうやって寝顔を見られるのも何度目か。 霊夢や妖夢あたりは、多分二桁以上見てるだろうな……。 「って、朝ぁ!?」 寝たのが多分、六時か七時くらいだったはずだから……丸々半日、寝てしまったのか。 いやまぁ、外の世界に帰るのは今日の昼辺りの予定だったから、問題はないけどさ。 「そうそう、フィギュアの方、出来ているわよ」 「え?」 早すぎる。 フィギュアの作成にどのくらいの手間がかかるのかはわからないが、たった一晩で出来るものなのか? 「久々に没頭できたわ。やっぱり、たまには変わったものでも作って想像力を刺激しないと駄目ね」 と、見せられたフィギュアは……本当に粘土で作ったのか疑わしいほどの、超クオリティだった。 つーか、雑誌に載っていたやつより、よっぽど精巧じゃないか? 「徹夜だったから私は寝るけど、よければ香霖堂まで届けてくれるかしら」 「あ、ああ。それはいいけど」 「じゃ、お願いね。上海、彼に朝食でも上げて、送り出してあげなさい」 上海人形は両手を挙げて応える。 そして、僕は朝食をご馳走になり、香霖堂まで引き返すのだった。 ちなみに、フィギュアはスカートの中まで見事再現されていた。……いや、わざわざ確認したわけじゃないよ? ちらっと見えたんだってば。 あ、それと。結局、フィギュアを見ても、イマイチ森近さんは萌えなかったらしく、そのフィギュアは僕の部屋に飾られる事となったことを付け加えておく。 | ||
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