『御剣へ

 手紙、ありがとう。すごいうれしかった。
 御剣の方も大変な状況みたいだな。俺の方は、佳織が捕まっていて無理矢理戦わされている。佳織を助けるまでは頑張るつもりだ。
 ただ、スピリットを斬るのはどうしても慣れない……。御剣はどうだ? 俺は、スピリットも人間と変わらないように思える。少なくとも、一緒に暮らしている連中はいいやつばかりだ。エスペリアとか……機会があれば、紹介したいな。

 悪い。手紙、慣れていないせいで話が取っ散らかってるな。ええと……














 友希は、もう既に暗記してしまった手紙を、最後まで読んでから机にしまった。
 これは、悠人から最初に送られてきた手紙。悠人だけではなく、佳織までもがこちらの世界に来ていること。しかも、悠人に対する人質として捕らえられていることは、彼を大いに驚愕させた。

 佳織は、友希にとっても大事な幼馴染だ。出来ることなら、今すぐにでも助けに行きたいが、そうは出来ない。捕まっているとはいえ、扱いは丁寧らしいという悠人の知らせを信じるしかなかった。

「トモキ様。随分熱心に読んでいらっしゃるんですね」
「……ゼフィ。ノックくらいしてくれ」

 ぎく、と思わず背が跳ねそうだった。後ろを振り向いてみると、気付かなかったがいつの間にかゼフィが友希の私室に入ってきていた。
 努めて冷静さを装うが、出来ていたか自信はない。

「しました。でも、返事はありませんでしたよ」
「う……そうだったか?」

 しまったなあ、と友希は頬を掻く。悠人の手紙はそれは大事なものだが、まさかノックの音が聞こえないほど集中して読むとは思わなかった。ただ、懐かしい故郷の文字を読むのが楽しいだけではない。悠人からの手紙は、色々と考えさせられるのだ。
 例えば、スピリットを斬ることについて。二通目の手紙によると、悠人は既に実戦を経験し、たくさんの敵スピリットや噂の龍を斬ったらしい。佳織を助けるため、という友希にはない立派な理由があるが、それでも苦悩していることは拙い文面からも痛々しいほどに伝わってきた。
 友希が斬ったのはまだたった一人。数の多寡で論じることでもないかも知れないが、実戦に臨めば悠人の苦悩はそのまま友希も味わうことになるだろう。

 さりとて、友希だって相手を生かすために自分の身を差し出すような聖人君子にはなれない。想像するだけで『束ね』を持つ手が震えるほど頼りない覚悟だが、いざ実戦となれば敵を倒して――否、殺して、生き残ると決めていた。

「で、来たの?」
「はい。ラキオスのユート様から、三通目の手紙です」

 ゼフィが微笑みながら、懐に収めてあった封筒を渡してくる。
 それを礼を言いつつ受け取り、慌てて封を切る。ペーパーナイフのような気の利いた物もないので、中身も一緒に破いてしまわないよう慎重に。

「昨日からずっとそわそわして。少し妬けますね」
「う……仕方ないだろ」

 便箋を取り出し読もうとすると、ゼフィがからかうように言ってきた。
 実際、友希は昨日辺りから、そろそろ悠人からの返信が届く頃だと、ずっと落ち着かない様子だった。流石に訓練までぼーっとしていたわけではなかったが、いつも一緒に暮らしているゼフィから見れば一目瞭然だった。

「私は飲み物でも持ってきますね。今日は、花が余ったので煮出して花のお茶を淹れてみます」
「あ、ああ、そう。よろしく」

 ゼフィはたくさん花を育てているので、たまにこういうこともある。そのまま枯らせるよりは、とたまに花弁や根を使ったお茶もどきを振舞ってくれるのだが……正直不味い。が、色と味が付いているだけ、ここでは上等な飲み物である。

 待つ間、悠人からの手紙を読み進める。

 神剣をなかなか扱えず、訓練が辛いこと。佳織については進展がないということ。バーンライトとの戦争が起こるのが避けられないことなどなど、
 悠人は手紙を書くのは苦手らしく、時々斜線が引かれている文字もあったし、話題がよく飛ぶが、なんとなく状況は見える。

 読み終えると、天井を見上げて内容を反芻する。

『主の友人はなかなか大変な状況のようですね』
『……ああ。神剣に乗っ取られそうになるなんて。僕とは全然状況が違う』

 今回の手紙には、悠人の剣である『求め』のことも書いてあった。マナを際限なく求め、隙あらば契約者である悠人を乗っ取ろうとする神剣。口ではなんだかんだ言いつつも、基本的に友希の力になってくれる『束ね』とはまるで性格が違う。

『よかったですね、主。契約したのが私で』
『う……今回ばかりは否定出来ない……。って、いやいや! そもそもお前らと契約しなきゃ済んだ話だろうがっ』
『おやおや、またしても認識不足な。契約していなければ、とっくに主はこの世にいません。前も言いませんでしたっけこれ』

 ぐう、と友希は降参の呻きを漏らした。どうにも、友希は『束ね』に口で勝てる気がしない。
 なんとか反論の糸口を探すが、一つも見つからなかった。

「お待たせしました」

 そこで、お盆に湯気をたてるカップを乗せたゼフィが帰ってくる。微妙に負けた気分を味わいながら『束ね』との会話を打ち切り、友希はゼフィに向き直った。

「ああ、ありがとう。いただきます」

 二つのカップのうち一つを取り、まずは匂いをかぐ。花から淹れたのだから当たり前だが、見知った花の香りが僅かにした。
 味は……苦いというか渋い。毒はないはずだったが、舌が微かにピリピリした。

 思わずしかめっ面になる。ゼフィを見ると、彼女も同じように渋い顔になっていた。

「こ、今回は失敗ですね」
「……だな」

 花の種類によって、毎回味は変わる。総じて不味いのは変わらないのだが、今日のものは特に不味かった。

「この前飲んだ紅い花のやつは美味しかったけど。今度はあれをお願い」
「あれはハーブティーとしても飲まれるものですからね。……今育てているところなので、もうしばらくお待ちください」

 我慢して飲みながら、他愛のない会話に興じる。ゼフィとこうして話すのは、友希にとってとても大切な時間だった。

「ところで、手紙の方はどうでしたか?」
「ん? ああ。高嶺の方もやっぱり大変みたいだ。もうすぐ戦争が起こるみたいだし、神剣も『束ね』程協力的じゃないらしいし」
「神剣は総じてそのようなものですよ。トモキ様の『束ね』の方が、どちらかというと珍しいです」

 ゼフィは言って、顔を沈ませた。

「それにしても、戦争ですか。やはり避けられないのでしょうね。ラキオスとバーンライトの緊張はもう限界に達していましたし……」
「それでも、簡単に戦争なんてやるもんじゃないと思うんだけど」

 悠人の所属するラキオス王国では、民衆レベルでも開戦ムードに包まれているそうだ。平和ボケと揶揄されるほど戦争に忌避感を持つ日本という国で育った友希には、理解出来ない心情だった。

「それに、戦うのはスピリットなんだろ?」
「はい。この世界での戦争は、基本的に矢面に立つのはスピリットです。人間兵では、百人集まってもスピリット一体も倒すことは出来ませんので」

 人では到底追いつけない速度。人間を鎧ごと簡単に両断する威力。通常の武器など正面から容易く弾き返す防御力。スピリットに人が挑むのは、友希の世界で言うと丸腰の歩兵が戦車に立ち向かうようなものだ。
 そうだと分かっていても、人の勝手な都合でスピリットが戦いを強要されるのは納得がいかない。戦争をやりたいのなら、やりたい連中だけで勝手にやっていれば良いと思う。

「我が国でも、軍事に振り分けられるマナが増えています。直接戦うことはないかも知れませんが……同盟国として支援が求められるかも知れません」
「マナ、ね。そんなんだったら、パンの一つでもくれたほうが嬉しいんだけど」

 雰囲気が暗くなっているのを見て、友希は努めて明るい声を出した。戦争の話をしていると、どうもいけない。
 ゼフィも乗って、笑いながら言った。

「そうですね。慢性的にお腹が空いていては、満足に力も発揮できません」
「そうそう、高嶺んとこは戦争近いけど、ご飯は美味いらしいんだよ。その点に関しては羨ましいよ、まったく」
「ラキオスは食料が豊富ですからね。それに、ラキオススピリット隊のエスペリアは料理上手で……。以前一緒に野営をしたことがありますが、野外でも見事な料理を作っていましたよ」
「本当に? あ〜、でも贅沢は言わないから、味はともかく腹いっぱい食べたい……」
「それは、この国では充分贅沢なことですよ」

 違いない、と友希は笑った。

「いつかラキオスに行くこともあるかもしれません。その時にご相伴に預かるとしましょう」
「ああ。そうできたらいいな」

 悠人と今は捕まっている佳織、そしてゼフィとラキオスのスピリットたちと食卓を囲む。それは楽しい想像だった。いつか実現しますように、と友希は信じてもいない神様に願った。






































「ええい、大臣どもめ。無邪気に喜びおって!」

 サルドバルト国王ダゥタスは、執務を終えたその夜、晩酌をしながら口々に家臣達の無能を喚き立てた。
 サイドテーブルに乗せられた酒と酒肴は一級品で、この国ではスピリットはおろか人間ですら慶事の時でしか口にできないようなものだった。

 そんな最高の味を堪能していても、ダゥタスの怒りはなかなか収まらない。
 その原因は、昼間。いよいよラキオスとバーンライトの開戦も間近、という報告を受け、諸手を上げてラキオスの勝利を願った重臣たちにあった。

「なにが友好国だ、なにが『勇者の再来』だ。ラキオス王の野心に気付かぬ馬鹿どもめ。バーンライトを攻め滅ぼしたら次は我が国だということが何故分からん」

 一人、ダゥタスだけはラキオスの戦争を苦々しく思いその報告を聞いていた。だが、喜びに湧き上がる家臣たちにその場でわめき散らすことは出来ない。この国は王制で、ダゥタスはほぼ絶対的な権力を持つが、手足たる家臣たちの動きが鈍るのはそれはそれでまずいのであった。

 それに、ダゥタスの頭の冷静な部分では、家臣たちに同意する部分もある。
 せいぜい、好きにやらせればいいのだ。サルドバルトとしては、最悪ラキオスが攻め滅ぼされてバーンライトという敵国が隣に出現する――という状況にさえならなければ良い。理想的なのは、双方疲弊しきった上でのラキオスの勝利か。これならば、上手く立ち回ればラキオスに恩を売ることも出来るだろう。
 仮にラキオスが圧勝したとすれば、勢い付いて北方五国の平定に乗り出すかも知れない。その懸念はある。なにせ、ダゥタスとラキオス王は古い付き合いだ。その野心をかの王が内に秘めていることは、誰よりも知っている。だが、いくらラキオス王とて、長年交流があり友好を続けてきたサルドバルトに安易に攻めこむことはないだろう。サルドバルトに攻め入った場合、民衆の反発は必至だ。

 そう、余程のことがない限りラキオスがサルドバルトに侵攻してくることはありえない――余程の、事が……

「む……」

 ふと、悪い考えが過ぎり、ダゥタスは頭を振った。
 先日、内々にダゥタスに届けられた密書。内容は、この大陸で最大の勢力を誇る神聖サーギオス帝国からの、龍の魂同盟からの離反を促すもの。
 読んですぐさま処分したそれが、ちらりと脳裏を掠めた。だが、ダゥタスはすぐその考えを放棄する。

 同盟を裏切り、帝国に与する。馬鹿な話だ。

 サルドバルト王国がバーンライトの位置にあれば、一にも二にもなく飛びつく提案であるが、生憎とサルドバルトが国境を接するのはラキオスとイースペリア……同盟国のみだ。帝国の支援があったとて、これだけの距離があればそれは規模の小さいものにならざるを得ない。裏切り者としてラキオスとイースペリアに滅ぼされるのがオチだった。家臣たちの反発も避けられないだろう。

 リスクが高すぎる方策。その先はただサルドバルトの滅亡があるだけだ。

 ――だが、今ならばどうだ? イースペリアは先のダーツィとの戦の傷が癒えず、ラキオスはこれから総力戦とも言える戦争に突入する。サーギオスの支援を受けて背面を突けば、

「いかん……飲み過ぎたか」

 ダゥタスは首を振る。こんな分の悪い賭けに挑むほど自分は愚かではなかったはずだ。
 半ばまで飲んだアカスクの瓶に蓋をする。用意してあった水差しの水を一息に飲み干した。

 ふう、と人心地つき、今後の絵図を思い浮かべる。

 北方五国は今、ラキオスとバーンライトに端を発する戦乱に巻き込まれようとしている。大きく見れば、サルドバルト、ラキオス、イースペリアの龍の魂同盟対、バーンライト、ダーツィとなるだろう。だが、そのうちサルドバルト、イースペリアは今のところ戦に参加するつもりはない。
 しかし、それでも今度の戦争はラキオスが勝つだろう。ラキオスは神剣の勇者であるエトランジェ――サルドバルトの役立たずとは違い、龍を屠るほどの猛者だ――を擁し、先の魔龍討伐で得たマナもある。今のラキオスの戦力は北方五国の中でも頭一つ抜けていた。ダーツィがバーンライトと手を結べば危ういことになるが、その時は、淡々と同盟の義務を果たせば良い。うまくすれば、おこぼれの一つも得られるだろう。

 サルドバルトに戦乱が飛び火しないよう専心するのが、今やるべきことだ。今後の情勢は更に注視するべきだろう。
 要するに、現状維持だ。

 そう決め込んで、そろそろベッドに入ろうとしたダゥタスの耳に、

『――そう。でも、それは貴方が本当に望んでいることかしら?』

 そんな冷たくも蠱惑的な声が、どこからか聞こえてきた。
 その、なにもかも見透かしたような声が、するりとダゥタスの心に入り込んでくる。ベッドに入るため立ち上がろうとする足がピタリと止まった。

『見返してやりたいのでしょう? 貴方を軽んじるラキオス王を。笑顔の裏で自分を軽蔑しているイースペリアの女王を。ラキオス王の顔を踏み躙り、女王に自分が所詮女である事を思い知らせたいのでしょう?
 同盟国を全て併呑し、大陸に覇を称えたいのでしょう? 今の状況ならば可能ではないかしら』

 昏く魅力的な声が大きく響く。その声は、内容に反して幼い少女のものだった。だが、どこか疲れきった老女のような印象を受ける。

 誰何の声を上げることも出来ず、いや声を上げるという意識すら浮かばず、ダゥタスはその声に聞き入った。
 声が語るのは、確かにダゥタスの本音。表には出せない野心。今までは自国の不甲斐なさ故に内に秘めざるを得なかったが、

 今ならば。そう、今ならば不可能ではない。
 サルドバルトは貧しい国だが、なにを置いても優先して蓄えた軍事用のマナはそれなりのものだ。さらに、スピリットは総じて弱兵ばかりだが、戦がないため数だけは突出している。これに帝国の支援が加わり、最大勢力であるラキオスが戦争後、疲弊した瞬間を狙えば、

 北方五国を舞台とした絵図を、根本から引っくり返すことが出来る。

『貴方なら……いえ、貴方にしか出来ないことですわ』
「そうだ……。余ならば……歴代のサルドバルトの王に出来なかった悲願を……」

 もはや、響く声は、ダゥタス自身の声となっていた。目を血走らせ、乱暴にペンと紙、そしてサルドバルト国王にしか許されない国璽を取り出す。
 取り憑かれたようにサーギオスへの返書を認め始めるダゥタス。

 彼の私室には、童女の哄笑がいつまでも響いていた。
































「っっっっ!?」

 自室のベッドで熟睡していた友希は、全身を戦慄かせるような寒気を感じて弾かれるように飛び起きた。
 ぜぃ、ぜぃと荒く息をつき、滝のように流れる汗を無意識に拭う。

「な……んだ?」

 一瞬、悍ましい気配を感じた。今はもう気配を感じることはない。場所は……感覚的にはかなり遠くだ。そちらに視線を向け、意識を飛ばしても、ただの静かな夜の気配しかしない。

 もちろん、友希が素で『気配』なんていう漫画の世界のものを感じるわけがない。布で包んで隅に転がしてある神剣を通して感じ取ったものだった。

『『束ね』? 今のは……』
『はい。これは……以前赴いた城の方角ですね。今はいません。気のせい……かも、知れませんが』

 『束ね』も、先程の感覚がなんなのか掴みかねている様子だった。しばらく佇んでいても、本当にもうなにも感じない。『束ね』の言うとおり、ただの勘違いだったのか。ただ、気のせいだと捨て置くには、あまりにも不吉な気配だった。

「……トモキ様……?」
「ごめん、ゼフィ。起こしちゃったか」
「はい……なにかありましたか?」

 隣で眠っていたゼフィが身を起こす。当然のように、彼女は服を着ていない。勿論、友希もだ。このような状況だが、なにやら妙に気恥ずかしい。
 いや、と首を振って、友希は邪な考えを追い出す。そして、先程感じた気配のことをゼフィに話した。

「ああ……なんて言ったらいいかな。変な感じがして……」
「敵ですか」

 友希の要領の得ない説明だけで一瞬で眠気が覚めたらしく、ゼフィが真剣な表情で友希を問い詰める。

「わかんないんだ……。今は全然感じなくて。ただの気のせいだったのかもしれないけど……」
「? はあ」

 気の抜けたようにゼフィが枕元に立てかけた『蒼天』に触れる。目を閉じ、周囲の気配を探っているようだった。

「……私もなにも感じませんね。力を発動させた神剣があるなら、かなり離れても気付くはずですけど」

 十秒ほどそのまま佇んで、ゼフィはそう呟いた。

「ゼフィが気付かなかったんだったらきっと気のせいだと思う」

 そう。冷静に考えてみれば、ゼフィが気付かないものを友希が感じ取れるわけがない。敵の神剣の気配の探り方は、ゼフィから教えられたのだ。

「ごめん、多分僕と『束ね』が変な夢でも見たんだと思う」

 丁度、今日は遠くの神剣の存在を感じ取る訓練をした。あれが、変な風に作用したのだろう。
 『束ね』はイマイチ納得いっていないようで、首をひねっているが、最後には友希に同意した。どれだけ探っても、原因らしきものが掴めなかったのだ。

 だが、胸を突き抜けていった嫌な感じはまだ残っている。ぶる、と身を震わせる友希を、ゼフィはそっと横たえらせた。

「いえ……。気のせいなら、それに越したことはありません
「ああ。うん……そうだな」

 まだ友希の身に残っている感覚。こんなものを感じさせるような存在は、いないに越したことはない。

「寝ましょう、明日も早いんですから」
「うん……おやすみ」
「はい、おやすみなさい」

 ベッドに横になり、目を瞑る。
 しかし、どうしても感じた怖気が忘れられず、友希が寝入ったのは随分時間が経ってからのことだった。































 この世界のどこでもない空間。彼らの拠点として『作られた』空間に、男と女がいた。

 男は鋼を人の形にしたような屈強な体躯に、身の丈程もある肉厚の大剣を背負っている。無表情に佇みながらも、全身から闘気を立ち昇らせていた。
 女は、打って変わって年端も行かない少女。純白の衣装に、杖を携える聖女のような外見。整った顔立ちは、子供にも関わらずぞっとするほどの色香を備え――その表情は、ただただ邪悪に歪んでいた。

 少女は、つい先程この拠点に戻ってきたところだった。男は少女に対して膝を付き、頭を垂れた。

「テムオリン様。お疲れ様でございます」
「ふふ……疲れてなんていませんわ、タキオス。むしろ、私は今とても楽しんでいるの」

 クスクスと、歳相応に笑うテムオリンと呼ばれた少女。ただ、普通の人間が見れば背筋に悪寒が走るような笑いだった。

「長い私たちの生での数少ない楽しみ。折角ですから思う存分楽しみませんと」
「は……私は、強き者との戦いがあれば、それで」
「それはどうでしょうね。今回の件は、カオスでは時深さんが関わっているようですけど」
「また、ですか」
「ええ、またです。まったく、そろそろうんざりしてきましたわ。まあ……あの時深さんの目の前で全てを台無しにしてしまうのは……ふふ、我ながら昂ぶるものがありますけど」

 テムオリン達にとって、時深は因縁の相手だった。因縁、などというものが出来るのは、それが敵同士とは言え、彼女たちには貴重であり……テムオリンはある意味、時深のことを非常に好いていた。

「ただ、彼女では貴方を満足はさせられないかも知れませんわね。気質が違いますもの」
「いえ、そのようなことは。強者との戦いは、なんであれ心踊るものです」
「そう。まあ、貴方が心震わせるような強者が出てくるのを祈っておきなさい。あの時深さんが一枚噛んでいるんですもの。もしかしたら、我々の前に思わぬ強敵が立ち塞がるかも知れませんわ」
「それは、せいぜい期待しておくとしましょう」

 ニヤリと笑うタキオス。

 それはそうと、とタキオスは懸念の一つを口にする。

「そういえば、あの想定外のエトランジェはいかがでしたか?」
「ん? ちょっと挑発してみて反応を見ましたけど……大したことはありませんでしたわ。剣も第五位。しかも、相当弱いものでした。然程気にすることもないでしょう」
「あの大地では、五位とは言え侮れない影響があると思いますが。万が一、計画を狂わせるようなことがあれば」
「あらあら、タキオス。いけませんわね」

 タキオスのその言葉に、テムオリンは指を振った。幼子に諭すような優しい口調で、語りかける。

「ある程度のイレギュラーは歓迎するところですわ。この大地を舞台とした劇に、彩りを加えてくれることでしょう」
「しかし」
「心配性ですわね」

 ふむ、とテムオリンは再三意見を言う部下に残酷な笑顔を返した。

「所詮、亡国に属する者です。遠からず舞台から退場することでしょう。あのような小者、気にするだけ無意味ですわ。……まあ、タキオスがどうしても、と言うなら、勝手になさい」
「は……」

 クスクスクス、とテムオリンは鈴を鳴らすような声で笑う。それは、心底楽しそうな笑顔であった。




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