パチリ、と目が覚めた。
 友希が身体を起こすと、隣には一糸まとわぬ姿のゼフィ。

 はぁぁぁ、と友希は大きな溜息をつく。

『おや、主。随分と元気がない。おおっと、昨夜頑張りすぎましたか』
『ドやかましいわ!』

 壁に立てかけられたままの『束ね』に心の中で怒鳴りつける。自分でも驚くほど活力に満ちた声だった。

『どうやら、軽口に付き合える程度には余裕ができたようですね』
『……自分の単純さに呆れるけど』

 昨日、ゼフィが訪れる前まではあれほどボロボロに落ち込んでいたのに。
 彼女を抱いて明けた今日は、何故かこちらに来てから一番気分は上向いていた。

『そんなものです。男が元気になるには女。こんなもの、古今東西万国共通の法則ですよ。主が単純だと言うなら、男全部が単純なんです』
『問題は何一つ解決してやしないんだがなあ』
『なに、ネガティブになって解決するわけでもないでしょう。それに、一つは解決しています』

 なんだよ、と友希が聞くと、『束ね』はククク、とからかうような思念を送ってきて、

『死ねない理由は出来たでしょう? 昨日までの主は、下手したらそのまま死んでしまいそうでしたけどね』

 ゼフィの方を見ていることは、例え目がなくてもわかった。
 そう……と、友希はゼフィの寝顔に目を向ける。

 少なくとも、ただ死ぬわけにはいかなくなった。なんとしても生き残らなければいけない。自分が死んだ後、彼女が悲しむのは御免だ。場合によってはスピリットを斬らなければいけないかも知れない。それはまだ許容できそうにないが……許容しないと、死ぬ。
 と、考えてはみても、実際にその状況になったとき出来るかどうかは正直わからなかった。自分でもなにを考えているのかよくわからない。

「はあ……」

 しかし、それでも昨日ぐちゃぐちゃ悩んでいたときと比べれば雲泥の差だ。
 たった一晩でここまで感情が変わってしまうのだから、なるほど、『束ね』の言うとおり男とは単純だ。

「……ん」

 ゼフィがうっすらと目を開ける。普段、彼女は友希よりずっと早く起きているのだが、やはり負担が大きかったのだろう。

「おはよう」
「……あ。トモキ様。おはようございます」

 ぺこり、と半分寝ぼけた様子で、ゼフィが頭を下げる。

「あれ……私、なんで」

 と、そこで目が醒めたのか、ボン、と効果音が聞こえそうな勢いでゼフィは顔を真っ赤にした。

「あ、ええと……その、昨夜はどうも、失礼を……」
「あ、いや。別に全然失礼とかじゃなくて。その、ありがとう?」

 言ってから、なんと間の抜けたことを言ったのか、と友希は後悔した。

「ええと、どういたしまして」

 同じく、間抜けな返事が返ってきた。
 二人して沈黙。

「ええと……朝ご飯の支度をしてきますね」
「あ、ああ」

 服を引っ掴んで、パタパタとゼフィが部屋から出て行く。
 その後ろ姿を見送って、友希も立ち上がって着替えをする。学生服を模した友希用の戦闘服に袖を通すと、不思議と背中がピンと伸びる。

 朝ご飯が出来るのはもう少し先だろう。その前に、済ませておかなければいけないことがあった。

『『束ね』。ちょっと付き合ってくれ』
『はい』

 自分の内に『束ね』を収めて、友希は館から出て裏に回る。途中で食堂に向かうスピリットの一人に朝の挨拶をした。当然のように返事はなかったが、それでもこれからも挨拶をするだろう。彼女たちの名前も、早めに覚えようと思う。

「さて、と」

 スピリットの館の裏。館の補修用の道具やゼフィの家庭菜園用の道具がしまってある納屋があるだけの広場だ。家事の合間に、ゼフィがここで軽い素振りなどをしているのを見たこともある。
 そして、そんな裏の隅に、石が積み重ねられている場所があった。近付いてみると、三つほどの石が積み重ねられた箇所が十ほどある。その中の一つは、ごく最近に積まれたもののようで、石が真新しく、またその石が置かれた地面は掘り返したような跡がある。

 ゼフィの言っていた、サフィの墓とはこれのことに違いない。

「………………」

 友希は、その墓に向かって膝を付き、無言で手を合わせる。
 サフィに向けて言う言葉は、まだ見つからない。『すまない』と謝るのは、なにかが違う気がする。ただ、彼女の死を謹むことと、彼女を自分が殺したことを忘れないことくらいしか出来ない。

 じ、とそのまま佇んでいると、後ろに気配が現れた。

「ごめん、ゼフィ。ご飯出来たのかな」
「はい。その……トモキ様、ありがとうございます」
「……礼なんてされるようなことじゃないって」

 友希は立ち上がって、膝に付いた土を払う。
 しばらくはこうやって墓に通うことになるだろうが、いつかはその習慣もなくなるだろう。これは、サフィのためというより友希が納得するためにしていることに過ぎない。

 とりあえず、気持ちを切り替える。
 朝食の後は訓練だ。いつまた、今回のようなことを命令されるか分からない。その時、生き残るためにも強くならなければいけなかった。























 その日から、友希の訓練に対する姿勢は変わった。
 周りの状況のせいでいやいや取り組んでいたものに対して、真剣に臨むようになった。

 苦手だった攻撃についても、少なくとも訓練においては躊躇いなく出来るようになった。実戦で同じようにできるのかは疑問だったが……

 そうすると元々の神剣の位が高いため、メキメキと実力を上げていく。

 そして、一ヶ月の時が経った。





















「トモキ様、お願いします」
「ああ」

 模擬戦。訓練の締めくくりに行なわれるそれに、友希はゼフィと組んで臨んでいた。
 相手は、六人――三人一組を基本とするスピリット隊においては、二個小隊に相当する戦力だ。以前、ゼフィが一個小隊を相手取って勝利を収めていたが、倍となると彼女でも無理だ。

 しかし、そんなことは問題ではないと、ゼフィは一人突進していく。防御役のグリーンスピリットが二体、全面に出て彼女を抑えようとする。ゼフィの攻撃なら防御に優れたグリーンスピリットの盾も二つ同時に破壊できる。……が、同時に確実に足を止められるだろう。攻撃を止めたら、すぐさま背後に控えるアタッカーの攻撃と、サポーターの魔法が炸裂する。その状況では、ゼフィは為す術なくやられてしまう。

 それを、友希がフォローする。

「ゼフィ、僕の力持って行け!」

 友希が眼を閉じ、『束ね』に意識を集中する。すると、手に持った『束ね』からイメージが転送され、友希の足元にマナを増幅し、目的のために変換するための幾何学模様――魔法陣が浮かぶ。
 神剣魔法。ゼフィとコンビを組んで模擬戦をするようになってから使い始めたものだ。他のスピリットに対しては使えないが、ゼフィに対しては著しい効果がある。

「サプライ!」

 イメージを強固にし、外界へ解放するための呪文を叫ぶ。すると、魔法陣から供与のオーラが溢れ、ゼフィに降り注いだ。
 効果は、対象の能力の上昇。そして、代償として友希自身の能力は若干低下してしまう。

「はあああぁぁぁぁあっっ!」

 目に見えてゼフィの速度が速まる。速度に優れたブルースピリットと言えど、そうそう出せぬ勢いでゼフィはグリーンスピリットの壁をあっさりとぶち破った。盾を張っていたグリーンスピリットのうち、一体をついでとばかりに打ち倒し、勢いは止めずにそのまま魔法の詠唱をしていたレッドスピリット二体を蹴散らす。
 一瞬で、後衛二人と防御役のうち一人を戦闘不能に追い込んだゼフィをスピリットたちは慣れたように取り囲む。実際、彼女たちは慣れていた。神剣魔法『サプライ』のかかった状態のゼフィは、ただでさえこの部隊最強の実力が段違いに跳ね上がる。彼女が得意とする初撃以外は流石に足止め出来るものの、下手をしたら最初の突撃で全滅も有り得た。
 一旦ゼフィの足が止まったのを見て、前に出て盾を展開していたグリーンスピリットが友希を倒すべく前に出た。友希を倒せば、魔法は解け勝ちの目も出てくる。長槍型の神剣を構え、一直線に突撃してきた。

「……!」
「はっ!」

 襲ってきた槍の一撃を、友希はオーラフォトンの盾で受け流す。能力が下がっているとは言え、ゼフィの上昇率に比べれば然程極端な低下ではない。一撃を捌き、隙の空いた懐に飛び込み、一撃を見舞う。
 しかし、相手のグリーンスピリットに当然のように受け止められる。押し返され、グリーンスピリットは長槍を振り回した。たまらず友希は後ろに飛ぶ。

『やれやれ、今の一撃、あのタイミングなら勝負をつけられましたよ?』
『わかってるよっ』

 飛び込む隙を伺いながら、文句を言う『束ね』に反論する。守勢に回って時間を稼げばゼフィが駆けつけてくれるだろうが、これは訓練だ。相手の一人くらいは倒すようにしたい。なにより、男として守ってもらってばかりというのは少々勘弁してもらいたかった。

 じり、と摺り足でグリーンスピリットが近付いてくる。視線を僅かにゼフィたちの方を見てみると、向こうは既に足止めの二体のスピリットを倒していた。すぐにこちらにやってくるだろう。そのことに焦ったのか、グリーンスピリットはやや無用心に友希に攻撃を加えた。

「そこ!」

 槍を撃ち落とし、今度こそはと全力で『束ね』を振るった。
 ガキン、とマナの盾に受け止められる感触がするが、構わず力を込める。

「ぅぅううううらぁぁあああっっっ!」

 キィン、と甲高い音がして、『束ね』がオーラフォトンの光を宿す。防御を突破し、グリーンスピリットが吹き飛ばされ、

「……これで私たちの勝ち、です」

 飛んだ先にいたゼフィが神剣『蒼天』を突きつけ、審判をしていたイスガルドに視線を向けた。

「ああ。トモキ、ゼフィ組の勝利で終了だ」

 イスガルドが、パンパンと手を打ち、模擬戦の終了を宣言する。ゼフィに倒されたスピリットたちがのろのろと起き上がり、ゼフィが敢えてノックアウトしなかったグリーンスピリットの元に集まる。回復魔法をかけてもらうためだ。
 特に怪我のない友希は、イスガルドの元に向かう。

「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ。今日の模擬戦は中々だったぞ。トモキも戦えるようになってきたな」
「どうも。『束ね』はまだまだだって言ってますけどね」
「そりゃ、私はお前を『新しく転送されてきたスピリット』として見てるからな。第五位の神剣を持つ割には全然だ。せいぜいスピリット隊じゃ中の上ってところか? 普通ならゼフィだって一蹴できる位のはずなんだがな」

 友希はゼフィの戦いぶりを思い出す。友希の支援を受けているとは言え、六人を相手に無双するその実力は、どれだけ訓練しても敵いそうにない。

「……無茶を言わないでください」
「なに、そんな無茶でもないさ。お前は、半年とかからずここまできた。今後、ゼフィを追い抜くことも夢じゃない」
「そうだといいんですけどね……」

 確かに『束ね』の力を百パーセント引き出せていないことは確かだ。しかし、これ以上の力を引き出しても、友希の身体が壊れるだけで使えない。成長すればそれも変わるのだろうか……。正直なところ、今も限界ギリギリで、これ以上は無理なのではないか、と弱気の虫が出てくる。
 いやいや、と友希は首を振って、ひとまず要件を切り出した。

「それで、今日の訓練の後、話があるって言っていましたけど?」
「ああ、そうだな。ゼフィ、お前もこっちに来い!」

 他のスピリットたちをまとめていたゼフィにイスガルドが声をかける。ゼフィは不思議そうに首をかしげて、こちらに駆け寄ってきた。

「はい、なんでしょうかイスガルド様」
「ああ、お前とトモキには話しておかないとな。まあ、楽にしろ」

 さて、とイスガルドは並んだ二人を見て、言葉を選ぶ。

「落ち着いて聞け。昨日、ラキオス王国が、『リクディウスの魔龍』を打倒した、と宣言した」
「なっ……龍を?」

 ゼフィは驚くが、友希は初めて聞く言葉に首を傾げる。

「あの……龍って?」
「ああ、お前は知らないか。リクディウス山脈に住まう守り龍。北方三国を守護すると言われる存在だ。龍の魂同盟という名も、この龍から取られている」
「……なんで魔龍なんて呼んでいるんですか」
「それは、ラキオスが勝手に言っているだけだ。大方、龍を滅ぼしたことの言い訳だろう。リクディウス山脈近郊の村が龍によって滅ぼされた、なんて胡散臭い情報も流れてきてる」

 やれやれだ、とイスガルドは肩を竦めた。その言葉に、おずおずとゼフィが口を挟む。

「歴史上、リクディウスの龍が自分から人を襲ったという記録はありませんが」
「ああ。まあ、目当ては龍が保有していたマナだろう。今のラキオスの規模だと、数年は戦えるだけのマナを手にしたはずだ」

 ゼフィは、以前の龍の魂同盟の会談を思い出す。確かに、ラキオス王はそれを仄めかすような発言をしていた。まさか同盟の象徴とも言える龍を倒すなどという方法を取るとは思っていなかったが。だが、このことはイスガルドにも友希にも言うわけにはいかない。

「それはいいんだ。今後、ラキオスの動きに注視する必要はあるが、今日明日にどうこうという話ではない。……重要なのは、龍を倒したのが『エトランジェ』だということだ」
「――なっ!?」

 エトランジェ。友希のような異世界からやって来た人間のことを指す。この大陸には数十年に一度程度の割合でエトランジェが訪れているという話は聞いていたが、まさか自分以外に要るとは思っていなかった。
 しかし、龍を倒すのはただのエトランジェでは無理だ。つまり、

「……と、いうことはラキオスのエトランジェ様も神剣を?」
「ああ。『求め』の主だそうだ。名は『求め』のユート。……その顔だと、知った名前だな? トモキ」

 動揺が隠せない様子の友希に、イスガルドが指摘した。
 実際、友希は混乱の極地にあった。まさか、自分以外の人間までこちらに来ているとは思っていなかった。

『ユート……って、高嶺、のことだよな。同名の別人……とか?』

 希望を込めて、確認するように『束ね』に話しかける。

『そんな偶然があるわけがないでしょう。そもそも、忘れていませんか、主? 貴方は、この世界への召喚に『巻き込まれた』だけだということを』
『そ、そう言えばそんなこと言ってたな』
『はあ……完全に忘れていましたね?』

 図星であった。友希は自分のことに精一杯で、この世界に来ることになった原因である『門』に、あの時一緒にいた友人が吸い込まれていることを考えていなかった。少し考えてみてみれば簡単に推測できることだというのに、自分の間抜け具合に呆れる。

「で? 一応確認するが、知り合いか?」
「はい……友達です」

 イスガルドの問いに、誤魔化すことをせず素直に頷く。
 まだ頭は混乱しているが、とりあえず口を開いた。

「その……会って話がしたいんですが」
「それは無理な話だ。今のお前は、あくまでスピリット隊第二分隊の隊員で、単独行動は許されていない」

 ぐ、と友希はそれ以上反論できず押し黙る。そうだ、ここ最近は目の前のことに全力で取り組んでいたから忘れがちだったが、そもそも友希は半ば囚われの身の上なのだった。元の世界の人間がいたからと言って、早々他国に会いに行くことは出来ない。
 もしかすると、元の世界に帰るための手がかりも掴めるかも知れない。だというのに動けない自分を、友希は歯噛みする。

 苛立ちを隠せずにいると、きゅ、と後ろから服の裾を引っ張られた。

「?」
「…………」

 何事か、と振り向いてみると、友希の斜め後ろに控えていたゼフィが安心させるように笑みを浮かべていた。
 彼女は、一歩前に出てイスガルドに真っ直ぐに進言する。

「では、イスガルド様。私は第二分隊隊長として、ラキオススピリット隊との合同訓練を提案いたします」
「……お前なあ。相変わらずトモキには甘いな」
「そのようなことは」
「ったく」

 イスガルドはぽりぽりと頬を掻いて、友希を意味深な目で見る。一ヶ月前の『処刑』以来――正確には、その夜以来――ゼフィが友希に対して、ただの隊員以上の態度で接していることはイスガルドも嫌というほどわかっている。
 一度壁が取り払われてしまえば、そもそもまともに会話できるものがお互いしかいない状況。二人の仲は急速に接近していた。
 イスガルドの視線になんとなく咎められている気がして、友希は縮こまる。

「可能なら通してやりたいが、それも難しいな……。少し前から、ラキオスの軍隊の動きがどうもきな臭い。打診はしてみるが、期待はするな」
「はい。それだけでもありがたいです。ありがとうございます」

 素直な気持ちで、友希は礼を言った。イスガルドには何かと便宜を図ってもらっている。余裕が出来てからは、それに気付くようになっていた。

「あー、と。ほれ」
「? なんですかこれ」
「見ての通り、便箋だ」

 差し出された、地球のものに比べるとややゴワゴワした紙を受け取る。意外なことであるが、この世界では紙はそれほど高価なものではなかった。日本のように百円でノートが買えるほど安くもなかったが。

「文具は、報告書用にゼフィが持っているから貸してもらえ」
「ええと……」
「ラキオスの訓練士には知り合いがいる。同盟国の友人に、私が『個人的に』手紙を送るなら咎められることはない。相手も話のわかるやつだからな」

 そう言うと、イスガルドは不器用にウインクをしてみせた。友希の顔に理解の色が広がり、思わず頭を下げる。どうも、この人には頭が上がらなくなりつつあった。

「トモキ様、よかったですね」
「ああ!」

 どんなことを書こうか。友希は悩みながらも嬉しそうに館へと戻って行くのだった。































 ラキオス王国。スピリットの館。
 ラキオスのエトランジェである高嶺悠人は、訓練で苛め抜いた身体をベッドに預け、深く深呼吸をしていた。

 全身が筋肉痛。もはや指一本動かすのすら億劫なほどに疲労が溜まっている。
 そのくせ、一緒に訓練したスピリットたちは、平気とは言わなくても普段通りに生活に戻っていったのだから、自分が情けなくなってくる。

 実戦では彼がバカ剣と呼ぶ神剣――永遠神剣第四位『求め』が過剰なまでの力を供給してくるため、スピリット達を凌駕する強さを発揮するが、訓練ともなるとこの有様だった。マナを得ることの出来ない訓練には、『求め』は乗り気ではないらしい。
 それはつまり、悠人が『求め』を御しきれていないことを表す。最近は頻度が下がってきたが、仲間のスピリットを犯しマナを奪えという『求め』の声は断続的に悠人を苛んでいた。

 己の実力不足を実感する。神剣の専門家でもある訓練士に言わせると『剣に振り回されている』そうだ。反論のしようもない。

「……こんなんじゃ駄目だ、こんなんじゃ」

 悠人の目的は、ラキオス王に囚われている佳織を救うことである。そのためには、今はラキオスの駒となり戦わなくてはならない。もし、悠人が死んで、佳織に人質としての価値がなくなったとしたら……ラキオス王の醜悪な顔を思い返し、悠人はギリ、と歯を食いしばった。
 実力不足で佳織が酷い目に遭わされることは、悠人には許容できない。

「それに……」

 今は、それだけではなかった。一緒に暮らしているスピリットたち……エスペリア、アセリア、オルファリル……何度も『求め』の誘惑に屈しそうになり、彼女たちを襲いかけた。彼女たちは、もう悠人にとっては家族同然の存在だ。彼女たちのためにも、『求め』に支配されないだけの実力を身につけないといけない。

 横目で、枕元に立てかけた『求め』を見る。ナタのような無骨なデザインの神剣。この剣がないと、悠人はとっくに死んでいるだろう。しかし、戦いに巻き込まれたのもこいつのせいだった。
 忌々しく睨みつけて、悠人は目を瞑る。とにかく、今は身体を休めないと明日の訓練に耐えられない。

 と、こんこん、と控えめなノックの音がした。

「誰だ?」
「ユート様。わたしです」
「エスペリア? どうぞ」

 失礼します、と声をかけながら、この館の家事一切を担うグリーンスピリット、エスペリアが入ってきた。
 何の用だろう、と内心首を傾げる。つい先日、悠人がスピリット隊の隊長に就任して以来、良く隊の運営のあれこれを教わっているが、今日はその予定はなかったはずだった。

 まさか、前みたいに――と、つい先日、エスペリアが訪れたときのことを思い出す。
 今日と同じように訓練で疲れて部屋で休んでいたとき、エスペリアが来て、悠人に性的な奉仕をしていったあの出来事。流されるままに快楽に身を任せたことを、今でも後悔している。
 エスペリアはきっと、自分が他のスピリット――アセリアやオルファに手を出すことを心配してあんなことをしたのだろうと思う。

「……どうしたんだ?」

 もし、今日もそんな用事ならば絶対に突っぱねよう、と心を決めて要件を尋ねる。

「それが……」
「?」

 エスペリアが言い淀む。ふと悠人は、悩んでいるエスペリアが手に紙を持っているのを見つけた。

「それは?」
「……はい。これは……ユート様に手紙、です。これをお渡しするために来たのですが……その」
「手紙? 俺に?」

 なおも言い淀むエスペリアに、悠人は不審そうにその『手紙』とやらを見る。
 この世界で、悠人に手紙を送るような相手はいない。もしかして、囚われの身である佳織が送ってくれたものかと思うが、それならエスペリアがこうも悩む理由はないはずだった。

 まさか――と、一つの予感がする。
 リクディウスの魔龍を滅ぼしたように、またしても悠人に対して戦えという指令が来たのだろうか。わざわざ顔も合わせたくないので、書面で寄越したと考えれば、いかにも有り得そうだった。

「気を使ってもらわなくていい。エスペリア、読んでくれ」

 上等だ、と悠人は思う。
 例え、どんな理不尽なことを命令されても、佳織を助けるためならば厭うつもりはない。

「ええと、読めません」
「は?」
「その……見てもらった方が早いかと」
「おいおい、俺がこっちの字読めないって知ってるだろ」

 悠人は困りながらも手紙を受け取る。隊長になったからには、指令書くらい読めるようになれ、というエスペリアからの無言の圧力だろうか、などと邪推した。日常会話が出来るようになった辺りで勉強への意欲がなくなってしまったので、今更文字を覚えるのは難しかった。

 それでもと、渡された封筒を見る。宛名らしきものが書いてあるが、どうせ読めないだろう、と何気なく視線を滑らせ、

『高嶺へ』

 一瞬、単なる図形に見えた。

「え?」

 しかし、長い間慣れ親しんだ自分の苗字だ。すぐに焦点が合い、慌ててもう一度読む。
 ……何度見ても、日本語。まさか本当に佳織が、と一瞬考えるが、筆跡が明らかに違う。この字は男性のものだ。

 震える手で封筒を開け、中の便箋を取り出す。

『御剣友希より、高嶺悠人へ』

 そんな出だしで始まる文章。瞬の唯一の友達である真面目そうな顔が浮かぶ。

「御、剣……」
「ユート様……お知り合いですか?」
「ああ……御剣友希。クラスメイトで、佳織もよく知ってる……友達だ」

 数枚の便箋を丁寧に読んでいく。懐かしい日本語に、少し涙が出そうになった。
 内容は、まずこちらを心配する文章。そして、友希の方の状況が書いてある。僅かな文章からも、友希が自分と劣らず過酷な状況にあることはわかった。今は、少しマシになっているそうだから、それはなによりだった。

 今すぐに会えそうにないことは残念だったが、最後の一行を見て身を引き締める。

『地球に帰るまで、一緒に頑張ろう』

 数回、読み直して、手紙を丁寧に封筒に入れなおした。

「エスペリア。俺も、手紙送れないかな?」
「はい。スピリットが個人的に送るのは許されていませんが、トモキ様と同じように訓練士の方にご協力をお願いしましょう。今、筆記用具を持ってきますね」

 ありがとう、と道具を取りに行くエスペリアに伝えて、窓の外を見る。

 確か、この方角がサルドバルトのはずだった。

 友希との付き合いは、正直光陰や今日子に比べると浅い。しかし、自分と同じように頑張っている人がいるのは、思いの外力になることを知った。

「ああ、俺も頑張るよ、御剣」

 遠くで頑張っている友人に向けて、誓いの言葉を呟き、悠人は返信の手紙の内容を考え始めるのだった。




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