「それでは、これより『処刑』を始める」

 訓練後。イスガルドは友希とサフィを呼んで、訓練所の真ん中に相対させる。
 間合いは、一足一刀の僅かに外。サフィがウイングハイロゥを展開し、一息に斬りかかるには若干遠い位置。恐らく、友希がやりあうには最も良いポジションだ。

 そして、その友希はこの期に及んでもまだどうするべきか決めかねていた。『束ね』を握って立っている事実が、いやに現実感がない。

『主、気をしっかり』

 声をかけてくれる『束ね』の存在がどこか遠い。
 既に、ゼフィを除くスピリットは帰っている。仮にも仲間の生死が関わっているのにも関わらず、彼女たちはなんの興味もないようだった。
 それがまた、友希の中にある『嘘だろう?』という気持ちを助長していた。

「トモキ、言っておくが、開始するとサフィは容赦なく斬りかかってくるぞ」
「あ……はい」
「……とりあえず、剣を構えろ」

 ただイスガルドに言われるままに剣を正眼に構える。
 サフィの方はというと、最初から呆けた様子で神剣をだらんとぶら下げている。

 ――空気が、だんだんと張り詰めてくる。いや、そう感じているのは友希だけなのかも知れない。少なくともサフィはいつも通り……そう、いつも通りの無表情だ。いつにも増して、その動きのない顔が恐ろしい。

「では、サフィ。命令だ――」

 イスガルドが厳かに口を開く。これから、イスガルドはとある言葉を言う。それが引き金となって、処刑が始まるのだ。
 事前の説明を受けていたにも関わらず、その言語が告げられるのが怖い。

「待っ……」
「トモキを殺せ」

 ピク、と初めてサフィが反応する。ぼう、としていた目は鋭く光り、真っ直ぐに友希を見据えた。

「〜〜! くっ!」

 サフィが背に黒い翼……ウイングハイロゥを広げる。背筋に冷たいものが走って、友希は咄嗟に後ろに飛んだ。イスガルドに何度も注意された逃げ腰。しかし、今回は彼の叱責は飛ばない。これは訓練ではないのだ。

「ァァァァァァアアアア!」
「!?」

 初めて聞く、サフィの雄叫び。訓練とは明らかに違う気迫――否、鬼気に友希は思わず防御を固め、

「ぐ、っがっっっ!?」

 翼を翻し、一直線に飛んできたサフィの一撃を、なんとか『束ね』で受け切った。

『主、心を強く持ってください! そんな心では、充分な力は振るえな――』
「ァァ!」

 鍔迫り合いの形になるも、ハイロゥによる加速を乗せたサフィの突進を防ぎきれず、友希は思わず半身になって流した。
 勢いの付き過ぎた彼女は、そのままの数メートル突き進み、体勢を崩して転げた。
 間抜けな姿だと、笑う余裕なんてあるはずがない。

「ハッ、ハッ!」

 ぶわ、と滝のような脂汗が流れる。
 たった一合、それだけ剣を合わせただけで、全身を突き抜けるような悪寒と『死』の気配を感じた。ガクガクと足は震え、『束ね』を握る手が今にも滑りそうだ。

 転んで即座に獣のように体位を入れ替え、神剣を守りのために構えていたサフィはしばらくそのままの体勢で待ち構えていたが、友希が攻勢に移らないのを見て取ると、すっくと立ち上がる。
 当然だが、あの程度で怪我をしたり息を乱したりするはずもない。先ほどと変わらぬ構えだ。

 ……いや、変化が一つ。

「あ……」

 友希とサフィの間合いは、最初に相対したときの半分以下に縮まっていた。

「くっ!」

 思わず距離を取ろうとする友希だが、接近戦が信条のブルースピリットであるサフィは、離れられてたまるかとすぐに詰めてくる。こうなると、ハイロゥの分スピードで劣る友希は、真っ向から彼女を迎え撃たなければいけなかった。

 ガチン! と唐竹に振り下ろされた神剣と『束ね』が打ち鳴らしあう。強烈な一撃だった。受けた腕が痺れる。
 だが、息をつく暇もなくサフィが攻撃を仕掛けてくる。横薙ぎの一撃を咄嗟にオーラフォトンの盾で受け止めようとするが、あっさりと砕かれてしまった。

「うおっ!?」

 訓練の時は少なくとも一、二撃は防ぐことが出来ていたはずだ。慌てて身を捻って躱すが、服と腹の皮を浅く斬られてしまった。

 『束ね』は腐っても五位。対するサフィの持つのは九位の神剣で、まともにやりあえば訓練期間の短い友希にも充分に勝機はある。しかし、混乱してオーラフォトンのコントロールが滅茶苦茶なこの状態では、到底まともな戦いなど不可能だった。

「なんでだよ! いつもなら!」
『泣き言は後です!』

 『束ね』の警告になんとか反応し、続く攻撃を受け流す。
 オーラフォトンの盾はロクに張れない。焦りながらもそう認識し、友希は『束ね』の刀身でサフィの連撃を捌く。

 だが、もともと技量に差がある。防ぐごとに余裕はなくなっていき、とうとう受けきれなくなった。

「がっ!」

 体勢の悪いところで防御させられたため、無様に吹き飛ばされた。

「く、っそ! まだ――!」

 慌てて起き上がるも、追撃がない。

『主、上空! 急降下攻撃です!』

 『束ね』の警告にはっとする。いつの間にか、サフィの姿がない。言われたとおり上を見ると、二、三階建てのビル位の高さから一直線にハイロゥを羽ばたかせ駆けてくるサフィの姿があった。

「あ――」

 避けられない。重力の助けも得たあの加速は、それでいて翼の微妙な動きである程度は軌道を変えられる。逃げ場はない。
 受け止めることも出来ない。速さに相応しい威力を加味された一撃には、マナの盾も作れない友希の中途半端な防御など容易く撃ち砕く。

 せめての抵抗に『束ね』を盾にするが、

「ぐ、」

 予想通り、友希の防御はあっさりと突破され、

「ああああああああああああああああああっっっっ!」

 サフィが地面と激突する音と共に、血が飛び散った。
























 ガタン、と思わず大きな音を立てて、ゼフィは訓練所の隅のベンチから立ち上がった。
 血が吹き出している。友希の左肩から胸にかけて、大きな切り傷が出来ていた。致命傷だ。

(……いえ)

 よく観察すると、傷は浅いとは言えないものの、すぐに死に至るほどの深手ではなかった。友希が防御したことで、サフィの攻撃が微妙にずれたのと……後は、単純にサフィの技量不足だろう。ゼフィなら、あのタイミングなら例え神剣が間にあっても、確実に友希の身体を二つに分断している。

 そして、サフィは着地にも失敗していた。神剣が勢い余って地面にめり込み、本人も手痛く身体を打ち付けたようだ。

 そこへ、友希が激昂したのか、蹴りを見舞う。オーラフォトンの練りは甘くとも、身体強化は問題なく発揮されたそのキックは、サフィを十メートルは吹き飛ばした。
 それでも神剣を手放さなかったサフィは、不恰好に受身をとって、剣を杖に立ち上がる。そのまますぐには飛びかからず、はぁ、はぁ、と乱れた息を整えようとしていた。

 友希の方はというと、神剣『束ね』からオーラフォトンの光が発生し、傷口にまとわりついている。
 オーラフォトンには、グリーンスピリットの回復魔法ほどではないが癒しの力がある。滝のように流れマナの霧に昇華していた出血が、幾分和らいだ。今の友希にこんな芸当は出来ないだろうから、神剣が独自に行使したのだろう。

 ……あれならば、失血死――スピリットで言う、マナの流出死――は、しばらくは大丈夫だ。知らず、ゼフィはほっとする。
 そして、すぐにそのことにゼフィは自分で驚いた。

(私、今どっちの無事に安堵したんだろう?)

 決して口には出せないが、ゼフィにとって大切なのは仲間のスピリットだ。人間の命令に従うことには変わりない。しかしそれでも、心の中は常にそうありたいと思っていた。
 それなのに、今ゼフィは自分が今どちらを応援しているか……いや、どちらに生き残って欲しいと思っているか、混乱していた。

 勿論、可能ならば、どちらにも生き延びて欲しい。でも、処刑でそれは許されない。どちらかが必ず死ぬ。
 今まではスピリット同士で処刑は行なわれていたため、どちらが勝つにしても暗鬱な気分だった。そして、片方は人間……エトランジェである今回も、そうなる予感がある――

(トモキ様、サフィ……)

 ゼフィは祈った。
 なにに対して祈っているのかは分からない。スピリットにはいないとされる神か、全てのスピリットが生まれ帰る場所である再生の剣か、それとも二人に対してか。
 そして、なにを祈ったのかも判然としない。二人揃って生き延びることを祈れるほど、ゼフィは夢を見れない。

 それでも、なにもしないではいられなくて。ゼフィはただ、祈った。

























(くそ、クソクソ糞糞糞!)

 友希は混乱の極地にあった。斬られた傷が熱い。頭がぼうっとする。訳がわからない。
 神剣を持っている間は痛覚や疲労感はかなり鈍くなるが、それでも抑えきれない痛みが頭を引っ掻き回している。

『気を落ち着けてください。オーラフォトンのコントロールに主も力を貸してください』
『――くっ!』

 先程から『束ね』が展開しているオーラフォトンを意識する。友希のぐちゃぐちゃになった精神力でも、僅かにオーラフォトンの密度が上がった。
 少しは出血量が減ったが……それでも、まだ血が流れている。早急に傷を塞がないと危ない。

 しかし、サフィはまだ健在だ。あの勢いで地面にぶつかり、まだ立ち上がっている。今は息を整えているが、後十秒もしないうちに襲いかかってくるだろうと、その目が語っていた。

『〜〜! なんでだよ! 骨の一本や二本折れてんだろ!』

 斬られた直後、友希は続けて攻撃されるのが怖くて、反射的にサフィをサッカーボールのように蹴り飛ばした。これは、友希がこの世界に来て初めての本気の攻撃だった。
 肉に突き刺さり、中の硬いものが折れる嫌な感触がまだ足に残っている。間違いなく骨がイっているはずだ。

 なのに、殺気がまるで萎えていない。相変わらず獣のように鋭い眼光で友希を貫き、神剣を突き立てんとしている。
 じり、と間合いを測るように、サフィが摺り足で僅かに動いた。

「ひっ」

 たったそれだけの動きで友希は怯え、折角治癒に振り分けたオーラフォトンが乱れる。『束ね』からの文句も届かない。
 先程の一撃が、友希の脳髄に恐怖を叩き込んだ。

(し、死ぬ。死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ、殺されるっ)

 さっきのは運が良かっただけだ。ほんの僅かにでもズレていたら、とっくに友希の命はない。いや、この傷だって放置していたら死に至る程の重傷だ。身体が震え、『束ね』を握る手が覚束無くなる。

 サフィが剣を振りかざし、前傾姿勢になる。逃げようにも、背中を向けた途端、斬り殺される恐怖。

(死、にたくない)

 ハイロゥを広げ向かってくるサフィがやけに遅く見える。しかし、友希は指一本動かせず、ただその様子を眺めるだけだ。
 死ぬ。間違いなく死んでしまう。後数瞬とかからずサフィは友希の身体に止めの剣を突き立てるだろう。

 それは嫌だ。平凡で、これといった面白みもなかった人生。誰かに誇れるようなものなんて、そんなもの一つも持っていない。
 だけど、死ぬのは嫌だった。死ぬのは怖い。生き物なら誰だってそうだ。でも、なにもしなければこのまま死ぬ。仮に次の一撃を躱せても、その次は? その次の次は? 火を見るより明らかだ。

 ――ならば、

「……た、『束ね』!」

 原始的な恐怖に背中を押されて、友希は吠えた。
 呼びかけられた神剣は無言で主の意を汲み、力を供給する。

 ――ならば、生き残るために、相手を殺すしか無いじゃないか。

 もう目の前に迫り、今にも友希を切り裂こうとしているスピリット。友希は初めて殺意を持って、その一撃に対して渾身の一刀でもって迎え撃った。

 金属同士がぶつかり合う激しい音が炸裂する。

「ぐぁッ!?」
「ッッ!」

 交差した威力に、お互いが弾き飛ばされる。
 そして、サフィはすぐに体勢を立て直して、再び斬りかかる。

「盾よっ」

 続くサフィの攻撃を、友希はオーラフォトンの盾で迎え撃つ。
 まだ安定しない盾だが、それでも攻撃の威力を削ぐことに成功し、勢いの弱まった剣を友希は軽く弾き飛ばし、

「はぁっ!」

 一拍遅らせて『束ね』を走らせた。
 蹴りを除けば初めての攻撃をサフィは躱しきれず、左腕を浅く切り裂かれる。

 ぱっ、と血しぶきが噴き出し、直ぐ様マナの霧へと昇華する。

『追撃を、主!』
「らっあぁあぁぁ!!」

 『束ね』に言われるまでもなく、友希は傷を負って一歩引き下がったサフィに吶喊していた。殆ど本能的に雄叫びを上げていた。
 慌てて後ろに下がろうとするサフィだが、ウイングハイロゥを羽ばたかせるには一瞬の間が必要だ。この距離では、サフィが逃げるより友希が攻撃するほうが早い。

 数歩を全力で駆け抜ける友希の持つ『束ね』の刀身にオーラフォトンが纏わりつき、薄い光を放っている。今までで初めての現象だった。

 今まで友希は攻撃については殆ど型しか習っていない。模擬戦では、ほぼ防戦一方。今まで人に真剣を向けること自体を忌避していたため、素振りや巻き藁相手でも本気で斬りかかることはなかった。そんな状態では攻撃のオーラフォトンが発生するわけもない。
 しかし、今は違う。血を見たことと死ぬことへの恐怖でタガが外れ、なりふり構わず突進していた。勿論、教わった剣の型など無視だ。拙く、がむしゃらで、剣というより棒を振り回しているような不恰好さ。

「ッガッッ」

 だが、サフィの神剣と『束ね』とでは、そもそもの地力が違う。正面からカチ合えば、防御にはそれほど優れていないブルースピリット。刃筋も通っていない友希の攻撃に、サフィは水のマナの盾と神剣で防御したが、あっさりと吹き飛ばされた。

 吹き飛ばされるサフィの能面のような顔に、初めて苦痛の色が浮かんだ。

 ズキ、と友希の胸に痛みが走る。

「知、るかあぁぁっっ!」

 大声を出し、一瞬よぎった迷いを無理矢理振り払う。
 ここが絶好の勝機。ここで逃せば、技量に劣る友希の勝率はガクンと下がる。負けるという選択肢が無い以上、これを逃す術はない。

「『束ね』! 力を!」

 まだ神剣の力を自分で百パーセント引き出すことの出来ない友希は、『束ね』に声をかける。
 察した『束ね』は、名前を呼ばれた時点で既に力の供給を開始していた。それまでとはまるで異なる、友希が扱える限界ギリギリの力。

 吹き飛ばされるままの勢いで後ろに逃れようとするサフィを追いかけるように、オーラフォトンの光を纏った友希が飛ぶ。

「サフィィィィッ!」
「……アア!」

 訳もわからず彼女の名前を叫び、



 トスン、と、胸に剣を突き立てる感触は、最初はやけに軽いものに思えた。



 サフィを押し倒すように地面にぶつかる。胸に突き刺さったままの『束ね』を、慌てて引き抜いた。
 抜いた瞬間、傷口から凄まじい勢いで黄金色のマナの霧が立ち上る。

『……間違いなく致命傷です。主の勝ちです』

 『束ね』の言葉に、友希は力が抜けてへたり込む。もはや腕も上げられずマナを流出させるサフィの顔を呆然と眺めた。

「…………ァ」

 涙が流れている。ただの肉体の反射か、それとも死に際に正気を取り戻したのか? 友希にわかるわけもない。

 段々と、傷口だけではなく、サフィの全身が金色に光り始める。以前、ゼフィから聞いた。スピリットやエトランジェ、身体をマナで構成されている者の最期は、全身がマナの霧となって消滅するのだと。
 死体すら残らない。墓も作られず、ただ軍の資料のスピリットの数から一引かれるだけの最期。それが彼女たちの死だ。

「ちょ……と、待てよ」

 涙すらマナに還っている。止めようと友希が手を伸ばすが、既に半分昇華しているサフィに触れることは出来なかった。

「待てよ、待てってば」

 そんなことを言っても、ここまで来てしまえば回復魔法でも癒すことは不可能だった。
 なにより、友希が殺したのだ。何故こんな言葉が口に出るのか、自分でもぐちゃぐちゃだった。

 そこで、そっと背後に誰かが立つ気配がした。

「……サフィ」

 声でわかる。ゼフィだ。

 今にも消滅しそうなサフィが、僅かに首を傾ける。

「…………」

 そして、彼女の一切は消え去った。最後の最後、僅かに口を動かしたサフィが、ゼフィの名前を呼んだように思えたのは……友希の気のせいだったか。

 もう、サフィはいない。喋ったことなど一度もない、ブルースピリット。彼女がこの世にいた痕跡は一つも残っていない。
 ただ、消滅した地面に手をついて彼女を探し……もういないことを悟って友希は何故か涙が出始めた。































 時間的に言えば、僅か数分の決闘。離れて二人の戦いを観察していたイスガルドは、聞く者もいなかったが、これも伝統に則った作法として、厳かに勝者の名を告げる

「これにて、処刑の儀は終了。……勝者、トモキはグリーンスピリットの治療を受けるように」

 イスガルドの声は固い。それはそうだ。彼とて、サフィが転送されてきた時から彼女を育ててきたのだ。情も移る。
 もし、友希に訓練をさせていたら、結果は逆だったかも知れない。だが、友希とサフィ、どちらが将来的にサルドバルトに益するか……それを考えればどちらを生き残らせるかは考えるまでもなかった。
 強さだけの問題ではない。エトランジェという旗印は、今後切るに困らないカードだ。

(度し難いな、私は)

 転送されてきたばかりの頃のサフィの姿を思い浮かべる。スピリットらしく素直で、ころころ笑う娘だった。今では遠い記憶だが。そして彼女を変えたのもまたイスガルドだった。
 ――帰ったら酒を空けよう、とイスガルドは考える。彼女を弔う酒だ。それに、こういう日は酒でも呑まないと、処罰覚悟で辞表を叩きつけたくなってしまう。

 サフィがマナの霧となって逝ったその痕で、滂沱の涙を流しながら伏せる友希を見る。
 彼のように素直に涙を流せるほど、イスガルドは若くはなかった。サフィの死に涙を流せるのは、アルコールで前後不覚になるまで酔った後の話だろう。羨ましい、と思うと同時に懸念があった。

(……トモキは、これから戦えるか?)

 無論、戦えないほどの怪我を負った、という意味ではない。友希の傷は、オーラフォトンの治療により血は止まりつつある。別人のように攻撃的になったあの瞬間からだ。オーラフォトンを操ることができたのは、余計なことを考える余裕がなくなったおかげだろう、と分析する。

 そう、怪我は問題ない。なにより友希に足りないのは、戦う理由だ。

 人が戦うためには、多かれ少なかれ理由が必要だ。金のため、名誉のため、国のため、友人、恋人、家族、あるいは単純な快楽でもいい。スピリットがいるため直接前線に出ることは殆ど無いが、人間の兵士だって人を殺すことはある。彼らにだって、それぞれ理由はあるだろう。
 スピリットの場合は、『人間に命令されたから』で全てが済む。人だって上官や貴族に命令されたから殺す、ということもあるが、スピリットほど純粋ではない。

 そんなスピリットのカリキュラムを受けている友希には、人を――スピリットを含め――殺すことに対して折り合いをつける方法は学んでいない。イスガルドだって専門外だ。友希が訓練中、攻撃を躊躇うのを見てから今まで、人間担当の教官に何度もその辺りを教育してもらえるよう打診したが、尽く断られた。

 今回、サフィを殺すことができたのは、結局のところ『死にたくないから』だろう。実にシンプルで明確な理由だと思う。

 これからも同じように出来れば問題はない。

 だが、涙を流す友希は、サフィを殺したことをひどく後悔しているように見える。
 今までの会話と友希の態度から見て、彼の故郷は随分と命の価値が重い世界なのだろう。この世界の人間なら、気分は良くないにしろ、この状況で相手を殺しても心を痛めることなど無いはずだ。

 自分が死にたくない、だけでは弱いのかもしれない。

 こういう時、モノを言うのは友人や家族、仲間。大切な人間を守るためならば、人は多少のことは乗り越えられるものだ。
 しかし、この国は友希にそんなものは与えていない。イスガルド自身が彼の友人となる? ……馬鹿な、そこまでイスガルドは傲慢ではない。
 では、誰もいないのか。

 ――いや、

 泣き崩れる友希に寄り添う青のスピリットを見る。

 あのエトランジェが戦力となるかどうか……それは、彼女に掛かっているのかもしれなかった。




































 館に帰って、第二分隊のグリーンスピリットに傷を癒してもらい、友希は自室のベッドで明かりも付けずに寝転がっていた。

 身体は相当疲れており、何度も眠りに落ちそうになるが……その度、サフィを貫いた生々しい感触で目が冴えてしまう。

『主? もう休んだほうが』
『わかってるよ……』

 当然、そのことは『束ね』にも伝わっており、何度も休むよう忠告してくれるのだが……返事するのも億劫だった。気遣っているのかあまり多くは話しかけてこない『束ね』が今日はなんともありがたい。

 多分、このまま明け方まで眠れることはないだろう。友希はそんなことを予感した。

「……ん?」

 ふと、部屋の外に気配を感じた。
 身体を起こすと、遠慮がちなノックの音が響く。

「……トモキ様。起きていらっしゃいますか?」

 かけられたのは、ゼフィの控えめな声。もし寝ていたとしても、起こさないように気を使ってくれたのだろう。

「起きてる」

 返事をしてから、何故彼女がもう深夜と言っていい時間に自分の部屋に来たのか考える。
 ……結論は簡単だ。仲間であるサフィを殺した自分に恨み言を言いにでも来たのだろう。殺されはしない、と思う。

「こんな時間に申し訳ありません。入ってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」

 そのくらいは、受け止めなければいけないと友希は思った。むしろ、罵声でも浴びせてくれたほうが友希としてもすっきりする。

「こんばんは」

 窓から差し込む星明かりで、なんとかゼフィの顔を捉える。少なくとも、見た目はいつも通りだった。あまりに自然すぎて、逆に不自然だ。

「ああ。……何の用?」
「はい。これを」
「なにそれ」

 ゼフィが何かの瓶とコップを掲げた。水でも持ってきてくれたのだろうか、と友希は当たりをつけた。

「差し出がましいかとも思いましたが、トモキ様が寝付けていないのかと思いまして。……私も、初陣の後、眠れませんでしたので」

 見抜かれていた。

「……ああ、まあ。それで?」
「はい。これは、兵士の方が負傷した際、傷口を消毒するためのアルコールを水で割ったものです。味は良くありませんが、お酒として呑めなくはありません。寝付きもよくなるでしょう。よろしければ」
「は、あ?」

 本気で意味がわからなかった。思わず間抜けな声を上げてしまう。

「……僕を罵りに来たんじゃないのか?」
「何故? トモキ様は、処刑でサフィと立ち会い、見事勝利なされました。賞賛こそすれ、それで私がどうして……」
「だからっ。僕はゼフィの仲間を殺したんだぞ!?」

 思いの外、大きな声が出た。他に喋る者もいないスピリットの館に友希の声が響く。
 ゼフィの反応を伺っていると、彼女は黙々と瓶を開け、コップに中身を注ぐ。友希は今気づいたが、コップは二組あった。

 それぞれ半分ほど注いだコップの片方を友希に差し出してくる。瓶はそれだけで空になっていた。

「どうぞ」
「あ、ああ」

 有無を言わせない態度に、友希は鼻白みながらもコップを受け取った。
 匂いを嗅いでみると強いアルコールの刺激臭。後は、僅かに甘い匂い。

「虎の子の果物をもいできました。果汁入りなんて、初めての贅沢です」
「……じゃあ、心して呑ませてもらう」

 一口、口に含んだ。
 水で薄めたとは言っても、まだ相当度数は高い。舌が熱いと感じるほどの酒を、なんとか飲み下す。喉が焼けるようだった。ほんの僅かな甘みがあったことが救いだ。

 日本の酒に慣れ親しんだ友希には耐え難い。これは酒ではなく、ゼフィの言葉通り『アルコールを水で薄めた物』としか言いようがない代物だ。だが、

「美味い」
「はい」

 何故か、涙が出るほど美味いと感じた。
 それからしばらく舐めるように酒を味わっていると、ぽつりぽつりとゼフィが話し始めた。

「トモキ様。先程の質問ですが、トモキ様を全く恨んでいないといえば、それは嘘になります」
「だろうな。そうだと思う」
「人にこんな事を言うなんて初めてですけどね」

 ゼフィが苦笑する。友希は、初めてゼフィの本音が聞けたと思った。

「でも、同じくらいトモキ様が生き残ってよかった、とも思っているんですよ」
「そりゃ……また、意外……かな」

 友希を気遣っているようには見えない。これもまた、ゼフィの本音だと感じた。

「一応、僕も第二分隊の仲間として、認められているってこと?」
「多分……それもあるでしょうね」

 友希としては心苦しい。ゼフィはともかくとして、他のスピリットは到底仲間とは思えないのだ。そもそも、今だって機会さえあればこの国から逃げ出そうとしているのである。とても、仲間として認められるに相応しいとは思えなかった。

「私、さっきまでサフィの部屋を片付けていたんです」
「……へえ」
「まあ、片付けると言っても、戦闘服の予備を軍部に返却するのと、私の贈った花を裏庭に埋めるくらいですけど」
「花?」

 ゼフィが第二分隊の仲間に花を贈っていることは聞いている。しかし、何故埋めるのかか、と聞くと、人間の墓の真似事だそうだ。大っぴらにスピリットの墓は作れないし、スピリットには遺品の一つも残らない。
 墓に花を供える風習と合わせて考えた、苦肉の策らしい。ゼフィなりに、仲間と決別するけじめなのだろう。

「じゃ、僕が死んだ時は、これが僕の遺体の代わりになるわけか」

 そういう意味とは聞いていなかったが、ゼフィから贈られた青い花を眺める。この異世界では、死んでも誰も涙を流してくれず、ただ塵となって消えるだけ……と思っていたが、少なくともそうやって埋葬はされる。仮に死ぬことになっても、それはほんの僅かな救いになると思った。

「……トモキ様はちゃんと生き残ってください」
「でも、いつかは死ぬだろ。今日みたいに処刑って馬鹿げたことをさせられるかもしれないし、今度こそ戦場に送られるかも知れない。僕みたいなのがいつまでも生き残れるかよ」

 友希だって死にたくはない。しかし、今日みたいに簡単に死にそうになる自分が、そんなに長らえるとは思えなかった。
 自分は、エトランジェとは言っても伝承にあるような勇者ではない。勇者どころか、ゼフィにだって到底及ばない。

 自棄になっているという自覚はあった。

「最初からそんなつもりじゃ、生き残れるものも生き残れませんよ」
「でもな……」

 強い口調で嗜めるゼフィになおも反論しようとする。すると、友希の言葉を遮って、ゼフィが大声を張り上げた。

「お願いですからっ! ちゃんと生き残るって言ってください!」
「!?」

 友希は、ゼフィが声を荒らげるのを初めて聞いた。目元に滲んだ涙をゼフィは拭って、残った酒を一気に煽る。

「あ、おい……そんな一気に」
「ッケホ。……死なないでくださいよ。私は嫌ですよ、トモキ様が死ぬのも、みんなが死ぬのも」

 アルコールにむせながら、ゼフィは泣きそうな顔になって言う。
 どうしてここまで言ってくれるのか。友希が聞くと、ゼフィは少し考えて、

「……初めてなんですよ。私と普通に話してくれる人も、みんなを怖がりながらもちゃんと見てくれる人も……死んだ子のために泣いてくれる人も。それだけです。単純でしょう」
「だからってさ……」

 友希がなにを言おうかと迷っていると、ゼフィが友希のことを真っ直ぐに見る。
 潤んだ目に、ふと心臓の鼓動が早くなった。

「わ、悪かったよ……。ちょっとヤケになってた。謝るから」
「理解してもらえて……なにより、です」

 言葉の最後は涙声だった。見られたくないように、ゼフィは顔を伏せる。

「す、すみませ……」

 ふと、この人はもしかしてとても弱い人なんじゃないだろうか、と友希は思った。
 超絶的な剣の実力と、いつも揺るがない印象を持っていたが、考えてみれば友希とさほど変わらない女の子なのだ。スピリットだからって、心まで超人なわけではない。

「な、仲間が死んだ夜は、いつもこうです……もう、慣れたのに」
「……無理、しなくても」

 声をかける。しばらく肩を震わせていたゼフィだが、突如、立ち上がって友希の側に来る。

「ゼフィ?」

 名前を呼ぶと、ゼフィは顔を上げて……

「っっっ!?」

 乱暴に唇が塞がれた。ねっとりした舌の感触と、強いアルコール臭がする。

「――! な、なにを」
「……すみません。少しだけ、今日だけ甘えてもいいですか」

 懇願するような目に、友希はくらりときた。
 どちらともなく、ベッドに移動し、

 その夜は更けていった。




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