走る! 走る走る走る走る走る!!

目の前に壁! しかし、こんなもの彼にとっては障害となりえない。ジャンプし、手で強引に身体を押し上げ、向こう側に着地。

「よし、これで……」

逃げ切れる。そう確信した直後、

「アレンちゃん。そんなに急いでどこ行くの?」

横から聞こえてきたフィレア・アルヴィニア第三王女の声により、あっさり玉砕した。

 

第52話「それはある剣術家の放課後」

 

「あ……う……」

「ねえ。どこ? 遊びに行くのかな? 授業が終わったら、まるでなにかから逃げるように必死になって走ってたもんね」

逃げてたんだよ、お前から。

という台詞をかろうじて飲み込む。どこぞのライルではないのだ。こんなところで思った事を口に出すような愚かな真似はしない。口に出したら最後、フィレア姫のご機嫌は見事なまでに傾くだろう。

しかし、逃げるのは当然だ。なにせこのところ、とみに彼女の『実験』に付き合わされることが多い。ミリルという兄弟弟子と一緒に訓練をしだしたという迷惑極まりない話を聞いたが、それと無関係ではないだろう。

……いや、正直体が持ちません。

「い、いやあ。その、な? 今日は他の門弟が来ないから、親父に直接剣を教えてもらえる日で。ちょっと気がはやっちゃってなああっはっはっは」

アレンは嘘に向かない。そんなの、誰だって知っている。知らないのは、今ここにいる二人だけだろう。

『なんとかこいつから逃げよう』という意図がバレバレだ。もちろんそんなこと、細かい事を気にしない性質のフィレアは気付かないが。

「ふーん」

フィレアは少し考え込むと、指をパチンと弾き、

「じゃあ、私も一緒に行く!」

などと、(アレンにとって)トンデモナイことを言い出しはじめた。

「………は?」

「だから、アレンちゃんのお宅ご訪問〜」

「いや、そんなにうれしそうに言われても」

想像する。

仮に、この見た目完璧小学生の娘っ子を家に連れて行ったとしよう。

 

パターンA

オヤジ「きぃえええええ!!!」

オレ「ぐはっ!? なにすんだ、バカ親父!?」

オヤジ「うるさい、このクソ息子! 貴様ぁ、よりにもよって、幼女誘拐だと? クロウシード家の恥め。俺の剣の錆にしてくれるわ!!」

オレ「待たんかこらぁあああああ!!!」

 

パターンB

オフクロ「で、アレン、その子は?」

オレ「あー、学校の先輩」

オフクロ「あらぁ! とうとう、アレンも女の子を連れ込むような年になったのねぇ。お母さん感激」

オレ「いや、ちょっと待てお袋」

オフクロ「あらあら。可愛い子ね。まるでお人形さんみたい。……アレン、あんたロリコンだったのねえ。いいわ、お母さんは反対しないから」

オレ「だからお前ら夫婦! 俺の話を聞けぇえええ!!!」

 

パターンC

ルナ「(ヒソヒソ)とうとうアレンの奴、フィレアを自分ちに連れ込んだらしいわよ」

ライル「(ヒソヒソ)へえ。早いね〜。もっと奥手かと思ってけど」

クリス「(ヒソヒソ)アレンがお兄さんになるのか……ぞっとしないなあ」

オレ「味方はいないのか、味方はぁぁぁっ!!?」

 

 

 

 

 

 

脳裏になんとも言えない嫌な予想がリアルに思い浮かび、アレンは顔に縦線を浮かべる。

「ダメだ」

力無く告げた。

もちろん、納得してくれるはずもない。

「え〜〜〜」

「ダメったらダメだ。俺のアイデンティティが崩壊の危機に陥る」

「え〜〜〜〜〜〜〜〜」

「え〜じゃない。すでに俺に軟派なイメージが付き纏い始めている。誰のせいかわかるか?」

フィレアは少し首を傾げると、

「え? アレンちゃんは硬派じゃない」

「うん。実際はそうなんだが、どうも世間一般の認識がだな……」

「硬派硬派〜」

背伸びしてアレンの頬をぷにぷに突いてくる。

「……俺って、すんごくバカにされてんじゃないかと思うんだが。ってかやめろ。即刻やめろ。通りすがりの人の目が痛い」

「え〜」

また不満そう。一体、どうしたらいいのか。アレンは天を仰いだ。

(いや、待て待て、俺。ちょっとナーバスになりすぎだぞ?)

よく考えて見れば、たかが学校の先輩一人、家に連れて行くだけの事じゃないか。そりゃあ女の子を連れて帰ったとなったらお袋辺りがすぐ騒ぐかもしれないけど、見てのとおりフィレアの容姿はこんなんだ。そんな大騒ぎするはずもない。

ついさっき、自分で考えた想像を振り払うかのようにそう結論付けると、アレンは言った。

「わかった。ついてくるのは構わないけど、大人しくしててくれよ?」

元気が良い『は〜い』という返事が返ってきた。いやまあ……もちろん返事だけだったんだけれども。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ? アレン。ずいぶん早く教室出てたけど、帰ってくんの遅かったね」

自分ちの道場に当たり前のようにいるライルを見つけて、ガクリと倒れこんだ。

忘れていた。

ライルはアレンの父――アムスがアレンにつきっきりで教えてくれる時だけ、時々ここに通っているのだった。正式な弟子と言うわけではないが、アレンの友達と言う事で色々教えてもらっている。

「ついでにフィレア先輩も」

「ライルちゃん、こんちわー」

「ああ、はい。こんにちは。……で、なんでここに?」

「あのねー。アレンちゃんに招待されちゃったのー」

待てやコラ!!

アレンは叫んだ。心の中で。声に出したら、泣かれるかもしれない。……自分より年上の癖に、なんでこんなことを気にしなければならないんだろう、とフィレアの実年齢に思いを馳せる。

「あ、おじさん」

「ああ。ライルくん。よく来た。アレンも帰ってきて……」

アムス登場。その視線は、アレンの隣にいるフィレアにピンポイントで固定される。

「お、親父? まさかたあ思うが」

アムスは黙々と持ってきた剣をすらりと抜く。

「きぃえええええ!!!」

「ぐはっ!? なにすんだ、バカ親父!?」

「うるさい、このクソ息子! 貴様ぁ、よりにもよって、幼女誘拐だと? クロウシード家の恥め。俺の剣の錆にしてくれるわ!!」

「待たんかこらぁあああああ!!! そこまで予想通りの展開をしてんじゃねええええええええええええ!!!」

必死になって剣を弾くアレンだが、どう考えても技量が違いすぎる。ついでに、俺ってなにしてんだろ的な虚しさもあった。

(あっ……まず)

防御をすり抜けて、真剣がアレンの眉間に……

「だめえぇぇぇっ!」

振り下ろされるかと思ったら、横合いから拳がアムスに突き刺さる。わき腹にもろ。っていうか、吹き飛ばされて道場の壁に体をめり込ませていた。

「アレンちゃん、大丈夫? 怪我とかしてない?」

「あ、ああ。まあ、それは大丈夫だけど……親父が」

ちらりと横目で様子を伺ってみる。壁に磔にされて、ピクピクと痙攣している。いくらアムスでも、我を忘れた状態で不意打ちを喰らってはこの様だった。……少なくとも、今日中に目を覚ますことはないっぽい。

「あ〜あ。剣を教えて貰いに来たのに、これじゃ無理っぽいなあ」

「ライル、悪いな」

「まあ、フィレア先輩が来た時点でこのくらいは予想してたし。でも、起きたらちゃんと紹介しといたほうがいいんじゃない? 第一印象が大切だって聞くしね」

「……こら。ちょっと聞き捨てならんぞ、今の台詞は」

冗談冗談、と肩をすくめているライルをジロリとにらみつけ、アレンは壁に掛けてある木剣を手に取った。

「ま、なにもしないで帰るのもアレだし、少し打ちあってくか?」

「そうだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっ! アレンさん!? あなた、ちょいと激しすぎませんか!?」

「気のせい、だろっ!」

と言いつつ、明確な殺意の込められた剣を振るうアレン。これが真剣ならば、既にライルの体は二つに切り裂かれている気がしないでも無かったり。

どうやら、いろんな鬱憤をここで晴らしているらしい。ストレス解消に付き合わされたライルはいい迷惑だ。

「のっ、いい加減に……」

アレンの一撃をくぐりつつ、接近。剣が役に立たないくらいの距離に近付き、体当りを食らわせる。

「しろぉ!」

アレンは流れに逆らわず、そのまま転倒。そして、すぐに起き上がり、脳天を割らんとするライルの唐竹割りをぎりぎりで防いだ。そのまま鍔迫り合いの格好になる。背中に、冷たい汗がたらりと流れた。

「お、お前も、ずいぶんな事をしてくれるじゃないか」

「ちっ……」

「ちっ、っておい」

ぎりぎりと力の押し合い。普段ならアレンに分があるところだが、起き上がる途中で受けたので体勢が悪い。

「ほえ〜〜」

一人、道場の隅で見学していたフィレアは目を丸くしている。言ってる事は間抜けだが、異常なまでにハイレベルな攻防だった。

「精が出るわね」

と、戦いが硬直状態に入った辺りでアレンの母ミリアが道場に入ってきた。

「お、お袋?」

「隙ありぃぃぃ」

「んなもんねぇよ!」

ライルの不用意な蹴りを受け止め、そのまま逆に押して転がせる。ライルが気がつくと、喉元にアレンの剣が突きつけられていた。

「ま、まいった」

「よし」

勝負は決まった。ゆっくりと剣を降ろし、アレンはミリアの方を向く。

「で、どうしたんだよお袋。道場に来るの、珍しいじゃないか」

「ああ、うん。なんか見慣れないお客さんが来ていたから、様子を見に来たんだけど」

ちらり、とミリアの目がフィレアを捕らえる。

「ん?」

私? と自分を指差すフィレアを見て、そうだと言わんばかりに頷いてやるアレン。

「で、アレン、その子は?」

「あー、学校の先輩」

嫌な予感がしつつ、答える。……どこかで聞いた様な展開だなぁ、と諦めの境地に立ちながら。

「あらぁ! とうとう、アレンも女の子を連れ込むような年になったのねぇ。お母さん感激」

「いや、ちょっと待てお袋」

「あらあら。可愛い子ね。まるでお人形さんみたい。……アレン、あんたロリコンだったのねえ。いいわ、お母さんは反対しないから」

「だからお前ら夫婦! 俺の話を聞けぇえええ!!!」

少し前に、想像の中で叫んだ事と一字一句違わない。コピペとは便利な物である。

「ろりこん?」

「あ〜。フィレア先輩は気にしないほうがいいですよ。自覚持っちゃったら、色々やばそうだから。主にアレンが」

などと、なごやか〜な一角に比べて、アレンとその母親の争いは醜い事この上なかった。

 

 

 

 

 

「悪夢だ……」

次の日、学校に来るなり机に突っ伏したアレンは呻いた。

あの後。目を覚ましたアムスが、自分を一撃でノしたフィレアを大層気に入ってしまった。そのままトントン拍子に話は進み、なぜか夕食を自分ちで食って行くフィレア。

なんか、クロウシード家の嫁としてフィレアは認識されてしまった。

「なんでだ……」

呻きつつ、教室の隅でヒソヒソ話をしているライルたちに目を向ける。

「(ヒソヒソ)とうとうアレンの奴、フィレアを自分ちに連れ込んだらしいわよ」

「(ヒソヒソ)そうなんだよ。早いよね〜。もっと奥手かと思ってけど」

「(ヒソヒソ)アレンがお兄さんになるのか……ぞっとしないなあ」

微妙にライルの台詞が違うが、それは許容範囲内。

世のすべてを呪うかのような呪詛を込めて、アレンは叫んだ。

「味方はいないのか、味方はぁぁぁぁーーーーっ!!!!?」

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