速攻で旅支度。二日で往復しなければならない、という制限があるのだが、食料等の荷物を疎かにするわけにはいかない。いや、むしろ食料調達などに時間を取られていては、ライルたちに負けることは必至であるので、これは必要な時間である。
突然帰ってきたアレンに目をパチクリさせているフィレアは事情の説明を求めてくるが、言ったら言ったでお仕置きされてしまうことは想像に難くない。悪いが、そんな時間は今はないのだ。
アレンは曖昧に笑って誤魔化す、という高等技術(あくまで彼にとって)を駆使してその場を切り抜ける。
ズタ袋一つにすべての荷物を詰め込んで、道場を後にした。
クリスとの待ち合わせ場所である、街の入り口のところまで来ると、既に彼は――もとい、彼女は来ていた。学園の方が近いから、その分早くに着くことが出来たのだろう。
アレンはアイコンタクトでクリスと頷き合うと、走ってきた勢いのままクリスの腰を引っつかんで、セントルイスを後にする。
焦燥に息を荒くしながら、女装したクリスをお姫様抱っこで運ぶその姿は、なんというのか――まるっきり、いいところのお嬢様を誘拐した凶悪犯であった。
第187話「あの夕日に向かって走れ」
「アレン、重くない?」
持ってきた地図とコンパスで進路を指し示しながら、クリスが自分を抱えているアレンを見上げた。
「全然平気だ。お前、ちゃんと食ってんのか?」
ほとんど女の子並の体重しかないクリスに、アレンは呆れた口調で言う。まぁ、今は見た目も女の子であるが。
「僕は昔っから、いくら食べても鍛えても、体重増えないタチだからね」
「それ、女子の前で言ったら殺されるぞ」
「平気だよ。僕は、女子に人気があるからね」
事実であった。他の男子と違い汗臭くなく、小柄ながらも強く、頭脳は学園トップクラスの上、中性的で耽美な容貌。駄目押しとばかりに、モノホンの王子様であるクリスは、それはもう実におモテになる。
女装という趣味すら、『可愛い〜』で済んでいるほどだ。
クリスは、今のところ、この国で彼女を作る気はないので、特にそれに応えたりすることはないが……とにかく、こんな台詞を言ったとしても、妬みの対象になることなどない。
「ま、アレンには敵わないよ。ごく一部の年代に関しては」
「……お前、このまま絞め落とされたいか?」
「おっと」
ひらり、とスカートの裾を翻しながら、クリスはアレンの腕から逃れる。
そのまま、割と早い足で、アレンと並走し始めた。スカートの裾が危うく翻るが、アレンは気合を入れて目を逸らした。
別に、クリスが逃れたのは、アレンに本気で絞め落とされると思ったわけではない。もっと切実かつ緊迫した危機が迫っているのだ。
「ときに、アレン」
「見るな。このまま振り切るぞ」
「振り切れる?」
「あいつはスピードはあるけど、パワーとスタミナはあんまりない。人一人抱えてんなら、大丈夫だ」
「……本当に?」
ちらり、とクリスは視線だけで後ろを見た。
遠く、米粒のように見える人影が、猛然とコチラを追いかけている。その走りは軽快で、まるで風そのものだ。
その人影は、一人にしては随分と大きく、端的に言うと一人がもう一人を背負う格好になっていた。背中に乗っている方――まぁ、つまりルナ――が『待て〜』と言っているのが聞こえるが、無論のこと従ってはならない。
あの『待て〜』は『待たないと殺すぞー、待っても殺すぞー』という、血も涙もない二択を迫っているものだ。二人としては、第三の選択肢『逃げる』を選ばざるを得ない。
いや、向こうがやろうっていうのなら、相手になっても良いのだが……なんというか、怖い。別に戦力的に、そこまで差があるわけではない。二対二なら、殆ど互角だ。だが、やはり身に刻まれた恐怖というものは拭いがたく、簡単に言うと、ルナを敵に回したくはなかった。
そんなルナに付き合っているライルに、アレンは感心と呆れの半々の感情で、
「……ライルも、ご苦労さんだな」
ルナを背負って全力で走るライルを見ながら、アレンは思わず同情してしまった。
「いや、ライルもあれはあれで楽しんでるから」
「本当か?」
「アレンだって、フィレア姉さんと一緒にいて、楽しんでるでしょ?」
「お前、一回俺の立場になってみろ。泣くぞ、毎日」
文句を垂れつつも、アレンはどことなく笑っているように見える。つまり、そういうことだ。ライルはライルで、ルナの無茶に付き合わされるのを、それなりに楽しんでいる。無論、口から文句が絶えることはないが。
「……とりあえず、無駄口叩いてる暇はないぞ。ルナのヤツ、あの位置から魔法撃つ気でいる」
「いくらなんでも、あんな距離から撃っても……」
クリスの言葉を遮るように、光球が脇を掠める。威力はさほどでもない。当たっても、掠り傷を負わせるのがせいぜいの、低威力の魔法。
しかし、弾速と命中精度がダンチだった。
一発目で誤差を修正したらしいルナは、続けての二発目、三発目を恐ろしいまでの精度で撃ち出してくる。当たっても、確かにダメージはないが、確実に足は止められる。
二人は、慌てて躱しながら、思わず顔を見合わせた。
「本気だねぇ。よほど留年したくないのかな」
普段のルナは、大鑑巨砲主義を絵に書いたような大威力の魔法ばかりを使うのだが、今回のこれは性質が違う。確実に、目的を遂げるための精密な魔法。いつもと覚悟が違うということが、これだけでも容易に知れた。
「そりゃ、したくないだろ」
「あっはっは。もう一年、学生やってられるなら、それもいい気がするけどねー」
「モラトリアムだな」
「失敬な」
軽口を叩きながらも、二人とも一切スピードは落とさない。アレンは体力に任せて、クリスは魔法も併用して、突風のように駆け抜ける。
一応、風速は二人より上であるライルも、ルナという荷物があれば早々追いつけはしない。ルナの光弾を避けるため、スピードを落とされながらも、アレンとクリスは無事逃げおおせるのだった。
「……逃げられたじゃない」
「仕方ないって。僕だって、ルナを背負ったままじゃあ……」
ルナは、ライルの頭を締め上げた。
「私が重いって言うの?」
「ちがっ……違う違う違う!」
慌ててライルは否定した。別に、痛いわけではない。ルナ程度の腕力で絞められても、まったくダメージにはならない。ルナは、右ストレートは強烈だが、絞め技は会得していないらしい。
だが、背中に背負われているルナがそのような事をすると、身体が密着してしまうのは避けられない。流石に、ルナとは言えど、ドギマギしてしまう。
そして、それを悟られるわけにはいかない。ルナ相手に邪な思いを抱いているなど、本人に知れたらボコにされるだけでは絶対にすまない。
ライルは、重ねて反論した。
「あのねっ! 背負ったままじゃあ走るバランスも悪いし、なんだかんだで人一人分だよ!? 別にルナじゃなくても、遅くなるって!」
「む」
慌てて考えたくせに、割と的確な反論に、ルナはなにも言う事は出来なかった。
「大体、ルナは自分で飛べばいいじゃないか」
「私は、飛行魔法は苦手なの」
きっぱりと、ルナは言い切った。
「そういえば、ルナが飛んでるところってほとんど見たことないな」
「攻撃系ばっか修行してるツケでね〜。補助とか、移動とかは苦手なのよ、私」
「それはよくわかる」
そして、そのことをまったく気にしていないことも。もう少し、バリエーションを増やした方が、こちらとしても助かるのだが、攻撃魔法じゃどうにでも出来ない状況を、さらに強力な攻撃魔法で突破するような気質のルナに、それを求めるのは無駄である。しかも、そんな本人の嗜好に合わせたかのように、ルナの素質は攻撃系に偏りまくっている。
「ま、飛べないことはないけどさ。少しスピード出そうと思ったら、途端に制御が利かなくなるからね。暴走してもいいんだってなら、自分で飛ぶけど?」
ライルは首を振った。明後日の方向に飛んでいかれても困る。いや、ライル自身は、このわけのわからないレースに負けても一向に構わないのだが、もし負けた場合のルナの落ち込み具合が恐ろしい。
「でも、そうね……。あんまりライルに負担かけてると、負けちゃうかもね」
「長距離だからねぇ。そうでなくても、僕とアレンじゃあ体力違うし」
五十メートル走であるならば、ライルはアレンに楽に勝てる。しかし、距離が長くなるにつれ、その差は小さくなっていき、荷物付きの長距離となると、パワー、スタミナ両方あるアレン相手には分が悪くなってしまうのだ。
「なんとかならないの? あ、ほら。シルフィの力借りるとか」
「今はいないよ。家で留守番してる。まぁ、いたとしても、ルナの喜ぶような事を、あいつが進んでやるとは思わないけど」
「それもそうね……と、いうことは」
ルナが、がさごそと懐から地図を取り出した。
瞬間、ライルは嫌な予感が沸きあがる。
ええっと、ルナさん? なにうきうきとシンフォニアまでのルートを再確認しているのでしょうか? いや、ルートの確認にしては、動いている指が変な場所にないですか? それ、街道を外れるどころか、魔物が沢山棲んでいるっていう、帰らずの森に入っちゃうんですが……
などと、ライルは自分が一体なにをさせられようとしているのか、半ば以上確信しながらも、それに気が付かない振りをして尋ねた。
「な、なに、地図見てるの?」
「ん〜? 別にー。ただ、ショートカットできるかな〜って。ほら、この森抜ければ、かなり距離を稼げるわよ」
「待った。距離は稼げても、時間は稼げない。魔物が盛りだくさんの森だよ? どう考えても、余計に時間を取られる」
「盛りだくさんの森……って、駄洒落のつもり?」
「全然違う!」
ライルは速攻で反論する。
「大丈夫よぉ。あんたは、気にせずこのルートで走ればいいの。私は背負われてるから、フリーだし」
「……フリーだから、なに?」
「魔物なんざ、来る端からボコボコにしてあげるから。前は気にせず、走って」
まぁ、そんなところだろう。半分諦めていたライルは、少し走る進路を変えた。その先には、暗〜い森が待ち構えている。
「お、いつになく素直ね」
「素直にもなるさ。いい加減、学習したしね」
反論しても、どうせ最終的には言う事を聞かされるに違いない。なんてことを、できればライルは学習したくなかったが。
「……環境破壊は勘弁してよ」
「大丈夫。これでも、最近は細かい魔法も勉強してんだから」
本当かよ、と思いつつも、ライルはその言葉を信じるしかなく、とりあえずさっさと森を抜けてしまおうと、残りの体力の全てを込めてスピードを上げるのだった。