「なにしてやがるっ!」

必死になってアレンの切り裂かれた左肩を治療していたクリスに、次元の穴を開け終えたフレイが声をかけた。

「な、なにって……ち、治療を」

震える声で答える。さっきから、傷が塞がるどころか、血すらまるで止まらない。傷口に纏わり着いた魔族の魔力が、治療を拒んでいるのだ。

とうに意識を消失したアレンの顔からは血の気がどんどん引いていき、このままでは死――

「やり方が違うっ! 凍らせろ!」

「!?」

クリスは、その言葉で反射的に動いた。

アレンの肩に刺さったままの鎌ごと、傷口に凍結魔法をかける。

「……よし。長くは無理だが、とりあえずしばらくは持つだろ。あとは、アイツを倒してからだ」

「こ、こんなやり方が……」

「傷口を焼いてもよかったんだが、それだとあとで治療が殆ど出来なくなるしな。第一、痛みでショック死するかもしれん」

フレイが言いながら、先ほど自分であけた穴を見つめる。

「さて、と。あとは、あのシルフィのマスターとやらが、やれるかどうかだな……」

 

第174話「ラウンドスリー」

 

「はッはァ! な〜んだ? 風の精霊王は逃げたのかねェ!?」

「そんなわけがなかろう!」

目まぐるしく身体を入れ替えながら、フルカスとハルファスが斬り結ぶ。一見、互角のように見えるが、ハルファスにはまだまだ余所見をする余裕すらある。

「しかし、残念! あんな小せぇ穴を開けるとは予想外! これで、人間連中見捨てりゃア、精霊王サンは逃げられるなぁ!」

「だから、そんなことは、ないと言っている!」

「なんだよゥ。フルカス。テメェは同じ魔族の俺の言う事より、連中の事を信用するってェのか?」

ギリッ、とフルカスは歯を食いしばる。

フルカスとて、魔族。暴虐と殺戮の本能は厳然として存在している。

しかし、同時に彼は本能に従うだけの獣ではないつもりだ。平穏な日常を愛しているし、争いのみならず芸術などを楽しみもする。最後の『魔王』が倒れて五百年。あまりに長い平穏な時に、魔界の魔族の中には、フルカスのような存在は着実に増えつつある。

ハルファスのように、狡猾で、残忍で、なにより争いを好む古典的な魔族と同族扱いされるのは甚だ不愉快だった。

「同じ……だと?」

強く剣を振るい、ハルファスの鎌を弾き飛ばす。

一体、何本持っているのか、ハルファスはまた新たに鎌を取り出した。

――それが、隙。

「貴様と一緒にするなッッッッ!!」

虚空から鎌を取り出した瞬間、フルカスの剣がハルファスを切り裂く。奇しくも、アレンと同じ箇所、左肩。

「オお?」

呆気に取られた声で、ハルファスは肩を不思議そうに見る。

「ハルファスッ! 貴様は、ここで死ね!」

「んン〜」

途中で止まった剣を、フルカスはその力で以って無理矢理押し進める。

ハルファスの左腕が、宙に舞った。

「イヤァ、いいねぇ!」

黒い液体を傷口から噴出させながら、ハルファスが笑う。痛みがないわけがなかろうが、それ以上に喜びが勝っているらしい。

「戯言をっ!」

腕を切り飛ばした程度で安堵などするはずもなく、フルカスが再び剣を振り上げる。

そして、振り下ろす直前、ハルファスはつい、と一歩前に出て、フルカスの腕を止めた。

「やっぱ、フルカスの旦那にも、そーゆー、魔族らしいトコがあるんだねェ!」

そう言って、ハルファスはフルカスを蹴っ飛ばす。

魔法を使う隙を窺っていたルナや、アレンを治療しているクリスがいる場所に、フルカスが飛んでくる。

「と、っとと」

傍にいたフレイが、慌てて受け止める。

その様を見て、ハルファスが笑う。

「あらら。よく飛んだモンだ。フルカスの旦那ァ? もちっとモノ喰わねぇと。軽すぎだぜ?」

片腕になったハルファスだが、いささかの痛痒も感じていない様子だった。実際、ハルファスから発せられるプレッシャーは、先ほどと寸分も違わない。

「しっかし、不便だねぇ、このままじゃ」

ハルファスは斬り飛ばされた枯れ枝のような左腕を拾い上げた。そして、傷口を鎌で削った。

「人間にゃあ真似できねぇけど、俺みたいに出鱈目な体してっとぉ」

そして、新たに出来た傷口同士をかみ合わせる。

すぐに、黒い体液が絡み合い、腕が融合した。

「ほれ、この通り。そっちの小僧も、これっくらい出来りゃあよかったなぁ」

まるで手品を披露するのと大して変わらない口ぶりで、自らの適当な身体構造を自慢する。

「っでェ」

ハルファスは、今度はライルの方を見た。

「ずっと準備してる、そっちの出し物はまだかぁ?」

 

 

 

 

 

時間は少し遡る。

次元の穴を開けると、フレイはさっさとアレンのところに行ってしまった。なんでも、魔族の傷の治療の仕方なら心得ているということだったので、ライルはほっと胸を撫で下ろしたものだ。

そして、シルフィが人形サイズに自分の身体を組み替え、開けた穴から出ようとする。

「ちょ、ちょっと待った! シルフィ、お前どうするつもりなんだよ!?」

「いやさぁ。マスターたちはここ通れないだろうけど」

「自分なら通れるから逃げるの……あ、ごめん嘘ゴメン疑ってないってほんとだだだだだだだ!?」

一瞬、疑ったライルを、シルフィは穴から出てきて頬を引っ張りまわす。

「い〜い? マスター。確かに、マスターたちはここ通れない。でもさぁ、雷なら通れるわよね」

「……は?」

一瞬、なにを言われたのかわからなかった。

「つまりぃ、『こっち』で魔法を発動して、『そっち』に送り込めばいいわけよ。ちょっと穴は小さいから威力は大分減衰するだろうけど、それでもかなりのダメージを見込めるわ」

人間界側に立っているシルフィが、事も無げに言った。

「……ちょっと待て。それは、かなり無謀じゃないかと思うんだが」

シルフィの補助があったとしても、『ライトニング・ジャッジメント』はライルのレベルをはるかに超えた魔法である。細かい照準はもちろんのこと、二つの『界』に跨って発動するなんてアクロバットな真似は非常に困難だ。

「無謀でもやるの。アレン、ほんとに死んじゃうわよ?」

「!?」

思わず、左肩を負傷したアレンに目が行く。

どうやら、フレイの助言により、応急処置はなんとか完了したようだが、既に大量の血液を失っていることに変わりはない。応急処置も、かなり乱暴な方法で、何時まで持つかわからない。

「っっっ、あ〜、もう!」

どうやら、いつものような情けない姿を晒すわけにはいかないらしい。

腹は括った。

「やるだけやってみる! シルフィ、補助」

拳大ほどの次元の穴に、右腕を突っ込む。

そうすると、右腕だけ軽くなった気がした。ついつい慣れてしまって分からなかったが、魔界の瘴気は、随分と身体を圧迫していたらしい。

その右手を、シルフィの小さな手が包む。

「『天空に存在する数多の風の精霊たちよ』」

その感触だけを頼りに、詠唱を開始する。

精霊たちが集う感覚と共に、強大な力が一気に体から流出する。一瞬、意識が飛びかけるが、なんとか持ちこたえる。

「『古の聖なる契約の、もと!』」

ライルの体の大部分は、魔界に在る。そのせいか、いつもより何倍も感覚を掴むのが難しい。

それでも、シルフィの補助のお陰で、なんとか必要となる精霊は集まった……ようだ。

ふと、詠唱に気を取られて気が付かなかったが、いつの間にかハルファスがこちらを愉快げに見ていた。

「……(グッ)!」

とりあえず、思い切り中指を立ててやるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「おもしれぇことしてるじゃねぇか」

あの穴の向こうに、強大な力が集まりつつあるのをハルファスは感じ取っていた。

まともに喰らえば、ハルファスですら消滅を余儀なくされるほどの力。人間の癖に、これほどの力を隠し持っていたのかと、ハルファスは笑いが止まらない。

「さァって。そいつを当てればお前らの勝ち、避ければ俺の勝ちってわけかァ。ケケケ、ずいっぶん分の悪いゲームだなぁ、ええ、オイ?」

どちらにとってか、は言うまでもない。

ライルの詠唱は、もう少しかかる上、例え完成したとしてもあの小さな穴から僅かに漏れ出る『ライトニング・ジャッジメント』を当てるのは相当難しい。

ハルファスとしては、詠唱が完成するまでにライルを殺すか、それとも放たれた雷を躱すかすればいいわけだ。

「とりあえずお前ら、その人間、気張って守れヨォ? すぐ死んだら、つまんないからな」

『さぁ、殺すぞー』と鎌をぶんぶん回転させるハルファス。随分テンションが上がっているようだ。

「アンタは、余計なおしゃべりが多すぎんのよ!」

その隙に、ルナが魔法をぶっ放す。クリスとフレイも、無言でそれに続いた。

大小入り混じった火球がハルファスの足止めをする。

「馬鹿の一つ覚えだなぁ」

つまらなさそうに、ハルファスはその火球を弾く。

ただ煩わしいだけで、ダメージどころか足止めにすらなっていない。

「……それは、お前の方だ」

「お?」

いつの間にか接近していたフルカスが、背後からハルファスを攻撃する。

余裕でそれを躱すハルファスだが、その隙にルナたちの魔法が背中に炸裂する。

「ウザっ!」

前後から攻撃を受け、ハルファスは足を止めた。

挟み撃ちにあい、ロクに身動きが取れない。強引にライルを殺しに行くことも不可能ではないが、そうすると高確率でフルカスに切り裂かれる。

他の連中は無視してもいいが、フルカスだけは少し警戒する必要がある。少なくとも、無防備に攻撃を受けていい相手ではない。

……とすると、まずはフルカスをどうにかするべきなのだが、後ろから当たる魔法の衝撃のせいで、攻めきることが出来ない。

「オオゥ! こりゃあ、ヤベェ」

その口調からは、ちっとも深刻さが伝わってこない。

それもそのはず。いつの間にか、ライルの詠唱は完了しているのだが、一向に放ってこない。恐らくは、ハルファスが動いているので、照準を定めることが出来ないのだろう。

「あの様子なら、警戒する必要もなかったかなぁ?」

ライルを見ると、額に脂汗を浮かべ、必死になって魔法を制御しようとしているのが見て取れた。自分が集めた強力な力に、完全に振り回されている。

ハルファスはそれほど激しく動いているわけではないのだが、やはり撃ってこない。完全にこちらが動きを止めない限り、大丈夫だろう。

「っつー、わけで。ゲームは俺の勝ち、だな」

鎌の一振りが、フルカスを弾き飛ばす。

ハルファスは、すぐに踵を返して、ルナたちへ向かった。

「そろそろ、この遊びも終わりだ」

鎌を横に薙ぎ払う。

炎の精霊王が、その剣で防ごうとするが、彼の剣の技量ではハルファスの鎌を完全に押し留めることは出来ない。

辛うじて軌道をズラすが、それでフレイの剣は弾き飛ばされてしまった。

「これで、終わりだ」

再び、鎌を振り上げる。

火の精霊王と、ここの人間を殺し、次にあの魔法を放とうとしている人間を殺し、フルカスを殺す。それで、終わり。

わりとあっけなかったな、とハルファスが感想を抱く。

ふと、弾かれたフレイの剣を、無骨な掌が掴んだ。

「あ?」

少し躊躇したのが、致命的だった。

いつの間にか、『ぬっ』と起き上がったアレンが、無事な右腕で剣を握っている。

「痛ぇ……」

残りの命全部くれてやると言わんばかりの気力がアレンの握っている剣に注がれる。

「じゃ、ねぇかっっ!!」

どこにそんな力が残っていたのか、アレンの一撃は、ハルファスを『かっ飛ばす』。

向かうのは、ライルの方向。

「『ライトニングぅ』」

止まっている的でなくとも、真っ直ぐこちらに飛んでくる標的ならば当てるのは難しくない。

すでに穴からライルの右腕は引き抜かれている。次元の穴の向こうに見えるのは、金色に輝く雷の嵐。

「『ジャッジメント!!』」

小さな、小さな穴から漏れ出た、ビームのような雷の束が、ハルファスを貫いた。

---

前の話へ 戻る 次の話へ