「あァ?」
ハルファスは、困惑していた。
風の精霊王と火の精霊王、ついでに黒髪の人間(ライル)が攻めてこない。確かに、風の精霊王は『時間稼ぎをして!』などと先ほど言っていたが、まさかフルカスに人間を三人加えた程度で時間稼ぎすら出来るとでも思っているのだろうか?
「ッッッらァ!」
「邪魔くせぇ!」
大剣を振り下ろしてくる大柄の人間を振り払う。
この人間も、ヒトにしては随分な豪傑だが、ハルファスにはせいぜい小型犬程度だ。ただ、明らかに戦い方がこちらを倒すものから、足止めするものに変わっている。
後ろの人間の魔法使い二人も、先ほどこの身を多少焦がした『クリムゾン・フレア』のような強い魔法ではなく、弱い魔法を数撃つ戦法に切り替えてきている。
フルカスは、ハルファスが攻撃に移ろうとしたところでうざったく邪魔してくる。
……どうやら、連中は本気で自分相手に時間稼ぎなどしようという魂胆らしい。
大方、人間界に逃げ込もうとでも思っているのだろうが……目算では、それには二十分か三十分か、それなりの時間が必要なはずだ。だからこそ、次元転移用の魔法陣『六柱』は放っておいたのだが。
「もし、本気に逃げようってんなら……甘ぇにもほどがあるわなァ?」
クッ、と思わずその仮面のような顔を笑みの形に歪ませ、ハルファスは鎌を悠然と構えた。
第173話「ラウンドツー」
「し、シルフィ? ど、どどどどーするつもりなんだ!? る、ルナたち、押されてるよ!?」
慌てまくってハルファスとシルフィを交互に見るライルに、シルフィはそっとため息をつく。
我がマスターながら、本当に任せても大丈夫だろうか? と思わないでもなかったが、他の手が思いつかないのだから仕方がない。
「マスター」
「は、はひっ!」
ガンを飛ばす。
ライルは、シルフィの視線によって、直立不動の体勢になった。
「集中してて。アイツに『ライトニング・ジャッジメント』ブチかますために」
「ちょ……ここでは使えないんじゃないのか?」
魔界には、精霊魔法を使うのに必要な精霊がほとんど存在しない。魔精霊、と呼ばれる魔族側に堕ちた精霊はいるが、それを利用するのは少々難しい。
「いいから」
「あ、ああ」
「ん、いい返事。フレイ、やるわよ」
きびきびとシルフィが動き、人間界への門を開くため、詠唱を紡ぎ始めた。
ライルは言われたとおり、いつでも魔法の詠唱に入れるよう集中するが、疑念が尽きない。
そりゃあ、少しでも穴が開けば、精霊魔法を多少使う程度はできるだろう。しかし、小さな穴を開けたところでこちらに来れる精霊などたかが知れている。
ライトニング・ジャッジメントは最上級の精霊魔法だ。到底、必要な精霊が集まるとは思えない。
「……やっぱり、僕も援護に行ったほうが」
そっと剣に手を伸ばす。
ルナたちは奮戦してはいるが、やはり地力の差は如何ともし難い。フルカスが防御に回ってくれているおかげで、致命傷こそないものの、それもいつまでもつかわからない。
自分一人が割って入ったところで戦況を覆せるとは思わないが、ここでじっとしているよりはマシ……
「テメェ、動くなっ!」
「は、はい!」
フレイに見咎められた。思わず、ビクッと飛び上がる。
「いいか。俺ァ、お前なんざアテにしてねぇが、シルフィがお前を使うっつってんだ。次、動こうとしたら縛り上げるぞ」
「す、すみません」
萎縮して、ライルは頭を下げる。フレイは「ったく」と苛立ちを露にしながら、再び門の開放作業に入った。
「ルナ。アレン。クリス……」
不安そうに、ライルは友人たちの様子を見守るのだった。
「うっ、ラァ!」
クリスの放った魔法の爆煙に紛れて、アレンが一撃を見舞う。
「あーら、よっと」
しかし、ハルファスは軽く身を捩って躱した。すぐに鎌を一閃して反撃されるが、アレンは辛うじて剣を戻し防いだ。
「ハーッ! やるねぇ」
「ぅっっせぇ!」
鎌を押し戻し、アレンは再び攻撃――
「じゃ、これでどうだ?」
する前に、先ほどよりはるかに鋭い一撃がハルファスから放たれた。
不意の攻撃に完全に無防備だったアレンの首が無残に飛ぶ直前、フルカスが割って入り、それを防いだ。
「ン〜、残念ん!」
「余裕! ブッこいてんじゃぁ、ないわよー!!」
ハルファスが指をパッチンと鳴らすのと同時に、ルナが咆哮と共に幾筋もの光の矢を放つ。複雑な軌跡を描く光の矢は、至近にいるアレンとフルカスを避け、正確にハルファスを撃ち抜く。
「とっとと……」
ダメージはほとんどないが、衝撃にハルファスが少しだけよろめく。その間に、アレンとフルカスは距離をとっていた。
「んン〜、うざってぇな」
ピッ、とハルファスがルナに節くれ立った指を向ける。まるで鉄砲のように指を構え、
「パンッ」
口で、引き金を引く。
指先から離れた黒い弾丸――圧縮された魔力が、ルナの額を撃ち抜こうと奔る。
「くっ!」
事前に魔力の集中を感知して、放たれる前に躱そうとしたルナだったが、運動能力がないせいで回避しきれない。浅く、ではあるが、こめかみが削れた。
「外れかァ」
フッ、とさほど残念そうでもない様子で指先から上る煙を吹き消し、ハルファスは鎌をくるくると回転させた。
「よっく逃げてるが……さァて、最初に脱落すんのは誰かなぁ?」
完全に遊んでいる。その気になれば、とっくに一人や二人は殺せていたのだろう。
その態度に、歯噛みするルナは、こめかみから流れる血を拭おうともせず、次の魔法の詠唱に入った。
「る、ルナ! 血止めくらいして」
慌ててクリスが傍に駆け寄り、強い回復魔法をかける。出血は派手だが、浅い傷だったので、ある程度の効果があり、なんとか血は止まった。
ほっ、と胸を撫で下ろす暇もなく、クリスはルナの形相に悲鳴を上げかけた。
「乙女の」
ルナがトンデモナイ魔力を使おうとしている。掲げた右手に集められたそれは、クリスの全魔力の半分ほどはある。
クリムゾン・フレアという大きな魔法を使い、更に先ほどからバカスカ魔法を撃ちまくっているくせに、どこにこんな魔力が残っていたんだ、とクリスは本気で恐ろしくなった。
「顔にぃ」
これだけの魔力だ。例え、魔力増幅等の補助効果のない簡単な魔法でも、半端ではない威力を発揮するだろう。
普通、低レベルな魔法にあまり大きな魔力を乗せると、すぐに暴走するのだが、その兆候すらない。
「っと、これはナカナカ」
嬉しげにルナを見つめるハルファス。
一方、ハルファスに攻撃を仕掛けようと接近していたアレンは、転がるようにしてハルファスから距離をとる。味方の魔法で傷を負ったら笑えない。
一応、アレンが離れるのを確認したルナは、一気にその魔力をたたきつけた。
「傷つけてんじゃないわよ!!!!」
いささか過剰気味の怒りが込められた炎球が放たれる。魔力に比して大きさは大したことがないが、その分威力は折り紙付きだ。
躱すことは造作もないだろうに、ハルファスはその炎球を真正面から受け止める。
「あっちぃなぁ」
炎球を受け止めたハルファスの掌がブスブスと焦げる。
「だ・け・どっ!」
ハルファスは、炎球をいとも簡単に握りつぶす。
ルナの渾身の一撃は、手を多少火傷するだけで受けきられてしまった。
「マジ化けモンだな……」
アレンが呆然と呟く。
普通ならあれで消し炭になるところだ。
「さってと。そろそろ、一人くらい脱落させるかなぁ?」
火傷した手をさっさと治すと、ハルファスはアレンに鎌を向ける。
「お前に決定―。さぁ、頑張って生き残れよぉ!」
「っ! 上等だ!」
一瞬でハルファスが間合いを詰めてくる。
「ハッハァ!」
「クッ!」
やはり、遊んでいるのか、アレンが防げるギリギリの斬撃を繰り返してくるが、このままだと遠からず一撃を貰ってしまう。
「私を忘れてもらっては困る!」
アレンに集中しているハルファスの背後から、フルカスが剣を振る。
「邪魔だぁ!」
しかし、それも一蹴された。
「さぁって」
キンッ、とアレンの剣が弾き飛ばされる。
そして、
「これで、一人目だ」
アレンの身体に、鎌が食い込んだ。
「!!?」
血飛沫が舞う。
ハルファスの鎌は、アレンの左肩の半ばまで切り裂いていた。
気功で強化されたアレンの体だからこそ切断にまでは至らなかったが、救いにはならない。
「ぐ、ううううううう」
「下手に避けるから痛い目ぇみんだよ」
本当は脳天を割って即死させるつもりだったのに、うまくいかずハルファスは不機嫌そうだ。
「ん、まぁ今楽にしてやる」
「やらせるかぁ!」
クリスが悲鳴に近い叫び声を上げて、攻撃魔法を放つ。
無数の氷の弾丸が飛んでくるが、ハルファスが腕を一振りするだけで勢いをなくして地面に落ちた。
「いい加減、一人くらい殺させろよ。な?」
再び鎌で切り裂こうと、ハルファスはアレンの体から鎌を抜こうとする。
「あン?」
しかし、あろうことかアレンが自ら鎌の刃を身体に食い込ませ、自由にはしない。
「ク……ロウ、シード流」
そして、無事な右を拳にして、とん、とハルファスの腹に置く。
「体……術、奥…義」
その拳に、アレンは全身の気力を集中させる。
激痛を歯を食いしばって耐え、アレンは思い切り腰を回転させた。
「崩龍拳!」
そして、零距離からの拳撃に加え、自らの気をハルファスの体内に叩き込む。
「うぉっ?」
ハルファスは吹き飛ばされた。ダメージはあまりないが、予測できない攻撃だったので虚を突かれたのだ。
「ハルファス!!」
そこへ、フルカスが攻撃を加える。
「その人間を治療しろ!」
一人でハルファスを抑えつつ、ルナとクリスに指示を飛ばす。
「は、はい!」
慌てて、クリスが駆け寄った。
「う……わ」
ひどい。
出血は言うに及ばず、左腕が殆ど千切れかけている。アレンも、意識を保っているのが不思議なくらいの風体で、ゼッゼと息を切らせ、顔は青く、脂汗を流している。
「と、とりあえず鎌を抜いて……」
クリスは、はたと気が付いてしまった。
鎌を抜いて……どうする?
これだけの怪我だ。普通でも、応急処置が精一杯。今回はしかも高位魔族による傷。
今クリスが使えるレベルの回復魔法では、どう足掻いても気休めが精一杯だ。
「くそっ!」
それでもしないよりはマシと、全魔力を込めて回復をし続ける。
「アレン……」
必死になっているクリスの後ろで、ルナが怒りで歯を食いしばりながら、立っていた。
彼女は、回復魔法が苦手だ。本人の性格が、それとも有り余る攻撃魔法の才能の代償か、回復系に関してはクリスよりはるかに低い腕前だ。
下手にルナが手を出したら、逆にクリスの魔法に干渉して効果を低くしかねなかった。
だから、ルナに出来るのは少しでもクリスが集中して治療できる状況にすること。
ハルファスがこちらにこれないようにするため、ルナは必殺の気合を込めて詠唱を始めた。
フルカスと切り結んでいるハルファスを睨みつける。自然、怒りが沸きあがり、詠唱にも力が篭る。
「『エクスプロージョン!』」
通常のエクスプロージョンでは有り得ない規模の爆発。さらに爆発が終わるのを待たず、全力で魔法を撃ち続ける。
「ライル! シルフィ! あんた等、さっさとしなさいよぉー!!」
そして、柄にもなく涙を少し浮かべながら、叫んだ。
文句の一つも言ってやろうと、ライルたちの方を見ると、どうやら門は開いたようだ。シルフィとフレイの詠唱が終わっている。
ただし、握り拳大の小さなもの。これでは、肉体という枷のないシルフィやフレイはともかくとして、ルナたちは通れない。
果たして、シルフィは自らの姿を人形小に縮小して、穴の向こう側に出た。
「あいつ、まさか逃げ……」
いや、とルナは首を振る。
いけすかない羽虫だが、まさかこの場から逃げるなどという真似をするなどとはさすがに思っていなかった。
「ったく。信じてるわよ?」
本当に逃げていたら末代まで呪ってやる、と物騒なことを考えつつ、ルナは魔法をぶっ放すのだった。