そうして、シルフィの存在は一気に全校に広まった。
校庭で、“あの”ルナとガチンコ勝負した中等部生……性格には学生ではないのだが、そんな風に噂されていた。ついでとばかりに、あのライルの婚約者らしい、というデマも一緒に流れていた。
本人は、そんな事どうでもいいとばかりに、ライルたちの教室で一緒に授業を受けていたが。
「いやー、なかなか授業っていうのも新鮮で面白いもんね」
「あっさり言うんじゃない。お前、僕の学園での立場とか、少しでも考えたらどうだ?」
昼休みになるなり、そんな呑気な感想を漏らすシルフィに、ライルは恨めしそうな目で抗議した
「えー? ほらほら、こんな可愛らしい恋人がいたりして、こう、優越感とかに浸れたりしない? ほらほら、男子連中、ライルを羨ましそうに見ているわよ」
わかっててくっついてくるのだから、シルフィもタチが悪い。
ぎゅー、と腕を取ってくるシルフィをうっとおしそうに押しのけながら、ライルはきっぱりと言い切った。
「……それは、離れて見ているからだ。ルナとドンパチやらかしてから、みんな近付いてこないだろ?」
「あー、そゆこと言う? ……ふふーん。でも、離れて見てたらオーケーってことは、私が可愛いってことは認めるのね?」
「みんなは、お前の歳知らないからなぁ」
ピキ、とシルフィの頬が引きつる。
ささやかな反撃に成功して、ライルは小さく笑いを漏らした。
第164話「シルフィ、デビュー 後編」
「ライルー、羽虫ー、ご飯どうするー?」
ルナが近付いてきた。
お昼は、他の予定がない限り、大体ルナとアレンとクリスという、いつものメンバーで摂っているのだ。たまに、クレアとかミリルとかリムとかが入ったりするが。
「あのね、ルナ。いい加減、私のこと羽虫って呼ぶのやめてくんない?」
「え? だってわかりやすいじゃん」
「羽ないわよ、羽。あと大きいし」
シルフィの反論に、むー、とルナは考え込む。
しかし、それにも飽きたのか、まあいいじゃない、となんでもないことのように手をひらひらさせた。
「あんたねぇ……」
「わかったわよ。じゃあ、これからはアンタが小さい時だけ呼ぶことにするわ」
「そういう問題じゃない!」
口げんかに突入する二人を遠巻きに見ながら、ライルとアレンとクリスは、どうしたもんかと顔を見合わせた。
「どうする? 止める?」
「クリスがやってよ。僕はやだよ」
「まぁ、あの二人はあれでコミュニケーションが取れてっから、いいんじゃないか?」
「でもなぁ……。シルフィ、このまま置いてっていいものか……」
シルフィは、こうして実体を持って学園に来るのは初めてである。しかも、これが多分最後の機会らしい。
散々迷惑を被っているライルだが、これはこれでいい思い出として欲しい、という気持ちはなくはなかった。
「仕方ない……か。おーい、二人とも、お昼ご飯食いっぱぐれてもいいのー?」
ライルは遠くから声をかける。
言ってから、すぐにアレンの後ろに隠れるのはご愛嬌だ。なにせ、あの状態の二人は気が立っているのである。
「って、オイ!? なぜ俺の後ろに?」
「だって、アレンが一番丈夫じゃない?」
しれっとそう言ってのけるライル。ちなみに、クリスはさっさと教室の外に逃げて見物している。なんだかんだで、一番賢明かつちゃっかりしていると言えるだろう。
「まぁ、その件は後にしましょうか」
「そうね」
二人とも腹が減っていたのか、割とあっさり矛を収める。……いや、むしろ誰かが止めてくれるのを待っていた節がある。そうだとしたら、随分と面倒くさいコミュニケーションだ。
「じゃ、食堂行こうか」
ライルが言って、誰も反対するでもなく決まった。
この面子の昼食は、ライルが弁当を作ってくるか、食堂に行くか、各自別の友達と摂るかの三択である。まぁ、偶然とは言え、今日は週番で朝早かったので弁当はない。ライルの弁当以外では、シルフィが学内で食事を摂ることはないので、彼女に学園生活っぷりを体験させるには、良いことだろう。
「てかね、マスター」
食堂に向かう途中。誰も聞いていないので、シルフィは呼び方を元に戻して言った。
「私のこの体、所詮影だから、食事は出来ないんだけど」
「あ」
さて、どうしよう。
ルナが『じゃあ、その人形の中に本体が入ればいいんじゃない?』というナイス提案をしたが、シルフィは『それ、人前に出ているのと変わらないじゃない』と、シルフィはまたしてもイマイチ線引きのわからないことを主張し、結局……
「こうなる、わけか」
購買でパンを買ってもよかったのだが、『食堂のメニューを食べてみたい』と主張するシルフィの言に従って、一向は学食のメニューを持って、人が殆どいない屋上に来ていた。
「流石に、これだけ冬も近くなると人はいないね」
「つーか、寒いって」
屋上で食べる事を主張したシルフィ(本体)は、ゴメンー、とウインクをすると、手を空に掲げた。
途端、屋上の一角を風の魔力が包み込み、中の気温がすごしやすいものになる。
「ん。じゃあ、食べましょうか」
少し冷めてしまった定食に、シルフィはウキウキしながらフォークを伸ばす。
「ま、いいけど……別に、今日じゃなくても、こういう形なら食堂行くときも、シルフィも一緒に食べられるよな」
「ん〜、でもやっぱり、いつもだとここまでする気起きないでしょ?」
そりゃそうだ、とライルも頷いた。
「へぇ。初めて食べたけど、けっこうおいしいじゃない。暖かいし」
目を丸くするシルフィに、なんとなくライルは笑った。
もし、シルフィが人前に姿を現すことが普通に出来たとして、一緒にヴァルハラ学園に通ったら、こんな感じだったのだろうか……などと想像する。
「…………………」
「ん? どしたのマスター? 青い顔して」
「いや、我ながら恐ろしい想像をしたもんだ」
冷や汗をかく。
今日だけで、クラスどころか学園中にその名を轟かせ、ライルのクラスでの地位を失墜させたこの小悪魔が最初からいるなど、最悪の想像にしかならない。
それはそれで楽しいかも……なんていうチャレンジャーな自分が心の片隅にひっそりと存在するのも確かだが、ライルはなるべく平穏に暮らしたいと思っているのだ。大抵の場合は。
「ところでさ、なんでシルフィはライルとの関係を婚約者なんて設定にしたの?」
食べながら、クリスが話題を振った。
「えー、だって」
尋ねられたシルフィは、ちらりとアレンを見やる。
「なんか、それが一番、波紋を呼びそうかなぁって。ちょうど、実例がそこにいるし」
「やっぱそういう理由か……。でも、頼むから僕とアレンを一緒にしないでくれ」
「どういう意味だコラ」
アレンが凄んでくるが、この男と婚約者(最近、二人に増えたらしい)の仲の良さを知っている面々からすれば、照れ隠しにしか見えない。
「まー、でもいいんじゃない? 実際、アンタたち二人、結婚してるよーなもんでしょ」
「はぁ?」
興味なさそうに黙々と食べていたルナのわけのわからない指摘に、ライルは開いた口が塞がらない。
「……どの辺が?」
「だって、一緒に暮らしてんでしょ。しかも、一生涯の契約を結んでる」
アレンとクリスが、おおっ、と手を叩いていた。
「あ〜、なるほど。そう言われればそーね。ある意味、夫婦よりも強固な繋がりを持っているわけだし」
テレパシーとかね。
「……シルフィ、本気にしないように」
「あら? マスターは嫌なの?」
「嫌だ」
きっぱりと言い切る。
冗談ではない、といったその態度に、シルフィは不満そうに頬を膨らませた。
「そ、そこまで嫌がられると、私も女としてのプライドがねぇ……」
「んなもん、ないだろ」
ライルは一言で切り捨てた。
「大体、僕とお前の関係なんて、せいぜいペットと飼い主……いいとこ兄妹ってとこだ」
「なに? そーゆーシチュエーションが好みなの、マスターは?」
ライルのデリカシーのない言い分に、少し気分を害したシルフィはからかうように言った。
「……突っ込まないぞ」
憮然としたライルは、定食の残りをかきこむ。
「あと、シルフィ」
「ん? なに?」
「お前、今日しかここにいられないっつったよな?」
「そうだけど?」
なんでも、今シルフィが使っている『影』を作ったのは、闇の精霊王だという。逆にそれくらいでないと本人とまったく変わらない影人形は作ることが出来ない。
他に、似たような方法をとることはできなくはないのだが……どれも、面倒だ。
よって、シルフィが学園に来ることが出来るのは本日限りだという。
「なら、帰る前に、婚約者とかいうのを訂正しとけよな」
「えー?」
「……僕の、これからの学園生活のことも考えてくれ」
切実なその声に、シルフィはどうしよっかなー、と顎に指を当てる。
やがて、なにかを思いついたのか、口元に意地悪い笑みを浮かべた。
「オーケーオーケー。婚約してるってのは否定しとくわ」
「……頼むから普通にな」
多分、その願いは届かないんだろーなー、と半分予感しながらも、ライルはそう釘を刺すのだった。
そうして放課後。
最後の授業が終わった後、シルフィ(影)は教壇の前に立って、ヨヨヨ……と涙を流した。
「みんな」
そんな嘘泣きで周囲の注目を集め、シルフィは話し始める。
「今日、ほんの短い間だったけど、世話になったわね……」
なにやらしおらしい雰囲気である。
いとも簡単に騙されたクラスメイトたちが、しんみりした空気になる。ルナと五分の争いをしたことは、すでに忘却の彼方らしい。
「でも、私は去らなければならないの。ライルから帰れと言われたから」
そんなことを言うものだから、ライルは速攻で悪者にされた。男女問わず、この人でなしがっ! という目で見てくる。
(シルフィぃぃぃーーーー!!)
(マスターは黙ってて。こっからがいいとこなんだから)
「それと、言っておかないといけないことがあるの……。私と、ライルが婚約しているって言うの、あれは嘘よ」
よし、とライルが頷く。
クラスメイトたちも、ざわめいている。
それらが適当に収まったところで、シルフィは決定的な一言を放った。
「なぜなら、私とライルは既に籍を入れてるんだから! ああ、言い忘れてたけど、私のフルネームは、シルフィリア・フェザードだから、ヨロシク」
一瞬の沈黙。
周囲の視線が、シルフィとライルに集まる。
その後の騒動は、ライルは思い出したくない。