「うぁ〜、頭痛い……水……」

よろよろと、まるでゾンビのごとく起き上がったライルは水を求めて彷徨う。

昨日の宴会後、そのままぶっ倒れたらしい。よほど呑んだらしく、意識がどうも曖昧で、そのくせ頭痛だけは律儀に痛みを訴えてくる。

死屍累々と横たわっている獣人たちをまたいで、村の近くを流れている小川へ。若干、不衛生だが、気にせず頭から水に突っ込み、がぶがぶと飲み干す。不衛生とは言っても、都会の近くを流れている川とは違って、自然の水は美味しい。あとで腹痛にならないよう、薬でも飲んでおくとしよう。

そんな感じで、一リットルほど水を飲んだら、やっと落ち着いた。頭の痛みも、少しは引いたようだ。

最近、酒ばっか呑んでる気がするなぁ、と反省しつつ、しかし昨日は楽しかったので、この頭痛も甘受するライルであった。

 

第135話「鬼ごっこ ―罠―」

 

そして、

「うぁあああああああ、頭、頭が痛いぃぃ〜〜」

のろのろと、寝袋からうめき声を上げるルナ。なんだかんだで、熱は引いたのだが、起きてみたらとんでもない頭痛が起きていた。

病気の状態で野宿なんぞすれば、そうなるのも当然といえば当然だが、その瞳だけはギラギラと危うい光をたたえており、一向に光が収まる様子はない。

「だ、大丈夫ですか?」

幽霊の癖に、夜は実体化のための霊力を溜めるため、棺桶で眠っていたフィオナは、ルナの言葉に反応して飛び起きた。

「ああ〜、へーきよ、多分。頭は割れるみたいに痛いけど、体自体は昨日より元気だから」

「元気とは言っても……とりあえず、何かお腹に入れましょう」

わりかしテキパキと、食事の用意をするフィオナ。野宿だと言う事を考えれば、十分手際が良いと言える。

「悪いわねぇ……」

「いえ。でも、やっぱりちゃんとしたところで休んだほうが良いと思いますよ? 栄養も、やっぱり野宿だと限界がありますし」

不意に、ルナは悲しそうな顔になった後、ふるふると首を振る。

「駄目よ。私も許されるならそうしたいけど、やっぱり私たちを放って宴会なんてしているライルたちに鉄槌を下さないといけないんだから」

やたら儚げな雰囲気で、ルナはしみじみと言う。言葉こそ弱々しいが、その言葉の薄皮一枚向こう側には不屈の意志がめらめらと燃えている。有体に言って、燃えすぎな感すらあった。

「ルナさん……そうですよねっ。わたし、弱気になっちゃってました。さぁ、消化に良いお粥作りました。フィレアさんがいらっしゃる村のお米ですよ。これを食べて早く風邪を治して、クリスさんたちをメタクソにしてやりましょう!」

フィオナは、そんなルナの姿に心打たれ、目尻の涙を拭って木製のお椀を差し出す。見ているこちらも励まされそうな健気な姿だが、しかし最後に言っていることは血も涙もない。

普段は平和主義者なフィオナだが、自分がルナに付き合わされてさんざ苦労しているところで、クリスやライルが女性をはべらせて宴会に興じているのを見て、完全にプッツンした。自分が悪魔の陣営に加わっている事を自覚しながらも、今更天使の陣営に戻るつもりはさらっさらない。

既に、『今回はわたし、ルナさん側につきますからね〜』と、心の中だけでクリスに宣戦布告は済ませている。

そう、今のフィオナは、魔王の復活のため奔走する邪教崇拝者のような存在となったのだ。

「それにしても、どう攻めるかが問題よね……。獣人たちの村があるとなると、森自体に攻撃すんのは、あいつらを敵に回すようなもんだし」

「ちょ、だから自然破壊は止めてくださいって言ったじゃないですか!」

しかし、さすがに生来の優しい性格がすべてなくなったわけではないらしい。慌てて物騒な事を言っているルナを止めた。

「だから、出来ないっつってんでしょうが」

「そもそも、やろうとしないでください!」

まったく、と呆れながら、無言で空のお椀を差し出してくるルナのために、新たなお粥をよそってやる。

「大体ですね。大規模破壊は見た目こそ派手ですけど、死ぬときは一瞬です。ちゃんと捉えてから、じわじわと痛めつけてやらないと」

「……それもそうね」

……訂正。意外と、フィオナも黒かった。

「それで、こういうのはどうでしょう……」

そして、なにやら怪しげな笑みを浮かべて、何かを話し出す。それを聞いて、ルナの口は、笑みの形に変わっていった。

 

 

 

 

 

「(ビクゥッ!)」

なにやら、凄まじく嫌な予感を感じて、泥のように眠っていたクリスが跳ね起きた。

「むぷっ!?」

しかし、体を上げることは出来ない。見てみると、自分の胸の上をナタクァが枕代わりにして寝入っている。

あ〜、そう言えば、昨日は絡まれたまま、逃げるに逃げられなくてそのまま眠ってしまったような。

ぽりぽりと頬をかきながら、起こさないよう、ゆっくりとナタクァの頭をどける。

自分ではかなり飲んだつもりだったのだが、意外にも寝起きはすっきりだ。大儀式魔法で疲れきって、早めにダウンしたのがよかったのかもしれない。

とりあえず、この場で唯一動いている友人、ライルに苦笑いを向けた。……どうも、獣人という種族は、騒ぐ時はトコトン騒ぐ性質らしい。一人の例外もなく熟睡している。

「おはよう」

「おはよ。随分、面白い格好になってたね」

「……枕にされてただけだよ」

なるべく気にしていない風を装う。

ちなみに、偉そうに言っているライルとて、起きた直後は左右に昨日酌をしてくれた女の子が寝ていたのだが、そこはそれ、早く起きた者勝ちだ。こんなところで勝っても空しいだけだが。

二人は、テーブルに残っていたご飯を適当に食べ、これからの作戦会議をし始めた。

「ここに滞在させてもらえることにはなったけど。なるべく、早くに出て行ったほうがいいよなぁ」

テーブルに頬杖をつきながらライルは言った。

その目は、ぶっ倒れている獣人らに向いている。最初は、乱暴な人たちだと思ったが、酒を酌み交わしてみると、ただ森を守ろうとしていた誠実な人たちだとわかった。ルナのような――まぁ、アレな人種に関わらせたくはない。あんなのと関わらせたら、人間と亜人の溝が益々深くなりそうだ。いや、なるに違いない。

「そう、だねえ。でも、実際問題、どうしようもないけどさ。森から出たら、即座に追ってくるよ、ルナは」

そして、ライルたちは捕まる。今の状態は、先に動いたほうの負けなのだ。

まぁ、今のルナは風邪でノックダウン中なので、すぐさま逃げ出せば逃げられる可能性はかなり高いのだが、さすがのライルでもそんな状況はわからない。そもそも、病気にかかるルナの姿を想像すら出来ないのだから、彼特有のルナレーダーも鈍るというものだ。

「そこはそれ。クリスのその小賢しい知恵でさ」

「……引っかかる言い方だね。まぁ、いくつか方法は考えているけどさ」

憮然としながら返事をするクリスの背中に、突如重みが出現した。

「まぁてぇ〜い。あたしの許可らく、ここからでよぉなんざ十年早い〜」

「……ナタクァ、さん?」

「ぐー」

……寝惚けて、ナタクァがへばりついてきた。いや、寝惚けているだけでなく、まだ頭にアルコールが残っているのかもしれない。

丁重に引き剥がし、コホン、とクリスは咳払いをする。

「それで、その策なんだけど」

「……誤魔化せてないよ、クリス」

「誤魔化されてよ」

「いつ、ナタクァさんをたらしこんだんだよ」

「……やけにつっかかるね」

「見ている分には面白いから。アレンのもそうだしね」

ひく、とクリスの頬が引きつる。

にやにやからかうように見てくるライルとは対照的に、苦虫を噛み潰したような笑みで、二人は睨みあった。

「とにかく、策だ。僕とライルがそれぞれ別々の方向に逃げる! フィオナは、活動の基点になってる棺からそう遠く離れられないから、これで少なくともどちらかは逃げ切れるって寸法さ。予め、集合場所を決めておけば、もし、万が一、なにかの間違いでルナに追いかけられた方が助かれば、合流も出来る」

シンプル・イズ・ザ・ベストだね、とクリスは己の策を誇る。

対して、その作戦に、ライルはバンバンとテーブルを叩いて反対する。

「異議あり! それだと、どう考えて追いかけられんのは僕のほうだ!!」

「まぁまぁ。元々は、僕はルナとかに言いようにされるライルを見てられなかったから、友人として助けたんだ。ここまで来たら、友達としての義務は果たしていると思わないかい?」

「一蓮托生だろ、僕たちは!?」

「生憎、心中するつもりはないんだ。安心してくれ。アレンが提案した『鬼ごっこ』は、僕が見事に逃げ切って、男性陣の勝利にしてあげるから」

いけしゃあしゃあと言ってのけるクリスに、ライルはぐうの音も出ない。

「まぁ、それは冗談として」

「冗談? ねぇ、本当に冗談なのか?」

「心中するつもりがないのは本当だけど、むやみに見捨てるつもりもない。ちょっと意地悪言われたから仕返ししてみただけだよ」

ライルの慌て振りに溜飲も下がったのか、クリスもいつもの調子にも戻る。

「まぁ、ルナの探査結界を誤認させるためのダミーを用意するとか……いくつか方策はあるよ。どっちにしろ、もう少しルナの出方を待とう。焦れて、森に入ってきたら普通に逃げ切れるし」

そう締めくくったクリスの背中に、またしても重みが。

「ナタクァさん……いい加減、やめてく……」

「誰ですか、そのナタクァさんって?」

しかし、その重みは先ほどまでのナタクァよりずっと軽い。そして、やけに現実感が薄い。

「あ、れ? フィオナ」

「はい。フィオナです」

いつもどおりの笑顔を浮かべるフィオナがそこにいた。

しかし、裏でちょっと黒い事を考えているのは、これを読んでいる諸兄には既にわかっていることだろう。よ〜くみると、いつもの笑顔の背景に、微妙に黒いものが混じっている。

しかし、さすがにそんな微細な変化には二人は気が付かない。そもそも、フィオナに対しては、二人は殆ど警戒というものをしていないのだ。気付かないものも当然といえる。

だから、その後、フィオナがした話をほいほい信じこんだのだった。

 

 

 

 

 

「いや〜。まさか、ルナが風邪を引いたとはね」

フィオナから聞かされた話は、まさに天啓だった。

なんと“あの”ルナが夏風邪を引いたというではないか。これならば、例えあの馬鹿っ早い馬に乗ったとしても、逃げ切れる可能性はぐんと上がる。

今、ライルたちは風邪を引いたルナの隙を付いてその事を知らせにきたというフィオナの先導に従い、森から脱出しようとしていた。なんでも、こちら側がルナのいる方角と丁度反対側になるらしい。

「鬼の霍乱ってやつじゃない? でも、フィオナ、ありがとう。知らせに来てくれて」

「いーえいえ。これくらい当然ですよー。ライルさんやクリスさんが、ルナさんに吹き飛ばされるのなんて、傍から見ていて気持ちいいいものじゃないですからね」

その言葉に、普段のフィオナらしからぬものを感じたものの、クリスは特に気にするでもなく、もうすぐ着く森の出口を見つめた。

森から出たことは、いくら風邪を引いているとは言え、すぐにルナは察知するだろう。出た瞬間、全力疾走をしなければならない。そのために呼吸を整えつつ、名残惜しそうに来た方向に振り向く。

「それにしても、なにも言わずに出てきちゃったね。あれだけ歓迎してもらったのに」

「仕方ないって。みんな、完全に酔い潰れていたし。一応、書置きは残しておいたしね」

「そう、だね……」

「あれ? それともクリスは、ナタクァさんと別れたくないのかな?」

「あのねぇ……昨日会ったばっかりだよ。しかも、最初は思いっきり邪険にされてたし」

もうやめてくれよ、と言うクリスだが、ライルは追及の手を緩めない。なにせ、クリスをこういうことでからかえるのは滅多にないことだし。

「それを言うなら、アレンだって、プリムちゃんと会って三日と経たないうちに仲良くなってたじゃないか」

「……頼むから、アレンとだけは一緒にしないでくれ」

本気で嫌そうにするクリス。そんなことで、来年から義兄になるアレンと付き合っていけるのだろうか。

……ところで、この会話の最中、フィオナの機嫌は急降下していっているのだが、それを表に出さない辺り、もう死んでいる身ではあるが末恐ろしいものを感じる。

「そろそろ森を抜けるね」

「だね。無駄話はここら辺で。じゃあ、フィオナ、本当にありがとう」

言って、二人は全力疾走する体勢に移る。

しかし、

「いえ、お礼を言う必要はありませんよ」

「ええ。フィオナは、あんたたちを罠にハメただけだからね!!」

『る、ルナあああああああああ!!!?』

ライルたちの進行方向には、我らが恐怖の大王がふらつく体を抑えてどどーん、と仁王立ちしていた。

「ふぃ、フィオナ! 僕たちを裏切ったの!?」

クリスが問い質すが、フィオナは平然と、

「裏切ったなんて、人聞きの悪い。元々、このゲームは男性対女性の鬼ごっこのはず。わたしがルナさんの手伝いをしても、なんの不思議もないでしょう?」

「だからって! な、なんでルナの味方を!?」

今度はライル。フィオナは、ふんっ、と顔を背け、

「お二人とも、自分の胸に聞いてください! ルナさん! やっちゃってくださーい!!」

ぴゅーん、とフィオナは上空に逃れ……そして、ルナの情け容赦ない攻撃魔法が、二人に殺到した。

余談だが、ルナは体調が悪いにもかかわらず、攻撃魔法のキレはいささかも衰えていなかったという。

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