当たり前の話だが、光あるところには影がある。

幸福な人がいれば、不幸な人もいる。楽している人がいれば、苦しんでいる人がいる。

そんなありふれた構図。

……ただ、それが今回の場合、それは更に洒落にならない事態を引き起こすのだった。

 

第134話「鬼ごっこ ―光と闇―」

 

クリスの儀式魔法によって、森は蘇った。

枯れ始めてから今まで、随分と苦労していたらしく、獣人たちの歓声は何時までもやむことはない。いや、自然霊への崇敬の念の強い彼らのこと、自分たちの生活が立ち直ったことだけでなく、森が蘇ったこと自体を喜んでいるのだろう。

ルナから隠れるため、この森に滞在させてもらうのが目的の儀式だったが、こうも喜ばれるとやった甲斐があった、とクリスは満足していた。

火炙りにされていたライルは、どうも複雑そうだったが。

「皆! 今日は宴だ! 森を救ってくれた英雄達を、盛大にもてなそう!」

ライルたちをここに連れてきた張本人である獣人族の女性、ナタクァが叫ぶと、それに応える声がそこかしこから上がる。

森に侵入した不届き者から、一気に英雄に格上げである。

芸は身を助けるって本当だなぁ、とライルは微妙に間違った感想を抱いた。

「あの、いいんですか? まだ、そんな余裕はないんじゃ……」

しかし、森が回復したとは言っても、生活が立ち直るまでは時間がかかる。それを懸念したクリスはナタクァに尋ねた。しかし、彼女は笑って、

「なに、蓄えがないわけではない。それに、こんな時に騒がないでいられるほど、我々はストイックな種族ではないのでな」

「はぁ」

「今宵は貴方達が主賓だ。存分に、飲み、かつ食ってくれ」

ライルとクリスは顔を見合わせる。

いいのかな? いいんじゃない? とアイコンタクトを交わし、ナタクァに頷いてみせた。

「よし、すぐに用意は終るから、それまで待っててくれ。……こらぁ! お前ら、準備が遅いぞ!」

ナタクァは、檄を飛ばしながら準備の指揮に入る。

その、やたら男らしい後姿を見送りながら、二人はそろって苦笑するのだった。

 

 

 

……で、そのころ。

「熱い〜〜〜、んだけど、寒い。うう、気持ち悪い、吐き気する」

愛馬の体に寄りかかりながら、ルナは呻いていた。

どうも、本格的に夏風邪にかかったらしい。あのくしゃみは、やはり風邪を引いたからだったようだ。

僅か一時間足らずの間に、ここまで症状が悪くなったルナに、フィオナはおろおろする。いもしない敵を探しているかのように周りを警戒しまくり、時折幽霊の特性を生かして空中で回転したりする。

「ど、どどどどどうしましょう!? お医者さん? 病院!? えええーーー! どっちもありませんよぅ!」

「煩い。頭に響くから、叫ぶな」

「あぅぅ、す、すみません。でも、なにか処置をしないと……」

フィオナはルナの荷物を調べる。

服、タオル、魔法書、非常食、その他生活雑貨。――以上。

風邪薬どころか、傷薬一つない。旅を舐めているとしか思えないラインナップだが、ルナの場合大抵のことは魔法で事足りてしまうので、そのあたりはおろそかになってしまうのだろう。

「……おろそかになるとは思うんですけど、魔法が役に立たない状況に陥ったらどうするんですかーー!」

「わーってるわよ。……今、痛感しているところ。あー、頭痛い」

ガンガンと響く頭痛をこらえながら、次からは風邪薬“だけ”は持っておこう、と微妙な反省をするルナ。

「と、とりあえず、人里に行きましょう。そうだ、森の中にいる獣人さんたちに助けを求めてですね……」

フィオナは、ライルとクリスを連行していた者たちの事を思い出し、提案した。

ちなみに、ライルたちを監視しに行ったあと、フィオナの報告を聞いたルナは、ほっときなさい、とすげなく言った。

なんでも、フィオナが見た耳が変な連中は、獣人という種族で、人間とは敵対している。自分たちのテリトリーに入った人間を捕まえただけだろう。

まぁ、そんな程度のやつらに捕まるようなライルじゃないし、下手に追ったらこっちが隙を見せることになるわ……らしい。

「駄目よ。ライルたちを、逃がしちゃうし……大体、獣人の村なんかへノコノコ行ったら吊るし上げ喰らうわよ」

「そんなこと言っている場合ですか! 大体、なんでまだ森への探査結界解いてないんです!?」

ルナが張った、ライルたちが森のどのあたりにいるかを判別する結界。当然の事ながら、生成時ほどではないとは言え、維持にはそれなりの魔力を使う。

魔力と体力はイコールでは結べつけないものの、密接な関係があり――要するに、病気の時にあまり使うものではない。

「当然、ライルたちを逃がさないためよ」

「自分の体とどっちが大切なんです!?」

「もちろん、逃がさないことが大切に決まっているじゃない」

なに言ってんのアンタ、とまるで太陽が東から昇って西に沈むがごとき自明の事を説明するように、ルナが訝しげな顔になる。

そんな価値観に、ある意味感銘を覚えつつ、しかしフィオナは決死の覚悟でルナに詰め寄る。

「もう、体の方が大切に決まっているじゃないですか! 健康な体はなによりの宝物です。もう、体をなくしてしまったわたしが言うんですから、間違いありません。なくしてしまってからでは、遅いんですよ!」

とんでもない説得力である。

さすがのルナも、ちょっと怯んだ。

「わ、わかったわよ。じゃあ、せめて寝袋に包まってゆっくり寝てるわ。……豪雷号、見張りお願いね」

ブルルッ、と頷く豪雷号。本当に馬か、コイツ。

「結界は?」

「……それは駄目。精度落として、なるべく魔力消費は抑えるから、それで勘弁してよ」

フィオナはそれでも少し納得いってないようだったが、ルナの頑固さはよく知っているので、今のところはそれで妥協することにした。

しかし、

「でも、症状が改善しなかったら、取り憑いて体を操ってでも医者に見せますからね!」

と、釘を刺すのは忘れなかったが。

 

 

 

 

 

獣人たちの宴会が開催されていた。

やはり、食料に余裕がないのか、出されている料理はどれも質素なものだ。しかし、手をこめられていて、どれも素朴な美味しさがある。

宴会の中心に配置され、クリスがそれらの料理に舌鼓を打っていると、ナタクァが大きな徳利を傾けつつ、やって来た。

「どうだ、呑んでいるか」

「ああ、うん。いただいているよ」

木で出来た杯を掲げる。中に注がれているのは、褐色の液体。なんでも、一族秘蔵の酒らしく、めでたい時にしか呑めないものらしい。

呑んでみた感じ、聞いたら卒倒するような度数のはずなのだが、やたら甘くて美味しい。自制はしているが、段々と脳がアルコールに支配されてきた。

「よし、あたしが酌をしてやろう」

「い、いいって」

徳利を傾けようとするナタクァを押し留める。

そんなクリスの態度に、ナタクァは、赤い顔を歪ませて不満を露わにする。

「なんだ。あたしに魅力がないか?」

「魅力とか、そういうのじゃなくてね、これ以上呑んだらヤバイから」

酔っ払いになにを言っても無駄だと言う事はよく知っているはずなのだが、説得を試みる。しかし、案の定、クリスの言う事などまるで聞いていないナタクァは、村の娘たちが固まっている一角を指差した。

「ならば、あいつらの誰かに命じるがいい。お前は、村の英雄だ。誰もが喜んで床を共にするだろう。クリスは、どの娘が好みだ?」

「ちょっと待った! いきなり話が変わってる!」

あまりの話の変化っぷりに、クリスは全力でツッコミを入れた。

「なんだ、やはりあたしがいいのか」

「いつ、僕がそんなことを言った!?」

「確かに、このあたしの豊満なぼでーに興味を持つのはわかるが……」

「興味なんて持ってない!」

「しかしクリス。お前にはまだ早い」

「勧めてきたのそっちだろ!?」

「だってお前、まだ……十二歳くらいだろ」

「十七だよ!!」

「人間の年齢はわからん」

「耳と尻尾以外、見た目は変わらないじゃないか……」

ツッコミ疲れでガクリとクリスがうなだれる。叫んだお陰で、酔いもますます回った。

「まぁまぁ」

「なにがまぁまぁだよ……」

赤ら顔でしなだれかかってくるナタクァ。普段なら、こんな大人の女性に引っ付かれたら、ドギマギするだろうが、今のクリスにそんな心の余裕はない。自分の背中でつぶれているナタクァの胸も、まったく気にならない。

「それで、誰がいい?」

「話戻ってる!?」

 

 

 

 

 

「なん、か、森ン中が騒がしいわね」

「その、獣人さんが、宴会でもしているんじゃないですか?」

「宴会ぃ〜? 人が死にそうになってんのに、いいご身分ね。……はぁっ」

悔しそうに言って、ルナは恨めしそうに森を見る。

そして、はっ、と驚愕の事実に気が付き、フィオナに慌てて命じた。

「フィオナ! ちょっと様子見てきなさい!」

「え?」

「多分その獣人と一緒にいるであろうライルたちの様子を見て来いっつってんのよ」

「はぁ」

フィオナは、ルナの意図がイマイチわからなかったが、素直に森の中に入っていった。

多分、騒がしいほうに行けばいるんだろう、と森の中心部へ飛んでいく。もしかして、この騒ぎは、ライルとクリスの公開処刑かなにかの騒ぎなんじゃないか、と怖い想像をしながら。

やがて、開けた場所に出て……そして、すぐにライルとクリスは見つかった。

捕まっていたはずなのに、何時の間に獣人族の株を上げたのか、二人の前には豪勢な食事が並び、酒の入った徳利が並び、更には二人にそれぞれ三人ずつ女性がついている。

少なくとも、女性に関しては二人共強硬に断っていた。しかし、英雄を是非歓待したいと無理矢理寄ってきたのだ。

まぁ、どっちにしろ……散々、ルナに付き合わされ、更にそのルナの看病を強いられているフィオナからすれば、その姿は一片の疑念の入る余地もなく、妬みの対象である。

世の理不尽をこれでもかというほど痛感し、胸の中に言葉では言い表せないなにかをぐるぐる渦巻かせながら帰還。見たことルナに正直に報告したら、ルナは『やっぱりね。フフフフフ。どうしてくれようかしら』と怖い笑みを浮かべた。

なんだか、自分もルナと似たような笑顔をしているんだろうなぁ、などと思いつつ、でも止める気は全く起きないフィオナだった。

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