空が白んできている。

徹夜明けの眼に、水平線から上る朝日がやけにまぶしい。

全てを照らす陽の光。段々と夜の闇を照らして行くそれは、ゆっくりと、しかし断固としてその領域を増やし続け……

「はぁ……」

ルナの出した露店にデカデカと書かれた『営業停止!』のお札を青天白日の元に晒した。

いやもぉ、なにも言う気が起きない。いやそもそも、悔しげに歯噛みしつつ地団太を踏み、更には世の中の全てを呪っているルナに声をかけようものなら、その瞬間に八つ当たりされそうだ。

……あ、不用意に声をかけたアレンが殴られた。

「眩しいなぁ」

悲しいわけでもないのに何故か流れた涙で滲んだ視界で、ライルはそんな風に呟きを漏らした。

 

第124話「奉海祭〜逃走風景〜」

 

「ともかく。売り上げはうちの勝ちだから、こいつはもらっていくわよ」

相変わらず『優勝商品』のシャツを身に纏ったライルの首根っこを掴みつつ、マリアは自信満々にルナに宣言した。

「まぁ、素人にしては頑張った方だと思うけど、相手が悪かったわね」

誰にとって悪かったのか、判断に迷う台詞である。

まあ、主な候補としては、ルナの手料理を食ってタンカで運ばれた人々にとってかもしれない。間違いなく、あの人たちは今回の祭りの一番の被害者だ。次点の座は譲れないが、とライルはわけのわからない対抗心を燃やす。

「ぐ……う」

「なに? まさか今更約束を反故にするつもりじゃないわよね?」

「あ、当たり前じゃない。この私は、人の道は外れても自分の道は外さないわ。こんなヤツ、熨斗つけて進呈してやるんだから!」

「いや、むしろ人の道のほうを守った方が良いと思うよ、ルナは……」

ぼそっ、と当事者の癖に蚊帳の外に置かれているライルは、ツッコミを入れる。

ちなみにルナ内の倫理規定によると、一度締結した約束はいかなる犠牲を払ってでも遂行すべし、とある。まぁ、ライルやアレンなど、一部の人間に対しては適用されないこともままあるが。人の道とルナの道――この二つの距離は、絶望的なまでに遠い。

「それはよかった。じゃあ、一旦うちに帰りましょうか。片付けはお昼からだし」

すでに奉海祭の会場にいる人たちはまばらだ。これから昼過ぎまで休憩し、そこから片付け。明日からは普段のウィンシーズの街に戻るといった寸法である。

「そうね。マリアの家の固いベッドでゆっくり眠りましょうか」

「……あんたは家に帰りなさいよ、ミルティ」

「別にいいじゃない。私、ライルくんのこと諦めたわけじゃないわよ?」

ふふふふふ、と見詰め合うマリアとミルティ。これからさらにこの二人の争いが加速して行くのは想像に難くないが、人事のようにライルはそれを見つめる。

いつの間にか将来が決定付けられた彼に出来るのはそのくらいのものだ。

いや、悲観することはない。世の中には、生まれながらに生き方を決定付けられている人々など、それこそ掃いて捨てるほどいる。その中で、決して幸福と言えない人も少なからずいるだろう。それを思えば、自分はまだマシなほうだ。職場環境はけっこういいし。

などと自分を慰めるライル。

そんな風に現実逃避していると、マリアが懐からなにやら紙とペンを持ち出してこちらに突きつけてきた。しばらく意識が虚空を彷徨っていたライルは、それが自分に向けられたものだと理解するのに数秒かかる。

「……え? なに」

「うちの店で働くための契約書。さぁ、サインしなさい」

斜め読みしてみると、確かにローレライ従業員の契約書だ。労働条件その他について詳細に記されている。

半ば無理矢理ペンを持たされたライルは、なにやら操られるかのように下部にある空白に自分のサインを書こうとして、

「ちょっと待った」

そんな声に遮られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

(あ〜、やっちゃった)

声を発したクリスは、後になって後悔した。

しかし、口を挟んだからには『いや、なんでもない』などと引き下がるのも癪だ。自分に周囲の視線が集中しているのを感じる。ええい、どうにでもなれ、という気分で更に言葉を紡いだ。

「全く。今の今まで結局突っ込まなかったけど、みんな悪ノリしすぎだよ。ライルの将来はライルのものだ。自分で決めさせてあげればいいじゃないか」

なんとなく今までもやもやしていたことを口にする。

正論だ。恐ろしいまでに正論だ。ライルはなにやら救世主の誕生に立ち会った預言者のような顔でこっちを見ており、アレンは『あ〜あ、言っちゃったよオイ』と、まるで死地に向かう戦友を見送るような生暖かい目をしている。

ルナ、マリア、ミルティの三人はそれぞれバツが悪そうに視線を外した。

第三者に指摘されて、やっと今までの自分の言動を省みたらしい。

一人状況がつかめないフィレアは、ぽかんとその様子を見ていた。

「えっと。結局、ライルちゃんはどの娘のトコに行くの?」

「いや、フィレア先輩。そういう話じゃないです」

なにやら勘違いしている様子のフィレアに、ライルは律儀に突っ込みを入れた。

そして、復活したマリアがライルに視点を当てる。

「……そうね、考えてみれば、ライルの意見をほとんど聞いてなかったわ」

「ええ、私としたことがうっかりしていました」

「ま、選択権くらいは与えてあげましょうか」

マリアの台詞に、ミルティとルナがそれぞれ同意する。ぐい、と三人はライルに詰め寄って返答を迫る。あたふたと顔を引きつらせるライル。

その様子に、クリスはぽかんとなった

「……あれ? もしかして、薮蛇?」

「そうだな。これじゃ、有無を言わせず決められたほうがマシだったかもしれん」

うむうむと鷹揚に頷いてみせるアレンに、クリスは頭を抱えた。

どうしよう。

友人として、ライルにはなんてゆーかこう、平穏というかとりあえず無茶な精神的圧迫のない生活を送って欲しい。しかし、現状それは不可能に近い。

クリスの灰色の脳細胞が高速で回転し、この状況を打破すべく動き始めた。

――ふと、クリスの脳裏に、昨日思いついたはいいが即座に忘れた案が浮上する。

「……ねぇ、アレン」

「なんだ?」

「今の生活から逃げ出したくない?」

あまりに唐突な質問に、アレンの目が点になる。『なに言ってんだ、コイツ』という意志がありありと感じられた。

「つまりさ。今のフィレア姉さんに振り回されたり、ルナに吹っ飛ばされたり、燃やされたり、殴られたりっていった生活に嫌気は差してないか、ってこと」

ルナの項目が三つあるのは察してください。

「いや、ルナのは慣れてるし。フィレアは……その、なんだ。振り回されまくって疲れるし、正直、嫌になることもないわけじゃないが……一応、こういう関係になっちゃったからなぁ」

と、アレンは腰につけた袋から、布で包まれた何かを取り出す。慎重な手つきでその中身を取り出すと、それは指輪。……所謂、婚約指輪と言うヤツだ。

「そ、そんなの買ってたの?」

「まぁ、金出したのはお前の母ちゃんだけどな」

あの人は〜〜とクリスは遠くアルヴィニアの地にいる母親を思う。普段ぽやっとしているくせに、こういう事だけは手際が良い。この指輪は、アレンを縛り付ける鎖も同様だろう。

しかし……とクリスはアレンの顔を盗み見る。

人が良いとは思っていたが、よくもまぁ勝手に伴侶を決められて平然としていられるものだ。クリスとて王族。今までそういった話がでないではなかったが(しかも、父親は息子の結婚に興味はないらしい)、相手がどうのというより単純に嫌だな、と思ったものだ。

今回のライルの話とも被るが、将来が他人に勝手に決められる、というのは嫌なものではないのだろうか。

「アレンは、嫌じゃないの? いや、もっと早く聞くべきだったんだけどさ」

「ん? なんで」

「なんで、って」

「別にフィレアのことは好きだし、構わないぞ別に。振り回されんのも……まぁ、嫌な気にはならん」

カカカ、と快活に笑うアレンを見て、クリスは自分の懸念が全くの杞憂である事を悟った。見ると、自分の姉も、いつの間にかニコニコと笑いながら彼の隣に立っている。

この二人は、同居している間に、しっかりと絆を育んでいたらしい。

それはそれで喜ばしいことだ。遺憾ながら彼の義弟となる身としては、姉との関係が良好なのは歓迎する。しかし、それはそれとして……今はライルのことだ。

「しかし、アレだ。確かに、ライルには助けが要るかもな」

クリスの『今の生活から逃げ出したくない?』という問いで、おおよそのところは理解したのか、アレンが難しそうな顔でライルに視線を移した。

ライルは三人の女傑に囲まれ、まさに進退窮まる! といった顔でしどろもどろになっている。

意外と察しの良いアレンに軽く驚きつつ、クリスも腕を組んだ。

「そう。ちょっと助け舟を出してやりたいんだ。でも、逃げたところでアレンがいたら追いつかれるだろう?」

「あ〜、そだな〜」

考える、考える、考える。

ぽん、と名案が思いついたのか、アレンは手を叩く。頭の上に電球が点灯しているように見えた。

「よし、フィレア、こうしよう。今から、夏休み一杯を使った鬼ごっこを決行する!」

「は?」

「わーい」

あまりに唐突なアレンの発言に、ぽかんとなるクリスと無邪気に喜ぶフィレア。

「鬼役は女、逃げるのは俺たち男だ。それぞれ固まってもよし、ばらばらに探してもよし。どうだ、面白そうだろう」

「うん!」

「てなわけで、クリス。あのフィオナ……だっけ? をフィレアに渡すのだ」

「えっと、あー……はい」

幽霊少女がくうくう眠っているミニ棺桶を、クリスは言われるままにフィレアに手渡した。既に、彼の聡明な頭脳を持ってしてもアレンのアイデアについて行くことは叶わない。

馬鹿と天才は紙一重。昔のことはエライ事を言った。アレンのこれは、直感というか思いつきでしかないと思うが。

「よし、そうと決まったらライルをとっ捕まえてトンズラしよう。ルナの魔法にだけは気をつけろ」

「りょ、了解」

クリスも、一応アレンがなにをしたいかがわかったので、頷く。いつ決まったんだ、と思いはしたが。

……つまり、だ。アレンのやらんとしていることは、ちょっと前までルナと一緒にライルを追いかけていたことと変わらない。ただ、自分とアレンも逃げる側に回っちゃったと言うだけで。

つまり、アレンの言うとおりこれは夏休み一杯を使った男VS女の鬼ごっこ。範囲は……指定していない以上、全世界なんだろう、多分。なんと頭の悪い提案だ。

「フィレア。ルナには、適当に言っといてくれ」

「了解、だよ!」

ぐっ、と拳を握り締めるフィレアに頼もしさを感じつつ、クリスは半ば死を覚悟してルナたちを掻き分けてライルに元へ走る。

突然の闖入者に三人が呆気に取られている間に、アレンはライルを担ぎ上げ……逃走した。

「――あ。ちょっとコラそいつは置いてけー!!」

ルナが叫ぶ。しかし、突然のことに呆然としていた数秒のうちに、アレンに担ぎ上げられたライルと並走するクリスの姿はかなり遠くなっている。

これだけ距離があると、あの三人に魔法は通用しにくいだろう。追っかけるにしても、ルナの足ではどう頑張っても追いつくことは不可能だ。

「って、呪い!」

電撃のようにライルにかけた呪いを思い出して、ルナは懐から人形を取り出す。ライルの髪の毛を結びつけたそれは、呪いの媒介となる。

ばばばっ、と自分の血で地面に小さな魔法陣を描き、その中心に人形を置く。

「さぁ、逃げられると思わないことね――! 『遠く在る者、我が呪わしき宣言を持ってその腹を下せ!』」

なんつー詠唱だ。

意訳:下痢になりやがれこのヤロウ!

 

 

 

 

 

 

「あいつも容赦ないわね……」

「あらあら」

傍観に徹していたシルフィとアクアリアスは、ライルの後ろにつきながらその彼に迫る黒い力を感じ取っていた。

これはルナの呪いとやらだろう。シルフィは前に聞いていたし、アクアリアスもこの手の呪術はそれなりに知っている。

呪いとしてはそう致命的なものじゃない。せいぜい、対象となる者――この場合はライル――の体調を少々崩す程度だ。行動不能になるほどじゃない。

しかし、こんなものをマスターにみすみすかけさせるほど、シルフィは甘くはなかった。

「中途半端に齧った呪いなんかで、私の護りを突破できるとでも思った?」

聞こえるはずもないのに、皮肉げにそう言って、シルフィはその呪いの力を突っぱねた。そして、それは還っていく。術者の下へ。

「人を呪わば穴二つ……ま、少し反省しなさい」

また面白くなりそうだ、とシルフィは述懐し、ちょっと離されたライルたちの元へ飛ぶのだった。

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