「ふ、ふふふ――! 僕たちは、自由になったんだ!」

ウィンシーズが米粒くらいの大きさにしか見えなくなったとき、ライルはいきなり立ち止まってそんなことを叫んだ。

よっぽどストレスが溜まっていたらしい。かすかに涙すら浮かんでいた。

「……自由か?」

アレンの無粋なツッコミも届かない。

「まぁ、そっとして置いてあげようよ。多分、これから熾烈なデッドヒートが待ってるんだから」

男性陣VS女性陣の鬼ごっこ。体力的に見れば、男性陣に軍配が上がる。体力担当なのはフィレアだけで、そのフィレアとてあの小さな体だ。体力だけを見れば、ライルより下である。

大体、全世界が舞台の鬼ごっこなんざ、逃げるほうが有利に決まっている。追う側は、敵を補足することすら困難だ。……まぁ、普通なら。

追ってくる面々――ルナ、フィレア、フィオナ。少なくとも、前者二人は、簡単に物理法則を超越するに違いない。フィオナも、幽霊であるからして、物理法則関係なさそうだし。

物理法則の問題かどうかは置いといて。

「……そういえば、マリアとミルティさんはどうすんだろ」

ぽつり、と。ライルにこだわっていた二人を思いだすクリスであった。

 

第125話「鬼ごっこ ―始まり始まり〜―」

 

「フフフフフ……ライル、ちょっと見ないうちに随分と嘗めた真似するようになったじゃない」

呪い返しによって腹を下し、百パーセント逆恨みな怒りに燃えるルナは、世にも恐ろしげな表情で手をわきわきさせた。多分、想像の中でライルにアイアンクローでもかましているのだろう。

「さぁ、行くわよあんたたち!」

先陣を切って走り出すルナ。

慌てて追いかけるのはフィオナの入った棺桶を持ったフィレア。そして、自分達も『あんたたち』の中に入っていることに気が付いて、マリアとミルティは顔を見合わせた。

「ん? 行かないわよ」

あまりのあっけらかんとした物言いに、ルナはぽかんとなった。

「……なんでよ。ライルのこと、気に入ってたんじゃないの、あんたら」

そのために、ルナと勝負まですることになったはずなのだが、あまりにあっさり諦めている。疑惑のまなざしを向けるルナ。

「そんなこと言っても。店を放っておくわけにも行かないしねぇ」

「マリアの言う通りです。確かにライルくんのことは好きですが……責任を放棄するわけにはいきませんから」

いやに立派な理由に、ルナは居心地が悪くなる。自分が、無責任だと言うことくらいは理解しているようだ。少なくとも自分よりは大人な二人の前に立つのはどうも負けた気がしてならないらしい。

そんな気持ちを吹き飛ばすかのように、ルナはかぶりを振る。

「ええい、じゃ、フィレア行くわよ!」

「はーい」

駆け出す二人。

その後姿を見送りながら、ミルティがマリアにぽつりと尋ねた。

「……いいの?」

「いいの」

「別に、店長代理の一人や二人がいなくなったくらいで傾くような経営はしてないでしょうに」

「そういうそっちこそ」

「あら。うちは、私がいなくなったら立ち行かないわ」

「うちだってそうよ」

目をあわせた二人は、同時にため息を付く。

「別に、最初っからライルが自分で残らないようなら引き止めるつもりはなかったし」

「ライルくんは惜しいですけど、オマケで付いてくるあのお嬢さんにはついていけません」

言い訳めいたものを口にしつつ、二人はそれぞれの店へと向かう。二人とも、ライルたちのように学生気分でいられる立場じゃないのだ。行こうと思えば行けない事もないが、自分達に付いてきてくれている従業員を裏切るわけにもいかない。

羨ましくないと言ったら嘘になるが……

ライルに教えられた学校生活の様子が思いだされる。騒々しくも楽しい毎日。今の生活もそれはそれで充実しているが、同年代の人間とわいわいやりたいとも思う。

「……学校、入ってみようかなぁ」

「なにか?」

「なんでもない」

そんな想像を振り払う。どうせかなわぬ夢。さっさと隠居してしまった両親の代わりに店を切り盛りする自分には到底不可能なことだ。

……とりあえず、夏休みが終わるまでに、両親に直談判はして見ようと思う。

それまでは仕事だ。

「……あ」

「今度はなに?」

「アイツら、うちに荷物忘れてってる」

 

 

 

 

 

 

「……どうするのさ」

ある程度ウィンシーズから離れたところで、ライルは絶望的な声を上げた。

今更ながらに、自分が荷物をローレライに忘れていることに気が付いたらしい。今の持ち物はと言えば、常に携帯している剣と、僅かなお金の入った財布だけだ。

「ああ、まいったな」

全然参っていない様子で、アレンがあっけらかんと追従する。かく言う彼は、財布すらも持っていなく、まるっきり着の身着のままだ。本当、どこからこの余裕が出るのだと思う。

「まあまあ。幸い、僕の財布があるし」

と、クリスはどこからともなくじゃらじゃらとみっちり中身が詰まっていそうな袋を取り出す。見た目だけでもずっしり重そうで、相当の金が入っていると思われた。

さすが王子様。その財力は一般市民のライルたちの及ぶところではない。

「それはそれとしても、町に着くまではどうするんだよ……」

いくら金があっても、文明圏に入らなければただの荷物でしかない。食料は狩るなりなんなりでなんとかなるとしても、服とかはどうしようもない。

「まぁ、我慢するしかないね」

「やっぱそれか……」

「汚れが気になんなら、水浴びでもすりゃいいじゃねえか? 近くに川あるし」

すんすんと鼻を動かしながら、アレンが言う。ちなみに、視界の中には川など見えない。

「……ちなみに、どうしてわかったの?」

「水の匂いがする」

野生の獣並の嗅覚である。まぁ、街道の近くには大抵水場があるものなのだが。

「つーわけで、水浴びでもしようぜ。さすがに、徹夜で露店なんぞ出してたから、汗かいて気持ちわりぃ」

「水着、ないけど」

「裸で良いじゃん。男しかいねぇし」

年頃ならば男女問わず気にするであろう事を、アレンは迷いもしない。まぁ、確かに男だけならできるだろうが……と、クリスはふと気が付いた。

「シルフィがいるじゃないか。覗かれても知らないよ」

本人が聞いたら『私をなんだと思ってんのよー!』と即座にツッコミが入りそうなことをあっさり言った。――いや、案外嬉々として観察しそうな気もしないでもないが、どちらにしろそれを聞きとがめる存在はいない。

「ああ、シルフィなら、アクアリアスさんにつれられてちょっと前に精霊界に帰ったよ。仕事溜まってるらしい」

「よし、問題ないな」

なんかそういうことになった。

……そして、街道を少し離れたところにある川に、馬鹿二人は裸になって飛び込んでいた。夏らしい暑さに火照った体が一気に冷やされ、なんとも気持ちが良い。

そして、唯一たじろいでいるクリスは、どうするべきかまだ悩んでいた。

「おーい、クリスも入らないのか? 気持ちいいぞー!」

大声で叫んで手を振るアレンに、微妙に困った顔を返す。

「あのねぇ。こんな、いつ誰が来るともわかんないところ、さすがに裸は……」

「なに言ってんだ。こんな街から離れたとこに来る奴なんざ、滅多にいねぇよ」

「そ、そうだけどさぁ」

クリスは上半身だけ裸になったものの、まだ決心がつかないようだ。手で体を隠して、もじもじしている。

……その、なんていうか。

「……ねぇ、アレン。今更だけど、クリスって本当に男なのかなぁ」

「まぁ、女かと思うくらい、華奢ではあるが」

ああいう風に恥らっている仕草は、本当に同じ性別に分類して良いかどうか迷うほど女っぽい。今までに一緒に風呂には言ったり着替えをしたりする機会がなかったわけではないし、クリスが男だって言うことは二人とも必要以上にわかっているが……どうしても、ライルもアレンも、どぎまぎするのを抑えられない。もし、ここでクリスがカツラでもかぶっていたら危なかったかもしれない。

色んな意味で駄目っぽかった。

「……ええい! ライル、魚捕まえるぞ、魚!」

「あ、う、うん!」

変な方向に行き始めた思考を誤魔化すかのように、二人は動き始める。まぁ、お腹も空いたし。

ライルは水流を操作して魚を岸に跳ね上げ、アレンは川の真ん中にあるでかい岩をぶっ叩いて、隠れている魚を気絶させる。どんどんと積みあがっていく魚の群れ。三人で食べるには少々多すぎ――つーか、この川の魚全部取る気か? というほどの量だ。

「ちょ、二人ともなにやって――ぶわぁっ!」

慌てて止めには入ったクリスが、アレンが飛ばした飛沫をもろにかぶる。ついでに、その飛沫は川辺に置いてあるライルとアレンの服にもかかっていた。

「「「あ」」」

 

 

 

 

 

 

 

……結局、あのあと三人の服はずぶ濡れになってしまっていて、とても着れなくなってしまった。まぁ、夏の日差しなら、そう時間もかからずに乾いただろうが、魚を焼くついでとばかりに火にかけて乾かしている。

『洗濯になってよかっただろ』とは、誰の台詞とは言わないが。

まぁ、さすがに、真っ裸で薪を探したりするわけにも行かなかったので、ついさっきまではずぶ濡れの服を着ていた。

「……いっくし!」

当然、そんなことをしたら夏とはいえ体は冷えるわけで。まさかこのメンバーが風邪などひくわけもないのだが――なぜか、いきなりアレンがくしゃみをした。

「どしたの、アレン。まさかと思うけれど、風邪?」

「いやいやライル。それはまさかって聞くまでもなくありえない。アレンの体の頑丈さを忘れたの?」

そう。こと肉体的な強さで言えば、アレンはこの中でも最強だ。風邪――というか、病気から一番遠い肉体をしている。

「あのなぁ、俺だって風邪くらい引くぞ。夏は、なんでか引きやすいんだよ、俺。別に症状は全然軽いんだけどな」

ずず、と鼻水をすするアレンの様子を見るに、嘘ではないようだ。

「それは、もしかしてアレかな。夏風邪はマヌケな人がかかるっていう……」

「いかにもな理由だねそれは」

「お前らな……」

ふぇっくし、ともう一度くしゃみをするアレン。どうも、本気で格言(?)を実行しているらしい。

「ああ、もう。食うぞ。食って治す」

ばくばくと、アレンは焼けた魚を食べ始める。木の串に刺した魚を二、三匹まとめて口に頬張り、口の中を火傷して身もだえする。阿呆だ。

それをどうにか飲み下し、ぐるぐると腕を回すと、

「あ、治った」

「「早っ!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談

さすがに、ルナたちは荷物を忘れたことに気が付いたら、ちゃんと取りに帰りました。

「ちぃぃ! 距離を離されちゃったわ!」

らしい。

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